とりぶみ
実験小説の書評&実践
【小説】殺さんでするロサンゼルス観光   (2017/03/18)
原稿用紙換算175枚。
未完。再開予定ナシ。




 イントロダクション/車を手に入れる/はじめての仕事
 車を盗まれる/ランボー軍団/射撃練習/消防車
 コンビニ強盗/車を取り戻す/ギャングたちに認められる
 レトロプロダクト/6輪ベンツ/旅客機に乗る
 レトロプロダクトがヘリを落とす/初めての戦闘
 ストリートレース/ガレージを購入する
 ウェルカミングワンド/グリフィス天文台/高級車を盗み出す仕事
 アパートに招待される/ベースジャンプ/コンビニでの死闘
 ハリウッド
 桟橋の下で取引を邪魔する
 コンプトンで自転車をいただく/自転車に乗る
 車を改造する/エコーパーク
 スーパーカーを運転する/ストリップクラブ
 サルマスクと一緒に警察から逃走する/高級マンションでのホームパーティー
 サンタモニカ・ピア
 ヴェニス・ビーチ
 アボット・キニー





 カリフォルニア州ロサンゼルス。そこはアメリカ西海岸の大都市。「西のロサンゼルス、東のニューヨーク」と言えば、そのメトロポリスぶりが容易に想像できるだろう。

 範囲。ロサンゼルスは「Los Angels」と書く。日本では最初の「Los」を取って「ロス」と省略して呼ぶことがあるが、これは「ザ・ビーチ・ボーイズ」を「ザ」と呼ぶようなもので、現地では「LA(エルエー)」と短縮する。
 一般的にはロサンゼルスと言えば「ロサンゼルス群」「ロサンゼルス市」ではなく、周辺地域を含む「大ロサンゼルス」を指す。これは関東平野に匹敵する大きさである。千葉県にあるのに「東京ディズニーリゾート」「新東京国際空港」「東京ドイツ村」を名乗ったりするのと似ている。

 気候。アメリカ西海岸は風光明媚な土地。高緯度のニューヨークと比べ、1年を通じて温暖な気候である。冬は朝晩が冷える程度。日本のように明確な春・秋はないが、かと言ってハワイのような常夏でもない。夏は日焼けするほど強い日差しが降り注ぐものの、湿度は低く、過ごしやすい。

 観光。太平洋の波が打ち寄せる長大なビーチは世界中のサーファーの憧れの地。海岸沿いは天候に恵まれていて、1年のうち300日が晴れる。観覧車やジェットコースターなどの遊園地がある「サンタモニカ・ピア」は世界一有名な桟橋である。
 内陸には超高級住宅街「ビバリーヒルズ」や、高級ブランドが立ち並ぶショッピング通り「ロデオドライブ」を擁し、世界的なセレブが暮らす地でもある。
 そして、映画の都ハリウッド。エンターテインメント業界の功績者を讃える星型のプレートを埋め込んだ歩道「ウォーク・オブ・フェイム」や、映画スターの手形足型が埋め込まれている映画館「チャイニーズシアター」、映画スタジオとテーマパークが一体化した「ユニバーサルスタジオ・ハリウッド」が特に有名である。また、山の頂上近くに掲げられた巨大なハリウッドサインは、ニューヨークの自由の女神像、パリの凱旋門、ロンドンのビッグベンと同格の、ロサンゼルスを代表する世界的なランドマークだ。

 商業。観光地としての側面が否が応にもクローズアップされてしまうが、商業的にも大きな発展を遂げており、ダウンタウンには高層ビルが立ち並ぶ。世界的なビジネス街であり、西海岸の金融・経済の中心地である。

 交通。公共交通機関はあまり便利ではない。地下鉄や電車などの路線は都市全体を網羅していない。バスも本数は限られており、乗り換えがうまくいかないとだいぶ時間が無駄になる。
 反対に、自動車道は非常に発達している。幹線道路は片側3車線+左折用センターラインの7車線だったり、高速道路(無料)に至っては片側だけで6車線+側線が3車線の計9車線あったりもする。ただし、これだけ道路が広くても、場所によってはひどく渋滞する。映画『フォーリング・ダウン』でマイケル・ダグラス演じるDフェンスが狂うのも、この渋滞がきっかけであった。
 主要な道路の両脇には、ハワイでもお目にかかれない高さのヤシの木が街路樹として細長く伸びており、陽気な雰囲気の並木道を形作っている。
 左ハンドル、右側通行。距離に関する表記はキロメートルではなくマイル。法律により、赤信号でも右折(日本で言うところの左折)ができる。スクールバス乗降中は対向車線の車も一時停止しなければならない。一方で、踏切で一時停止してはならない。

 治安。観光地はいざ知らず、地区によってはお世辞にも良いとは言えない険悪な雰囲気。ダウンタウンの至る所にホームレスが背を丸めている。彼らのそばを通り抜ける高級車のハイビームは、格差社会の光と闇をくっきりとあぶり出す。
 また、ロサンゼルス市の南に隣接する都市「コンプトン」はストリートギャングが跋扈するアメリカ屈指の危険地域。ギャングスタラップで一世を風靡し、ロックの殿堂入りも果たしたヒップホップグループN.W.A.の出身地でもある。
 1992年のロス暴動も、いまだ強烈な印象を残している。人種差別に対する黒人の鬱憤が爆発したこの暴動は、2つの事件に端を発した。まず、スピード違反で捕まった黒人が、白人警官から不当な集団暴行を受けた事件(警官は全員無罪)。そして、黒人少女が万引きの冤罪で店主から射殺された事件(殺人罪としては前例のない軽い判決)。
 黒人たちの溜まりに溜まった怒りは一気に噴出し、彼らは暴徒と化した。警察も手をつけられないほどに彼らは暴れ回った。店から商品が略奪され、住宅が放火された。
 信号待ちをしていた白人トラック運転手が引きずり降ろされ、半殺しにされた。その様子はヘリコプターからテレビ中継されたが、報復を恐れた警察官は誰一人として現場に駆け付けなかった。
 この回顧録は、そんなロサンゼルスでの思い出話。もう今後、俺の人生において、あんなに外国人とコミュニケーションを取ることは、まずないだろう。「もう一度訪れたい。あの場所に。」そんな強い欲求がありながら、それを叶えられないフラストレーションから、この回顧録は書き始められた。
 どう書くべきわからないが、とにかく書いてみるしかない。俺が実際に体験した、約半年間の出来事を。今でもロサンゼルスはそこにあるが、あの半年間は、2度と戻ってこない。

 借りた車でストリートレースに勝利した俺は、その後どう行動して良いかわからず、サンセット大通りで途方に暮れていた。
 まず、辺りの景色を漫然と眺めた。大通りの両脇には街路樹のヤシの木が一定間隔で立ち並んでいる。まるで樹齢800年のモヤシ。小ぶりのビルほども伸びた先っちょにだけ葉が茂っている。それから、ゴージャスなビルボード看板に目を移し、書かれた英文を必死に読み取ろうと努力した。よくわからなかった。最後に、車道を行き交う車の列をうっとりと見つめた。
 ロサンゼルスは車社会だ。自家用車を持っていないと移動もままならない。魅力的な観光地が多過ぎるため、手持無沙汰にバスや鉄道を待っているのは時間がもったいなさすぎる。それに、路地などを自由に移動することもできない。観光客として数日ふらふらするだけならまだしも、住人として暮らすなら自分の車は絶対に必要だ。
 俺は車を手に入れることにした。と言っても、車を購入できるような大金は用意していない。短絡的な発想だが、その辺を走っている車をカージャックして自分の物にすることに決めた。
 3車線も4車線もある大通りは交通量が多いが、人目がつく上、信号ごとに大渋滞している。カージャックに成功しても速やかに逃走できない。1車線でそこそこ車も通る通りに狩り場を定め、カーブの先に横断歩道があるために車両がスピードを落とす地点で獲物の物色を始めた。
 運転席に注目し、なるべくケンカが弱そうなドライバーを探す。同乗者はいない方がいい。そして、同じリスクなら出来るだけ高級な、かっこいい車が欲しい。俺は慎重に愛車オーディションを開始した。
 これでもない、あれでもない。緑色のセダンはかっこいいけどドライバーが屈強な黒人だ。白いクーペはおしゃれなフォルムだけど家族連れ。グレーのSUV、初老の男が一人で運転しているのは好都合だけど車種が俺の趣味ではない。運送用トラック、論外だ。
 そうして10分ほどヒッチハイカー然として路傍で佇んでいると、赤いスポーツカーが音も立てず滑ってきた。俺の目は釘付けとなった。あれはいわゆるハチロクというやつではないか。『頭文字D』に出てきた。藤原とうふ店の。しかも目を凝らせば上品そうなマダムがハンドルを握っている。俺は色めき立ち、これぞ天啓とばかりその車に飛びかかった。
「バンッ」
 普通に撥ねられた。当たり前だ。速度を落としたとはいえ車は時速40キロメートルほどで走行中だもの。俺はふっ飛ばされ、路面を二転三転して大の字に伸びた。
 車は急ブレーキをし、10メートルほど先で路肩に寄せて停車した。運転席から慌ててマダムが降りてきて俺の方に駆け寄ってきた。俺は粘着テープにからめとられた人のように重々しく上体を起こし、右手で踏ん張ってよろよろと立ち上がった。
 そして、ロサンゼルスの地での初めての会話。
「大丈夫ですか!?」
「いいえ」
 中学レベルの英会話なら、俺にも聞き取れるし受け答えもできる。
 心配そうにオロオロするマダムを無視し、俺はゆっくりとハチロクに近づいた。マダムは気の毒なほどうろたえながら俺の後に従う。開け放たれたままの左ドアから運転席に無言で座った。無言でドアを閉めた。マダムは状況が理解できておらず、助手席側に回ろうとした。
 俺はアクセルを思いっきり踏み込み、一気に加速してその場から逃走した。ルームミラーの中のマダムの姿は見る見る小さくなっていった。
 俺が奪取した赤いスポーツカーは、信号待ちの列を回避するために対向車線を逆走し、赤信号の交差点に進入した。四方からけたたましく鳴り響くクラクションの波の中を通り抜け、高速道路に上がった。ひた走った。前方を走る車を次々に抜き去った。
 相当な距離を走った時点で、カーナビに自動車修理工場が表示されたので、高速の出口を降りた。ジャンクションの高架下、陽の差さない暗所、いかにも治安が悪そうなガレージに速度を落として入庫した。
 俺は整備士に、身振り手振りで車の塗装と、ナンバープレートの変更を依頼した。料金は不明だったが、足りなければ踏み倒すつもりだった。
 作業は1日掛かるかと思われたが、整備士の仕事は迅速かつ完璧で、赤かったハチロクは青空を思わせるさわやかな青色に変貌。ナンバープレートも全く別の英数字に偽装された。保険にも加入した。さらに、発信器をとりつけてもらったのでスマートフォンのGPSにこの車の位置がいつでも表示されるようになった。そのうえ、料金も格安で、手持ちの現金で充分にまかなえた。
 こうして俺は自分の愛車を手に入れた。前の持ち主が気付く可能性はもはやゼロである。

 整備工場から出庫し、「このあとどうすっかなー。服でも買おうかなー」と思案したが、とにかく俺には金がない。ひとまず仕事をして日銭を稼ごうと考えた。悪戦苦闘しながら、スマートフォンでバイト募集のサイトに個人情報を登録した。
 しばらくぶらぶら歩いていると、見知らぬアドレスから英文のメールが届いた。ビジネスか何かの勧誘のようだった。スパムメールかも知れなかったが、金策に困っていた俺は、仕事の内容をよく理解せぬまま即「ok」とだけ返事をした。
 時を置かず2人の男が現れた。1人はサングラスをかけた白人で、髪は茶色の短髪、アディダスのジャージに身を包んでいた。もう1人はドレッドヘアーの黒人で、ラスタカラーのTシャツを着ていた。
「何が始まるんだろう。俺の英語力、中学卒業程度だけど、どうにかなるのかな」
 不安がっていると、深紅の4人乗りセダンにサングラスが乗り込んだ。ドレッドヘアーも助手席に収まる。これに乗るべきなのかどうなのか。ためらった俺は薄ぼんやりと歩道に突っ立っていた。するとクラクションがけたたましく鳴り響いた。パパンパパンパパーン。どうも乗れということらしい。仕事の現場まで連れていってくれるのだろう。しぶしぶ後部座席のドアをあけた。
 車内でドレッドヘアーにピストルを渡された。本物の。そして予備の銃弾も。
 車は南へ。アクセルべた踏みで次々に他の車両を追い越し、時には対向車線を逆走し、坂道でジャンプし、信号も無視した。道なき道に進入し、植栽や芝生や歩道や階段を走破した。何をそんなに急ぐのか、ものすごいスピードだった。だからといってサングラスは運転がうまいわけではなく、何度も衝突した。ガードレールに、道路標識に、建物の壁に、電柱に、他の車に、そして歩行者に。車は徐々にダメージを蓄積していった。バンパーはぶらぶらと揺れ、フロントガラスが大破し、助手席のドアがもげた。ドレッドヘアーは車外に腕を突き出し、中指を立てている。俺は座席に深く座って腕組みをし、車の後方にすっ飛んでいく景色に物憂げに視線をさまよわせた。
 やがて車はトラ縞のゲートをくぐり、未舗装の道路を下り始めた。通行する車は他に無く、周囲に人の気配もない。いまだ目的地は不明なものの、この先ゴミ処理場にでも通じているのだろうか。荒っぽい運転をして車をオシャカにする仕事か?
 突き当たりに人がたむろしているのが見えた。今にもギャングスタ・ラップでも始めそうな風貌の黒人集団だった。本物のギャングかも知れなかった。
 廃車寸前のセダンは集団から少し離れた場所で停車した。サングラスとドレッドヘアーが車を降り、中腰の状態で小走りに駆け始めたので俺も後に続いた。これからギャング集団と商談でも行なうのかと思ったが、2人とも手にピストルを携帯している。決して友好ムードではない。
 サングラスはギャング集団から30メートルほど離れた木箱の前でしゃがみこんだが、ドレッドヘアーはそのまま突進していった。と、突然ギャングの1人が倒れた。ドレッドヘアーが走りながらピストルを乱発して仕留めたのだ。
 蜂の巣を突ついたような騒ぎとなった。ギャング集団も武装しており、応酬した。やつらの武器はピストルは言うに及ばず、連射できる片手持ちの銃火器さえあった。サブマシンガンというやつだろう。相手は10人近い人数であり、こっちは3人。しかも俺はピストルを持つのも初めてで、ろくな戦力にはならない。
 激しい銃撃戦が始まった。サブマシンガンから発射された数発の銃弾が俺の手足に当たった。血が噴き出たが、不思議と痛みは感じなかった。痛みはなかったが、ただ死への恐怖だけがあった。「このまま撃たれ続けたら死ぬ」という確信だけが。怖くなって壁沿いに隠れた。何も出来なかった。
 サングラスは顔と銃口を木箱の陰から出したり引っ込めたりしながら、的確にギャングを撃っていった。ドレッドヘアーは遮蔽物から遮蔽物へと移動し、ピストルを持った手だけを物陰から出し、闇雲に銃弾を発射していた。俺はただじっとしていた。1度も引き金に指を触れることなく。
 サングラスもドレッドヘアーも何発か被弾していたが、相手の被害の方が甚大であり、残り3人ほどがフェンスやワゴン車の後ろに隠れているのを残すのみとなった。サングラスは敵の隠れている辺りに手榴弾を投げ込んだ。ワゴン車が爆発炎上し、その爆風はフェンスを吹き飛ばした。
 辺りは静かになった。敵は全滅したようだった。
 敵陣に湧いた血の海にドレッドヘアーが走り寄り、ハンドバッグほどの大きさの包み紙を拾い上げた。脱兎の如き勢いでサングラスがセダンに飛び乗り、俺とドレッドヘアーも続いた。車は大慌てで発進した。エンジンルームから白い煙がほくほく立ち昇る。
 車内でドレッドヘアーからすごく叱られた。英語に暗いので何と言っているのか詳しくわからないが、すごく怒られた。俺がまったく攻撃をしなかったことに怒り狂っているようだった。かろうじて「もっと働け、まぬけめ!」だけは聞き取れた。サングラスは無言だった。しかしその運転は相変わらずズボラだったので通行人を何人か撥ねた。
 車はいかにも治安の悪そうな地域を無遠慮に爆走し、やがて一軒のボロアパートの塀に突っ込んで停止した。車から降り、アパート1階の一室の呼び鈴をドレッドヘアーが押すと、ゆっくりと外を窺うようにドアがひらき、中から色眼鏡をかけた黒人のデブが顔を出した。戦利品である包み紙をドレッドヘアーが渡すと、デブは無言でそれを受け取り、俺たちに報酬を支払った。何もしていないが俺は800ドルを受け取った。
 ぼんやりと立ち尽くしていると、ドレッドヘアーがピストルを構え、銃口を俺に向けた。そして躊躇することなく俺の顔面を撃ち抜いた。俺の後頭部から脳漿と鮮血が爆ぜた。
 真っ赤に染まり薄れゆく意識の中で、ドレッドヘアーが走り去るのが見えた。
 視界が真っ暗になった。
 暗闇。
 次の瞬間、まぶしい光を感じ、雲の中にいるような気がした。
 誰かが話しかけて来るのがわかった。宙に浮いている。
 神……?
 神は英語を話しており、何と言っているかは聴き取れなかった。
 話し終えると、神らしきオヤジは空の中に消えて行った。
 気が付くと、殺害現場から100メートルほど離れた場所に立っていた。顔面は何事もなかったかのように復元していた。サングラスが向こうから駆け寄ってきた。ドレッドヘアーの姿はすでになかった。
 サングラスは右手で自らの顔をおさえ、残念そうに首を左右に振った。俺は何もせず彼を見守った。ピストルでギャングを撃ち殺していたが、根はいい人そうだった。俺は彼に敬礼をした。
 すると突然、何か気に食わなかったのか、サングラスは鉄拳制裁をお見舞いしてきた。俺のことをしこたま殴りつけたのだ。しかも、1発だけではなく、2度3度。わけがわからなかったが自己防衛のため応戦した。俺の放った右ストレートがサングラスの側頭部をとらえた。彼はいよいよ頭に来たのかピストルを手にし、俺の頭蓋骨を銃身でかち割った。頭の中で、プラスチックが砕けるような骨の音がした。
 ふたたび暗転。

