とりぶみ
実験小説の書評&実践
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【書評】井上夢人『99人の最終電車』   (2017/03/06)
 前回のジョナサン・サフラン・フォア『ものすごうるくて、ありえなほど近い』(以下『くさい』)から、子どもの口調つながりでスティーヴン・ミルハウザー『エドウィン・マルハウス―あるアメリカ作家の生と死』(以下『江戸丸』)を取りあげようと思っていました。
 ただ、『江戸丸』を読んだのは10年近く前。非常に思い入れの強い作品なので、ちゃんと再読してから書評せねばならんなと。しかし読む気が起きんなと。
 ですので、しばらく別の本を書評します。実験小説以外の本も、気楽な気持ちでね。
 『江戸丸』は東京オリンピックまでには書評したいです。いつ開催するかわからないが、第3回の。



 井上夢人『99人の最終電車』と聞いて、予想される反応は次の5つです。
「うわー、なつかしー。完結したの?」
「ちゃんと完結するとは思わなかった」
「ぜんぜん知らない。そんな小説、売ってなくない?」
「そろそろプレイステーション4買おうかなぁ」
「エペペ」

 なるほどなるほど。さまざまな反応がありますね。プレイステーション4は勝手に買ったらいいと思います。
 『99人の最終電車』は、web上で連載されたハイパーテキスト小説です。(ハイパーテキスト小説ってなんぞ。それは後ほど詳述します)
 連載が始まったのは1996年。小説の新しい試みとして一部のマニアに注目されましたが、その後IT革命(森喜朗的にはイット革命)が起きてインターネットが爆発的に普及すると、まー話題になりました。テレビで特集が組まれたりもしたんですよ。
 ただし、あまりに複雑な小説なのでだんだんと更新が滞り、「結局は未完に終わるのではないか」と誰もが思っていました。なにせ最後の方は小説内時間「3分」を書くために、現実の時間で8年かかってますから。たった3分のために、4204800分。小学6年生が成人してしまいます。
 また、この小説はweb上で無料読み放題であり、作者がどんなに頑張っても一銭にもなりませんでした。DVD-ROMとして発売される予定でしたが、まったく音沙汰ありません。むべなるかな、DVD-ROMはWebより読み込みが遅くなると思われますし、まあ出ないでしょうね。出ても売れない。よく完結させてくれたものです。連載開始から足かけ10年、2006年に完結しました。
 原稿用紙換算4000枚くらいになってるらしいので、完読した人は数えるほどしかいないでしょう。僕も完読していません。しかしながらハウエバー、完読しなくても大丈夫です。従来の小説とはまったく異なる読み方ができるからです。

 『くさい』が紙媒体ならではの表現を追及しているとすれば、『99人の最終電車』はその逆に、web特有の表現を追求していると言えます。

 ここで、「ハイパーテキスト小説」とは何か解説しながら、作品の批評に移りたいと思いますが、ちょっとお米を研がなければいけないので、しばらくお待ちください。
(水を流す音)(妖怪あずきあらいの音)(金属がはねる音)
 えー、急いで戻ってきました。急いだため、お釜をひっくり返し、お米は全部ダメにしてしまいました。今夜は、メシ抜き!!

 ハイパーテキストとはなんぞ? ハイパーテキストとは要するに、リンクの貼られたweb上の文章のことです。今そなたがお読みのこのページも、ハイパーテキストです。
 しばらくのあいだ、読者が山田かまちであると想定して、インターネット初心者にもわかりやすく説明します。このページ、文章の一部に、文字色が異なっていて、アンダーラインが引かれた箇所がありますよね。ね。それをクリックすると──クリックってどう説明したらいいのかな。うーん。「マウス」という丸っこい道具がありますよね。マウスは、ネズミに似ていることからこの名があります。初期のころはパソコンとケーブルでつながっていて、そのケーブルがシッポに見えました。そのマウスの左側のボタンを押したり、タッチパネルの画面を『北斗の拳』のトキよろしく人差し指で突いたりすることを「クリック」と言います。で、文字色が異なっていてアンダーラインが引かれた箇所をクリックするとですね、ほかのページが表示されるでしょう。されないですか? 乱暴にクリックしても感電したりはしませんので、ビビらずやっちゃってください。あ、表示されましたか。よかった。今クリックしてもらった、文字色が異なっていてアンダーラインが引かれた箇所のことを「リンク」と言います(わざわざ言いたくもありませんが『ゼルダの伝説』の主人公とは無関係です)。リンクは、あるページから別のページに瞬間移動するボタンですね。いわばSFのワープ装置みたいなもの。この「リンク」が貼られた文章のことを「ハイパーテキスト」と呼びます。
 で、『99人の最終電車』はハイパーテキストによって書かれた小説です。「元祖」でも「唯一無二」でもありませんが、日本語圏において『99人の最終電車』の規模・完成度をしのぐ作品は他にありません。トーシロのネット小説なんぞ『99人の最終電車』の足元にも及ばない(あっ、俺のことか!)。世界的に見ても、実験小説の歴史に残るすげー小説です。

