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BNSラジオ 06:00~07:00   (2008/11/01)
Ver.1.02【43枚】
異郷おでかけ隊(前半部分)

【クイックリンク】
登頂
山頂(ロープウェー山頂駅/ランチタイム/展望台)
拝観開始(日本寺へ向かう/十州一覧台/百尺観音)
千五百羅漢道part1(地獄のぞき/東海千五百羅漢道/西国観音/(廃仏毀釈))
千五百羅漢道part2(百躰観音/あせかき不動尊/日牌堂/奥の院無漏窟/維摩窟~聖徳太子像/天台石橋~不動滝/弘法大師護摩窟)




 Oh!Ha!Yo!(オハヨー)六時になりました。おなじみラッシャー井出・田台マー・岡絵里の三人による異郷おでかけ隊の時間です。あらかじめ録音しておいた旅番組ですよ。この時間はおじいちゃんおばあちゃんしか起きてませんからね、顧客に合わせたジジくさい放送内容です。お相手は私、絵理。どうぞよろしく。
 さて、去る早春、南房総鋸山へ遠足に行って来ました。千葉県鋸南町にある標高三百二十九メートルの小さな山です。連なる峰がノコギリの刃に似ている所からこの名があります。
 起床。歯グソを磨き、人糞を垂れ、迎えに来た井出の車に飛び乗り、颯爽と出発。「飛び乗り」というのはおおげさな表現かも知れませんが、実際飛び乗りました。迎えに来る時の井出は基本的に停車しません。低速運転で通過します。ですから、私は車と併走しながらドアを開け、ここぞという場面でジャンプ一番飛び乗るのです。一度、飛び乗らずに片足ずつ乗ろうとしたことがありましたが、その時は股が避けそうになりました。一歩間違えれば事故です。信号待ちでジュースを買いに行く時もこのダイ・ハードな乗車法を駆使します。おまわりさんに見つかったら怒られます。
 絵理が作成したCDをかけ、朝からハイテンションで出発。いてきまーす、ドン(タラちゃん)。京葉道路にのぼり、館山自動車道を経由し、目的地へと向かいます。途中で市原のサービスエリアに寄ったり、車内は常に楽しい雰囲気でした。絶好の登山日和、よく晴れたのが何よりうれしい。
 そんなこんなで昼ごろ鋸南町へ到着。奇跡的にセブンイレブンがありましたが、あまりにも弁当の品揃えが悪く、三人は腹ごしらえをしないまま登頂を決断しました。絵理の事前調査によると頂上にはお食事処がないため、断食覚悟で挑みます。
 登る前に、その方法について説明しておきましょう。色々あります。
 まず、有料の登山自動車道や無料の観光自動車道を利用する手があります。しかし、これはおじいちゃんおばあちゃん向けの救済制度ですので、若い我々は手を出さない方が良さそうです。
 海岸沿いの無料駐車場に車を停め、表参道を徒歩る方法があります。これはなかなか魅力的ですが、「保田側より浜金谷側から登りたい」と思うのが江戸っ子の心情、今回は見送ります。
 そして、ロープウェーに乗って行く方法があります。絵理はこの方法で行きたかったのですが、マーの提案で、ロープウェー脇の「鋸山裏登山道」を歩いていく事になりました。「裏」ってなんだよ、おっかねー。
 いちおうロープウェー乗り場・山麓駅をのぞいてみると、乗車賃は大人六百円・こども四百円で、運行は十五分間隔でした。我々が乗り場に到着したのは十二時四十五分で、ちょうど発車しました。空へと昇るロープウェーを見送っていますと、車窓からオバさんが手を振ってきましたので、こちらも手を振り返します。
 さあ、さっそく脇道を登っていきましょう。まだ登山道ではなく、アスファルトの道路なのですが、傾斜がそうとうキツいです。マーは靴ひもを結び直し、絵理は屈伸運動を開始します。ただ、井出だけは何も準備せず登っていきます。革靴を着用している彼は、元より決死の覚悟です。
 右手には清掃会社の詰め所とバキュームカー。左手には褐色のビールびんが無数に葬られています。人跡稀な場所に来たものです。
 降り注ぐ太陽の光が実に気持ちいい。寒くなる事を予想していましたが、実際には汗ばむほどの陽気でした。