 サングラスは去っていった。少しショックだったが、ピストルも現金も無事なのであまり気に病まない決心をした。それに、愛車もある。俺はしばらくドライブを楽しむことにした。なめらかな流線型、美しい青色のハチロクちゃん。
 ロサンゼルス東部を安全運転で走行していると、1台のネイキッドバイクが近づいてきた。あきらかにこちらに興味を示しているので俺は停車してやった。ライダーはバイクから降り、俺のハチロクをしげしげと眺め回した。さてはこのスポーツカーがうらやましいのかと思い、俺は彼に観察の時間を与えてやった。すると彼は革ジャンのふところからサブマシンガンを取り出し、射撃の体勢を取った。冗談だろオイ冗談だと言ってくれ。蛇に睨まれた蛙のように俺はすくみ上がり、逃げる間もなく上半身を人間シャワーヘッドにされた。身体中に開けられた穴という穴から血が細い線となって噴き出した。
 暗転。
 100メートルほど離れた場所で意識を取り戻した俺は、革ジャンがハチロクに乗り込むのを目撃した。まさかと思って猛ダッシュしたが間に合わなかった。革ジャンに奪われたハチロクは爆音を轟かせて走り去った。俺はどうして良いかわからず、急に悲しくなった。泣きそうだった。せっかく手に入れた愛車を数時間で失った。外国コワイと思った。ロス暴動の頃ならいざ知らず、治安が良いと思っていたロサンゼルスのイメージがいっぺんに悪化した。
 途方に暮れたが、ハチロクには発信器が装備されていることに思い至った。即座にスマートフォンからGPSマップを呼び出す。どこだ。いた。愛車を表す車のマークはマップ上を北上していく。追うしかない。俺は乗り捨てられたネイキッドバイクにまたがり、同じく北を目指して発進した。唸りを上げるエンジン。前輪がふわりと浮き上がり、ウイリー状態で加速していく。
 かと言って二輪車の運転がうまいわけではない。ウイリーをしたのは物の弾みだ。初めの方こそスタントマンさながらの曲乗りだったが、そのうちぶざまに転倒した。人とバイクとは分離し、人であるところの俺は硬いアスファルトの上を転がった。地面との摩擦力に負ける俺をその場に残し、バイクは横倒しになりながらも接地面に火花を散らしながら彼方へと滑っていった。
 たとえ大事故であっても大都会は無関心だ。路上に倒れ伏す俺に通行人は目もくれやしない。激痛よりも恥ずかしさが大きかった。俺はそそくさとバイクを立て直し、破損箇所をすばやくチェックする。走れそうだ。
 この間にもGPS上の車マークはゆっくりと北上を続ける。車泥棒との距離はひらく一方だ。地の果てまでも追ってやる。と言うか、追いつく自信がないので一刻も早く行き止まりである所の地の果てで停車してくれることを祈る。地の果て早く着け。

 GPS上の車マークは、中古車カーディーラーのマーク上で停車した。車泥棒は自分の所有物にするつもりで車を盗んだのではなく、換金目的で盗んだようだ。そうはさせてなるものかと、俺はバイクの速度を上げた。途中何度かすっ転んだが、あきらめず、中古車カーディーラーに急行した。
 俺が到着する前にGPS上の車マークは再び移動を始めた。買取りを拒否されたのかも知れなかった。この間に俺と彼との距離はだいぶ縮まったが、それでもなかなか追いつけなかった。追跡劇は続く。
 30分後、我が愛車はスクラップ工場で停車した。そこはろくに舗装されていない山の上にあり、ロサンゼルスとは思えない人跡稀なさみしい土地だった。
 度重なる転倒でガソリンタンクがベコベコになったバイクを駆って、俺もどうにかスクラップ工場に到着した。ガラスやタイヤが取り除かれ、赤茶色に錆びついた乗用車のシャーシ、廃タイヤ、その他あらゆる工業的廃材が乱雑に積み上げられている。
 あった。乾燥した砂地の上で、ピカピカの青い車体を光り輝かせているハチロク。俺はトタン塀の裏にバイクを乗り捨て、塀に背をつけて様子をうかがった。
 塀からそっと覗きこむと、革ジャンライダーの姿はなく、3人の屈強な男がハチロクを取り巻いていた。親しげに談笑している。男Aは迷彩ズボンをはいていて、上半身は刺青だらけの裸。長髪で額には黒いバンダナを巻いている。男Bは緑のワークパンツにやはり上半身裸。金色のぶっといネックレスが陽光を照り返している。男Cは黒のタンクトップにオレンジ色のハーフパンツ、スキンヘッドでタバコを吹かしている。そして全員、両手持ちのカービンライフルを捧げている。なんだよこれ、本当にロサンゼルスかよ。ランボー怒りのアフガンじゃねえんだよ。
 絶対勝てる気がしない。奪い返す自信がない。こちらはピストルを撃ったこともないド素人、たとえ機銃を用意したとしてもまったく勝てる気がしない。エクスペンダブルズみたいなあいつらを殺すにはミサイルでも持ってこない限り無理だろう。
 しかしそれでも、俺はあきらめ切れなかった。愛車を奪還するのが不可能だとしても、どうにかしてあの集団に一矢を報いたい。辺りを見回すと、200メートルほど離れた路上に1台のジープが駐車しているのを見つけた。やつらのうちの誰かが乗ってきた車かも知れない。「この車をパンクさせるなりボディーに傷をつけるなりして嫌がらせをしよう」と、みみっちいことを考えた。俺は忍び足でジープに近づいた。
 ジープにはキーが差しっ放しだった。やつらの脳みそは筋肉で出来ているに違いない。このまま盗み去ってやろう。かとも思ったが、俺も男だ。どうにかしてやつらを痛い目に遭わせてやりたかった。少しでも。このまま引き下がっては愛車を盗まれた哀しみ・怒りは収まりそうになかった。
 決めた。猛スピードで突進し、あのうちの誰か一人でも轢き殺してやる。そしてそのままの勢いで逃走しよう。
 俺は静かにエンジンを始動させ、悟られぬよう、やつらの直線上にジープを移動させた。幸いにもやつらは気付いていない。俺は前方の一点を睨みつけ、そして一気にアクセルを踏んだ。猛突進、ハチロクに衝突しないようなライン取りで集団に突っ込んだ。時速100キロメートルほどで男Aに激突、派手に吹き飛ばしてやった。即死だろう。
 当初思い付いた計画では、そのまま逃走を試みる予定だった。だが、ちょっとした欲が出た。突然ジープが突っ込んできてやつらも相当に面食らっただろうし、その混乱に乗じてハチロクを取り返せるかも知れないと思ったのだ。どうする。瞬時に車両を乗り換えるか。とりあえず急ブレーキを踏んだ。踏んでしまった。
 その一瞬の気の迷いが、間違いだった。
 男Bと男Cは落ち着き払っており、ライフルを構えてジープに一斉掃射を開始した。俺の全身から血と肉片が飛び散り、砂地を汚す。
 そして。
 俺は撃ち抜かれてない方の目で、男Aがケロリと立ち上がるのを見た。
 絶対に勝てない。
 男たちは俺の愛車をボコボコにし始めた。男Aが金属バットでボディーを殴打する。男Bが車の上によじのぼり、力任せに屋根を踏みつける。男Cがゴルフクラブで窓ガラスを破砕する。俺には何もできない。何もしてやれない。その光景を遠巻きに眺めているしかなかった。
 取り戻すことを泣く泣くあきらめた俺は、スクラップ工場を後にし、産業道路をとぼとぼ歩いた。

 ロサンゼルスは車社会だが、アメリカ合衆国は銃社会である。ピストルくらい扱えなければ殺され続けるはめになる。自衛のため、俺は射撃練習をすることにした。
 タクシーを拾い、運転手に身振り手振りを交えて行き先を告げた。射撃訓練場に行ってくれ、と。
 タクシーは爆走する。荒っぽいが決して何かに接触することのないプロの運転により、渋滞の列をごぼう抜きし、信号も無視し、高層ビルが立ち並ぶダウンタウンを目指してくれた。
 「LAガンクラブ」と書かれた巨大な倉庫の前でタクシーは停車した。中に入り、弾丸だけを購入する。手続きのあいだ、所ジョージの写真が飾ってあるのを発見した。
 鼓膜を傷めないためのイヤーマフを装着し、その後はひたすら、ボール紙の人間を撃ち続けた。狙いを定めて心臓を、顔を、何度も、何度も。
 集中して何十発・何百発と撃ち続けていると、射撃の姿勢も洗練され、弾の軌道も安定してきた。リロード速度も上がり、命中率も向上した。俺は閉店時間まで疲れを知らぬ機械のように発砲し続けた。その結果、マウンドから19メートル先のキャッチャーを百発百中で狙撃できるほどの腕前となった。もちろん、キャッチャーが動かないことが条件だし、必ずしもミットのど真ん中を必中できるわけではなかったが。
 俺は残金で買える分だけの弾丸を購入し、退店した。
 店を出た直後、不穏なサイレンが聞こえてきた。徐々にその音は大きくなり、建物の角から一台の消防車が姿を現した。火事かと思ってぼんやり見守っていると、消防車は俺の目の前で急停止した。
「どうしたのだろう、この辺に火の手は上がってないけどな」と思ってその動向を引き続き見守っていると、サイレンを鳴動させたまま、ホースから放水を開始した。
 俺に。
 激しい水圧に俺は吹き飛ばされた。路上をもんどりうって、壁に激突した。わけがわからない。俺は火事か? 消防車は暴徒を鎮圧する勢いで放水を続けた。その他の物質には目もくれず、俺一人に目がけて。
 この悪い冗談を俺は気に入った。水の冷たさが気持ちよかった。ただ、放水時間は長すぎた。終わる気配がない。息が出来ず、水を大量に飲んでしまった。意識が薄れていく。朦朧としていく視野の中で垣間見た消防車の運転席には、正規の消防隊員ではなく、スーツ姿のマフィアみたいなチンピラが乗っていた。笑っていた。
 黙っていても殺される。なんて治安の悪い街なんだろう。

 小腹がすいたのでコンビニエンスストアで何か買おうと思った。
 カロリーメイトやお菓子、ジュースやタバコなどを買い物かごにどっさり入れてレジで会計。財布の中をあらためたとき初めて、弾丸をたんまり買ったせいでお金がほとんど残っていないことに気が付いた。しかし、何も持たず店を出るという選択肢は俺にはなかった。しかたがない。俺はピストルを店員につきつけた。店員は目を見ひらいて両手を挙げた。他の客は出口に殺到し、店の外では悲鳴や怒号が聞こえた。「カネ」という単語を連呼し、レジから金を要求すると、店員はレジの中身をビニール袋に移しだした。恐れおののきながらのその作業はまだるっこしく、早く早くと叫ばずにはいられなかった。
 レジの中が空になり、店員はビニール袋を床に投げてきた。俺がしゃがんでビニール袋を拾うと、その一瞬の隙をついて、店員は通報ボタンを押し、奥の事務所に逃げ込んだ。
 俺は脱兎のごとく店を出たが、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。早い。間もなくこのコンビニに急行してくるのだろう。一刻も早くこの地区から脱出しなければ。
 交差点に向かって猛ダッシュした。信号待ちの運送バンにピストルを突きつけ、配達のお兄ちゃんに車を譲ってもらった。乗車。アクセルを思いっきり踏むと、タイヤは大きなスキール音を立てて空転した。白い煙が立ち上り、ゴムの焼ける匂いがした。
 バンがようやく動き出し、徐々に加速する頃には、パトカーが後方に姿を現した。俺はがむしゃらに逃走し、渋滞を避けるため歩道を走行した。何人か通行人を撥ねた。ディオ様の顔が思い浮かんだ。
 罪がどんどん重くなった。追跡するパトカーは台数を増やし、大捕物劇の一団はハリウッドの方角に向けて一丸となった。頭上でヘリコプターが飛んでいる。当然俺を追っているのだろう。指名手配をされる大罪人になってしまった。
 カーチェイスの舞台はやがてフリーウェイへ。日本でいう所の高速道路だ。
 ここで、パトカーに後ろから容赦なく追突された。横転させてでも停止させる気なのだろう。1台のパトカーが速度を上げてバンの前に回り込み、体を張っての体当たり。バンは横滑りをし、車体の左側が浮いた。片輪走行の状態になったがハンドルをこまめに切って体勢を立て直す。
 これ以上速度が上がらないので、絶対にぶっちぎれない。一計を案じた俺は、中央分離帯のガードレールが途切れている箇所、やわらかいラバーポールが林立する場所を突き抜け、一か八か対向車線に躍り出た。
 命がけの逆走。対向車は急ハンドルを切って俺を避ける。バンは時速100キロメートル、すれ違う対向車も時速100キロメートル。相対的に、前方から時速200キロメートルで自動車が突っ込んでくる世界。握ったハンドルを決死の思いで左右に回すが、バンはあまり小回りが利かない。同じく小回りが利かないトラックと、必然的な結果ではあるが、正面衝突をした。トラックの運転手は即死。俺も頭を打った。
 トラックにめりこんだフロント部分を引き抜く手間を惜しみ、バンを乗り捨てた。ガードレールを乗り越え、道路脇の山を這い上がる。草で滑り、容易には登れない。俺の足元に何台ものパトカーが集合し、警察官がぞろぞろ降りてくる。俺のあとに続いて山をよじ登りながら、発砲を開始する。ひゅん、ひゅん。背後から耳元を銃弾が追い抜いていく。何発か被弾した。
 俺はなんとか頂上に到達し、そのまま向こう側へと駆け下りた。足がもつれた。急斜面を転がった。止まれない。頭をしこたま打ち、岩肌に激突して肩を骨折したが、転落速度はさらに勢いを増し、山の麓までノンストップで転がり落ちた。樹木に引っかかってようやく止まった。
 茂みの中で身をひそめる。ようやく山を登り切った警察官は俺の姿を見失い、尾根から麓に向けて威嚇射撃をしている。息を殺してじっとする。
 そうして数分、茂みの中で動くのをこらえていたが、上空を旋回していたヘリコプターが俺の姿を目ざとく見つけ出し、茂みを根こそぎ伐採する勢いで銃弾の雨を降らせた。俺は死んだ。

 GPSマップを確認すると、車のマークがスクラップ工場に表示されたままだった。これは発信器が無事ということで、発信器が無事ということは愛車は爆破されずに残っている可能性が高いということだ。
 エクスペンダブルズのような連中はもういなくなっているかも知れない。取り戻すなら今だ。小銭すら持っていなかったが俺はタクシーを拾い、現場に向かってもらった。目的地に到着すると俺は運転手に銃口を提示して代金を踏み倒し、さっそうと砂地の上に降り立った。
 周囲を見回してみる。静かだ。エクスペンダブルズは居なくなっていた。俺はGPSをたよりに愛車のある場所にゆっくりと歩み寄った。
 ハチロクは、ほとんど直方体に近い物体と化していた。フロント部分がぺちゃんこに圧縮されており、ドアはもぎ取られていた。ガラス部分はすべて崩落し、タイヤは4輪ともパンクしていた。辛うじて残った青色の塗装が、かつて俺の愛車だったことを物語っている。悲しかった。が、なぜか逆に笑えてきた。ここまでするか。おそらくダンプカーなどで前後から追突したのだろう。何度も。何度も何度も。挟み込むようにして。
 試しに乗ってみた。座り心地は最悪。エンジンを掛けてみた。きゅるきゅる、きゅるきゅるきゅる。空回りするばかりだったが、執拗にキーを回していると、奇跡的にエンジンが始動した。はたして走れるのだろうか。俺はアクセルを踏んだ。ハチロクはみじめなほどの速度で動き始めた。情けなくなった。パンクしたタイヤがバーストし、ゴム部分がベロベロになった。ホイールが剥き出しになり、アスファルトと接した面が火花を飛び散らす。少しハンドルを切っただけで勝手にドリフトし、立て直そうとハンドルを切るとその場でスピンしてしまう。どんなに頑張っても最高時速50キロメートルほどしか出ないし、アクセルをこまめに踏まないとすぐにコントロールをうしなう。修理工場に持って行ったとしても、新車を買うのと同じくらいの料金が必要になるだろう。
 ヒビの入ったカーナビを最寄りの修理工場に設定し、瀕死の体を引きずりながら病院に牛歩を運ぶケガ人みたいに、俺はのろのろと目的地を目指した。油断するとすぐにスピンする。急な坂道を上れないのである程度は自分でルートを考えねばならない。高地を迂回し、やっとの思いで平地に出た。ここから修理工場までは平坦な道が続くはずだ。

