とりぶみ
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【書評】木下古栗『グローバライズ』   (2017/11/07)


「ホルヘ・ルイス・ボルヘスの書いた文章なら、どんな文章でもすべて読みたい。単行本に収録されていない、些細な記事や対談でも、余すところなく蒐集したい──」
 こういったボルヘス・マニアのことを「ボルヘジアン」と呼ぶそうです。

 今回の書評対象、木下古栗にも「フルクリスト」と呼ばれる熱狂的ファンが存在します。ボクは熱心なフルクリストではないため、そういった方々から「おまえ古栗のこと全然わかってない」 「くそニワカ野郎」 「書評する資格なし。網膜剥離によりライセンス剥奪」などの叱責を受ける恐れがありますが、勇気を振り絞って書いてみます。
 ところでby the way、村上春樹のファンは「ハルキスト」と呼ばれますが、村上さん本人はこの「ハルキスト」なる語を気に入っておらず、「村上主義者」と呼んでほちいらしいです。
 一方、木下古栗は「フルクリスト」という呼称に対して、どう思っているのだろう。たぶん、気に入っているのではないでしょうか。ちょっとキリストっぽいし、なんといっても「クリトリス」と似てますから。「フルチン」でも喜んだと思います。




 そういうわけで木下古栗をレビューしていきます。単行本は現在までに5冊刊行されています。

『ポジティヴシンキングの末裔』(2009)
『いい女vs.いい女』(2011)
『金を払うから素手で殴らせてくれないか?』(2014)
『グローバライズ』(2016)
『生成不純文学』(2017)

 このうち最初の2冊は絶版で、古書価が高騰しているのでボクは未読です。
「はぁ? 単行本未収録の短編はともかく、せめて全単行本読んでからレビューしろよ! 『教師BIN☆BIN★竿物語』読まずに古栗を語るなぞ100年早いわ! 買えよ。ヤフオクかamazonのマーケットプレイス、もしくは神保町か、金がないなら全国のブックオフを駆けずり回って来いよ。それから、語れ。話はそれからだ」
 (うるせえな……)
「あ? なにか言ったか?」
 いえ。絶版のモノを手に入れても著者本人にはビタ一文入らないのでね。ボクにとって木下古栗氏は、お金を落としたいと思える数少ない小説家の一人なので。復刊されたら即買いますよ。
「あ、後追いってことね。デビュー直後からリアルタイムでファンになったわけではなく、最近フルクリの魅力に気づいたってクチね。おっそ。ダサーい。キショーい」
 はぁ。フルクリスト先輩まじパねぇっス。かなわないっス。その通り、自分は後追いですね。ほんと申し訳ない。ほんと申し訳ないんですけど、黙っててもらっていいですか? ……失礼します。(乳首を噛みちぎる音)
 一般的な読書家に木下古栗の名が知れ渡ったのは『金を払うから素手で殴らせてくれないか?』からでしょう。この短編集は、第5回Twitter文学賞の国内編第1位の栄冠に輝いています。フルクリストの皆様も木下古栗の代表作と目しております。収録作は「IT業界 心の闇」 「Tシャツ」 「金を払うから素手で殴らせてくれないか?」の3編。
 普段読書とは縁が遠い一般人に木下古栗の名が知れ渡ったのは『グローバライズ』からでしょう。この短編集は、テレビバラエティー「アメトーーク」読書芸人の回にて、光浦靖子さんがオススメしたことで一気にバズりました。今回ボクが取り上げる書評対象もコレです。
 そして最新作『生成不純文学』ですが、これは実は単行本未収録の作品を寄せ集めたものであり、中身は最新ではありません。収録作は「虹色ノート」(2011)、「人間性の宝石 茂林健二郎」(2013)、「泡沫の遺伝子」(未発表)、「生成不純文学」(2014)の4編。『グローバライズ』の初出が2015年10月ですから、過去作ということになりますね。
 木下古栗氏には、雑誌でしか読めない短編がたくさんあります。早く単行本化してほしいですね。どうしてしてくれないのでしょうか。(ヒント:売れない)