 少し歩くと分岐点にたどり着きました。左の道を進んだ行き止まりには東大の地震研究所があるようですが、そんな所に用は無い、必然的に右の道を進む事となります。その道をしばらく行くと、右側に登山道が見えて来ました。「ほんとにココ登るの!?」と言いたくなるような、苔むした石段が続いています。もちろん、われわれ三人以外に人の気配はありません。大自然の脅威が迫ってきます。ごめん、ちょっと大げさに言い過ぎました。
 二年前にこの道を通った経験のある絵理は、知識をひけらかすようにベラベラしゃべり続けます。山頂までは何分かかるだの、二月には残雪があっただの、勝手にしゃべってろって感じです。他の二人は「へー」とか「ふーん」とか適当なあいづちを打ってます。
 で、絵理は勝手にバテてます。しゃべりながら登山するのは想像以上に疲れるものです。井出とマーも、慣れない動作に疲れてきているようです。登って十分と経たないうちに休憩です。だらしないヤツらだ。
 ちょうど階段の踊り場のようになっている場所で足を止めます。ここは休憩スポットらしく、木に相合い傘が彫りつけてありました。「さとる」「れいこ」の文字が読み取れます。今でもラブラブなのでしょうか。お幸せに。
 急な登り道であるためか、意外に高くまで来ていました。眼下に広がる港町・漁船・そして海。すばらしい眺望です。三人は三人とも海が大好きで、よく眺めに行ったりするのですが、このような高所から一望する機会はあまりありません。
 「関東が一望できる」という謳い文句に偽りは無く、東京湾の海岸線が全て見渡せました。横須賀・横浜から東京、京葉工業地帯、そして南房総。水の上をのしのしと進む超巨大タンカーや、タンカーが海に塗りつける白い足跡。鋸山のクリーム色の岩肌。全てが圧倒的で、まぶしいくらいで、「視界がひらけている」という表現がしっくり来ます。
 五分ほど景色を楽しんだ後、三人は再び登り始めました。感動を述べ合いながら、足取りも軽く、疲れるとわかっていながらも、絶景に対するコメントを言わずには居られません。みな息を切らしながら、来て良かった来て良かったと繰り返しました。そして、「伊荻は馬鹿だなぁ」と口々に罵りました。「伊荻」とは、参加予定だった男・伊荻満寿夫のことです。彼は就職面接のため、来られなかったのでした。「あいつホント馬鹿だなぁ。どうせ受からねえのに」
 だいぶ高くまで来ました。このペースだと、三十分かからずに登り切れそうです。途中、下山してくる夫婦とすれ違いました。「こんにちわ」こんな秘境で日本語のあいさつを交わすとは、夫婦の方でも予想してなかったでしょうね。私たちの他にこの道を利用する人が居たとは驚きです。
 マーが「たけぇ。こえぇ。昔はこんな気持ちに、ならなかったのにな…」と、なんだか乙女のような事を言います。この発言を機に、井出と絵理も軽い高所恐怖症である事を告白。まあ、無謀な子ども時代とは違い、「落ちたら死ぬ」って認識してる年齢だから、当然かも知れませんが。それとも、神に近づく事に畏れを成すのでしょうか?
 だいぶ人くさくなってきました。クライマックスは近い。電柱に電線・ワナとしか思えない、踏んだら抜けそうな渡し板・人の声…。そしてついに、着きました!
 平日なのにやたら人がいます。日本、大丈夫でしょうか。我々も同類ですが。
 頂上ではタンポポが一輪だけ咲いていました。


(CM)
 人はなぜ山に登るのか。そこに山があるからか。なぜ中学生は給食に出てくる牛乳を一気飲みするのか。一気飲み競走をしてむせたりするのか。競走最中に笑わせ合って鼻から噴射したりするのはどうしてだろう。牛乳がキライなおともだちの分まで引き受けておなかガボガボ、昼休みになったらトイレにこもるのはなぜか。中学時代、トイレに入ると犯罪者あつかいを受けたのはなぜか。翌日あだなが「うんこ」になってたりするのはなぜか。そこに山と積まれたうんこがあったからか。人はうんこの山でも登るのか。──真相は闇の中だ…。(途中で連想飽きた!?)