 と、2台のスーパーカーが暴風雨のような勢いで近づいてきて、俺の車を取り巻いた。また殺されるのか。やれやれ、好きにしてくれ。俺は突破をあきらめた。ブレーキをしたままアクセルを踏み、豪快にエンジンをうならせた。ハンドルを思いっ切り回すと車はその場で回転し、ホイールが火花を散らしながらガリガリとアスファルトを削り、その痕跡が大きな円を路面に描いた。
 スーパーカーから3人のギャングが降りて来た。真っ白なコートを羽織り、真っ白なテンガロンハットをかぶったサングラスの男。深紅のスーツ上下、見事なコーンロウ頭の男。青い半ズボンにファーストフードのロゴが描かれたTシャツ、情けない表情の豚マスクをかぶった男。3人とも武器を携えている。
 3人は、半ばやけくそ気味に路上でアクセルターンをかます俺の様子をしばらく観察していた。すると、旋回するハチロクの屋根に豚マスクが器用によじのぼり、屋根の上で腰ふりダンスを始めた。俺はリズミカルにクラクションを鳴らし、豚マスクのダンスとシンクロした。
 この時点で、もしかしたら仲良くなれるのではないかと思った俺は、車から降りた。すると、コーンロウがピストルで俺の頭に狙いを定め、テンガロンハットもライフルを構えた。いつでも殺す準備オーケー。さすがロサンゼルス。目の前の相手が敵か味方かわからない以上、彼らとて片時も気を抜くことは出来ないのだ。
 3人は俺の挙動を見守っていた。もし俺が不審な動きをしたら、たとえばピストルを取り出したりしたら、即座に殺すつもりだ。
 俺はハチロクに蹴りを入れた。繰り返し繰り返し。3人はさすがにおかしさをこらえ切れなかったらしく、笑い始めた。そして、バールや警棒で俺の応援に加わった。
 数分間、陽気なムードで破壊活動は続いた。エンジンルームから煙が立ち上った。不思議な安堵感があり、愛車が臨終に際していても悲しくなかった。ギャングたちとの名状しがたい一体感があった。
「ちょっとどいて」
 コーンロウが指示した。テンガロンハットと豚マスクはすぐにどいたが、俺は英語が聞き取れず車を蹴り続けた。そんな俺をコーンロウは不満に思うでもなく、根気よく「どいてくれ」を繰り返した。俺もようやく彼の英語を理解し、車から離れた。
 コーンロウはロケットランチャーを肩に担いで構えた。まさかとは思ったがそのロケット弾は本物で、ハチロクに向けて発射された。大爆発、炎上。ハチロクは黒焦げとなって燃え盛り、巨鯨が嘔吐する勢いで黒煙を吐き出した。俺は腹をかかえて笑った。涙が出たが、悲しくてではない。信じがたい光景に爆笑したからだ。おまえら軍人かよ。
「保険会社に電話しろ。俺の口座から修理費が全額引き落とされる」
 コーンロウは破壊衝動に突き動かされたわけではなく、俺のためにハチロクを破壊してくれたのだった。
 パトカーが騒ぎを聞きつけて集まってきた。3人はスーパーカーに乗り込んだ。独り取り残されてあたふたしている俺に、テンガロンハットがクラクションを鳴らして「乗れ」と合図した。俺は彼のスーパーカーに飛び乗った。

 間近で見るテンガロンハットはミラーサングラスの下に精悍な顔立ちを隠していた。コードネームは「レトロプロダクト」。ロサンゼルスの犯罪者には裏稼業の実績に応じたランク付けがあるが、彼はランク100を超えていた。
 レトロプロダクトの運転する漆黒のスーパーカーと、コーンロウの運転する深紅のスーパーカーは、追跡するパトカーを軽々とぶっちぎり、先回りした応援のパトカーも難なくかわした。急な坂道を一気に上り、頂上で宙に飛び出した。浮かび上がる車体。空中で姿勢を制御し、華麗に着地する。時速200キロメートル近く出ていたが、超一流のドライビングテクニックで滑るように走った。
 警察の追跡はしつこかった。追いすがりながら発砲もしてきた。上空からはヘリコプターが俺たちの逃走を阻止しようと試みる。狙撃手のマシンガンによって、光の雨が地上に降り注ぐ。ただしこのスーパーカーは背面が防弾仕様になっており、たとえ被弾しても乗員には何のダメージもなかった。レトロプロダクトは右手でハンドルを握り、左手のサブマシンガンを窓から後方に向けて連射した。1台のパトカーが突然コントロールをうしなったように路肩に突き刺さった。運転手を射殺したのだ。驚愕すべき腕前だった。俺も何もしないわけにいかず、窓から上半身を乗り出して後方にピストルを乱射した。何発かパトカーのフロント部分に着弾したが、無意味だった。あんなに射撃訓練したのに。逆に、警察の弾が腕に当たった。痛かったので助手席に引っ込んだ。コーンロウの運転するスポーツカーからは手榴弾が的確なタイミングで投下され、後続のパトカーや一般車両を次々に爆発させていた。
 2台のスーパーカーは山を登り始めた。山道ではない、山をだ。平坦な舗装道路専門のスーパーカーのくせに、オフロード車よりも高い登坂性能でグイグイと、崖に近い急斜面を上がっていく。当然パトカーは追ってこられない。唯一追跡を継続していたヘリコプターは、車から一旦降りたコーンロウが、ロケットランチャー1発で始末した。
 豚マスクがどこかに電話をした。指名手配の解除を依頼しているようだった。電話を終えた彼は親指をビシッと立てた。
 今度はコーンロウがどこかに電話をした。部下に車を配達するよう依頼しているようだった。ほどなくして、見たことも聞いたこともない6輪のベンツが配車された。

 6輪ベンツはセダンではなく4人乗りのトラックだった。コーンロウが運転席、レトロプロダクトが助手席、豚マスクが後部座席にそれぞれ乗り込んだ。俺も乗っていいのか躊躇していると、優しくクラクションが鳴らされた。乗れという合図だった。俺は喜々として豚マスクの隣に座った。スーパーカーは2人乗り。4人で行動するのには不向きなので乗り換えたのだろう。6輪ベンツはパワフルな馬力で岩肌を走破し、谷合の高速道路をトラックとは思えない速度で走り始めた。ターボを搭載しているらしく、時折プシュプシュと音がした。
 猛スピードでドライブする中、各自GPSマップを眺めている。何だろうと思っていたら、豚マスクが無言で俺のスマホを取り上げ、何かのアプリをダウンロードした。すると、GPSマップ上に4つの丸が表示されるようになった。このアプリは俺たちのような犯罪者の位置情報を表示するアプリだった。
 遥か彼方にサービスエリアが見える。レーダー上では、そのサービスエリアに丸が2つ。つまり、俺たちのような者が2人いる。6輪ベンツはサービスエリアに向かって一直線に爆走した。
 スロープを上がると、ガソリンスタンドの近くに、サブマシンガンをこちらに向けて臨戦態勢を取る2人組がいた。一触即発の雰囲気。豚マスクが6輪ベンツを降りた。殺るか殺られるかが基本のロサンゼルス、お決まり通りドンパチが始まるのかと思いきや、豚マスクは丸腰で2人組に近づき、例の腰ふりダンスを披露した。2人組は銃を下ろして豚マスクを見守った。
 コーンロウがクラクションを鳴らした。豚マスクが戻ってきて、2人組も警戒しながらそれに続いた。豚マスクはさっきまで座っていた後部座席ではなく、荷台にのぼった。え、そこ乗れるの? 2人組は少し尻込みをしていたが、やがて1人が後部座席に、もう1人が荷台に座った。俺は初対面のギャング5人と、あいさつもろくにせず、同道の仲となった。
 6輪ベンツは速度を抑えて高速道路を走った。速度を抑えたのは、荷台に人が乗っているからだ。とは言え、先行する車両をびゅんびゅん追い抜いていく。荷台の2人はピストルを横に寝かせて構え、周囲の車をおどかしている。銃口を向けておどすだけでは飽き足らず、発砲もした。
 レトロプロダクトが反対車線に向けてサブマシンガンを乱射した。俺もピストルを撃った。みんな空に向けてそれぞれのリズムで発射した。パレードでクラッカーを鳴らしている気分だった。
 前方を走っているトレーラーが驚いて、ハンドルを制御できず左右にケツを振り始めた。6輪ベンツはコンテナに接触して高速道路を外れ、ガードレールの外に飛び出した。眼下は、10メートルもあろうかという、谷。空中に放り出された瞬間は、時間が制止したようだった。地面まで5メートル、4メートル、3……。
 激しい衝撃。地面に叩きつけられた6輪ベンツは何度も横転し、地面の傾斜も相まって、落下地点から100メートルほど下った場所でようやく停止した。荷台の2人は途中で投げ出された。死んだな、と思った。しかし2人はすぐ起き上がり、全力ダッシュで駆けてくる。コーンロウは車をその場に待機させ、2人の帰還を待った。俺はいったん降車し、荷台によじ登った。乗ってみたかったのだ。
 悪乗りしたコーンロウが、ほぼ垂直に切り立った崖を上り始めた。ダメだった。岩の出っ張りに引っかかって6輪ベンツはいったん裏返しになり、俺と豚マスクは荷台から転げ落ちた。6人が6人とも爆笑した。

 車は再び高速道路を激走する。俺と豚マスクは荷台でけたたましく笑いながら、エアギターを弾いたりエアDJをしたり、突き出した両腕を前後にピストンしたりした。やがてダウンタウンに差し掛かると、レーダーに丸が表示された。誰か近づいてくる。
 次の交差点、右方向から、緑のマッスルカーが飛び出してきた。メロディアスなクラクションを鳴らしながら、6輪ベンツに近づいてきた。一緒に走ろうという意思表示なのか、あおっているのか、それは判別できなかった。だが、車をぶつけてきたり銃を撃ったりしてこないので敵意は無さそうだった。
 俺は同乗の5人を、「ならず者ではあるが、良い人たち」だと思っていた。無法地帯のロサンゼルスにおいては、他人すなわち敵である。それなのに、面識のない俺を友人のように扱ってくれたし、現在進行形で楽しい思いをさせてもらっている。だから、新しく出没したならず者に対しても友好的な態度を見せるものだと、漠然と考えていた。でも違った。
 俺以外の5人が一斉に銃弾を浴びせたため、マッスルカーの運転手は一瞬で絶命した。力なくよたよたと減速するマッスルカーを、俺は荷台から見送った。
 6輪ベンツは走る要塞だった。誰にも止められなかっただろうし、警察だってビビッて寄ってこなかった。
 高速道路をひた走ると、クモ型巨大ロボットのような建造物(一見すると管制塔のようだが、実際は「エンカウンター」という名のレストラン)が見えて来た。ロサンゼルス国際空港だ。飛行機にでも乗るのだろうか。お金がないぞ。旅費不足を心配していると、6輪ベンツは関係車両の通用口で一旦停止した。守衛が自動ゲートをひらく。簡単に滑走路に入れてしまった。5人のうちの誰かが、プライベートジェットもしくは格納庫あるいはその両方を保有しているようだった。
 格納庫のひとつに進入し、小型旅客機のすぐそばに停車。6輪ベンツは乗り捨てられた。ここに駐車してしまって良いのだろうか。レトロプロダクトが旅客機に搭乗し、他の連中もどやどやと乗り込む。もちろん俺も続く。
 法律違反を屁とも思わない連中が、お行儀よく着席してシートベルトをがっちり締めた。まともじゃない相当危ないフライトになる予感がした。俺も自分の体をシートベルトできつく座席に固定した。
 専属の機長などは不在で、レトロプロダクトが操縦桿を握った。「まさか飛行機も運転できるのか」といぶかしがっていると、旅客機は滑走路へと移動を始め、管制塔とたいして交信もしないまま急加速を始めた。そしてそのまま離陸した。むちゃくちゃだ。
 眼下に広がるロサンゼルスは、それはそれは美しかった。長大なビーチに打ち寄せる太平洋の波は、西海岸の豊潤な陽の光を浴び、十重二十重の織物となってきらめいている。サンタモニカ・ピアのジェットコースターや観覧車も見えたし、なんなら旅客機はそのすれすれを低空飛行した。ビバリーヒルズ上空でバレルロールをしたり、ダウンタウンの高層ビル群の隙間をナイフエッジ(機体を90度に傾けた状態)ですり抜けたり、旅客機でそれやっていいのと驚かざるを得ないアクロバット飛行の連続だった。背面飛行だけはしなかったが。墜落するので。
 俺はレトロプロダクトに「あんた最高だ!」と叫んだ。彼は操縦中だったので簡便に「どうも」とだけ返事した。だがあきらかに嬉しそうだった。
 有名なハリウッドサインが間近に見えてきた。山頂付近に白い巨大な看板、H、O、L、L、Y、W、O、O、D。旅客機はこのサインに向けて一直線に進む。ぐんぐん迫るハリウッドサイン。すぐ目の前にあの看板が。そして旅客機は看板にぶつかるぎりぎりを通過し、山越えを果たした。非常に興奮した。
 ハリウッドサインの南側は高級住宅地だったが、北側は何もない。草の生えた変哲のない山だ。テレビや写真ではあまり見ることのない風景を目にして感心していると、飛行中なのにドアが開いた。どうしたのかと思って周りを確認すると、誰もいない。いなくなっている。まさかと思って窓の外を見ると、みんなパラシュートを背負ってダイビングしているではないか。俺だけ出遅れて機内に取り残されてしまった。地上へと落下していく人影は5つ。機長であるレトロプロダクトでさえ飛び降りていた。俺は慌てて操縦席に移り、操縦桿を懸命に引いた。が、飛行機など操縦した経験はないし、そもそも手遅れだった。
 旅客機はバランスを崩して右翼から墜落、大爆発。俺の体はバラバラに吹き飛んだ。

 まさかいきなり飛び降りるとは思わなかった。俺を殺すためにああいう行動に出たのだろうか。そうは思いたくない。殺すつもりならとっくに銃弾を食わせていただろうし、飛行機にも乗せてくれてないはずだ。もう会えないかも知れないが、あいつらはいいやつらだった。俺が彼らの狂った遊びについていけなかっただけだ。
 ゆっくりと辺りを見回す。田舎道。街路樹もなく、道路以外の地面は未舗装の、荒野のような場所だった。交通量も少なく、貧乏くさい車ばかりだった。たまにトラクターが通る。それくらいののどかな僻地だ。遠くで旅客機の残骸が火山のように燃えている。
 タクシーやバスも通らないので、しかたなく、通りがかったピックアップトラックから農夫を引きずり下ろし、急場しのぎの足とした。
 20分ほど運転していると、行く手に大きな看板が見えてきた。数件の店が立ち並んでいて、ちょっと立ち寄ることにした。ダイニング、ガソリンスタンド、ドラッグストア、コンビニ、服屋、ペットショップ。まずは服屋のガラス戸を押した。
 Tシャツ、ズボン、靴、帽子。いろいろ試着したのち、グレイのワイシャツ、キャンパス・ブルーのスーツ上下と、黒いネクタイ、黒の革靴、フェドーラ帽を買った。鏡の前で整った身なりにうっとりしていると、突然、遠くで爆発音が聞こえた。その音は徐々に近づいてくるように思えた。店の外では悲鳴も上がっている。俺も外に出て、音の出どころを探った。トラック運転手や地元の酪農家が上空を指さして何かわめいている。
 ヘリコプターが飛んでいた。ミサイルを地上に向けて発射していた。軍事演習だろうか。はたまたテロリストを追っているのか。ああ、そういえば近くに刑務所がある。脱獄囚を狙っているのかも知れない。
 一定の間隔で発射されるミサイルはほとんどが地面に着弾し、時には道路を走行中の車に直撃した。タンクローリーが映画さながらに大爆発した。歩行者はパニック状態となって逃げ惑い、建物の中に避難したり、慌てて車でその場を離れたりした。
 俺だけはぼんやりと空を見上げたまま、ヘリコプターのかっこよさに見とれていた。そのうちようやく気が付いた。着弾点が段々と俺に近づきつつあるのを。俺を狙っているのだ。ヘリは人間に対する自動追尾機能は保持していないらしく、ふらふらと揺れながら、どうにかして俺を木端微塵にしようとたくらんでるようである。
 あんな戦闘ヘリにも命を狙われるのか。やれやれ。治安が悪いってレベルではない。暗黒社会の大物ならまだしも、こんな駆け出しの犯罪者を相手にして何の得があるのだろう。しかも圧倒的な戦闘力差。卑怯だ。
 何発かピストルを撃ってみた。届くはずがない。あちらのミサイルもなかなか当たらないが、徐々に精度を増してきている。ヘリコプターは少し高度を下げ、機体を安定させた。ミサイルが俺に直撃するのは時間の問題だ。
 どうしたものかと考えあぐねていると、急にヘリコプターはバランスを崩し、墜落し、地上で爆発、炎上した。はっと気づくと、白いコートに白いテンガロンハット、スナイパーライフルを構えたレトロプロダクトが真横にいた。恐るべき精密射撃で彼がパイロットを撃ち抜いたのだ。
 俺は目をきらきらさせ、彼に敬礼した。彼も軽く敬礼を返し、スナイパーライフルをカービンライフルに持ち替えて走り出した。どこに向かうのか。俺も後を追った。