 ここから本題。まずは何から話そうか……。帯か。帯から話すか。
 帯には錚々たるメンバーがキャッチコピーを寄せており、どなたも「さすが」としか言いようのない寸評になっているわけですが、その中でも取り分け素晴らしい、豊崎由美氏と佐々木敦氏のコメントを引用しましょう。
 (豊崎氏)我読了。茫然自失、甚大絶頂感。展開奇天烈、言語尖鋭、人格崩壊、世界転覆。震撼哄笑必至、淫行芥川賞受賞必定。以上熱烈推薦所以也。
 (佐々木氏)すべての「意識高い系」読書人を挑発し嘲弄する、この上なくドイヒーでサイコーな文学がここに!!!
 豊崎氏のニセ漢文は、初見の人には意味不明かも知れませんが、これは本書に収録の短編「道」のオマージュです。ちなみに「道」だけは試し読みができます。実はボクが古栗道に入門したきっかけは、この短編です。「フルクリやべえ」という噂だけは耳にしていたものの、フランク・シナトラ病((c)稲中)という不治の病に侵されていて、なかなか書籍を手に取る機会がなかったのです。河出書房新社さんのイキなはからいにより、ようやく読めたわけですね。
 佐々木氏のコメントは本当に的確で、特に「ドイヒー」のあたりは言い得て妙、木下古栗の文学は「ひどい」どころではありません。
 つうわけで帯にやたら文字数を費やしてしまいましたが、次に、『グローバライズ』各収録作品の解題といきやしょう。ネタバレを防ぐために大事なところは白文字にしますので反転して読んでください。全12作です。
  ・天然温泉 やすらぎの里
  ・理系の女
  ・フランス人
  ・反戦の日
  ・苦情
  ・夜明け
  ・専門性
  ・若い力
  ・道
  ・観光
  ・絆
  ・globarise
(なぜ12作なのか。それから、『グローバライズ』というタイトルの意図する所は。それに関しては作者本人がインタビューで語っていますので参考にしてみてください)


天然温泉 やすらぎの里
 光浦靖子氏は「アメトーーク」の中で、おすすめ5冊のうちの1冊に『グローバライズ』を挙げ、その中でもこの「天然温泉 やすらぎの里」を挙げた──らしい。というのも、ボクは観ていないので。
 木下古栗を挙げた時点でも相当に眼力のある、確かな批評眼を持った人だと思えますが、その中でもこれを紹介するとは。ボクなど到底足元にも及ばない相当な読書量の読書芸人と言えましょう。
 「天然温泉 やすらぎの里」というタイトルがすでにナメていますが、意外にも笑いの少ない静かな立ち上がり。消防士の山田と皆川が、男湯で他愛もない会話を交わします。すでに「木下古栗=下ネタ」という前評判を耳にしているため、ワクワクしながら読み進めます。が、しばらくは何も起こらない。まったくお下品なところがない。まあそのうち女湯を覗いたりするのだろうと思って我慢するものの、いたずらにページ数は減っていくばかり。途中、ちょっとホモに行きそうな雰囲気がちらりと垣間見え、ああそっち方面に行くのかとやや緊張するも、別にホモにも発展しません。皆川は先に湯を出てしまう。これはいったい、どこに着地するというのか。もうすぐ作品は終わっちゃう。何も起こらないじゃん。
 と、突然、作品は突き放したようなラストを迎えます。女湯に人の気配を察知した山田はおそらく覗きを敢行したのでしょう。あまりに出てくるのが遅いので皆川が心配して様子を見に来ると、タオルとロッカーキーを残して山田の姿は消えています。そして、おそらくは精液であろう「白く不透明に濁ったゼリー状の何か」だけが残されている。射精した瞬間に山田は消え失せたのか、それとも山田自身が精液と化してしまったのか。満足のいく説明のないまま作品は終わります。
 光浦氏の紹介で「面白そう!」と思って手に取ってみた一般読者は、あっけに取られたことでしょう。面食らい、でっかいクエスチョンマークが頭の上に明滅したにちがいありません。
 この突き放したラストは南米文学っぽさがあり、とりわけアストゥリアスのショートショート「大帽子の男の伝説」のような読後感を個人的には感じました。「は? なに?」みたいな。
 だからと言って、面白いかといえばぶっちゃけそんなに面白くありません。短編集の筆頭に持ってくる作品としては首をかしげざるを得ない。今だから言えますが、木下古栗作品としては駄作の部類に入ると思います。ただ、何か特別興味深い展開があるわけでもないのに、ぐいぐい読み進めてしまう──この辺の秘密に、今回の書評では迫っていこうと思っています。


