とりぶみ
実験小説の書評&実践
【書評】ハリー・マシューズ『シガレット』   (2014/05/27)
シガレット (エクス・リブリス)シガレット (エクス・リブリス)
(2013/06/13)
ハリー マシューズ

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 実質的な書評第3弾はハリー・マシューズ『シガレット』(木原善彦訳)です。
 ハリー・マシューズはアメリカの作家で、フランスの言語実験集団ウリポの一員です。当初はイタリアのイタロ・カルヴィーノと同じく外国からの客員メンバーという位置づけだったようです(※ラブレーの翻訳者・渡辺一夫もメンバーだったそうですが、その辺の事情は私は知りません)。ペレックの親友であり、ジャック・ルーボーと共にペレックの絶筆『53日』を整理し、遺作として刊行しています。この『53日』はメタ・ミステリーで、青山学院大学の國分俊宏先生が既に翻訳して書肆に納品済みですが、いまだに書籍化されていません。売れそうにないから出版を渋っているのか?買いますよ。なんなら私一人で100冊買ってもいいんですよ?宝くじが当たればね。
 『シガレット』は日本語に翻訳された唯一のマシューズ作品です。帯の梗概によれば「実験的文学者集団『ウリポ』の鬼才による、精緻なパズルのごとき構成と仕掛け!」「ニューヨーク近郊に暮らす上流階級13人の複雑な関係が、時代を往来しながら明かされる。絵画、詐欺、変死をめぐる謎……その背後でいったい何が起きていたのか?」だそうです。(帯の惹句「超絶技巧を駆使した読みやすい実験小説」は嘘で、これに就いては後述します。)
 目次をざっと見ると「アランとエリザベス」「オリバーとエリザベス」「オリバーとポーリーン」など、登場人物2名が対になった章立てです。登場人物13人の複雑な人間関係がこの本の生命であり、「誰と誰が血縁関係」「誰と誰が恋愛関係」などを把握していないと充分に楽しめないでしょう。ですから、メモを取りながら読むか、一気呵成に読み切るか、いずれかの方法で臨むのが穏当だと思われます。
「えー。読書なんて行き帰りの電車の中でしかしないし。メモ取るのダルいし小説ごときにまとまった時間使うのもったいないし。おうちではドラクエやりたいの!!」
 しょうがないなあ。私のメモを公開するので参考にして下さいよ。──ネタバレになりそうな部分は白文字にしておきますので反転させて読んで下さい。「反転って何?」という方、キーボードっていう、文字ボタンがいっぱい植わってる板の多分右隣にあると思うんですが、マウスという丸っこい機器がありますね。そのマウスのですね、左のボタンを押したまま、マウス本体を動かしてみて下さい。なんか背景が黒くなってその代わりに文字が白くなると思います。なりませんか。ならなかったらアビバに行って下さい。それからガラケーの方。ダイジョウブ、ちゃんとネタバレします。
 それではまず、主要登場人物全13人、登場順にご紹介いたしましょう。

 「アラン・ラドラム」保険仲介業。モードの夫。プリシラの父。エリザベスや「ハイヒール」と不倫。
 「エリザベス」謎の女。モードが買った絵のモデル。イニシャルH。
 「ルイーザ・ルイソン」オーウェンの妻。ルイスとフィービの母。
 「オリバー・プルーエル」作家志望。ポーリーンと婚約。ルイーザの友人。
 「ポーリーン・ダンラップ」モードの妹。オリバーと婚約。通称「ハイヒール」
 「オーウェン・ルイソン」保険調停。ルイーザの夫。ルイスとフィービの父。
 「フィービ・ルイソン」画家ウォルターに師事。神経衰弱。ルイスの妹。
 「ルイス・ルイソン」23歳のひきこもり。マゾヒストの同性愛者でモリスの愛人。フィービの兄。
 「モリス・ロムセン」28歳の美術批評家。心臓病。ルイスの愛人。アイリーンの弟。
 「プリシラ・ラドラム」アランとモードの娘。論文を書き、ウォルターと同棲。
 「ウォルター・トレイル」画家。フィービの師匠、プリシラと同棲、アイリーンに片思い。「エリザベスの肖像」を描いた。
 「アイリーン・クレイマー」画商。6歳下の弟モリスを学者の道へ導いた。
 「モード・ラドラム」プリシラの母。ポーリーンの6歳上の姉。父はポール・ダンラップ。