 草すらまともに生えていない乾燥地帯。向こうから砂塵を散らしながら一人の男がジグザグに走ってきた。俺を殺そうとしたパイロットだった。俺&レトロプロダクト組vsパイロット。2対1のデスマッチが始まった。鳴り響く3種類の発砲音。さながら現代音楽のような不協和音。レトロプロダクトのライフルと敵パイロットのマシンガンは持続音を奏でる弦楽器のようで、俺のピストルは断続的に破裂音を差し挟む打楽器のようだった。
 パイロットは、フライングスーツに身を包んでいるとは思えない俊敏な動きで、俺たち2人を相手にした。レトロプロダクトに弾幕を張る一方、後転して退きながら俺の方に銃弾を浴びせることも忘れない。レトロプロダクトがカービンライフルを掃射し、パイロットに深手を負わせるその間に、俺はパイロットのマシンガンの餌食になった。俺とパイロットはほぼ同時に死んだ。
 レトロプロダクトを中心に挟んで、俺とパイロットは別々の場所に離れて復活した。無傷の状態に戻ったパイロットは、瀕死のレトロプロダクトをすぐさま強襲し、力任せに撃ち合いを制した。レトロプロダクトは全身から血を噴き出しながら地面に倒れ、絶命した。憧れの人を殺された俺は逆上し、鬨の声を挙げながらパイロットに急接近した。走りながら発砲し、何発か当てた。パイロットは地面をローリングして俺の銃弾を交わしつつ、起き上がりざま体勢をこちらに向けると、マシンガンの掃射で俺の全身を正確に撃ち抜いた。俺は死んだ。
 俺が蘇ると、ちょうどレトロプロダクトがパイロットを始末する場面が目に入った。俺はレトロプロダクトに駆け寄り、両手の親指を立てて武勲を讃えた。レトロプロダクトはそれには応えず、敵に対して優位な位置に立つため足を止めることがなかった。
 パイロットは俺の背後に復活し、容赦なく背中から銃弾を浴びせた。俺は死んだ。そして右に左に側転しながらレトロプロダクトと熾烈な銃撃戦を繰り広げた。
 敵もさる者、レトロプロダクトとパイロットの腕は拮抗しており、一進一退を繰り返しながら、ほぼ同じ回数の死を相手に与え合った。俺の死だけが倍の速度で重ねられ、彼らの死の総和と同程度にカウントされていく。俺は1度もパイロットを仕留めることができなかった。もう少しで殺せそうなケースもあったが、その時はレトロプロダクトがとどめを刺した。2対1ではあったが、実際にはプロの殺し屋とプロの殺し屋のタイマン勝負であり、時々そこにシロウトの俺が茶々を入れる、という構図だった。
 レトロプロダクトは10回以上パイロットを殺し、10回以上死んだ。パイロットもまた、10回以上レトロプロダクトを殺し、10回以上死んだ。俺だけが20回以上死んだ。
 長期戦になって段々と、レトロプロダクトの方が優勢となった。ガンマンとしてわずかに上だったし、それに、パイロットが俺を抹殺している一瞬の間に、レトロプロダクトがパイロットを始末するというケースが何度かあり、殺害回数に少しずつ差が開き始めた。
 やがて、何十回にも及ぶ攻防を経て、やっとのことでパイロットを退けた。パイロットは車などで逃走したわけではなく、何の痕跡も残さず地上から消え去った。
 俺はレトロプロダクトに力いっぱい敬礼をした。彼もようやく戦闘態勢を解除し、優しく、それはそれは優しく、俺に敬礼を返した。砂漠の空はすっかり深紫色に沈んでおり、辺りには俺たちしかいなかった。風の音しか聞こえなかった。頭上に瞬く星が、俺たちの勝利を祝福していた。
 このとき、俺とレトロプロダクトは義兄弟の契りを結んだ。後で知ったことだが、彼はアメリカ人ではなく、インド人だった。日本人の俺を、同じ境遇の存在として気遣ってくれたのかも知れない。
 これを書いている今となってはもう、2度と会う機会はない。だが、ロサンゼルス滞在中の恩人として、決して忘れることは出来ない。向こうが俺のことを忘れても、ずっと──
 義兄弟の契りを結んだあと、レトロプロダクトは右手を振って別れの合図をした。俺もひらひらと手を振り返した。レトロプロダクトの肉体は煙のように霧散した。

 周囲数百メートル、まったく人の気配がしない砂漠。スマホを取り出し位置情報を確認する。建造物どころかまともな道路もない。そこで保険会社に連絡し、慣れない英語で、愛車ハチロクの代車を届けてくれるよう請求した。するとオペレーターから「保険金は支払われているが、ガレージに納車するのでガレージの住所を教えてほしい」と言われた。つまり、ガレージを購入するか借りなければ、愛車ハチロクと再会することは出来ないというわけだ。俺は落ち込んだ声で代車依頼を取りやめ、砂漠に立ち尽くした。
 とにかく、車がないと話にならない。そのためにはガレージを保有していなければならない。仕事をしなくては。
 ここロサンゼルスにおいて、俺のような男でも出来る仕事と言えば、きな臭い裏稼業しかなかった。裏稼業をまっとうにこなすには、銃器の類が必須だった。
 連射できる銃が欲しい。ピストルは発射間隔が長すぎる。1発ずつしか撃てず、マシンガンに太刀打ちできるはずがない。火力の強い銃さえ持っていれば、俺だってあのクソパイロットに一矢を報いることも出来たはずだ。しかし銃を買うにも金が要る。金だ。とにかく金だ。外国人の俺がここロサンゼルスでのし上がっていくには、何よりも金が必要である。
 手っ取り早く金を得るには各所のコンビニを襲えば良さそうだ。だが、リスクが高いし、1軒や2軒強盗したところで、ガレージや武器を購入できるほど莫大な金額が手に入るとは思えない。
 車をかっぱらって中古車ディーラーに流すという手もある。しかしながら闇市場では、警察の目を気にしてか、盗難車の連続売買を控える傾向にあるという。短期間で大きな利益を上げるにはあまり適していない。
 運転にだけは自信がある。賞金の出る非合法のストリートレースに出場しようと思った。
 裏サイトでストリートレースを検索した。現在地から近場であり、なおかつ、車両をレンタルしてくれるレースに的を絞って探す。
 刑務所敷地の外周をぐるぐる3周するレースを見つけた。複雑な経路を覚える必要もなく、アクセルワークとハンドルさばき次第で俺にも勝てそうだった。
 砂にまみれた車道まで自力で歩き、最初に通りがかったバギーを強奪し、レース会場となる刑務所に向かった。少額の参加費を払い、使用するスポーツカーを選び、スタート地点に待機した。
 出場選手は全部で6人。自前のカスタムカーは禁止で、全員が主催者側の用意した車に乗った。
 レーススタートへのカウントダウンが始まる。みな、エンジンを空ぶかししたりクラクションを鳴らしたり、闘争心むきだしだ。
 3、2,1……。Go!
 各車一斉にスタート。俺は良いスタートを切ることが出来、まずは3位につけた。6台は団子状となって最初のカーブに突入する。車の性能差は僅少であり、わずかなハンドル操作ミスで取り返しのつかないことになる。集中しなければ。
 カーブに差し掛かる。トップを走る車がほんの少し減速し、俺も心持ちアクセルをゆるめた。だが、2位の車はスピードを全く落とさなかった。それが命取りであり、2位は横Gに負けてアウトコースに逸れた。俺はアウトインアウトのライン取りによってインコースから2位を抜き去った。
 バックミラーに映る後続車も軒並みコーナリングが下手だった。スローイン・ファストアウトの原則を知らず、アクセルはベタ踏みにしていれば良いと思っている。4位の白い車に至っては、順位を上げようと焦ったのだろう、テールを滑らせ豪快にスピンした。
 刑務所の周囲を右回りでグルグルと回る。最初は団子状だった6台はバラバラにほぐれ、もはや俺とトップとの一騎打ち状態だった。トップを走る車はまるで自動運転のように完璧なライン取りであり、全くミスをしなかった。俺も必死に食らいついていくが、彼のタイヤの痕跡をなぞるような走りであり、車の性能差もないため距離は全く縮まない。後発の電車が先行する電車を追い抜けないのと同様、どうやっても前に出られる気がしない。
 このまま2位でゴールしても賞金は出るが、1位のそれと比べるべくもなく、俺は1位になりたいと切に願った。
 残り1周。このままの順位でレースは終了してしまうかと思われた矢先。前方から、1台の車が逆走して来るのが見えた。それはレース序盤の4位、豪快にスピンをして周回遅れとなった白い車だった。彼はレースを放棄し、他のレーサーを妨害しようと待ち構えていたのだ。
 トップの車は避けようとしたが、白い車の狙いすました突進により、衝突、コース外に弾き飛ばされた。代わりに俺がトップに浮上した。棚からボタ餅、俺は1着でゴールインした。お立ち台で思いっきり腰ふりダンスをしてやった。

 その後、俺はストリートレースへの出場を繰り返した。命に関わらない安全な金稼ぎの方策であったから。
 ただし、どんなストリートレースにおいても1着でゴールするのは容易ではなかった。市街地でのレースは一般車両も普通に通行しているため、運の要素が絡んだ。そもそもマナー知らずのクソッタレどもが出場しているので、スタートからぶっちぎり1位を独走していても、コース途中やゴール寸前で待ち伏せをされ、あの手この手で妨害された。
 一般車両を排除した公道貸し切りレースでは、プロレーサー並の強者どもが多数参加しているので、運が絡まない限りどうしたって勝てなかった。いわゆる「初見殺し」のコースは、通過すべきチェックポイントが新参ドライバーにはわかりにくく、何度もそのコースを走破しているベテランにはとてもじゃないが太刀打ちできなかった。誤ってカスタムカー使用可能なレースにエントリーしてしまった時は、長距離のコースを走り屋たちと競走する羽目になり、まったく歯が立たなかったため途中でリタイヤした。
 1着でなくては勝利として認められず、たとえ2着でゴール出来ても勝利数にはカウントされなかった。俺は徐々に負け込んでいった。それは他のレーサーも同様だった。レースエントリー時に対戦相手の戦績を見ても、勝ち越している者は1人も居なかった。プロレーサーのような経歴の選手であっても、勝利数と敗北数はトントンだった。中には100戦もしてたった2勝しか出来てない哀れな選手もいた。
 負けレースを重ねるうち、俺はうんざりしてきた。この状況をなんとか打破しなければ。
 必勝法を思いついた。少し卑怯だが、初心者を初見殺しのレースに誘い、一騎打ちすれば良いのだ。
 都市部からかなり離れた田舎に、田舎道をバイクで走るレースがある。総距離は短いが、舗装されてない細い道を走る上に、途中で牧場の敷地内を通過するので、コースが非常に解りにくい。俺も最初は「簡単なコースだよ」とだまされて出走した。後塵を拝するどころか、レースが始まって早々牧場の柵に激突して転倒し、その後は相手の巻き上げる砂埃すら目にすることなく、大差で敗北した。
 レースにエントリーするとき、相手の運転技術が未熟と見れば、必ずこのコースに勧誘した。相手は初出場である。一方、俺は何度もこのレースを経験しており、道順も完璧に把握している。出走前から勝敗はおのずと明らかだった。彼らはたいてい、牧場敷地内に進入する直前のチェックポイントで、巻き返し不可能なほどの致命的なミスをした。俺がクラッシュした柵と全く同じ柵ですっ転んだり、曲がらねばならないコーナーを通り過ぎても気付かずに直進し続けたりした。
 レース後、相手がむきになって「もう1回!」とせがむものなら占めたもの。プラス1勝は保証されたようなものだった。
 俺はこの作戦で15勝はした。せこいしみっともない遣り口だったが、勝利数を稼ぐためには仕方がなかった。
 そうこうするうちに俺の運転技術は徐々に向上し、市街地でのレースでも自力で1位になる回数が増えてきた。寝食を忘れてストリートレースに出場しまくった。賞金を地道に積み上げていった。そしてついに、念願のガレージを購入する資金が貯まった。
 俺はスマホから不動産のサイトにアクセスし、最安値のガレージを検索した。あまり田舎だと不便なので、ロサンゼルス市内に限定した。あった。市の中心部からは少し外れるものの、一応都市部。収容可能台数は2台。買うぞ。ここを買うぞ!
 慣れない英語に戸惑いながら、クレジットカードで決済をした。残金はほとんど残らなかった。契約書などの書類とガレージの鍵が届いた。タクシーを拾い、書類に書かれた番地や地図を示してガレージまで連れていってもらった。降車する時はちゃんとタクシー代を払った。
 そこは初めて利用した自動車修理工場(盗んだハチロクのボディーペイントとナンバープレートを変えた工場)のすぐ近くで、人通りは少なく、ロサンゼルスらしくない、とても陰気な地区だった。ガレージが建っていたのはやはり高速道路のガード下で、終日、陽の差さない日陰だった。すぐそばにスケートパークがあり、地元のギャングがスケートボードを滑らせたりするのだろう。値段相応のガレージだった。鍵を開け中に入ってみると、ほこり臭く、古びた工具が放置されている。ネズミの巣のような車庫だったが、こんな場所でも俺の物だ。俺の不動産だ。俺はストリートレース連続出場の苦労を偲んだ。
 さっそく保険会社に連絡し、愛車ハチロクを運送してもらった。ハチロクは生まれ変わったようにピカピカだった。そして、日給50ドルで専属の整備士を雇った。愛車のメンテナンスの他、電話1本で俺の元へ車を配車してもらう契約を結んだ。

 愛車ハチロクを出庫し、俺はさっそくロサンゼルス観光に出かけた。土地勘が皆無で、主要な観光地も知らないから、とりあえずあてどもなくドライブすることにした。
 ガレージの周辺エリアはとにかく陰気で、少し信号待ちするだけで気が滅入る。赤信号ではあるが交差点に進入した。そして今後、信号の一切を無視することにした。青だろうが赤だろうが渋谷に匹敵する規模のスクランブル交差点だろうが何だろうが、とにかく走り続けることにした。制限速度も「外国人ダカラまいる表記ヨクワカリマセン」という態度で無視した。もし行く手が渋滞していたら、たとえ急いでなくても対向車線を逆走した。──その後ずいぶんと交通違反をしたが、警察に追われたことは一度もない。交通事故は水を飲むのと同じ頻度で経験したが。
 だからと言って、ストリートレースの時みたく極限のスピードを追い求めたりはしなかった。周囲の景色を楽しむ余裕くらいはある、ほどほどの速度、大谷翔平投手の球速くらいの速度で車を転がした。
 周囲の車の流れとはあきらかに異質なハチロク。その挙動に何か感じるものがあったのか、1台のバイクが接近してきた。レーダーで確認すると、丸が表示されている。俺のようなクソッタレだ。
「まーた殺しに来たのか。俺は殺しはやらないよ、殺るなら殺れ」
 非暴力を貫き通そうと思い、ピストルは手にしなかった。
 ハチロクとバイクは並走した。攻撃してくる気配は一切ない。ツーリング気分なのだろうか、まるで先導してくれているようだった。この人もレトロプロダクトのように良い人で、友達になれるかも知れない──俺は愉快な気分になり、喜々としてバイクの後に従った。彼はヘルメットをかぶっておらず、整髪料で固めたオールバックの黒髪が陽に光っている。ミラーサングラス、ワインレッドの革ジャンを身に着けている。
 曲がり角を右折する際、そんなつもりはなかったがバイクに接触した。どちらも高速走行中だったため、バイクは派手に転倒し、ライダーは投げ出され路上に激しく打ち付けられた。
「これは怒っただろう……。殺されても文句は言えないな」
 俺はハチロクを停車させ、相手の出方を待った。すると、ライダーは何事もなかったかのように立ち上がり、バイクにまたがり、「気にしてない」と言わんばかりにクラクションを鳴らした。ピエロ風の、 パフパフ鳴る滑稽な改造ホーンを。
「やっぱり良い人だ。以前ハチロクを強奪した奴とは雲泥の差だ」
 俺たちは連れ立ってのドライブを再開した。周囲から徐々に店が減り、住宅が増えていく。青空がオレンジ風味を帯び、地上部分も黄金色にメッキ加工される。センターラインのない、ゆるやかで美しい坂道に入ると、そこは交通量の少ない閑静な住宅地だった。広い庭を有する豪邸ばかりが並んでいる。丘にある高級住宅地という連想で「これがいわゆるビバリーヒルズか」と思った。──後から知ったことだが全然違う地区であり、ビバリーヒルズとは何の関係もなかった。
 坂を上り切ると茶色い山肌が見えた。ロサンゼルスの犯罪者は、行く手が山と見るとすぐショートカットしたがる。決して舗装された山道をくねくね辿ったりはしない。バイクは道を外れ、斜面を上がり始めた。俺のハチロクも追走したが、当然ながら遅れを取り始め、しまいには木にぶつかって立ち往生した。「置いていかれるだろう。ここでお別れだな」と思った。さみしいが仕方がない。
 するとバイクは、せっかく上った標高を惜しむこともなくUターンし、俺の所まで直滑降で降りて来た。停車し、クラクションをパフパフ鳴らした。乗れ、というサインだった。
 ハチロクを乗り捨て、彼の後ろにまたがった。やかましい爆音を轟かせ、バイクは急発進した。すごく怖かった。いつ転倒してもおかしくない、命を粗末にした走り方だった。その走りは暴走族の比ではなく、むしろスタントマンに近かった。
 山頂に、宮殿のような建物が見えて来た。グリフィス天文台。ジム・キャリー主演の映画『イエスマン』で、ジョギングしながら写真を撮る同好会のシーンで使われた場所だ。俺たちは駐車場にバイクを停め、天文台の外壁に沿った回廊を歩いた。テラスの眼下にはさきほど通過してきた高級住宅地が広がり、遠くにダウンタウンの高層ビルが見えた。
 バイクの男はコードネームを「ウェルカミングワンド」と言い、フィリピン人だった。ギャングとしてのランクは中程度だったが、とにかくバイクの運転がうまかった。
 俺たちは義兄弟の契りを交わした。そして一緒に、闇に沈んだロサンゼルス市街が宝石で煌めくのを見た。夜空から星を振るい落とした夜景だった。