理系の女
 やすらぎの里ショックも冷めやらないまま、読者は「次は大丈夫だろう」と自分自身を説得しながら、次の短編を読むことになります。
 喫茶店にて、女性がふたり。就職活動中の大学生・進藤が、つてを頼って社会人・山峰に、いろいろと話を訊いている。いわゆる「よくありそう」なシチュエーションでありながら、読者は進藤と一緒に山峰の話を「ふむふむ」うなずきながら聴くことになります。
 やすらぎの里と違い、当短編はやや早く序破急の「破」を迎えます。山峰がトイレに立つと、進藤は「R.I.P. ALEX」と走り書きされた茶封筒を発見します。その中には写真が数枚入っており、白人男性の頭部切断死体がいろいろな角度で撮影されていました。写り込んでいるネックレスと口元のほくろで、山峰本人がそばにいるとわかります。──「木下古栗=下ネタ」と書きましたが、「エロ」以外にも「暴力」が、木下古栗を語る際に欠かせないキーワードです。
 これはこれはと思って読み進めると、山峰は友人の三浦と合流して席に戻り、ふたたび先輩社会人としてのアドバイスを進藤に授けます。しかも、前半と同じくらいの分量で。肝心の白人男性の頭部切断死体については語られることがない。語られていない空白の部分を、読者はさまざまな妄想で補うことになります。
 この作品も、決して親切ではありません。「木下古栗=下ネタ」という評価から、エンターテインメント性あふれる作家だと思う人もいるかも知れませんが、さにあらず。『うんこ漢字ドリル』的なポップさを期待するとヤケドします。
 光浦氏にすすめられ、なけなしのこづかいをはたいて本書を購入した女子高生が「ヤバい……失敗したかも……」そろそろ後悔し始める頃合いです。


フランス人
 来た! 来ましたよ。1速2速と静かな立ち上がりを見せてきた木下古栗が、ついに3速にギアをチェンジし、制限速度超過で逮捕されることが可能になるスピードを獲得しました。
 これはまあ、すごいですよね。内容的にも、形式的にも。胸を張って「これぞ古栗である」と、変態読者にすすめられる一品です。
「やったー!」(変態読者)
「やっだー!」(女子高生)
 ここで本を投げ捨てるか否かで、変態読者か女子高生かに分かれます。
「わたし女子高生だけどフルクリ大好きだよ?」
「すみませーん。本投げ捨てたんスけど、オレ、32歳独身っス。この占い、ぜんぜん当たんなくないっスか?」
 で、肝心の内容ですが、不動産業の営業社員とおぼしき斎藤が、喫茶店で得意先の社長と話しています。『理系の女』の時と似たパターンで、「よくありそう」なシチュエーションでありながら、ぐいぐい読ませられます。
 社長と別れた斎藤はトイレで用を足し、ファスナーを引き上げますが、包皮を金具にはさみます。「畜生、完全に噛み付いてやがる……」男子諸君ならば目を背けたくなるような描写が続きます。ものすごい緊迫感。どうにかしようと手を尽くしてもがきますが、にっちもさっちも行きません。そして、トイレの外ではノックの音が。斎藤は意を決してファスナーを一気に引き上げます。その瞬間。「同時にジェロームは射精した。」え……? 何が起きたの……??
 斎藤がファスナーを引き上げた瞬間、物語の描写は遠く離れたフランスへと飛びます。これに関して、作者の木下古栗氏はインタビューにてこう語っています。
 「フランス人」では、他の収録作のように登場人物同士の出会いではなく、場面と場面の出会いを描きました。それぞれの場面に属する登場人物は初対面どころか、対面すらしない出会いです。作中前半の「本当はフランス人みたいに……」という会話に呼応して、後半にフランス人のジェロームが出てきました。
 「フランス人」の場合、ズボンのチャックに皮がはさまってしまった男性がグッとやる瞬間と、射精の瞬間、この両者が痛みと快感という正反対のものであれ、股間に生じる強い感覚という点でシンクロするわけです。加えて、一方の場面は「休みも取れないで働いている人」、もう一方は「悠々とバカンスを愉しむ人」という対比にもなっています。