 登山用品は、安心と信頼のブランド「滑落スポーツ」をお選び下さい。



 三人が登頂への感動に沸いておりますと、老夫婦のかたわれ・おばさんが話し掛けてきました。
「ここを登ってきたの。すごいわね。若い人は違うわね」
 とんだ所で人に誉められたものです。裏登山道目指してロープウェーの脇道を登っている時に、一台の車とすれ違ったのですが、このおばさんはその車に乗っていた気がします。とんだ所で再会したものです。
 登頂の疲れを癒そうと、ロープウェー乗り場・山頂駅に入ってみます。もしかしたら体力回復アイテムがあるかも知れません。
 いきなり団子がありました。炭で焼かれていて、醤油か味噌をつけて食べるようです。空腹だし、食べようかな…。あまり迷わず、買うことにしました。どんな味がするか楽しみです。
 売場には誰も居なかったので店員を探すと、食堂の存在に気付きました。あれれ。まともな食事が出来るなら、おやつなんぞに構っている場合ではありません。未練なく団子を見捨て、食堂へ向かいます。
 食堂はロープウェー駅の二階部分にありました。一階部分には発着場とおみやげ売場、そしてゲームコーナーがありました。このゲームコーナーは待ち時間の退屈しのぎ用なんだと思いますが、品揃えがとてつもなく素晴らしい。時代を二十年は後取りしています。われわれと同い年・もしくは先輩と思われるマシンの数々が、郷愁と恐怖を感じさせます。
 ロープウェー乗り場の二階に上がります。途中の踊り場にビール広告のポスターが貼ってありました。そのポスターに印刷されたねえちゃんを接写し、「グラビアが撮れた」と言っていたマー。とてもカワイソーなヤツです。
 二階部分は食堂・おみやげ売場・石切資料コーナー・お手洗いなどで構成されています。特筆すべき事は、ここにもゲームコーナーが設置されていた事です。しかも、一階のそれよりも大規模です。一回三十円の野球盤──ボタンが二つあり、一人二役で安打を狙う野球盤や、十数年前に駄菓子屋で見かけたルーレットゲームなど、一階を上回るラインナップ。ただただ驚愕するしかありません。
 さて、飯を喫する前に、石切資料コーナー脇の喫煙所で煙を喫します。喫煙所からの眺めは最高でした。海面が、輝く布のようになびいて地上へと迫ります。
 「石切」について簡単にご説明します。鋸山は良質な「房総石」の産地でして、江戸時代から昭和後期まではそれを切り出して利用していたそうです。この作業を「石切」と言い、石切資料コーナーには石切に従事した人々の集合写真や、実際に使用されていたツルハシなどが展示されていました。
 さっき、「コーナー脇の喫煙所」と言いましたが、「コーナー内の喫煙所」と言った方が正しいかも知れません。石切資料、ずいぶんな扱いされてます。そのせいか、三人は資料にほとんど目もくれず、景色に心奪われてしまいました。もっとしっかり見てくれば良かったです。サビついたツルハシに想いを馳せたり、房総石の使い道について詳しく学んだりすれば良かった。今になって少し後悔します。少しね。
「伊荻に電話してみっか」
 タバコを吸いながら、参加できなかった伊荻に井出が電話をかけます。
「もしもし、伊荻?」
「もしもし…」
 妙に沈んだ声なので、面接は手応え無しだったのでしょう。
「いやぁ~ものすごく晴れたね。世界が明るい。海がまぶしく光ってるよ。伊荻は今、どこに居るの」
「自分の部屋だよ…。暗くて、日差しも入ってこないよ…」
 井出・マー・絵理の順に電話を回し、伊荻を罵倒しました。
「…君が来られなくて、ホントに残念だヨばーか。それじゃ井出に代わりまーす☆」
 話し終えた絵理が井出に電話を返しました。井出はそのまま何も言わず電話を切ってしまいました。伊荻、哀れすぎます。そして三人、ひどすぎます。
 タバコを吸い終え、三人は遅い昼食を摂ろうと食堂へ入りました。かなりのテーブル数です。けれど、時間が遅いせいもあり、客はわれわれ三人だけでした。貸し切り気分です。
 海抜の高さに比例して、お値段も高めでございます。取り分け、八百円の牛丼には注意が必要です。地上では二三杯イケる値段です。
 井出はカレー六百円、絵理はラーメン六百円、マーはやきそば五百円を注文しました。なんて無難なセレクトなのでしょう、冒険心という物がないんでしょうかコイツら。水はセルフサービスでお願いします。
 おばさんがめくるめく伝票をめくる中、「いただきます」。店員二名vs客三名の真剣勝負が幕を開けたわけです。
 味は、「学食」って感じですな。井出はカレーの味を「なつかしい味」と評していました。それでも、うまいうまいとパクつきました。絵理の勘違いで「食べ物は売っていない」とあきらめていたので、望外の喜びでしたね。それに加えてハラペコだったので、おいしくいただけました。何より、すばらしい景色を楽しみつつ食事をするのは最高です。違った意味で「千葉県一“高い”食堂」ですので、感慨もひとしおです。会話も弾み、満足のうちにごちそうさまを迎えました。