 ウェルカミングワンドがスマホを取り出す。彼は悪徳カーディーラーの依頼を受注した。ビバリーヒルズの豪邸から、高級車を2台盗む仕事。俺もその仕事に加わることにした。
 ウェルカミングワンドはバイクにまたがり、クラクションをパフッと鳴らした。何度聞いてもこの音には笑ってしまう。俺がタンデム・シートに座ると、彼は必要以上にアクセルグリップを回し、猛スピードでグリフィス天文台を後にした。その際も正規のルートではなく、崖に近い山肌を下った。それはまるで源義経の鵯越の逆落としのようであり、生きた心地がしなかった。
 市街地でもアクロバティックな運転を繰り返した。一番驚いたのは、スロープの傾斜を利用して大ジャンプをし、空中で下から上に一回転するという曲芸。見事成功させたが、調子に乗って再チャレンジした2回目、飛距離が足りなかったため俺たちはすさまじい勢いで頭から地面に落ちた。毛髪が根こそぎ削り取られるかと思った。
 大きな道路をひた走ること数分、辺りはすっかり高級住宅地となる。会員制の高級ゴルフコース「ロサンゼルスカントリークラブ」の西、目的地に到着した。
 お目当ての屋敷は豪壮な鉄製の門で閉じられており、その門扉には電子ロックが施されていた。ハッキングし、ロックを解除しなければならない。ウェルカミングワンドが制御盤をイジり始める。俺は手持ちぶさたに、周囲を見張ったりタバコを吹かしたりして、電子ロックが解錠されるのを待った。
 数分後、ハッキングは成功し、門は電動で横に滑り開いた。俺たちは忍び足で邸内に侵入する。屋敷のポーチ近くに、クラシックスポーツカーのフェラーリと、ロールスロイスが並んで駐車していた。俺がフェラーリ、ウェルカミングワンドがロールスロイスに乗り込む。エンジンの始動音に気付いたのか、警備員が警棒を振り回しながら慌てて俺たちを捕縛しようとむしゃぶりついてきた。彼らの何人かを轢き、高級車2台は公道に飛び出した。
 パトカーのサイレンが聞こえる。通報されたのだ。どうすれば良い。これら高級車は最高時速こそ目を見張る数値が出たものの、加速力は低く、最高速に到達するまでにしばし時間を要した。ハンドリング性能も低く、カーブでしばしば横滑りした。逃走には不向きである。
 時間の問題ではあったが数台のパトカーに遭遇し、容赦のない体当たりを食らった。それでもおめおめと両手を挙げるわけにはいかない。俺たちは走り続けた。パトカーの追跡は熾烈を極めた。とても逃げきれそうにない。なんら解決策を思いつかなかった俺は、ただひたすらウェルカミングワンドの運転するロールスロイスの後についていった。
 ロールスロイスは一般道を外れ、丘の斜面を登り始めた。なだらかな傾斜を巧みに選び、複雑な経路を通ってグイグイと登っていく。俺も同じ経路に従った。パトカーは直線的に俺たちを追ってきたため、突き出た岩などにぶつかり、追跡不能となった。
 ウェルカミングワンドは丘の上で停車し、エンジンを切った。俺もそれに倣い、エンジンを切った。草むらから虫の鳴き声、空から鳥の囀りが聞こえる。静かだ。いつまでこうしていれば良いのか。俺は車を降りて彼に近づいた。彼は静かに座席に掛けたまま、警察無線を傍受していた。無線の声が俺たちの追跡を断念するまで、彼は黙ってじっとしていた。
 英語が不得意な俺は、ただ彼の出方を窺った。数分後、彼はコクリとうなずいて、エンジンを再始動させた。警察を完全にまいたということなのだろう。俺もフェラーリに戻ってエンジンを眠りから起こした。
 慎重に丘を下り、市街地に通じる幹線道路を爆走した。何度か事故ったが無事、カーディーラーに車を届けた。高級車はパトカーの猛烈な接触により傷だらけになっていたが、報酬は充分に支払われた。
 ──この仕事は銃を扱う必要もなく、比較的安全なので、その後、何度も引き受けることになった。俺が電子ロックのハッキングを担当することもあったし、単独で犯行に及ぶこともあった。
 繰り返すうちに、様々な攻略法を編み出した。相棒がハッキングに専念している間に、植え込みをよじ登って先に邸内に侵入し、高級車を2台とも門扉の前にスタンバイさせたり。逃走中に地上部分から地下鉄軌道内に進入、トンネルの中で捜査打ち切りを待ったり。車は立体駐車場の奥に一旦隠し、その場で服を着替えて変装、何食わぬ顔で立体駐車場から歩いて離れ、事態が沈静化するまでネットサーフィンをしたり。知り合いとなったハッカーに電話をして、指名手配の解除を操作してもらったり。あらゆる攻略法を編み出した。

 高級車を盗み出す仕事をやり遂げると、ウェルカミングワンドは俺をバイクに乗せ、コリアタウンの西に移動した。どうやら仕事の成功を祝って乾杯するため、自宅に俺を招待してくれるらしい。
 周辺の景色に呪術めいた記号が増殖した。ハングル文字の書かれた看板だった。まるで韓国そのものであり、通りにも店にもアジア人がうようよしている。フィリピン人であるウェルカミングワンドも、アジアのコミュニティを求めてここに在住しているのかも知れない。
 ビバリーヒルズなどとは比ぶべくもない、普通の住宅街に差し掛かった。時速150キロメートルで爆走していたバイクは80キロまで減速し、やがて一軒のアパートの前で停車した。ガレージのシャッターが開くと、バイクは徐行運転で中に進んだ。
 ウェルカミングワンド専用のガレージには、今乗って来たバイクを含めて2輪車が3台。2人乗りのスポーツカー2台。4人乗りのセダン1台。計6台の乗り物が収まっていた。俺はまじまじと彼のコレクションを観察した。スポーツカーのうち1台は紫色で、ホイールは$マークだった。あまり良い趣味とは言えないと思った。しかし、これほどまでに車を集めるのはうらやましかった。全て自分のお金で買った車なのかどうかは、クエスチョンマークが点灯したが。
 俺がまじまじとマシンを眺め、時々ため息をついたりして頻りに感心していると、ウェルカミングワンドは1台1台について詳細な解説を加えた。自動車用語と思われる、聞いたこともない単語が頻出した。俺はぽかんとしたまま、耳を傾けているふりをした。マシンのスペックについてはさっぱり理解できなかったが、1つ気付いたことがある。彼が「ファック」という単語を、まるで空気を吐呑するような感覚で多用することだ。「ファック・ザ・ポリス」のようにネガティブな意味で使うのはもちろん、「ファッキン・スーパー・カー」のようにポジティブな意味でも使った。日本における「クソ」と似ているかも知れない。例を挙げれば、「いけすかないヤツ」という意味で「クソ野郎」、「すごくかっこいい」という意味で「クソかっけー」と言うように。ただ、日本語の「クソ」よりも英語の「ファック」はかなりドギツイ言葉であり、あえて翻訳するなら「おまんこ」か「おめこ」だろう。マンコおまわり。おめこスーパーカー。公の場で口にするのははばかられる。
 自慢の愛車についての解説を一通り終えると、ウェルカミングワンドは自室に俺を招じ入れた。カーテンを閉め切った室内は暗く、スナック菓子の袋や読みかけの雑誌で乱雑に散らかっていた。自家用車を複数台所有している人の住む場所とは思えなかった。あのスポーツカーも、俺のハチロク同様、きっとどこかで盗んできたものだろうと思えた。
 システムキッチンにはワインやウィスキーなどの酒瓶が豊富に置いてあった。俺たちはそれぞれ好きな酒を選んでグラスに注ぎ、「チアーズ!」と叫ぶと、グラスの中身をグイグイ喉に流し込んだ。グラスが空になるとすぐにおかわりを追加した。何杯も何杯も、立て続けに琥珀色の液体を摂取した。
 2人とも足元がおぼつかなくなり、よろよろと室内をさまよった。体温が上がり、目の周りが熱くなり、耳が遠くなり、視界がふわふわした。
 ラジオをつけるとレディー・ガガが歌い始めた。
 ウェルカミングワンドはクローゼットで着替えを始めた。俺はその間手持ちぶさたになったのでソファーに座ってテレビをつけた。アニメが放映されている。俺はリモコンを操作し、チャンネルを次々に変えた。幾度かのザッピングの末、辿り着いたのはニュース番組。ハリウッド大通りの中継映像で、2人組のクソッタレが暴れている様子を生放送で伝えていた。2人は銃を乱射し、戦う意思のない哀れなクソッタレをエンドレスで殺し続けていた。2対1で。
「これ今まさにハリウッドで起きているんだよな。治安悪いなあ」
 俺はテーブルの上にあった水タバコの吸引具に手を伸ばした。日本の雑貨屋で見かけた事があるので、吸い方は心得ていた。ホース状のパイプをくわえ、火を使うと、水がコポコポと泡を出した。煙を灰に溜めた。しばらく呼吸を止めたあと、ゆっくり息を解放すると、濃い煙が口からエクトプラズムのように出た。その動作を何回か繰り返すと、なんだか妙に笑えてきた。タバコじゃなくてマリファナかも知れない。
 空軍の軍服に着替えたウェルカミングワンドが、俺の隣に座り、水タバコを使った。彼もニヤニヤし始めた。俺たちはしばらく世間話をした。ウェルカミングワンドは相変わらずファックを連発した。
 俺たちは再びガレージに移動した。1番のお気に入りなのであろう、レーサータイプのバイクにウェルカミングワンドはまたがった。クラクションを鳴らし、後ろに乗るよう促した。
 ガレージを出庫すると、バイクは南へ向かった。

 酒が残っているのか、ウェルカミングワンドらしくもなく、運転はおぼつかない。何度も壁や電柱に激突し、その度に2人仲良く地面に投げ出された。
 傷だらけになりながら、ロサンゼルス国際空港に到着した。レトロプロダクトと6輪ベンツで訪れたとき以来の再訪。あの時のように関係者用の通用口から入るのかと思いきや、バイクは空港の敷地に隣接したゴミ捨て場から、ゴミのコンテナの傾斜を利用して大ジャンプをした。絶叫マシンが垂直落下した際の低重力状態。時間の進み方が遅くなる。バイクは高いフェンスを楽々飛び越え、滑走路に侵入した。
 駐機中のヘリコプターに乗り込んだ。ローターが回転を始めると、あっけなく離陸した。眼下に広がる滑走路。旅客機の離着陸が間近で見える。すごい大迫力。と言うか、こんなに迫力があってはいけないのでは。もはやニアミスとも言える近さだった。
 ヘリコプターは北へ飛ぶ。大きな屋内競技場の上空を通過すると、低所得者層向けの住宅が鱗のように地上を覆っているのが見えた。そして、ダウンタウンの高層ビル群。旅客機で飛んだ時はアクロバティック飛行だったが、今回はヘリコプターによる安定した空中旅行なので、俺は観光客の気分でウキウキと景色に見とれた。
 やがて前方にハリウッドサインが見えてきた。山頂付近に白い巨大な看板、H、O、L、L、Y、W、O、O、D。あの裏側で、俺だけ墜落死したっけなあ。
 見る見るうちに、ハリウッドサインが大きくなる。本来ならばトレッキングコースを長時間歩いてやっと辿り着く場所だったが、あっという間に到着した。ヘリコプターは看板の裏側、わずかな面積の平地に器用に着陸した。俺たちはヘリから降りた。へ~、看板の裏側ってこうなってるんだ。観光地らしい落書きがいっぱいされている。その多くは自分の名前や恋人の名前を書き記したものだった。もちろん「キルロイ参上」も。そして、ハシゴが架かっており、ウェルカミングワンドは有無を言わさずこれに登り始めた。俺も続いた。
 看板の上からの景色は筆舌に尽くしがたい絶景で、ロサンゼルスの都市を一望できた。俺たちは今一度祝杯を挙げ、瓶ビールを一気飲みした。タバコを吹かし、足下に横たわる大都市を眺めながら、ゆったりとした時間を過ごした。
 ウェルカミングワンドがパラシュートを背負った。どうやらここからベースジャンプをするつもりらしい。この「ベース」とは、土台とか基地とかいう意味ではなく、Building(建築物)、Antenna(鉄塔)、Span(橋桁)、Earth(断崖)の頭文字略語だ。飛行機から飛び降りるスカイダイビングと違い、地上への距離がケタ外れに近い。パラシュートをひらくタイミングを間違えればすぐ死に直結する。その昔、なかなか映画に出演できないことを苦にした新人女優が、Hの文字から投身自殺したことがある。その二の舞にならねば良いが。
 ウェルカミングワンドはいともたやすく飛び降りた。一瞬で、地上まですでに数メートル。死ぬ! 俺は思わず悲鳴を上げた。と、彼は山の斜面に激突するスレスレで虹色のパラシュートを花開かせ、優雅に空中散歩を開始した。腰が抜けるかと思った。恐るべき蛮勇だと思った。
 ウェルカミングワンドの雄姿を俺はじっと見守っていた。しばらく虹色のパラシュートに視線を集めていると、突然、何が起きたのか、パラシュートから彼の体が分離され、彼はあっけなく墜落死した。
 彼は必死に斜面をよじ登り、ゼエゼエ言いながらはしごを上がり、俺の立っている看板の上に戻って来た。彼が息を切らしつつ語るところによれば、どうも俺も飛ばなければならなかったらしい。後ろを振り返ってもついて来ている様子がないから、これ以上距離が開くのを避けるため、死ぬのを覚悟で自分からパラシュートを切り離したらしい。
 ウェルカミングワンドはパラシュートを再び背負い、俺にも渡した。そんなご無体な。スカイダイビングなんてしたことないよ。
「このひもを引けばパラシュートひらくから」という簡単な説明のみで、彼はまた飛び降りて行ってしまった。せっかち過ぎる。
 死んだからって、別に。そう自分に言い聞かせ、俺も意を決して飛び降りたが、怖いのですぐに開傘した。ふんわりと宙に舞ったが、操作がよくわからない。とりあえず両手でひもを握っているので引いてみた。引っ張れば引っ張るだけ落下速度が落ちるようだ。右だけ引っ張れば右に旋回し、左だけ引っ張れば左に旋回するようだ。ウェルカミングワンドとの距離がグングン離れるので、ひもを引っ張るのはほどほどにした。
 俺たちは山の麓に着地した。ウェルカミングワンドは足から綺麗に着地したが、俺は足をもつれさせ、ぶざまに地面を転がった。

 ベースジャンプをやり遂げ、山を下りて来た俺たちは、息抜きがてら、コンビニ強盗をすることにした。
 それぞれが買い物を済ませたあと、ウェルカミングワンドがショットガンを店員に突き付けた。俺もピストルを構えた。店員はあんぐり顔中を口にして、ゆっくり両手を挙げた。ウェルカミングワンドは「早くしろ」と喚きながら、店員の背後の壁に向かってショットガンを発射した。ディスプレイされている酒瓶が砕け散り、タバコのカートンが穴だらけになった。店員は尋常ではない速度でレジの金をビニール袋に詰めた。断続的にショットガンが火を吹いた。俺も見よう見まねで雑誌に風穴を開けた。
 ウェルカミングワンドは店員の手からビニール袋を奪い取った。そして、ショットガンの銃身で店員を殴り倒した。
「さあ逃げるぞ」
 店の外に出ようとすると、ガラス戸に誰かが銃弾を浴びせた。俺たちは大急ぎで引き返し、カウンターの中に身をひそめ、外の様子を窺った。
 相手は警察ではなかった。レーダーを確認すると、丸が2つ。俺たちのような2人組のクソッタレだった。セダンを盾にし、店に向けて発砲している。同業他者と見ればすぐに撃ち合いを始める。ひさしぶりにロサンゼルスの暗黒面を感じた。
 店の入り口は狭い。一瞬の隙を突いてドアの外に出るのは困難だった。それは相手も同じことで、無理に店内に押し入ればたちまち俺たちの銃の餌食になる。必然的に、籠城戦になった。
 セダンから顔を出したアサルトライフルが、銃声を吼え立てる。ガラス戸はすっかりフレームだけとなり、銃弾がイナゴの大群のように店内へと飛び込んでくる。俺たちは防戦一方で、為す術がない。レーダーを確認すると、敵のうち1人が、死角からこっそりと入り口のすぐ横へ移動したのがわかった。壁越しに息をひそめ、俺たちを殺害するチャンスを狙っている。
 ウェルカミングワンドが手榴弾を放り投げた。数秒後、爆風でドア枠が吹き飛び、そばに居た敵も爆死した。これに激怒したのか、もう1人の敵がセダンの裏から手榴弾を立て続けに投げ込んできた。俺たちはたまらず店の奥にある事務所に逃げ込み、爆発から身を守った。
 敵は何度も店内への侵入を試みたが、その度にウェルカミングワンドが手榴弾やショットガンで退けた。何度かの攻防のあと、警察が現場に到着したこともあり、敵はついにあきらめ、セダンに乗って去っていった。俺たちは親指を立て、互いに勝利を祝し合った。
 大量の警官が踏み込んでくる前に、俺たちもこの場から立ち去らねば。店の出入り口に急いだ。するとその瞬間、視界がまぶしい光に包まれ、高熱の爆炎が立ち上った。敵の置きみやげ──俺たちの動きをレーダーで確認しつつ、タイミングを見計らって起動されたリモコン爆弾だった。俺たちは俺たちが撃った酒瓶のように、木端微塵に砕け散った。