 つまり、バルガス・リョサ『緑の家』のように時空間が飛ぶスタイルです。──ボクはそれほど世界文学に精通しているわけではありませんが、あえて断言しましょう。このスタイルにおいて、地球上で最も成功している文学作品の2つのうち1つが、この『フランス人』であると……。
 ちなみにこのフランス人のジェローム氏、どんな場面で射精しているかといいますと、羊に中出ししてます。獣姦です。「キターーー!」てなものです。これぞ木下古栗の真骨頂。下ネタに終始してブレない。エロい、グロい。

 前2作で、「あれ? 思ったよりおとなしいな」と思った御仁の期待を上回る、珠玉の短編となっています。ここに至って、完全に読者は二手に分かれます。変態読者か、女子高生かに。
「だからさ。わたし女子高生だけどフルクリ大好きだってば」
「オレ32歳独身っスけど本投げ捨てましたよ」
 (乳首を噛みちぎる音)ボクはここに至って、「ああ。木下古栗氏にはいくらでもお金を落としたいな。ボクがビル・ゲイツだったら集英社を買収して古栗氏に買い与えるし、ボクが女子高生だったら無償で援助交際したいな」と思いました。


反戦の日
 ネット界隈では『生成不純文学』所収「人間性の宝石 茂林健二郎」がものすごく評判が良いのですが、この「反戦の日」の主人公・嵐山和人も、茂林健二郎みたいな人間です。なんとなく藤岡弘が思い浮かんでくるのですが、そんな熱い、暑苦しい人間性です。
 ちょっと脱線させていただきますと、木下古栗作品は個々の作品で独立して完結しているわけではなく、リンクしていたりします。「茂林健二郎」の名は脳科学者「茂木健一郎」由来と思われますが、「IT業界 心の闇」では(完全に別人ですが)「茂森健三郎」が登場します。同じく「IT業界 心の闇」の登場人物「菱野時江」は、木下古栗最新連載『人間界の諸相』の主要人物ですし、「人間性の宝石 茂林健二郎」の冒頭にも登場します。それから、「反戦の日」の後半まくしたてるスタイルはこの後の短編「観光」にも通じる手法ですし、「Tシャツ」の圧縮文体の援用とも言えます。このように、木下古栗ファンがフルクリストになる過程には、エログロや毎度おなじみどこに着地するかわからない展開だけでなく、個々の作品のつながりに面白さを感じるのも大きく影響していると思われます。
 本線に戻ります。「反戦の日」の主人公・嵐山は、南米などで地元の開発援助に携わる、カウボーイハットをかぶったエネルギッシュなオッサン。彼の口からこれまでの来歴が語られ、読者は「すげーな。でも、こういう人って、実際いそうだよな。会ったことはないけど」という気持ちにさせられます。(これが「人間性の宝石 茂林健二郎」だと少々複雑でして、「ハッタリなのか?」という深読みを可能にしています)
 嵐山の体験談だけでも十分に読ませるものですが、これは……たぶん新宿駅ですよね? 広場で反戦デモをしている青年に詰め寄り、その元気の無さをなじります。そして、太字で2ページにも渡って恫喝します。こんな風に。「総理大臣を殺したくなったことはないか! 警視総監を狙撃したくなったことはないか! 経団連会長の首を刎ねたくなったことはないか! 霞が関一帯を焼き払いたくなったことはないか! 暴力革命の準備運動はしてるか! 国家転覆の企画書は書けるか! 弾道ミサイルを跳ね返すイメージはあるか! 心の竹槍を研いでいるか!」それから数々のパワーワード「三時のおやつはLSDか!」「台風はシャドーボクシング日和か!」「ダイヤモンドより硬く勃起できるか! 朝立ちで釘が打てるか! ¿TENĒS LOS HUEVOS?(スペイン語。意味は「あなたは卵を持ってますか」だが、文脈的には「金玉あんのか」かな?)」などなどがものすごい勢いで飛び出し、最後には「正当防衛で人を殺したことはあるか! 闘争本能に身を任せてみるか! 今ここで俺と殺し合えるか! こんにちは! 朝ご飯ちゃんと食べてきたか! 今日はこのくらいにしておくか!」で唐突に小説は終わります。(「こんにちは!」に関しては筒井康隆『関節話法』の影響を感じますが、どうなんでしょう。)
 見事としか言いようのない言葉選びの数々であり、文字を読む愉楽を存分に感じさせてくれます。降り注ぐ言葉の雨あられを浴びる快感を、あなたにもぜひ味わってほしい。