 食堂を出て、おみやげ売場にて奇妙なグッズの数々を眺めました。現物限りと思われる「鋸山ロープウェー」のポスターが五百円で売っているのにはぶっ飛びました。それ、売っちゃっていいのかよ!?それから、拳銃・ホルスターを扱った、一回二百円のガチャガチャ。特別古くはないが、珍しい事に変わりはありません。銃装備は鋸山でも一般化してきているらしく、悲しい事です。
 改めて、ゲームコーナーを見回してみました。本当にとんでもない世界です。怪しげなクソゲーの宝庫です。遊ぶのはお金の無駄。決して遊んではいけません。たとえばカーレースを模したルーレットゲーム。何がすごいって、「十八歳未満プレイ厳禁」の貼り紙。意味不明です。決して遊んではいけません。決して。
 しかし残念な事に、井出は財産を浪費してしまいました。手相占いに、文字通り手を出してしまったのです。
 この占いマシンは、駅ビル地下に一時設置してあったような機械なんですが、特筆すべき点が三点あります。
 ①中指を指定箇所に置いて、汗や脈拍で健康度をチェックするんだと思うんですが、中指をカバーするパーツがモゲてます。
 ②ショボい結果が星の数で表示されるだけ、結果がプリントアウトされる事などありません。それで二百円です。
 ③井出の健康度は、無難な「健康」でした。脈拍と思われる数値は「72」を表示しましたが、井出がコインを入れる前にも「72」って表示されてました。
 コイン投入口に二百円捨てたも同然です。
 ゲームコーナーのすぐ外は展望台になっていました。ロープウェー山麓駅が遙か下方に見えます。暖かい日差しと冷たい風、とても気分爽快です。海と空の青・木々の緑・太陽の白…。三色の支配する世界です。
 東京湾を眺めていると、一台のロープウェーが山頂駅から山麓駅に向けて出発しました。なんだかピンク色の物が詰まっています。どうやら、ピンクのキャップをおかぶりになられた幼稚園児様ご一行がご乗車になられておられたようです。手を振ってみましたが、反応はありません。お子さまたちは下界に夢中のようです。
 山頂には猫がいました。以前絵理が訪れた時はそれこそ腐るほどのこじき猫がタムロしていましたが、今回は二匹だけです。二匹とも美しい毛並みをしています。とても人に慣れていて、写真撮影にも気軽に応じています。


(CM)
 山登りに関する注意事項。オシャレせず、山登り相応の野暮ったい服装をして下さい。スーツなどで挑むと「ホモの心中だ」と勘違いされる恐れがあります。また、山は楽しい場所ではありません。ひたる所です。もしくは遭難によるスリルを楽しむ所です。決してワイワイする場所ではない。そこの所お間違えなきよう!
 登山用品は、安心と信頼のブランド「滑落スポーツ」をお選び下さい。



 ロープウェー駅をあとにし、いよいよ日本寺へと向かいます。詳しい説明は後に回しますが、鋸山の大半はこの寺の敷地です。
 その道すがら、山頂を示す看板の近くに、小さなお社が建っていました。中を覗いてみると、すごい。イチモツをかたどったご神体が、聖母マリア像に向けて屹立しています。このご神体には安産の御利益があるそうですが、間違いなくあるでしょう。ないわけがない。「和洋折クス衷」とでも呼びましょうか、生命誕生の神秘に迫るモニュメントであります。ためいきが出るほど神々しい。
 お社の左隣には、来山者のための記念ノートが置いてありました。少しはぐってみると、ずいぶん遠くから来ている方が多いですね。外国人による英語の署名もありました。もちろん、われわれも署名をしていきます。来られなかった伊荻の名前も、情けをかけて書いて上げました。
 署名を終え、意気揚々と道を進みます。進行方向右手、崖の下には駐車場が見えました。バスや数台の車が停まっています。有料道路を利用すると、ここに辿り着けるというわけです。
 さらに進むと、電柱の工事をしていました。ずいぶん近代化してきています。日本寺本堂を建設しているのが影響しているのでしょう。本堂建設については、あとでふれることにします。
 ロープウェー山頂駅から数分歩くと、日本寺の西口管理所にたどりつきました。拝観料六百円を支払い、チケットと案内図を受け取り、境内へ入ります。
 無事に進入を果たした三人。まず、案内図を見ました。観光名所をくまなく回るつもりですが、一本道ではありません。効率良く回るためには道順をよく考えねばなりません。そこで、順路はナビゲーターの絵理に一任される事となりました。