 気が付くとウェルカミングワンドの姿は消えていた。俺は仕方なく、ロサンゼルス観光を再開することにした。あえて訪れていなかった場所、お楽しみとして取っておいた、映画の都ハリウッドへ。スマホによれば、歩いて数分でハリウッド大通りにぶち当たる。
 太陽の方角へテクテク歩を進めると、あきらかに観光客が増えてきた。やがて交通量の多い大通りに出たとき、「ああ俺はハリウッドに来たんだな」と実感した。
 ハリウッド大通りの両サイドには、星形のプレートが埋め込まれた歩道が延々と続く。「ウォーク・オブ・フェイム」と呼ばれる有名な観光地だ。星の中には、芸能界で功績のあった人の名前と、その人が活躍したジャンルを表すシンボルマーク(カメラは映画界、レコードは音楽業界、テレビはテレビ業界、マイクはラジオ業界、マスクは演劇界)が書かれている。プレートの数は2500以上あるらしく、すべてを見て回るわけにはいかない。日本人の俺にとっては、映画と音楽の著名人しかわからない。しかし知っている名前に出くわすと嬉しくなるものだ。ミーハーだとは思ったが何枚も写真を撮影してしまった。化粧品で有名なマックス・ファクターがあったのには驚いた。俳優のメイクでもしていたのだろうか。
 観光客の出入りがひときわ激しい「ハリウッド&ハイランド」は、映画館・ホテル・レストラン・ブティックが集まるショッピングモール。この辺りには有名映画──ディズニーやスターウォーズのキャラクターが沢山いる。趣味でコスプレをしているのかと思いきや、ツーショット撮影でチップをねだるストリートパフォーマーだった。それから、ストリートダンサーや、自作CDをプレゼントし「ツイッターやフェイスブックで拡散してくれ」と頼んでくるミュージシャンの卵もいる。こいつらも、好きにさせておくとチップを要求してくるから油断ならない。銃をちらつかせれば悲鳴をあげて逃げていく。
 そこから西に進んでいくと、東南アジアを思わせる建物が北側に見えてくる。「チャイニーズシアター」(頭に「TCL」とか「グローマンズ」とか付くこともあるが、これは「味の素スタジアム」「田中浩康スタジアム」と同じノリなので気にしなくて良い)。映画の都ハリウッドにはいくつも映画館があるが、その中でも一番有名な映画館だ。と同時にロサンゼルス屈指の観光スポットであり、常に観光客でごった返している。アジアンテイストの外観も見ごたえはあるが、何といっても映画館前の前庭が有名だ。ウォーク・オブ・フェイムの星形プレートとは別に、特別な敷石が何枚も埋め込まれている。セメントタイルに、スターの名前と、そのスターの手形や足形が刻まれているのだ。映画ファンなら誰もが知っているスーパースターたちばかり。アルパチ、ブラピ、ジョニデ、シュワちゃん、C3PO……。スターの手形に自分の手をはめて大きさ比べをするのも楽しい。 
 路肩に、屋根の無いマイクロバスが駐車していた。セレブの豪邸を見学して回るツアーバスらしい。ハリウッドを出発し、ビバリーヒルズやロデオドライブ、サンセットストリップ、デヴィッド・リンチの映画で名を知られたマルホランドドライブなどを巡るようだ。山出しのお上りさんである俺は、ツアー料金も特に気にせず、すぐさま参加を決定した。
 自分の運転に比べるとバスはやきもきするほど低速だった。そして音声ガイドは英語だった。同乗した客たちはなるほどと言った顔で説明を聴きながら、カメラのレンズを左右に向けている。俺は説明を聴き取れなかった。さっぱりわからなかった。とどのつまりさっぱり面白くなかった。この退屈が1時間近く続くのかと思うとうんざりした。俺は運転手を後ろからしこたま殴りつけ、運転台から引きずり下ろした。おならの大合奏みたいな悲鳴が車内に充満した。おびえる乗客たちを無視したまま、観光ツアーを引き継いだ。
 入り組んだ坂道をバスらしからぬ速度で上っていく。周囲はプール付きの大豪邸ばかりだ。高級住宅地ハリウッドハイツ。映画スターなどの有名人や大富豪が暮らしている。東京の山の手もそうだが、どうして金持ちは高台に居を構えたがるのだろう。下界を見下ろす優越感があるからだろうか。
 俺自身は、この辺りに住んでみたいとは微塵も思わなかった。ちょっと一泊させてもらうくらいなら良いが、何カ月も寝起きする気にはなれない。確かにベランダから見える眺望は素晴らしいものだろう。しかし、付近に店などはないから丘を下りて買い出しをしなければならない(もちろん日用品の買い出しは執事やメイドがするのだろうが)。道は狭く急坂で曲がりくねっており、見通しも悪い。はなはだ移動に不便だ。
 俺は何度か高級車と出合い頭の衝突をした。付近に暮らすセレブだろう。スピードを出している俺が悪いのだが、とりあえず中指を突き立てておいた。
 バスは坂を登り続け、どの家が誰の家かろくにわからぬまま、住宅地を脱した。そのまましばらく運転を続け、ハリウッド・ボウルに至って停車した。乗客はここぞとばかり座席から飛び降り、方々に逃げ惑った。安心して。俺は無益な殺生はしないよ。
 ハリウッド・ボウルは野外劇場で、日本でいえば日比谷野外音楽堂のような格。真昼間であるからか、公演は行なわれていない。俺は遠慮なく客席に進入し、そして無人のステージによじ登ってみた。このステージにビートルズやモンティ・パイソンが立ったのかと思うと感慨深いものがある。ステージ上で「ツイスト・アンド・シャウト」を歌い、「アルバトロス!」と叫びながら客席を練り歩いた。
 一通りごっこ遊びを楽しんだ後、俺は劇場の外に駐車している車を物色した。ピカピカの白いボディー、アメリカサイズのSUVが、エンジンを掛けっぱなしで停車していた。水色のアロハシャツを着たデブが運転席でスマホをいじっている。もしもし、アイドリングストップにご協力ください。ドアを開け、運転手の頭をハンドルに叩きつけてから引きずり下ろし、地球環境を守る名目でカージャックをした。これで街へ戻りがてら、カーディーラーを見かけたら売り払って小遣いの足しにしよう。
 すると、順調に走り始めてほどなく、差出人不明のメールが届いた。
「俺の車を取ったな。おまえはすぐに霊安室行きだ、マザファッカー」
 立て続けに、もう1通メールが届いた。
「気を付けろ。誰かがおまえに7000ドルの懸賞金を掛けたぞ」
 意味がわからなかった。気味が悪かった。SUVの持ち主がヒットマンでも雇ったというのか。ふとカーナビを見ると、現在地がドクロマークになっている。他の犯罪者がレーダーを見れば、俺は白丸ではなくドクロマークに見えるのか。いたずらにしては出来過ぎている。
 嫌な予感は的中した。レーダー上に丸が3つ入ってきた。それぞれ2時の方向、10時の方向、4時の方向から出現した。それはドクロマーク目がけて、つまり、俺めがけて急接近する。俺は7時の方角に向けて走っていたが、やがて丸3つは俺が走行中の路線に合流し、まるでレースをするように7時の方向に走り始めた。あきらかに俺を追ってきている。7000ドルを目当てにしたバウンティーハンター(賞金稼ぎ)どもだろう。懸賞金はいたずらや脅しなんかではなく、現実に掛けられていた。
 俺がカージャックした車は高級そうだが所詮はSUVであり、それほどスピードが出ない。追手との距離は徐々に縮まっていく。
 俺自身がゴール地点であるレース、1着は平べったい緑色のスーパーカー。サイドミラーに映るその姿を、目視で確認した。サブマシンガンを乱射してきた。バックドアに数発被弾し、左後輪がパンクした。スーパーカーは速度を調整してSUVに横づけし、運転席に銃弾を浴びせた。俺はたまらず急ハンドルで路地に逃げ込み、これ以上の逃走は不可能と判断して車を乗り捨て、全力疾走で安全な場所を探し求めた。そうこうするうちに他のバウンティーハンターもすぐそばまでやって来た。
 辺りは高級住宅街。俺は塀をよじ登り、一軒の豪邸に闖入した。植え込みの手入れが丁寧にされた華美な庭。そして、澄んだ水をたたえた肝臓型のプール。縁に半球のスペースが設けられているのは、もしかしてジャグジーだろうか。しかし見とれている暇はない。俺は植え込みを突き抜け、隣の屋敷に移った。さっきの豪邸とは全然別の個性があり、ここもまた美しい。長方形のプールがあり、バスケットのゴールもある。俺はバーベキューグリルの横を走り抜け、再び塀をよじ登る。奥へ奥へと急ぐ。少しでも道路から離れた場所へ。より遠くへ。バウンティーハンターが追跡をあきらめるくらい遠くへ。
 チラッとレーダーに目をくれると、やはりバウンティーハンターたちも車を降りて追ってきている。なんてこった、俺が何をしたっていうんだ。
 俺はとっくに息切れをしていたが、ただひたすらに豪邸から豪邸へと移動を続けた。限界を超えていたが立ち止まることはしなかった。肺が破れて血を吐いてでも逃げ回ってやろうと思った。
 背後で銃声が聞こえた。小さく遠い音だった。バウンティーハンター同士で小競り合いをしているのだろう。彼らは協力して俺を仕留めようとしているのではない。7000ドルを獲得できるのは、俺を最初に殺した者だけなのだ。
 邸宅が途切れ、道路に出た。車が通りかかったらすぐさま奪って逃走してやろう。耳を澄ませる。車の走行音を頼りに、見通しの悪いクネクネ道を下った。走行音に近づく。あまり聞きなれないモーター駆動音と、路面をガタガタ走る音が高まった。キャタピラ?
「ブルドーザーか。そんな物を盗んでも、逃走の役には立たない……」
 植栽の向こうから戦車が現れた。本物の。マジかよ。
 主砲が轟音を挙げた瞬間、俺の立っていた場所には煙が勢いよく膨張した。賞金7000ドルは戦車を操縦していたクソッタレが獲得。
 ──死から目覚めると、俺を追ってきたバウンティーハンターたちも、垣根を超えた瞬間、戦車の砲撃によって次々に煙にされていた。彼らは激怒し、殺されても殺されても立ち向かった。さっきまでいがみ合っていたが、戦車に対抗するため一致団結、ロケットランチャーを撃ったり手榴弾を投げたりする。しかし主砲が反動するたびあっけなく死亡した。
 俺があっけに取られていると、戦車は予想外のスピードでこちらに突っ込んできて、俺をキャタピラの下敷きにした。ご丁寧に前進後退を繰り返し、俺の肉体をミンチにした。俺のような小者を殺すには、砲弾はもったいないのだろう。
 ここにいたら命がいくつあっても足りない。俺は大急ぎでこの戦場から脱走しようと試みた。たまたま通りかかったクーペからハゲたオヤジを引きずりおろし、俺が代わりに乗り込む。大慌てでアクセルを踏み込むと、飛びついてきたオヤジを轢いてしまった。小太りのオヤジはシャーシと地面の間にはさまった。オヤジの武勇を呪いながら、祈るような気持ちで速度を上げた。オヤジは車体の下から抜け出ることなく、時速70キロメートルで引きずられた。振り落とそうと思ってハンドルを左右交互揺するように切ると、タイヤがオヤジの肉体を蹂躙した。ようやくオヤジを振り払ったとき、数百メートルにわたって血痕がベッタリと路面に付着していた。命に別条はないといいが。
 レーダーを一瞥すると、たくさんの丸がわらわらと戦場に集まって来る様子が見て取れた。どうにか戦車の暴走を食い止めようと、ロサンゼルス中のクソッタレが集まってきているようだった。彼らにとって、戦車の市街地出現は一種のお祭りだったのだ。
 阿鼻叫喚の爆発音が聞こえないエリアまで逃げてくると、俺は仕事探しのサイトにアクセスした。まだまだ金が必要だった。武器を購入したかったし、愛車を改造したかったし、アパートを購入したかったし、やりたいことはまだまだいっぱいあった。それから、ギャングとしての地位を上げたかった。いつか戦車を操縦できるような、いっぱしのクソッタレに。

 初めて(それとは知らず)裏稼業に身を投じたとき、俺はサングラスの男とドレッドヘアーの男と一緒に、ギャングの集団から包み紙を略奪し、色眼鏡をかけた黒人のデブに届けた。その、黒人のデブから、「下っ端でも出来る簡単な仕事」として、求人募集があった。サンタモニカ・ピアの橋桁の下で、暴走族とストリートギャングが、ドラッグの闇売買をするらしく、取引されるブツを奪って来いというものだった。
 やりとげる自信が、まったくない。
 個人的にはビル清掃とかピザの宅配とかセレブの犬の散歩などをしたいのだが、俺に与えられた求人情報はこれしかなかった。英語をまともに話せない俺に、まともな仕事は、ない。
 割に合う仕事ではある。命を危険にさらすことになるが、多少死んでも俺の体は大丈夫みたいだし、カタギの仕事より短時間で高収入が見込める。なかなか1位になれないストリートレースよりも確実だ。
 少し迷ったが、この仕事を請け負ってみることにした。「下っ端でも出来る簡単な仕事」とのことだから、連中は銃を所持していないのかも知れない。
 近くを通りがかった手ごろなコンパクトカーを拝借した。目的地をカーナビにセットするとルートが表示された。俺はコンパクトカーのアクセルを目いっぱい踏み込んだ。特に急ぐ必要もなかったが、最高速を目指し、サンタモニカ大通りをひたすら西へ走り始めた。
 途中何度か事故りながらサンタモニカ・ビーチに辿り着いた。ハリウッド同様、ここもロサンゼルスに来たなら必ず訪れたい観光地だ。しかし今回はビジネスでの訪問なので、ブラブラするのは次回におあずけだ。
 カーナビは案内を終了したが、俺はコンパクトカーに乗ったまま砂浜に突入した。ビーチバレーを楽しんでいる人たちから悲鳴が上がった。サイクリングやジョギングの最中だった人は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。
 行楽客のパニックは気にせず、俺は波打ち際近く、桟橋の橋脚近くに車を停めた(ちなみにサンタモニカ・ピアの「ピア」とは桟橋という意味である)。極力足音を立てないように走り、取引場所である橋桁下のトンネルへと向かう。この陰気なトンネルは、桟橋を階段で乗り越えたり迂回したりしなくても、向こう側へ通り抜けられるようにするための通路だ。
 壁に背をつけ、そっとトンネル内部を覗く。いた。チョッパーハンドルのアメリカンバイクや、真っ黒いマット塗料のワゴン車が数台停まっており、革ジャンを着た男たちとストリートギャングたちが、何か談合をしている。内部は薄暗い上に柱が何本も立っているので敵の正確な人数は把握できない。これ、本当に勝てるの? こっちは一人だし、ピストルしか持ってないし。あちら様が10人以上いて、それぞれマシンガンや自動小銃を装備していたら、絶対に負けるだろう。俺は突入をためらった。
 そうっと近寄って、ドラッグだけくすね取るのはいかがか。いいや、透明人間でない限り無理だろう。では、売買が成立したあと、ドラッグを所持している方の集団を尾行して、少人数になったところを奇襲するというのは? いいや、どちらが売人なのか暗くてわからないし、取り逃すリスクが大きすぎる。
 こうしていても埒が開かない。彼らからドラッグを強奪し、色眼鏡をかけた黒人のデブに届けねば、いつまで経っても仕事は終わらないのだ。それに、この仕事が不首尾に終われば、今後ほかの仕事を受注するのにも影響が出るだろう。やるしかない。
「徒手空拳で戦車と戦うよりはマシだろう」と自分に言い聞かせ、絶対に弾丸を命中させられる位置までにじり寄った。俺は上達した銃の腕前を遺憾なく発揮し、素早く2人、ヘッドショットで始末した。
 これが俺にとって初めての殺人だった。何人か交通事故で死なせてるかも知れないが、ちゃんとした意思を持って人を殺したのは初めてだった。しかし、不思議と罪悪感は芽生えなかった。ギャングどもが、自由意思を持たないデク人形に思えたからだ。ロボットを壊したような感覚だった。
 彼らは慌てて銃を抜き、応戦した。何挺もの銃が火を吹いた。そのうち1人はショットガンを所持していた。勝てる希望が一気に薄れた。あの散弾を浴びたら、浴びた場所がグチャグチャに削り取られ、即座に死ねる。俺は柱に隠れ、祈る気持ちでじっとした。弾丸が通過していく軌跡が見えた。
 業を煮やしたのか、スキンヘッドの男がナイフを振りかざして駆け寄って来た。ノーガード戦法すぎる。俺は落ち着いてヘッドショットした。ラッキー。
 やはり「下っ端でも出来る簡単な仕事」の看板に偽りはないのかも知れない。彼らの動きは、シロウトの俺以下だった。あのレトロプロダクトなら5秒で全滅させられるだろう。俺にも出来る。焦らず、1人ずつ殺すんだ。
 キレのある動きで俺は柱から飛び出し、最も近くにいた男を撃った。浅い。ヘッドショットならず、肩を貫いた。汚いタンクトップを着たその男は、苦し紛れにショットガンを発砲した。ショットガンの弾は拡散する。それは俺の上半身にまぐれ当たりした。ごっそりと大胸筋がえぐられ、アゴも削り取られた。顔の大半が無事だったのは喜ばしいことだったが、俺は死んだ。
 ビーチバレーのコートに復活した俺は、急いでトンネルに戻る。壁に背をつけ、チャンスを待つ。目標に対して多少遠距離であり、命中率も下がるが、この位置から撃った方が安全ではある。LAガンクラブで特訓した成果により、射撃技術はこちらの方が一枚も二枚も上手だ。命中率が下がったとて、相手の命中率はもっと下がるはず。距離が離れているほど相手よりも圧倒的なアドバンテージとなる。敵の弾はそうそう当たりはしないだろうし、当たったところで先ほどのような致命傷にはならないはずだ。こちらは壁に隠れているが、あちらはワゴン車や細い柱に隠れるしかなく、遮蔽物の大きさでもこちらに利がある。この勝負、いける。
 俺は丁寧に一人ずつ始末した。何発か被弾したが、命に別状はなかった。やがて敵が一人だけ残ったとき、相手がリロードをしている隙をついて特攻、走りながら敵の腹めがけてありったけの弾をねじ込んでやった。
 死屍累々ギャングや暴走族が横たわる中、お目当てのブツを拾い、ついでにショットガンも入手した。アメリカンバイクにまたがり、サンタモニカビーチを後にした。
 図体のでかいバイクはハンドリングが難しく、俺は何度かカーブを曲がり切れずに転倒事故を起こした。それでも、どうにかこうにか、色眼鏡をかけた黒人のデブのアパートに到着した。ブレーキのタイミングをミスし、塀に突っ込んでバイクから転げ落ちた。
 呼び鈴を押すと前回同様デブがゆっくりと顔を出し、無言でブツを受け取り、「OK。クール」とだけ言って報酬を支払ってくれた。