苦情
 木下古栗の二本柱「エロ」と「暴力」のうちの、後者。ヴァイオレンスものです。6カ月家賃を滞納している武藤のもとに、管理会社の2名が訪れます。武藤は廊下に生ごみを放置したり、FPSと思われるテレビゲームを大音量でプレイしたりと、非常に迷惑な入居者。管理会社2名はあっけなく武藤を説得し、意気揚々と引き揚げていきますが、去り際のその後ろ姿に向けてベランダから、武藤は本物のアサルトライフルで銃弾を浴びせます。
 この作品は少し小粒でおとなしめな作品ですが、期待を裏切らない「期待を裏切る展開」により、木下古栗と水が合う読者はやはりニヤニヤすることになります。
 この短編に関してはあまり語ることがなかったので、この辺で木下古栗の神髄について書いてしまいます。
 「木下古栗」といえば「下ネタ」であり、氏を語る際にはどうしても外せない要素なのですが、だから評価されているのかと言えば、そうではありません。「あつかうネタが下ネタというのが新鮮」という事情ならば、江頭2:50はノーベル賞を受賞します。
 どうして木下古栗が高名な作家や批評家から絶賛されているのか。ひとえに、文章のうまさからだと思います。
 これまで真剣に議論されていないファクターだと思いますが、木下古栗氏、めちゃめちゃ文章力が高いです。「美しい」という評言は氏の名誉のために避けますが、とにかく丁寧。情景描写などは微に入り細を穿ち、「夏目漱石級」と言っても過言ではありません(漱石マニアのボクが言うのだから言い過ぎではないと思う)。こんなこと言うと古栗氏は「いやいややめてくださいよ。炎上しちゃいますよ」と謙遜するかも知れませんが、とにかく丹念に書かれてらっしゃいます。実に丹念。これぞ「何か特別興味深い展開があるわけでもないのに、ぐいぐい読み進めてしまう」という要因。下ネタに特化していながらエンタメではなく純文学として扱われる理由。極めて高度でありながらそうと感じさせない文章の技巧、半端ないリーダビリティ──このあたりが真にフルクリストを熱狂させる秘密となっていると、個人的には感じています。


夜明け
 これもまあ、すごいですよね。ここまで興奮と共に読み進めてきている読者は、完全に木下古栗の虜となっているはずです。逆に、我慢して仕方なく読んでいる方はそろそろ村上春樹に移行したほうが人生を無駄にせずに済みます。
 外資系眼鏡の展示会に招待された田辺亜美子は、招待してくれた友だちと談笑します。なごやかなムードに終始しますが、そこは木下古栗、会場に来ていた社長に対して田辺は「FUCK YOU!」と叫ぶなり突然カンチョーをします。全力で。これだけでも謎の展開なんですが、次の行で唐突に「同時にジェロームは射精した。」そう、例の『フランス人』と同じ構成になっています。このスタイルにおいて、地球上で最も成功している文学作品の2つのうち1つは『フランス人』であると書きましたが、残る1つはこの『夜明け』であります。
 ジェローム再登場。そして今度はどんな場面で射精しているかといいますと、首を吊りながら肛門にビンを突っ込んでいます。なんとマニアックな自慰。命がけのオナニー。「キターーー!」てなものです。

「パパー、この調子で書評つづけるのー? 12作品中の6作、まだ半分しか書けてないよ。こんな地味な作業もう終わりにして、ザギンでシースー食べに行こうよー」
「まぁた寿司かよ。たまにはこの、カップヌードルってやつ、食べてみないか?」
「わぁ何それ。本当に食べ物なの? スポーツ用品とかではなく?」
「貧乏人はいつもこれを食べてるんだよ。いいから、だまされたと思って食べてみなさい」
「わあ。だまされた! これ新作TENGAでしょ」
 そういうわけでもうやる気が半減期なのですが、続けますか? もっと読みたい? もっと読みたい人が1人でもいたら続けます。とりあえず、今後のラインナップを大文字にはしておきます。