 速読術を身に付けていない人にとって、この人物関係をメモ無しで把握するのはつらいと思います。私は脳の記憶容量が24キロバイトしかないので当然メモを取りました。『シガレット』の情報を詰め込んだせいで初恋の甘酸っぱい記憶が上書き消去されたらやるせないので……。
 次に、各章の年代と、その章がどういった内容を扱っているかについてざっと書き出していきます。
「アランとエリザベス」(1963.7)不倫関係。
「オリバーとエリザベス」(1936夏)泥風呂。競馬。
「オリバーとポーリーン」(1938夏)競馬。
「オーウェンとフィービ Ⅰ」(1961夏-1963夏)父娘。アトリエ。
「オーウェンとフィービ Ⅱ」(1962-1963)フィービからの視点。
「アランとオーウェン」(1963.6-7)保険仲介(同業者)。絵画買い上げ。
「ルイスとモリス」(1962.9-1963.5)男同士のSMプレイ。
「ルイスとウォルター」(1962.6-1963.6)プリシラの批評。ウォルターがルイスを軽蔑。
「ルイーザとルイス」(1938-1963)母子。
「アイリーンとウォルター」(1962.5-8)画商と画家。
「プリシラとウォルター」(1962.6-1963.4)同棲。モリスを味方にするため画商の道を勧めるプリシラ。
「アイリーンとモリス」(1945-1963)姉弟。
「ポーリーンとモード」(1938夏)姉妹。その幼少時代。妹が姉を恨むに至った理由。
「モードとプリシラ」(1940-1963)母娘。
「モードとエリザベス」(1963.7-9)親友。エリザベスが不自由な体に。
(エピローグ。物語の語り手「私」=ルイス)
 と、こんな感じですね。物語を動かす原動力として、「エリザベスの絵」にまつわるエピソードと、アランのはっちゃけぶりが小説の両輪となっている気がします。
 で、「帯の惹句『超絶技巧を駆使した読みやすい実験小説』は嘘で、これに就いては後述します」と予告したので記述します。マシューズはウリポのメンバーですし、当然実験的な要素が期待されるわけですが、この小説にそういった前衛の気風は窺えません。人間関係が複雑なテレビドラマ1クールを観ているような感触です。
「なるほど!『超絶技巧を駆使した読みやすい実験小説』というのは嘘なんですね。実験小説じゃないんですね」
 ちがいます。実験小説には違いないようです。「読みやすい」も本当です。「超絶技巧を駆使した」というのが嘘、というか知ったかぶりなのです。
 訳者あとがきによるとマシューズの長編小説は難解な物が多いらしく、『シガレット』のように読みやすい物は稀だそうです。しかしそれにも関わらず、『シガレット』こそが「彼の作品中で初めて全面的にウリポ的技法を用いた小説」だそうです。あじゃぱぁ。どこにウリポ的技法が用いられてたの? 引用はこう続きます。
「彼は本作のプロットを考える際、ある種の数学的アルゴリズムを用いたとインタビューで述べているが、その手法について細かいことは公表していない」
 そうなんです。どの辺りがウリポ的技法なのか不明なのです。制作手段に関してこれより上等な情報は訳者あとがきには書かれていません。だから「超絶技巧を駆使した」というのは知ったかぶりで、それが本当に超絶技巧なのか、誰も(少なくとも日本人には)判定できないのです。
 「ジョルジュ・ペレックに捧ぐ」という献辞が冒頭に置かれている所から察するに、『人生 使用法』的な物語生成装置を背景に『シガレット』は執筆されたと考えるのが普通です。その仕掛け、発表して欲しかった。『人生 使用法』だってペレック本人が制作の裏舞台を告白してくれたから良かったものの、そうでなければ誰が十次元二元直交ラテン方陣やチェスのナイト問題、クリナメンに気付けたでしょう。『シガレット』が本当に超絶技巧の賜物なら、教えてくれた方が話題になったのに。
 『人生 使用法』の屋台骨となった制約を読者に向けて公表すべきか否か、ウリポの会合で議論になったことがあるそうです。イタロ・カルヴィーノは公表容認派で、たとえば彼の小説『宿命の交わる城』はタロットカードの配列によって構成されているのですが、彼自身がそのカラクリをばっちり解説しちゃっていますし、どのようにタロットカードが並べられたのか作中にわざわざ挿し絵を載せるほどの言いたがり屋さんです。一方のマシューズは公表否定派で、制約は家屋の建造に用いられる足場と同じで、完成した作品からは取り払われるべきだと考えていたようです。そういったスタンスですので今後マシューズが『シガレット』の「超絶技巧」を解き明かしてくれる可能性は極めて低いと言えましょう。レーモン・ルーセルの『私は如何にして或る種の本を書いたか』みたいに、自著解説が作者の死後に刊行されたら良いのですが。
 それではお話変わりまして。今回の書評を執筆するにあたり、私は人物相関図を用意しました。みなさまの便宜となりますよう、複雑な人間関係を少しでも理解しやすい図表にまとめようとしたのです。家族の樹形図やらフローチャート形式やら、実に何十個もの相関図を書きました。図をコンパクトにする試行錯誤のさなか、ついにある一つの形にたどりつきました。それがこちらでございます。