 デブのアパートは悪名高いコンプトンにあった。ロサンゼルスの南に位置するこのエリアは、アメリカ屈指の暗黒街。地区全体がストリートギャングの巣窟であり、ヒップホップグループN.W.A.の出身地として有名。非常に犯罪率が高く、観光客が無防備に歩いていたら数分でカツアゲされる。下手したら殺される。
 速やかにこのエリアから脱出しようと思い、俺は整備士に電話をし、愛車ハチロクを配車してもらった。悪目立ちしてしまったかも知れないが、徒歩で移動するのは自殺行為だから仕方がない。ギャングたちを刺激しないよう、安全運転でハチロクを発進させた。
 路上には紙くずや空き缶が散乱し、塀にはスプレーによるグラフィティーアートが描かれている。平屋の建物が多く、大規模な建物があるとすればそれは大抵2階建てのオンボロアパートだ。
 いるわいるわ本場のギャングスタが。ほとんどが有色人種で、いわゆるヒップホッパーの恰好をしている。ダボダボのユニフォーム風シャツ。スタジアムジャンパー。オーバーサイズのジーンズ。ナイキのスニーカー。ティンバーランドのブーツ。頭や口元に巻いたバンダナ。ベースボールキャップ。彼らは昼間っからブラブラしていて、ラップかバスケットボールかスケートボードしかやることがないご様子。
 レトロクラシックのオープンカーとすれ違った。一般向けには販売してなさそうな紫色の車体で、ハイドロでホッピングしそうだ。まるでキューバに来たような錯覚を受ける。本革仕様のシートにはギャングスタが満載されており、ウーハーで重低音を強調させたウェスト・コースト・ヒップホップに合わせて首を上下させている。
 NBAロサンゼルスレイカーズのユニフォームを着た若者が、BMXでサイクリングをしている。BMXはマウンテンバイクのように頑丈な自転車で、主に競技用に使われる。前輪をクルクル回すトリックのために、ブレーキワイヤーが特殊な構造をしている。
 レイカーズはチンタラ走っており、そんなに運動が得意そうでもない。
「この自転車、ほしいなあ」
 発作的な欲望がわいた。
 俺は車を急加速させ、BMXに思いっ切りぶつけた。レイカーズは吹っ飛ばされ、路上を転げ回った。俺はゆっくりと車を降りた。BMXが損傷していないか軽く確かめ、またがった。ペダルを踏む。そんなにスピードの出る自転車ではない。
 レイカーズは立ち上がれず、ウンウン路上でうめいている。すると、周囲からファックやファッキンという言葉が、日本の夏にセミが鳴くのと同じくらいの語数で聞こえて来た。
「ワッツァファック」
「ファッキュー」
「ファッキンメーン」
「ファッキョーメン」
「ヨーマザファカ」
 後にも先にもこんなにファックと言う単語を耳にしたことはない。縄張りでやんちゃしたファッキンジャップに腹を立て、地元ギャングスタたちが一斉に集合。ボール争いをするスポーツ選手のように群がって来た。ファック、ファッキンの大音声と共に黒人の軍勢が突撃してくる様子は圧巻であった。NFL(アメフト)のランニングバック(特攻隊長)になった気分だった。
 相手は20人はいただろうか。ピストルやサブマシンガンを撃ってきたり、シャコタンのクラシックカーで轢こうとしてきたり、本気で俺を抹殺しようとしているみたいだった。こっちが自衛のために撃ち返しても、誰も怯むことがない。相当怒っているようだ。俺は血だらけになりながらBMXを立ち漕ぎした。2階のベランダから甲高い声で罵りながら、闇雲に発砲してくる女もいた。彼らの強い絆を感じ、少し感動した。自転車を漕ぎながらで狙いにくかったが、ピストルをバンバン撃ってベランダの女を排除した。
 敵は思った以上に手ごわかった。激しく出血し、逃げ切れないなと思った俺は、いったん床屋の中に逃げ込んだ。店の奥、ソファーを遮蔽物にして身をひそめ、911に電話した。これはアメリカにおける緊急電話番号で、警察・消防・救急が呼べる。俺は警察に電話をし、片言の英語で状況と床屋の名前を告げた。
 ギャングどもは床屋に押し入ろうと試みるが、俺は入口に向けてこまめに弾幕を張った。緊迫の籠城戦だった。
 そうして5分ほど頑張っていると、遠くからサイレンの音が飛んできて、警察が現場に到着。白人っぽい声色による「手を上げろ!」「動くな!」などの怒声が聞こえたが、ギャングたちは頭に血が上っているため警察と銃撃戦を開始した。
 おかげで床屋の店内は静かになった。俺は栄養機能食品をかじりながら、そっと入口に近づき、外の様子を窺った。
 パトカーは2台しか駆けつけておらず、警官も4名しかいない。それに対し、ギャングは10名ほどに減少していた。きっと半数近くはパトカーのサイレンが聞こえた段階でトンズラこいたんだろう。
 警官はさすがプロである。数の上では圧倒的に不利だったが、的確にギャングたちを射殺していく。いいぞ、もっとやれ。あ、1人倒れた。やっぱり人数差が響いてくる。警察側もどうしても無傷と言うわけにはいかない。1名、殉職。俺は敬礼しながら店の戸を押し、倒れていたBMXを起こした。夢中で銃撃戦を繰り広げるギャングと警察官に「お勤めごくろうさまです」と慇懃につぶやいて、BMXのベルを鳴らしながらその場を後にした。

 盗んだBMXで走り出す。のんびりとしたサイクリング。思えばこうして街をゆっくり見ることもなかったな、と、しみじみ思う。ロサンゼルスの低所得者層の生活がつぶさに観察できた。
 汚い洗濯物、電柱に吐かれた吐瀉物、破壊された公衆電話、燃費の悪そうな年代物の車、赤茶色に錆びたまま放置された廃車、古タイヤの山、怪しげな子袋を並べた露店、壁が褪色したクリーニング店、解体されないままのガソリンスタンドの廃墟、タトゥーパーラー、ストリップクラブ。
 そして、高速道路下のデッドスペースで暮らすホームレスたち。ビニールシートで作ったテント、コンロ代わりに使われているドラム缶、どこかのスーパーから勝手に持ってきたのであろうショッピングカート、ショッピングカートに満載されたビニール袋。観光客は決して見ることのない、ロサンゼルスの裏面だ。
 視線をポイ捨てするように路上観察をしながら、俺はペダルを踏む力を徐々に強めていった。文字通り、コンプトンを見捨てた。
 派手にすっ転んでもあまり痛くないことにかこつけて、公道を走りながら、トリック(BMXの技)を熱心に練習した。もちろん、何度も転び、倒れた。頭から地面に叩きつけられたり、肩からアスファルトの上を滑ったりもした。しかし、死を恐れない大胆さで練習したからなのか、俺の運転技術はめきめき上達した。重心を後ろに倒してウイリー状態で走ったり、ジャンプしたり、バニーホップ(ウィリーとジャンプの複合技)をやったりした。しまいには高く高くジャンプできるようになり、プロのBMXライダーのような動きができるようにまで成長した。
 相当な無茶もやった。スケートボードのグラインドの要領で、ガードレールや階段の手すりを滑った。停車中の車にジャンプして乗り、屋根の上で飛び跳ねまくった。しまいには、向こうから走って来る自動車目がけて全力疾走し、タイミングよくジャンプ、ボンネットに乗ることに成功した。──成功するまでに、何度も何度も失敗し、その度に瀕死の重傷を負ったが。
 と、そこへ、同じくBMXに乗ったクソッタレが現れた。彼は俺に気を留めず、ひたすらトリックを決めまくっていた。俺は彼の後を追った。単純に、一緒にサイクリングがしたかったのだ。2台のBMXは前後して同じ方向へと走る。
 彼は正真正銘プロのBMXライダーだったのか、とにかくすごい動きをした。ジャンプしてからの360度ターンをする。傾斜を利用してバックフリップ(後方宙返り)をする。タイヤ幅と同じくらいの細い手すりの上を綱渡りの要領で、しかも路上でのそれとほぼ変わらない速度で走行する。BMXに乗ったまま連続ジャンプで壁を上る。立体駐車場の屋上から飛び降りる(しかも2回転バックフリップのおまけつき)。極めつけは壁面を走る壁走りで、体の軸が地面に対してほぼ平行の状態で数メートルを走り抜けた。信じられない動きだった。地球より強い重力の星からやってきた宇宙人のようだった。俺は彼の動きを真似ようとしたが、たいてい派手にクラッシュした。
 ここロサンゼルスでは、クソッタレはクソッタレを殺す。殺すのが当たり前であり、先に殺さなければ殺されてしまう。そういう社会だ。しかし彼は、金魚のフンのようについてくる俺のことを、微塵も気にしなかった。いつ拳銃を抜くやもわからぬクソッタレが必死こいて追っかけてくるのに、全くの無防備だった。無視しているというより、BMXに夢中すぎて、俺のことなど眼中になかったと言った方が正しそうだった。
 事実、スーパーカーに乗った別のクソッタレが通り魔的に彼を殺したときも、彼は全く怒ることなく、さも「少し転んじゃったよ」とでも言わんばかりに平然とサイクリングを再開した。
 彼にとっては街全体がスケートパークだった。民家の屋根から屋根へと次々に飛び移ったり、貨物列車の荷台に飛び乗った。まるで忍者だった。俺は地上を走行して彼の姿を追ったが、彼が連続ジャンプで高層ビルの壁を上っていった時は、ただ見上げることしか出来なかった。とてもついていけないと思い、俺はあきらめて彼の姿を見送った。最後まで、彼の瞳には俺の姿は映じていなかった。
 俺は自分のガレージまで戻ってきて、自転車を入庫した。

 ガレージでハチロクに乗り換え、すぐ近くの自動車修理工場にお邪魔した。ある程度の資金も貯まったし、愛車を個性的に改造し、町行く人が振り向くようなカッコイイ車、より自分好みのマシンに進化させようと企てたのだ。
 改造パーツのカタログを見せてもらった。車の走行性能を高めるパーツ(エンジン、トランスミッション、ブレーキ、サスペンション、ターボ)から、主に車の外観を変えるパーツ(バンパー、ヘッドライト、グリル、ボンネット、ロールケージ、ルーフ、サイドスカート、リアスポイラー、マフラー、ナンバープレート、ボディーペイント、タイヤ、ホイール、ウィンドウカラー)まで、さまざまなカスタマイズパーツが取り揃えられていた。一般に、値段の高い物ほど高性能だった。
 その中に、「Shakotan Exhaust」という名前のマフラーがあった。これはいわゆる「竹槍マフラー」であり、シャコタンは世界共通語になっているのかと驚いた。整備士に訊くところによると、「Bousouzoku」という言葉も、「ジャパニーズストリートレーサー」を表す語として有名だそうだ。
 竹槍マフラーなんて、日本では田舎の珍走団しか装備しない。はっきり言って悪趣味でダサい。しかし、ここロサンゼルスでは、逆にクールなのではないか。とにかく目立つことは間違いない。俺は目立ちたかった。他の車とは際立った個性を獲得し、他のクソッタレどもから一目置かれたかった。
 俺はジャパニーズストリートレーサースタイルの、悪趣味全開な車にハチロクを変身させようと決意した。日本では乗るのが恥ずかしくなるような、コテコテの暴走族スタイルに。
 まず、竹槍マフラーを装着してもらった。ハチロクのリア底部から、2本のマフラーが空に目がけて勢い良く突き出した。ターボを搭載したのでときどき火を噴くようになった。
 サスペンションをいじってもらい、全体の車高を下げた。
 そして、バンパーをいわゆるシャコタン(車高短)、地面すれすれの低さに出っ張らせてもらった。フロントもリアも。おまけに、往年の走り屋アクセサリーである吊り革をリアバンパーにぶら下げた。
 サイドスカートも前後のバンパーに合わせて地面すれすれに垂らしてもらった。
 リアスポイラーは可能な限り大きな、F1レーシングカーのように仰々しいGTウイングを取り付けた。
 バンパー、サイドスカート、リアスポイラー。これらは本来、空気抵抗を低減させ、高速走行を安定させるためのパーツだが、俺が施した改造は単なるファッションだった。想像していた以上にビジュアルがBousouzokuになっただけで、空気力学的な効果があるとはとても思えなかった。
 ホイールは高級車用の物に交換。タイヤは特注品に履き替えた。このタイヤはパンクしない防弾仕様であり、なおかつトレッド面(接地部分)に赤色の粉を混ぜ、摩擦時に真っ赤なスモークが出るようにした特別仕様だ。
 この時点で俺はかなり満足した。愛車がいかつい表情になり、ロサンゼルス中どこを探しても見つけられないであろう個性を獲得できた。しかしカタログをペラペラめくっていると、ボディーペイントをクロームメッキ仕様に変更できることを発見した。これは車体全体をステンレスにしてしまうような魔改造であり、周辺景色を鏡のように映すギラギラとした銀色である。対向車はまぶしくて迷惑だろうなあ。悪趣味な車にするならば、とことんまで追求しなければ。俺はクロームメッキに強く惹かれた。が、整備士によれば、大金を積めば変更してもらえるという単純な話ではなく、それ相応の実力を伴ったドライバーしか変更してもらえないということだった。「それ相応の実力」とは、具体的にはストリートレースで通算50勝することだった。ストリートレースで50勝! かなりハードルの高い条件だが、達成のあかつきにはクロームメッキ仕様イコールストリートレースの覇者として、他のクソッタレが羨望のまなざしを向けるのは間違いない。同様に、もしスタントジャンプを数多くこなせば、ホイールの色をライムグリーンに塗装してくれるという。目のチカチカするような蛍光色であり、これも目立つこと間違いなしだ。
 ボディーペイントとホイールカラーは、いつの日にかギンギラギンにすることを夢見、現状を維持した。また、エンジン、ブレーキ、トランスミッションなど、走行性能に関する改造については、予算不足により見送った。
 最後に、クラクションを標準装備の警笛から、アメリカ国歌が流れるミュージカルホーンに取り換え、俺は修理工場から退出した。