 西口管理所を背にすると、道が三手に別れていました。キレイに整備された登り道が北側にあり、十州一覧台に通じています。実は、絵理もここには登った事がありません。案内図を見る限りではかなり長そうな坂道ですし、肉眼で確認しても同じ印象です。その上、行き止まりです。
 行くか行かないか。小会議が開かれましたが、「若さに物を言わせて登ってしまおう」と決まりました。この際、全ての道を制覇する意気込みです。──あとで判明した事ですが、日本寺の石段はおよそ二六三九段もあり、これは日本一の数だそうです。「日本一」という冠詞を知っていれば、十州一覧台は見捨てていたかも知れません。無知ってすばらしい。
 ここの石段はやたらキレイでした。一段一段の高さはあるものの、登りやすいです。突然井出が駆け上がり始め、他の二人も競うように後を追います。はっきり言って低脳です。そんな競走をして何になるのか。
 結果は、絵理が頂上寸前で井出を交わして一着。勝利を確信して足をゆるめた井出の様子をめざとく見て取った絵理が、ラストスパートを駆けたのでした。マーは大人なので途中から冷静になり、写真を撮ったりしながらゆっくり登ってきました。
 意外に早く着きました。走ったので息が切れましたが、そんなに厳しい登りではありません。登りつめた先・十州一覧台には「浅間神社」と「世界救世教記念碑」がありました。
 前者は妙にちっちゃいです。案内図に描かれているような巨大な建造物ではありません。箱サイズの神社です。小学校にあった百葉箱を思い出します。
 後者は立派です。美しく磨かれた石碑です。平成生まれに思える若々しい柱ですが、実は昭和初期に出来た物らしいです。くわしい事は忘れました。「世界救世教と言えば、死んだばあちゃんが入ってた宗教だな。思い出すなぁ。ばあちゃん、元気かなぁ…」絵理がつぶやきます。お亡くなりになってるんだから、元気なわけありません。
 「十州を一覧に出来る台(関東一円を一望できる展望台)」という名前に偽りのない、すばらしい眺めでした。しかし、用意されたモニュメントは少しガッカリンコな感じです。文章がふまじめなのはそのためです。セッパつまってる人は登らなくて良い場所だと思いますが、三人はそれなりに満足したようです。マーなんか、両足踏切で石段をピョンピョン降りて行くほどゴキゲンです。
 はしゃぎながら降りてくると、一組の夫婦とすれ違いました。三人は「ここを登るなんて珍しい」と思い、夫婦は「気味の悪いジャリどもだな」と思いました。あいさつは無しです。
 再び西口管理所に戻ってきた三人は、次なる名所「百尺観音」を目指します。西に伸びるゆるやかな坂道を、マーは“アキレス腱を伸ばしながら登る”奇妙な歩き方でグイグイ進みます。よっぽど楽しいのでしょうか、彼の狂態は終わりません。井出と絵理が軽蔑していると、道が二股に分かれました。平坦な左の道を選びます。
 百尺観音へ通ずる道は、「道それ自体が観光名所である」と言っても、過言ではありません。「石切」によって出来た、垂直にそびえる壁の間を抜けるのです。日差しがさえぎられているため、ひんやりとした空気が気持ちイイ。上方には、「地獄のぞき」と呼ばれる崖が見えます。ちょうど、おっさんが地獄をのぞいている最中です。三人が「落ちないかな」とわくわくしながら見上げていると、おっさんは視線に気付いて引っ込んでいきました。チッ。
 さて、メインの百尺観音を見上げます。切り立った崖に彫りつけられた、ひらべったい像です。南向きの壁に彫られています。この観音像は昭和四十一年に完成した物で、六年間かけて造られました。石切職人たちが形にしていったのでしょうか。どうやって彫ったのか不思議に思っていると、「やぐらを組んでいる写真、を見た記憶がある」と、マーが教えてくれました。比較的新しい像であり、格別素晴らしい意匠もありません。しかし、像の立っている場所が場所ですし、冷涼とした空気も手伝って、なんだかものすごい物を感じます。
 なお、ここには北口管理所があります。北口管理所を北に抜けると、われわれが登ったのとは異なる鋸山裏登山道に続いています。利用する気はありませんので、そろそろ百尺観音をあとにします。──まさかここにまた戻ってくるとは、この時は誰も予想しなかった…。


(CM)
 私が京都に旅立ったのは…。そう、アレはまだ、私が夢や希望を忘れてなくて青春時代のまっただ中で恋愛を謳歌しつつ、でもちょっぴり夜の街には奥手で明るい未来への展望に目を輝かせながら自らの身体も光り輝せる発光体、まるでクラゲかホタル、もしくはドラえもんに出てきたヒカリゴケ?そんな昔の事であります…。汚れ切った現在の私からはまぶしすぎる過去であります…。
 当時の私は文武両道オールA・才色兼備壮健美茶でなおかつ新興成金、魑魅魍魎一網打尽日々是好日人生上々交通安全──つまり、先週末に行ってきました。ごく最近のできごとです。
 京都最高!みんなで京都に行こう!