シガレット

 はい、みごと。エリザベスを中心点にした菱形でございます。我ながらあっぱれな出来ばえ。もちろん完璧な図ではなく、モリスがプリシラに遺産を与えたり、ウォルターがルイスを軽蔑したりといった関係が反映されていません。その他不備はたくさんあって、たとえ図の中で隣接していなくても各人は何らかの面識を持っていたりしますし、冷静に眺めるとこれが完成型だとはとても思えません。一旦は「あっぱれ」と自分を誉めてみたものの前言撤回させていただきます。しかし、マシューズが用意した制約のうちの1つがこういう図だったという幻想は捨て切れません。どうなんですかハリーさん、こういう図を準備したんじゃあないですか。どうですか。え?あ。ちがう?ちがうんですか。そうですか……。
 これとは別に制約を探るとすれば、124・125ページにヒントが隠されていそうです。バセドー病を発症したフィービの耳で反響する幻聴が、唐突と言うか、作品の流れから浮いている異質な音声なのです。
「私は探求する、要求する、遺贈する……」おそらく原文は「I quest, request, bequest...」なのでしょう、どこからともなく聞こえてくる韻を踏んだ声。その直後に「声はまた別のとき、彼女の従順な耳の中で不可解な文字列を繰り返した──bstqldst、bstqldst……」「私bstqld探求st私bstql要求dst、私bstq遺贈ldst……」
 この異常な文字列は創作の秘密を探求し要求する読者への目配せではないかと、私は思います。「ん?秘密知りたいの?じゃあここに暗合残しとくから自力で解いてみてよ」というマシューズの声が聞こえてくるようです。あくまで個人的な推測に過ぎませんが。
 そして、同じ文脈の中で小説のタイトルが顔を覗かせます。
「フィービは実家に向かう途中で、文字列についてあることに気が付いた。bstqldstは古い線路で古い列車がガタゴトいう音だ。速度が遅いときはこんな感じ。/シガレット、チッ、チッ/シガレット、チッ、チッ」
 そもそも『シガレット』というタイトルは首を傾げざるを得ないタイトルです。作中でタバコが特別なアイテムとして登場することはなく、それどころか喫煙の場面すら一度もありません。題名が全く内容に即していません。この辺に作品の秘密を解く鍵がありそうです。──「ありそう」と書いたのは結局私には秘密が解けなかったので。
 これで今回の書評は終わりです。煮え切らなかったですね。いかがでしたか。
「大塚さん、あんたさ、ウリポの他に読むものないの?こちとら実験小説とか好きじゃないんだよね。ていうか苦手なんだよ。もっとこう、メジャーなさ、『1Q84』とか『容疑者Xの献身』とか『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』とか、人気のある本を論じてみろよ。あんたさ、奇抜な本ばっかイジくってお利口ぶってるだけだろ?あ?ストレートに真っ向勝負をする勇気がねえから変化球ばっか投げてんだろ?あ?そうなんだろ?誰も読んでねえ本を論じてりゃあ批評力不足でも苦情来ねえもんなあ。まっとうな書評が出来ないから奇書奇書言って誤魔化してんだよ。キショーイ。おまえの書評は逃げだよ逃げ。くやしかったら俺の好みの本を論じてみやがれ!俺は『世界の中心で愛を叫ぶ』と『一杯のかけそば』と『KAGEROU』が大好きです☆」
 (無視)次回はレーモン・クノーです。



この記事に対するコメント

■ 素晴らしい分析だと思います!
この作品の日本語訳者です。(すばらしい)ユーモアを交えた、見事な分析ですね。脱帽です。特に、人物相関表が美しい!(今度どこかでこの小説を紹介する際は、この図を使わせていただいていいですか?) さすがウリポ愛読者ですね。また、「要求dst……」の意味不明部分は、僕も鍵のような気がしていますが、解けません。マシューズ本人も「使ったアルゴリズムは公表しないし、仮に自分に尋ねられてももう覚えていない」という趣旨のことをインタビューでしゃべっています。ともあれ、大変興味深い書評に感謝申し上げます。
【2014/05/28 08:42】 URL | きはらよしひこ #-


■ ひぃっ
木原先生ご本人ではありませんか!(驚愕)
お世話になっております、面白い本をありがとうございます。
偶然にもこの1つ前の記事では『これは小説ではない』を超巨大本の比較対象として写真に撮っており、神の見えざるアルゴリズムにビビっている次第であります。

2013年は翻訳者オブザイヤーと評して間違いない、大活躍の年でしたね。
2014年もご健筆をスイングなさって下さい。
楽しみにしております。

人物相関表、オリバー・モリス周辺が少しさみしくなっておりますが、ぜひ是非お使い下さい。
光栄の至りです。
【2014/05/28 18:15】 URL | 大塚晩霜 #-



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