とりぶみ
実験小説の書評&実践
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    大塚晩霜
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アズマギク   (2007/11/01)
 11月1日。1が3つ並ぶ日。
 10月が終わり11月が始まるその瞬間。午前0時0分0秒。1人室内でそっとつぶやく。「お誕生日おめでとう」と。
 目を閉じてきみの顔を思い浮かべる。きみの顔はぼんやりとしていて輪郭がはっきりとしない。記憶の中のきみは半透明。まるで水で薄められたかのように色彩が柔らかくなっている。たしか、大きな目だったよね。いつも表面が濡れていて、瞳の黒が光っていた。こんな目だっけ? それとも、もう少し細長いレンズ型だったっけ。よくわからない。あんなに長いあいだ覗き込んだのに──鏡の中の自分と目を合わせるよりも長いあいだ見つめ合ったのに。
 閉じた目を開けるとそこは自分の部屋。きみの姿は消える。もう1度つぶやく。「お誕生日おめでとう」と。11月1日。今日はきみの誕生日。数字だけははっきり覚えている。ため息が腹から漏れる。
 部屋の照明を消す。壁も天井も電灯もベッドも本棚も机もテレビも何も見えなくなる。雑念を取り払う。きみの姿を思い出すことだけに専念する。視野にあるのはきみの姿だけ。心の中できみの名前を繰り返す。何度も呪文のように繰り返す。記憶。きみと過ごした掛け替えの無い日々。忘れられない。決して忘れられない。その、確固とした記憶。確固とした記憶を頼りに、きみの姿を想起する。暗闇の中にぽうっと浮かび上がるきみの青白い半身像。きみは笑っている。ゆらゆらと揺れてピントが定まらない。笑っているのはわかる。きみの笑顔を想像しているのだから、想像上のきみは笑っているに決まっている。だけど表情が読めない。どうして。底知れぬ心の海底から、なにか、じりじりと胸を焼くような焦りが、おそろしい勢いで浮上してくる、そんな予感がする。不吉な予感。それは恐怖に近い、不穏な感情。ハッと気付く。きみの半身像がゴボゴボと音を立てて闇に引きずり込まれていく。
「待ってくれ。行かないでくれ。何かの間違いなんだ。もう少し待ってくれ。」
 暗闇の中できみの名を呼ぶ。何度も。何度も。より一層ぼやけるきみの姿。もはや誰だかわからないくらいあやふやだ。まぎれもなくきみなのに。目の前に漂う女の顔は絶対きみの顔であるはずなのに。色と形が溶けていく。
 慌てふためいておべんちゃらを使う。きみの容姿にはっきりとした形を取り戻すため、ほめながら思い出しながら描写していく。
 目鼻立ちがとても整っていたよね。スッと伸びた鼻筋。あれくらい均整の取れた鼻は、きみと最後に会って以来、一度もお目に掛かっていない。どんな鼻だったっけ? そう、そういう鼻だった。あれ。そうだっけ? そういう鼻だったっけ。そうか。そうだよね。それにその唇。最高の唇だった。最高だった。その唇。その唇。その唇? どの? どの唇だ? 思い出せない。あれ。おかしいな。思い出せないぞ。数え切れないくらいキスした唇を。色も形も艶も感触も、何も思い出せやしない。あんな、すばらしい唇を! きれいすぎたから、記憶に残っていないのか。もっと面白い目鼻口をしていれば。換言すればブサイクなパーツをしていれば。それならば憶えていたというのか。いいや、それでもやっぱり憶えていなかったはずだ。美人だったから記憶に残りにくかった? そんなのは言いわけだ!
 もう、認めるしかない。あれほど愛したきみの姿を、この脳は、忘れ始めている。何という恐ろしいことだろう。別れてから、たった数年間しか経っていないと言うのに!
 鮮烈な記憶はいつまでも美しさを損なわずその姿を保つと信じて疑わなかった。しかし、残るのは数字だけだった。数値化できない甘い記憶は時の流れと共に次第に劣化し、色褪せていく。あれほど鮮明だった掛け替えのない記憶が古ぼけていく。ひさしぶりにひらいたアルバムの、写真を貼り付けているセロテープが茶色く変色していたように、古びていく。ただ厳然として残っているのは数字のみ。
「過去の愛が忘れられなければ、新しい恋は出来ない。恋愛をしなければ子孫を残せない。子孫が繁栄しなければ種は滅びてしまう。だから…」
 だから、防衛本能が働いて、古い恋愛の記憶は徐々に削除されていく、とでもいうのか。甘い昔に束縛されないよう、全て無かったことにされるとでもいうのか。ふざけんな。
 初めてキスをした時のことしか憶えていない。デートした思い出・ケンカした記憶がゴッソリ抜け落ちている。別れたつらい記憶もどこかへ消し飛んでいる。その他かろうじて憶えているのは数々の夜伽だが、しかしその記憶の中の裸のきみは、やはり顔が消えているし、乳首の形状も曖昧だ。もはや日記に残っている記述でしか、脳内であの子とのデートを再現できないというのか。毎日いっしょにいたのに、たまにしか会っていなかったことになってしまうというのか。お互いの誕生日とクリスマスイヴと年末年始とバレンタインと七夕にだけ?
 それって、悲しすぎる。切なすぎる…。
 お誕生日おめでとう。11月1日。今日はきみの誕生日。数字だけははっきり覚えているのに。




この記事に対するコメント

■ 
題名が変わったのですね(花の名前が)
これを読んで、私と彼が付き合う前に
「あ、今日…前に付き合ってたコの誕生日だ」
と呟いたのを思い出しました。
フツー言わねぇ~だろ!と思ったけど、
これを読むと何となく、「男心は乙女心よりもピュアなのね」と納得してしまいます。
【2007/11/17 11:19】 URL | arty. #-


■ 
 題名が変更された事によくお気付きになりましたね。artyさんのような熱心な読者は本当にありがたいです。
 前の題も今回の題も、実は全く同じ花を指します(呼び名が違うだけ)。こっちの方がすぐ花だとわかると思って変えました。

 よく「男の方が未練がましい」なんて言いますが、まさしくその通りだと思います。破局の際、女性は比較的さっぱりとしていてすぐ新しい恋に目を向ける事が出来ますが、男はいつまでも過去にこだわって思い出を引きずったりします。自分から別れ話を切り出しておきながらあとになって別れを激しく悔やんだり、新しい恋が動き始めている元カノにもう一度やり直してくれなんて泣きついたり、ほんとバカみたい。ぼくたち男の子ってとってもかわいい。
【2007/11/18 19:40】 URL | 大塚晩霜 #-



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