 二股の道まで戻ってきました。今度は右手の上り道を行きます。
 しばらく登ると、小さな展望台がありました。上る必要はないのですが、一応上ります。今日は鋸山の全てを踏破する意気です。
 「地獄のぞき」が目の前に見えます。この展望台は、「地獄のぞきのぞき」のようです。
「ここ(展望台)からあそこ(地獄のぞき)をそれ(カメラ)で撮ったら面白くねぇ?」
 絵理がヘタな日本語で提案し、地獄のぞきに向けて走り始めました。一人ではさみしいので井出も連れ去ります。それはすなわち、マーを置き去りにしていくという事です。展望台には浮浪者のようなおっさんが寝ていました。マーが性的イヤガラセをされないか、少し心配でした。
 すぐに着きました。「地獄のぞき」はコブのような場所で、階段はありません。柵はありますが、岩丸出しです。軽いロッククライミングに挑戦します。革靴をはいている井出は、滑りやすい岩にものすごくビビっていました。
 二人はコケる事無く、先端へ到着しました。これまた絵理の提案で、タイタニックをやる事に。「何年前の映画だよ!」という井出のツッコミにも、絵理はエヘヘと嬉しそうです。気持ち悪い。案内役だからって、やりたい放題です。
 行けばわかりますが、ものすごくコワイです。眼下に広がる景色は“地獄”とは程遠い美しい森林地帯なのですが、見ているとクラクラしてきます。「地獄のぞき」というネーミングは素晴らしいのですが、どちらかと言うと「のぞき地獄」です。立っている場所がコワイ。
 眼下を見渡します。橋の存在が確認できました。橋の色は真っ白で、緑濃き山の中では一際目立っています。あの橋は、いったい誰が利用するんでしょうか。“転落した人を救助しに行くための通路”としか思えません。あなおそろしや。
 その後、写真を撮り終えたマーも合流。彼も地獄のぞきに登ります。「うわぁ~」半ばあきれた声が聞こえてきます。その気持ち、わかります。
 山頂展望台には突き出した所がもう一箇所あります。そこでもすごい景色を堪能できますが、恐ろしさはありません。立脚地が違えば、同じ景色も違って見えるのですね。おお、立脚地が違えば、同じ景色も違って見える。このフレーズ、ちょっと哲学的ではありませんか?ありませんか。そうですか。
 なお、この展望台には「トンビやサルにエサをあたえないでください」という看板が立っていました。いたる所で鳥を見かけていましたが、その正体がようやくわかりました。悠々と大空を旋回するトンビは、登山者の弁当をかっさらう事もあるようです。気を付けましょう。
 頂上を極めたら、後は下降線をたどるしかありません。人生と同じです。というわけで、下り階段に足をかけます。
 この先は、千五百羅漢道。名工「大野甚五郎英令」が、門弟二十七名とともに二十一年の歳月をかけて造った石像群が安置されています。石仏の数は千五百五十三で、世界第一の羅漢霊場だそうです。
 と、スペック的な説明はこの辺にしといて道を下りましょう。なんだか道が濡れてます。濡れ濡れです。山肌から水がしみ出しているらしく、チョロチョロと涼しげな音さえ聞こえて参りました。詩的なステキな言い方をすれば「山の汗」って感じですかね。…ぜんぜんステキじゃないですね。
 すべらないように注意しながら、せせらぎにオブラートされた階段を一歩一歩慎重に下ります。
 階段を下りると、「西国観音」が見えて参りました。アレ?違和感があります。…仏像にちゃんと首がついているではないですか!
「仏像に首がついてるなんて当たり前じゃないか。そんな事言うとぶつぞう」とか言われそうですが、鋸山の千五百羅漢に首が無いのは知れた事です。案内図裏面の説明によると、「惜しくも明治維新の排仏毀釈以来、荒廃したままで現在に至り、」とあります。
 廃仏毀釈についてご説明いたします。維新成功後の明治政府は、徳川家に代わる国家最高権力者として、天皇家を据えました。江戸時代、天皇一族は日陰暮らしでしたが、ここでまた頂点としてあがめられるようになったのです。そして、日本最古の歴史書『古事記』をよりどころとして、「天皇は神の子孫である」とムチャクチャを主張するようになりました。「神様が統治しているのだ」とした方が、人民の支持を得やすかったからでしょう。仏教はないがしろにされ、「天皇は神の子孫である」の根拠となる神道を国教に据えました。つまり、「インドからの輸入品“仏教”を扱うお寺はウソツキで、日本古来の宗教“神道”を扱う神社こそが正しい」としたのです。
 この廃仏毀釈は仏像の否定につながり、全国各地で仏像が破壊されたりお経が焼き払われたりしました。こうして、日本寺でも全ての仏像が首を折られたのです。大仏はデカすぎてさすがにムリだったみたいですが。
 しかし、首、復活してます。よく見ると頭と胴の継ぎ目にコンクリートの跡が窺えます。中には鉄筋がむき出しになっている羅漢様もいらっしゃった。「最近造られたのではないか」と勘違いしかけましたが、どうやら「お首つなぎ」という復興事業が行なわれているようです。折られた首は廃棄されていなかったのですね。不幸中の幸いでした。