専門性

若い力



観光



globarise




総括
 ボクは、木下古栗の小説は、ダリの絵画に近いと思っています。両者とも奇抜な題材に目がいきがちですが、その根底には確かな技法が横たわっている。ダリ作品も古栗作品も、高度な古典的技術に支えられている。(まあ、木下古栗本人はメディア露出をしないし作品もそんなに売れてないので、そこはダリと違いますが。)
 ──ちょっとダリの話をさせていただきます。
 ダリはその著作『私の50の秘伝』の中でこう語っています。
「もし自称現代絵画が歴史に残るとしたら、美術作品研究の題材として残るか、アールデコの退化した枝葉にひっかかるかであって、けっして、好むと好まざるとにかかわらず、絵画芸術としてではないのである。」(19ページ)
「やっとこさワンシーズンもつかどうかの、感銘度合いでオートクチュール・コレクション(※いわゆるパリコレ)にも劣る現代作品とは反対に、古典作品は、日を追ってその独特さゆえに貴重さを増し、ますます生き生きと存在感を放つようになる。(略)イマドキの現代絵画は精神面でも物質的にも老いぼれて、とっとと流行遅れになり、黄ばみ、黒ずみ、ひびが入り、ぼろぼろ剥がれ落ちてあばただらけになるばかりだ」(20ページ)
「君が、現代アートはフェルメールやラファエロを超えたと考える輩なら、本書を読むことはない。そのおめでたい愚かさに安住し続けるがいい。」(画家を志す者のための十の掟)
 アブストラクトやレディ・メイドに対しての痛烈な批判。取り分けモンドリアンをコケにしています。
 美術史を学んでいないと、いくつかの現代美術は「?」ですよね。村上隆の作品がどうしてあれほど高値で取り引きされるのか、美術史の文脈から読み解かないと理解できません。
 一方で、いわゆる「うまい絵」、写真みたいな絵画は、子どもが見ても「わぁすごい」となります。ダリは、こういった古典絵画を信奉していましたし、自身も古典的技法を用いています。いわゆる、「うまい絵」。『パンかご』という作品などは、まさしく写真のような正確さです。ダリはそういった高度な技法を有したうえで、シュルレアリスムの意味不明な題材を描写していたわけです。
 圧倒的な筆力を有していながら、悪夢的グロテスクや糞便なども描写する──その、スキャンダラスな「台無し感」が、ダリと似ているなぁと。こんなに文章力あるのに、あえてお下劣な題材を選ぶ。前半であんなに丁寧に日常を書いていたのに、終わり間際ですべてぶち壊しにする。綺麗に構築してきた建造物を、ちんぽ型のダイナマイトで爆破する。そこに魅かれる憧れる。

 さて。木下古栗氏は現在、「人間界の諸相」というショートショートをweb連載中です。(無料で読めます)
 各作の登場人物たちには関連性があり、単行本化のあかつきには長編小説の体を成すのではないでしょうか。一刻も早い書籍化が望まれます。
 連載媒体は集英社の「すばる」ウェブサイト。集英社といえば「週刊少年ジャンプ」が即座に思い浮かびますが、ジャンプで稼いだ分を還元してくれているのか、我々特殊読者に大なる恩恵をもたらしてくれています。そんなにバカ売れしそうにないものを、積極的に売り出してくれている。木下古栗氏をフューチャーしてくれているのも去ることながら、南米文学の翻訳刊行もそうです。TOYOTAあたりが行なっている慈善事業に近いのかも知れない。
 集英社さんありがとう。それから、木下古栗氏、期待してます。そろそろ長編が読んでみたいです。既出短編の切れ味が長編ではどうなってしまうか未知数ですが、ボクがビル・ゲイツだったら100万部購入させていただきます。

 なお、本書『グローバライズ』のAmazonでの評価はさんざんです。自分が変態読者であることをまざまざと痛感させられました。FUCK!




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