 舞台は東京メトロ銀座線(当時は地下鉄銀座線)。時刻は23:56~24:13の17分間。浅草発渋谷行の最終電車と、渋谷発浅草行の最終電車が、中間地点の銀座駅でホームを挟んで対峙するまでの物語です。
「たった17分で何が起きるの。おもしろい物語なんて作れるの。作れっこない」
 まあまあ、慌てなさんな。原稿用紙換算4000枚であることに着目して下さい。どーしてまたそんな枚数に膨れ上がったのか。それは、99人分の物語を詰め込んだからです。
 小説のスタート「23:56」には、浅草に9人、田原町に3人、銀座に2人、表参道に2人、渋谷に3人の登場人物がいます。時間が経つにつれ、最終電車に乗ろうとする人物が徐々に増えていきます。1分後の「23:57」には追加の人物として、田原町に1人、上野広小路に1人、赤坂見附に1人、表参道に1人が新たに登場します(※他に、浅草から田原町に向かう車中に、幽体離脱的な体験をしている男の子が出現します)。
 彼らにはそれぞれの物語があります。特定の主人公はおらず、99人が99人とも主人公です。一般的な小説の「特権的な1人の主人公」ではなく、「誰もが主人公」である現実世界に近い状態と言えます。
 現実世界に肉薄した状態は『人生 使用法』も達成していますが、『99人の最終電車』はその発展形と言えます。
 『人生 使用法』はある瞬間をとらえ、その瞬間の集合住宅100部屋それぞれを個別に描写したものでした。一般的な小説は、発端から結末に一方通行で向かう「線的な読書」にならざるを得ませんが、『人生 使用法』は各章を結び付けて読む「面的な読書」が可能でした。くだんの『99人の最終電車』は時間が推移していく点において「4次元的な読書」になると言えます。紙の本ではついぞお目に掛かることの出来なかった次元に到達しており、はっきり申し上げて快挙です。事件です。
 一人の人物を時系列順に追うこともできますが、今その瞬間の車内を一望することもできます。AはBを見てこう思っているが、BはCを見てこう感じている──登場人物が目にする他の乗客はリンクによって結び付けられ、立場の違いを鮮明にします。たとえば、イチャイチャするカップルそれぞれの内面や、カップルの様子に不満をいだく刃物男。連れが突然倒れ、刃物男に助けを求める男。その様子に驚く女──登場人物たちの物語は複雑に絡み合い、関連付けて読む快感を存分に堪能させてくれます。しかも、これだけの数にも関わらず登場人物たちはみなユニーク。現実的な登場人物ばかりでなく、作者井上夢人に苦情を言うメタフィクション的な人物がいたり、物語を終焉に導く人間型殺人マシーン(他の人から見れば「妙な男」「変態ストーカー」「若い男」「図体の大きな男」)がいたりもします。
 どこからどう読んでもよい。どこで読むのをやめても構わない。読破は無理でも、適当にリンクをたどってショートショートとして読んでも面白い。さまざまな読み方が可能です。
 実験小説愛好家は、B.S.ジョンソンの『不運な人々』(バラバラの紙片になっていて読む順番が決まってない)と『老人ホーム』(交響曲におけるパート譜を8つ並べたみたいな小説(パート譜とは、ヴァイオリンならヴァイオリン、トランペットならトランペットのメロディーだけを抜粋した譜面)。同時刻の老人7人+寮母の発言や思考が、それぞれ30ページで綴られる)を思い出すかも知れません。
 もう1度言いますが、世界的に見ても、実験小説の歴史に残るすげー小説です。「ややエンタメに傾きがち」とおっしゃる方には「純文学とか大衆文学とかいうジャンル分けはもはや不毛」と言っておきましょう。
 友だちがそう言ってました。



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