 しかし、いまだに首無しの仏像も多いです。なぜでしょう。一説によると、来山者が持ち帰ってしまうようですね。千五百羅漢の顔面は実にユニークで、表情がとても豊か。その芸術性に魅了され、盗んでいく人が多いらしい。それに加え、「自分と似ている顔を持っていると御利益がある」と言う迷信が産まれたり、受験戦争が最も激しかった八十年代にはお守りとして持ってっちゃう人が続出したらしいです。なげかわしや。
 残念な事はまだあります。あきらかに頭と胴が合ってない仏像が多いのです。顔は白人なのに胴は黒人──石の色が全然違います。適当につながれてます。寺側でもあんまり把握できてないのでしょう。十九世紀に破壊され、二十世紀は何もせず放ったらかし、そのまま二十一世紀を迎えてしまったのです。回復には相当な時間が必要ですね。
 しかしですね、荒廃していると言うものの、その芸術性の高さは失なわれていません。首を切られても動ぜず、いかにも超然としているサマが伝わってきます。私たちが地蔵を見ているのではなく、地蔵が私たちを見ている感じがします。“膨大な量”という点でもスゴイですが、一体一体精魂込めて造ってある点でも驚き。安置された仏像群は雑然としているけど、妙に均整も取れている。フィギュアコレクターのショーケースに似ています。改めて大野甚五郎氏をリスペクトします。
 案内人の絵理は「仏像を見物するなんてジジくさいから、無粋なこいつらは飽きちゃうんじゃないかな?」って心配していました。しかし、井出もマーも真剣に地蔵を観賞しています。意外と仏像に理解がある二人だったので、絵理の心配は取り越し苦労に終わりました。観賞中、六・七名の女の子集団が通りかかり、「もう仏像なんてどうでもいいって感じなんだけど~。飽きちゃった、見ないよね~」なんてホザいていましたが、あの子たちと来なくてホントに良かったと思います。
 絵理は人知れず、哲学的思索にふけりました。
「この安らぎを得るためには、死しかない。いや、羅漢の中には苦しそうな顔をしている者・怒っている者もある。やはり、自ら解脱するしか道は無さそうだ。仏は衆生を救わないが、己れ自身を救っている…」
 仏教徒でもないくせに、妙な事を考えたものです。


(CM)
 京都の宇治に行こうと思っている、華ちゃんに伝えたい。宇治は結構な土地だ。京都駅から快速で二十分弱、京都の外れに位置している。宇治川と宇治茶と平等院鳳凰堂が売り。「暴走行為禁止」の立て札が目に着くので治安の面では不安。私が宿に泊まった夜も、川向こうの道をパトカーがサイレン鳴らして走っていた。
 いつの日にか、華ちゃんと宇治でニアミスをしてみたいものだ。老後の華ちゃん(六十九)が宇治川で釣りをしてて、釣れたのが私(七十三)。これ、テキスーな第一発見(読みは「であい」)ですよね!!その時はよろしくお願いします。



 二天門を下る。登る際には「天に昇っていく感じがする」らしいが、そんな事はないみたい。
 「?」な坐禅石(どこに坐禅石とやらがあるのか、どこが見どころなのか、サッパリわかりませんでした)の前を過ぎ、百躰観音に至ります。
 ここの仏像も、西国観音とさほど代わり映えはしません。みんな目をつぶっています。「目は口ほどに物を言うが、つぶればとても静かになる。目は語る、つぶれば黙す…」と、絵理はまた変な事を考えます。
 でも、座禅の時って薄目を開けてるんですってね。マーが教えてくれました。言われてみれば、そのようです。少し大きめの仏像などは、薄目をしているのがつぶさに観察できます。へ~、そうなのかぁ。マーは「座禅の時に眠らないためであり、和尚が渇を入れるのも居眠り防止である」とかなんとかゴタクを並べてましたが、忘れました。なお、井出はそういう豆知識を少しも蔵しておらず、うんちくコーナーになると静かになっていました。
 百躰観音の前を抜けると道が二手に分かれていました。右の登り道は行き止まりですが、もちろん行きます。あせかき不動尊を拝みます。
 …なんですかこれは。今までの羅漢とは趣を全く異にします。コワイです。ユーモアのかけらもありません。ケンカをしたら絶対負けます。
 立て札が立っていて、なんか書いてあったんですが、忘れてしまいました。すいません。でも、意味不明な文句で、三人は頭を鉢合わせにして解釈を試みました。短い議論の結果、「なまけ者を裁く仏なのではないか」という解釈に落ち着きました。
 なお、写真は撮っていません。霊とか彼岸とか信じない三人ですが、この時ばかりは祟りを恐れてしまいました。
 少し大げさに話しましたが、あせかき不動尊の怖さは“心霊的恐怖”ではなく、分かる人だけ分かる“すごみ”です。ですから、他の人にとってはあんまり怖くないかも知れません。
 あせかき不動尊を後にし、南へ下ります。少しひらけた広場のような場所に出ました。心もとない石段ばかり歩いてきましたが、ひさしぶりに土を踏みました。
 「甚五郎の墓」。羅漢に囲まれた中に、それを示す立て札が立っています。遺体が安置されているかどうかは甚だ謎ですが、最大限の敬意をもって拝んでおきます。重ね重ね、偉大な人物だと思います。「東洋のミケランジェロ」と言ったら言い過ぎかも知れませんが、美術史に残る資格は存分にあります。
 「宝筐印塔」。五輪塔って見た事ありますか。墓場によくあるやつ。あれのバケモノです。デカいし良く出来ててスゴいんですが、まあ、羅漢などに比べると見劣りしますかね。
 「日牌堂」。ものすごい量の仏像があります。一つ一つ全く違った表情を浮かべている所が見ものです。ずっと眺めていても、なかなか飽きません。そのうち飽きます。
 途中、つばきが咲いていました。「木に春で椿」というマーの発言通り、春の近い事を告げているかのようです。やがてあせかき不動尊の時と同様、左手が下り道・右手が登り道の行き止まり、そんな分岐点に来ました。右手に登ります。軽いトンネルのような所をくぐっていくのですが、低いので頭上注意です。「注意 Heed」っていう、グローバルな警告まで掲げてあるくらいです。しかも、携帯の電波をさえぎるほどの分厚い天井です。「太古よりの風蝕によってできた奇岩霊洞」の一部なのでしょうね。
 幸い、誰も頭をぶつける事なく「奥の院無漏窟」に到着しました。大して期待を膨らませずに来たのですが、向かって左方面に安置されている仏像群は期待通りの物でした。期待通り、つまり、期待以上じゃありませんでした。普通でした。なかなかの意匠ですけど。
 しかし!右方面に安置されている仏像群には驚かされました。多分、日本寺で一番、いや、日本で一番美しい石像なのではないでしょうか。白くきれいな石に精巧な彫刻を施し、いかにも純潔高貴な感じが漂っています。惜しむらくは、柵に阻まれていて接近できない事と、接近できない事に伴って見えない仏像がある事です。が、近寄りがたい神々しさを演出するにはその処置も正しいかも知れません。
 三人はここで久々に休憩を取りました。仏像の美しさにホレボレしながら、心地よい疲れを癒します。
 柵の脇に置かれた亀の像二体は、首がありませんでした。こんな所にも廃仏毀釈の波が押し寄せたのでしょうか。明治人て、バカ?
 ゆったりと休んでいますと、突然、マーが声をあげました。見ると、下から二匹のサルが駆け上がってきて、すぐ横を通過して行くではありませんか!サルどもは威勢良く木に飛び付き、落ちそうになりながら、更なる高みへと登っていきます。後を追おうとしましたが、毛の無いサルにはあの芸当は不可能です。ポカーン。。。
 サルの遭遇に肝を冷やしつつ、三人は次へ向かいます。維摩窟にはとんでもなく精巧な仏像が一体あります。行く機会のある方は、ぜひチェキるが良かろう。なお、首のない羅漢はここにも多いのですが、賽の河原のように石を積まれている羅漢様には萎えました。首が無いなら無いままにしといてやれよ、ただの石コロ積んだって迷惑だよ。御利益無いよ。
 聖徳太子像と対面。以前来た時は最も美しい彫像として記憶に残っていましたが、改めて見ると大した事ありません。「奥の院無漏窟」の抜群の美に毒されたのでしょうか。
 天台石橋を通ります。不動滝から流れる水を越えるためのただの石橋です。しかも、不動滝近くには排水溝が設置されており、現在は水が流れていません。何のためにあるのやら、あまり興味のそそられないオブジェですな。不動滝は、ただの滝です。白糸の滝と申しましょうか、ごくごく小規模な滝です。ここにもいくつかの仏像が安置されていますが、最大の見所は立て札です。こう卜書きしてあります。
「茫々たる宇宙人無数/幾箇の男児か是れ丈夫」
 全くもって意味不明です。何代か前の住職が書いたんだと思うんですが、そりゃないよって感じです。笑いを誘ってどうするんでしょうか。仏は見えても宇宙人なんて見当たりません。住職には見えたのでしょうか。ホラーとしか言いようがありません。
 千五百羅漢道もいよいよ終わりに近付いて参りました。最後に訪れた場所・弘法大師護摩窟はとても無惨です。行き場を失った首が、大量に積まれています。まるで打ち首獄門状態、処刑された仏の首塚ですよ。首のほとんどは顔の隆起もすり減り、のっぺらぼうになっています。見るに耐えません。一刻も早い復興を願わずには居られません。ナームー。
 山を下れば下るほど情景描写がいい加減になっていきましたが、大体同じだからです。言い換えようがありません。ただ、実地に見る分には楽しめます。保証します。あなたがもし、美を解さない無風流な人間ならば別ですが…。
 拝観する機会があれば、常に上方へと注意を払ってみて下さい。岩肌のはるか上の方、意外な場所にも仏像が安置されています。たとえば、日牌堂から維摩窟へ向かう途中の右手上方とか天台橋から弘法大師護摩窟へ向かう途中の右手とか。あらゆる場所に仏が宿っていますので、色々探してみて下さい。ただし、上に気を取られ過ぎて足を踏み外さないように。あなたが仏になりますよ。


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