 ハンドル中央を押すたびに、ラッパの音が『星条旗』を派手に鳴らす。竹槍マフラーは軽い爆発音をさせながら閃光を発する。俺は嬉しくなって蛇行運転を繰り返した。過剰なまでのオーバーステアであり、サイドブレーキを引かなくても勝手に後輪が滑った。峠を攻める『頭文字D』のハチロクを気取ってドリフトしまくった。タイヤから赤い煙がモクモクと立ち籠め、道路が出血しているようだった。
 何度も一般車と衝突した。
 ハチロクはマフラーから火を噴きながら坂道を上り、ロサンゼルスでは比較的おとなしい地区に入った。
 この辺りには武器屋や自動車修理工場はないし、高台に位置していて交通には不便である。クソッタレどもの生活導線からは外れている。そのため、あまり騒がしい感じはしない。南米系の住民が多く、アート系の学生街のような雰囲気。住宅のほかに、店舗としてはブティック、雑貨屋、バー、ダイナーが多い。多くの場所で、塀や家の壁に美しい壁画を見ることが出来る。
 俺は偶然、美しい公園「エコーパーク」に到着した。周辺地域名の由来とも成っている公園であり、ここは、ユニークなビデオ制作で知られるロックバンド「OK GO」のミュージックビデオ『End Love』が撮影された場所でもある。このビデオの最大の特徴は、めまぐるしく再生速度が変わること。時に早送り、時にスローモーションになる。4倍速・8倍速・16倍速・64倍速は言うに及ばず、16分の1のスローモーションから17万倍速のタイムラプスまで、あらゆる再生スピードが、1本のビデオの中にぶち込まれている。
 ビデオで観た景色が目の前に出現し、俺は興奮した。
 公園の中央は池である。池を取り囲むように芝生が生えており、貸しボートの事務所が建っている。池にはボートが何艘か浮かび、水鳥が泳いでいる。芝生ではピクニックに来ている家族連れがレジャーシートを敷いてのんびりとした時間を過ごしている。そのそばで人によく慣れた野鳥が羽を休めている(『End Love』の後半では、野生のカモがまるでペットのようにバンドにまとわりつく。このカモは「マリア」と名付けられるが、のちにオスであることが判明して「マリオ」に改名された)。
 浮かれていた俺はハチロクに乗ったまま池に突っ込んだ。浅いと思ったのだ。軽率だった。ハチロクはエンジンを唸らせるが、深みにはまり、タイヤを空転させた。必死に脱出しようとしたがエンジン音は弱弱しくなり、やがて止まった。カーラジオも沈黙した。エンジンルームが水没したのだ。
 俺は仕方なくハチロクを乗り捨て、ザブザブ池の中を歩いて水から上がった。改造したばかりなのにさっそくダメにした。保険会社に連絡すると、「お客様ご自身の過失なので」ということで、修理費を取られることになった。
 ハチロクを修理に回している間の代用品として、俺は公園の駐車場に停まっていたスクーターを盗んだ。アクセルグリップを思いっ切り回しても、メーンという情けないエンジン音しかせず、BMXに毛の生えた程度のスピードしか出ない。それでも俺はこのスクーターが気に入り、低速運転で例の自動車修理工場に運び込み、ナンバープレートを付け替え、自分の愛機として登録した。

 俺はスクーターで街を散策した。BMXよりはスピードも出るし、余計な体力を使わなくて楽だ。より一層、ロサンゼルスの風景を楽しむことができた。エリアによって街路樹が異なることに気が付いたり、気持ちの良い陽の光や風を感じることができた。スポーツカーを爆走させていたら気づくことはなかっただろう。目を細め、ゆったりとした時間を身体全体で堪能した。
 エコーパークからシルバーレイク方面へと抜け、ダウンタウンに差し掛かった。
 と突然、スーパーカーに乗ったクソッタレに後ろから突っ込まれ、路上に投げ出された。ぶっ倒れている所にサブマシンガンの掃射を浴び、俺は死んだ。スーパーカーはそのまま猛スピードで去って行った。
 やれやれ。クソッタレは速い車に乗りたがる。そして無闇に他人を殺したがる。ひどい仕打ちを受けたが、しかし俺の気持ちは全く曇ることがなかった。俺の気分は頭上の青空のように晴れ渡っていた。るろうに剣心の「不殺」を貫こうと思えるほど、俺はリラックスしていた。もしくは、少し前に会ったBMX乗りのような泰然自若たる心地。
 陽が落ち、辺りは暗くなり始めた。ロサンゼルスの夜は治安が悪いと言われている。ただしそれは観光客にとって、だ。クソッタレにとっては昼間より安全と言える。なぜなら視認性が低下するためお互いの姿を捉えづらくなり、ドンパチの回数が減るからだ。
 俺は夜のロサンゼルスを鈍足スクーターで優雅に見て回った。
 それでも、クソッタレは湧く。いついかなる時でも、どこででも、ゴキブリのように出て来る。また別のスーパーカーが急接近してきた。スピードを落とし、俺のスクーターに追従した。スーパーカーにとっては徐行の速度であろう。俺はスーパーカーを無視し、笑ってしまうほどのろい速度で走り続けた。殺すなら殺せよ。何度殺されても、俺は気にしない。精神的優位に立っているのはこの俺だ。
 すると、スーパーカーはクラクションを鳴らした。その音は純正品ではなく、ワーグナーの『ワルキューレの騎行』のブラス部分が大音量で鳴り響いた。『地獄の黙示録』でヘリが突撃するシーンが頭に浮かんだ。なんという悪趣味。俺は不覚にも笑ってしまい、スクーターを停車させた。それに合わせてスーパーカーも停車した。俺の出方を待っているようだった。たぶん、隣に乗ってほしいのだろう。
 俺はスクーターを降り、スーパーカーの助手席に回った。ドアを開けようとすると、ロックされていて開かない。どんなイタズラだ。乗せる気なのか乗せない気なのか、どっちなんだ。何度かドアをガチャガチャ言わせていると、先方は車から降りてきて、俺に運転席を譲った。そして彼自身は助手席に収まり、「あんたの好きなように運転しろ」と言った。正直、困惑した。事故ったりしたらあとで法外な修理費を請求されるのではないか。
 俺はこの時、初めて彼の顔を見た。顔というか、サルのマスクをかぶった頭部を。そのサルはアニメキャラクター風の外見だが、目つきが据わっており、葉巻をくわえている。この男、どう考えても普通の人間ではない。どう贔屓目に見ても怪しいが、俺は修理費のことなど気にしないことにした。
 初めてスーパーカーを運転した。リニアモーターカーもこんな乗り心地なのだろうか。ほんの少しアクセルを踏み込むだけで物すごい推進力で加速した。タイヤのついた乗り物が地上を走行しているとは思えない。浮かび上がる未来の車が地上数センチの高さを滑っていくようだった。「あんたの好きなように運転しろ」と言われたので、遠慮せず荒い運転をした。
 カクテルライトが照らすオレンジ色の道路。対向車線を無数に漂う、2つ1組のヘッドライト。そんな見通しの悪い道を逆走していれば、畢竟、事故を起こすのは時間の問題だった。縫うように走ったが、俺は対向車と正面衝突を何度もした。スーパーカーのヘッドライトはすぐにつぶれ、前方はますます暗くなった。
 助手席のクソッタレは俺の粗暴な運転に気を悪くするわけでもなく、黙ってカーナビの目的地を設定した。マップに紫色のルートが表示された。どこかに向かえというのだろう。俺は紫色で示されたルートを、安全運転など全く心がけず、必要もないのにレーシングカー並の速度でなぞっていった。あちこちに車をぶつけた。曲がり角に差し掛かるたびに、ハンドル操作が間に合わず建物に激突した。車体をボコボコにへこませ、目的地めざして一心不乱に爆走した。

 目的地に設定されていたのはストリップクラブだった。なるほど、最高だ。店の裏、手狭な駐車スペースにスーパーカーをはめ込む。ロサンゼルスでは前向き駐車がスタンダードであり、バック駐車はあまりしない。郷に入りては郷に従え。慣例通り俺も頭から突っ込んだ。わざとだが、ブレーキとアクセルを間違えて壁に激突した。エンジンルームから白煙が上がり始めた。
 スーパーカーのオーナーが助手席から降りた。彼は先行してストリップクラブのドアを押し開ける。俺も続く。腹にずしんと来る大音量のダンスミュージック。ブラックライトが照り返す中、ディスコチックなビームがフロアを照射している。ストリッパーがポールダンスをしている真っ最中で、客はステージ縁の手すりにかぶりついている。サルのマスクも手すりにもたれかかり、豪勢におひねりをばらまき始めた。札束が雨のように降り注いだ。その羽振りの良さに周囲の連中は感嘆していた。俺もマネをしてみたが、とてもじゃないがもったいない気がして、1ドル札を1枚投げ込むので精一杯だった。
 俺は手すりを離れ、景気づけにバーカウンターへ向かった。女バーテンはモデルのような美人で、カジュアルなヘソ出しルックに身を包み、大音量で流れるエイメリー「1シング」に合わせて横揺れしている。ショットグラスを注文し、一息にかっこんだ。アルコールが口腔、喉、胃を焼いてく過程が如実にわかった。ガソリンが入った感覚、急速チャージ完了。ていうかこのバーテンも脱いでくれねえかな。
 ショーが一段落すると、ストリッパーは足元に散らばった札束を掻き集め、ステージ奥のカーテンの中に引っ込んだ。
 フロアをうろつき回っていた別のストリッパーが、サルマスクをプライベートダンスに誘った。彼はブルネットのストリッパーに伴われてカーテンの奥に消えていった。サルのマスクをかぶったまま。
 俺も彼に倣おうと、フロア内を物色した。赤いランジェリーで申し訳程度に肌を覆った、金髪の女がいた。目と目が合った。彼女は40ドルでプライベートダンスを披露すると言う。俺は一も二もなく財布から札束を掴み出した。
 カーテンの奥に導かれ、ソファーが置かれただけの1坪ほどの個室に案内された。俺はどっしりと座り、両腕を背もたれに載せ、足を開いてソファーに沈み込んだ。するとお嬢はブラを取ってオッパイをあらわにした。白い柔肌に美しいピンク色の乳首が光っている。ビューティフル。お嬢はくねくねと踊り始めた。俺は矢も楯もたまらずお嬢の腰に手をやった。
 プライベートエリア内は男の従業員が巡回しており、時折こちらの様子を偵察してくる。お嬢の腰をホールドしているところを見られ、軽くたしなめられた。どうやらおさわり禁止らしい。仕方なく、俺はただただカタカナ英語で「ビューティフル」を繰り返した。
 それでも、こんないい女が目と鼻の先で艶めかしく顫動していれば、視覚だけでは物足りなくなる。俺の指先は自然とお嬢の体に伸びた。お嬢はうれしそうに笑い、色っぽい眼で「もっと」と訴えた。
 従業員の気配を察知した時だけ、お嬢の肉体から手を離した。従業員が通り過ぎるとすぐにまた、お嬢のしっとりとした肌を撫で回した。痛いくらいに勃起していた。
「オイ!次やったらつまみ出すからな!」
 心臓が止まるかと思った。あまりに夢中になっていたため、そっと近づく従業員の気配に気が付かなかった。2回目は強い口調で警告された。思わず日本語で「すみません」と謝った。
 俺は借りて来た犬のようにおとなしくなった。舌を出してせわしなくハッハと息をするだけだった。お嬢は踊りながら少しさみしそうな表情をした。口をすぼめ、眉をひそめている。唇がパクパク開閉した。「もっと」と言っているようだった。
 俺は我慢できず、三度お嬢の体に触手を伸ばした。お嬢は笑顔を弾けさせ、激しく体を揺すった。舌先が届きそうな距離でオッパイがプルプルとおいしそうに揺れた。暴発してしまいそうだった。この娘が好きになってしまった。俺はとろんとした目つきで「アイラヴユー」を繰り返した。
「てめえ、何度言ったらわかるんだ!おしまいだ!とっとと出て行け!」
 従業員の怒声にもしばらく気付かないほど、この空間にのめり込んでいた。俺は屈強な黒人2人に両脇を抱えられ、店の外に放り出された。OMG。出入り禁止を食らってしまった。ドアの両脇を固める黒服を射殺し、再度入店してやろうと思ったが、サルマスクがお楽しみ中だという事に思い到り、グッと我慢した。腕組をしてこちらを警戒する黒服を、睨み返してやることしか出来なかった。
 やがて、俺が締め出されたことに気付いたのか、サルマスクも店の外に出て来た。どう説明して良いのやら、俺はジェスチャーだけで今の感情を伝えた。右手で顔を覆ってから天を仰ぎ、黒服に中指を立てた。
 すると、サルのマスクをかぶったこのクソッタレは、重そうなミニガンを小脇に抱えた。「ミニガン」と言うと小さな銃に聞こえるが、実際にはヘリコプターに搭載するようなごっついガトリングガンであり、シュワルツェネッガーが映画で掃射しているようなバルカン砲である。
 まさかとは思ったがそれは本物のミニガンで、彼が引き金を引くと、電動モーターが駆動し、毎秒100発とも言われる発射速度で弾丸を吐き始めた。ミニガンを右から左へ薙ぎ払うように振ると、黒服は痛みを感じる暇もなく絶命し、ドアは煙を上げた。彼は一旦射撃をやめ、重たそうにミニガンを携行したまま、店の中に押し入って行った。嫌な予感しかしない。店内で乱射するつもりなのかも知れない。ハラハラしながら俺は後ろに付き従った。
 彼はノロノロとダンスフロアまで歩を進めると、案の定、ミニガンに火を吹かせた。目にも止まらぬ弾丸が隙間なく連なり、その軌跡はまるでレーザービームだった。銃器というより刀剣類のようであり、数珠つながりの弾丸によって現出した刃が店内の全方向に振り回された。ライトが割れ、天井からパラパラとホコリが降り、壁がボロボロに剥がれた。もちろん、従業員は皆殺しにされたし、何の罪もない客たちも肉塊を飛び散らかせた。きゃあきゃあ逃げ惑うストリッパーたちも巻き込まれた。俺のためなのかも知れないが何もそこまでしなくても。生物が死に絶えたフロアには、それでもソウルミュージックが流れている。
 凄惨な事件現場にドヤドヤと警察官が踏み込んで来た。
「動くな!」
 そう叫んだ警官は、叫ぶと同時に後方へ吹っ飛んで動かなくなった。ミニガンからの弾丸の照射を浴び、生命活動が事切れたのだ。みるみるうちに死体の山が築き上げられた。
 突入してくる警官の勢いが、奔流から滴へと減ずると、彼はミニガンを駆動させたまま、落ち着き払った歩調で出口に向かう。マスクの下の表情を窺い知ることは出来ないが、不機嫌そうに葉巻をくわえたサルの顔は、ほとんど無感情に見えた。
 ドアまで辿り着き、外を覗くと、店を取り囲むようにパトカーが何台も停まっていた。パトカーの陰には警察官が何名も待機していて、代わる代わるドア付近にショットガンをぶっ放した。彼は被弾するのに構わず店外に進み出て、ミニガンでパトカーを次々に爆発させた。
 辺りは束の間静かになった。
 彼は何事もなかったかのようにスーパーカーに乗った。この男、あまりに危険。あまりに暴力的。俺も虐殺されるのではと思い、躊躇していると、『ワルキューレの騎行』が鳴り響いた。クラクションによるファンファーレ。乗せてもらうしかない。

 スーパーカーは俺の粗暴な運転のせいで大きなダメージを受けており、エンジンはなかなか掛からなかった。セルモーターがキュルキュルと空回りをする。キーを捻ること数回、ようやくエンジンを死の淵から目覚めさせた。
 逃走を開始した。
 光沢のあったアメジスト色のペイントは、度重なるクラッシュによって傷だらけになり、引っ掻き傷で塗料が白く剥げている様はさながらハトのフンの豪雨の中を走ってきたようだった。
 スーパーカーはもはや瀕死の状態にあり、本来の馬力が出るはずもない。ビジュアル相応の、ぶざまな速度で走行した。
 警察の追撃は、仲間を皆殺しにされた恨みからか、これまで見たこともないほど苛烈な物だった。逮捕することなど全く想定していない、俺たちをスーパーカーごと亡き者にしようという怨念をひしひしと感じさせる激しさだった。ここはデストラクションダービーの会場かと錯覚するほど、数台のパトカーが捨て身の体当たりを代わる代わるお見舞いしてくる。上空からは、ヘリコプターに乗った特殊部隊が自動小銃で銃弾の雨を降らせて来る。
 エンジンルームから出る煙は、初め、線香のように細く白く立ち昇っていたが、やがてその量を徐々に増していき、今では火葬場の煙突から出る黒煙のように太く濃くなっていった。いよいよご臨終かと思われた。
「車を停める。停まったら、すぐ外に出て、車から離れろ」
 そう言うと、彼はビルとビルの合間の狭い路地に逃げ込み、スーパーカーを乗り捨てた。文字通り乗り捨てた。座席に手榴弾を残し、一目散に外へと飛び出したのだ。俺は慌てて彼のあとに続いた。爆発。スーパーカーは派手な最後を迎えた。
 パトカーの群れが路地の中に進入してきた。その1台目のフロントガラスに、彼はマシンガンの洗礼を授けた。そうして警察官を車内で絶命させると、運転手の死体を引きずり下ろし、パトカーを奪った。俺も助手席側の死体を排除し、座席に収まった。アクセルをベタ踏みし、猛スピードで路地を抜け出した。路地を出る際、ひょっこり出て来た通行人をはねとばした。
 パトカーに乗り換えたからと言って、逃走劇に幕を下せたわけではない。同僚が乗っているわけではないとしっかり認識しているらしく、後続のパトカーは気が違ったように激しい接触を繰り返してきた。
 彼はサイレンを鳴らし、前方の車両に道をあけさせ、ハリウッド大通りをビバリーヒルズ方面へと急ぐ。彼は運転しながらも、忍者がマキビシを撒くように惜しみなくボトボトと手榴弾を落とした。後方でパトカーが次々に爆発した。そのおかげで、警察の集団と少し距離がひらいた。
 一軒の高層マンションの前で急停車。彼はマンションの自室に逃げ込み、俺も中に入れてもらった。警察は俺たちの姿を見失った。

 サルマスクの住む高台のマンション「シエラ・タワー」は、あきれるほど豪華な物件だった。どんな悪いことをすればこんな所に住めるのか。リビングだけでも30畳くらいあるのではないだろうか。2階層の構造で、下のフロアにベッドルーム、バスルーム、ウォークインクローゼットがあった。
 警察のサイレンは階下でまだ鳴り響いていた。けれどサルマスクはあっけらかんとしていて、ウィスキーをグラスに注ぎながら、陽気な口調でこう説明した。
「ここまでは踏み込んでこれないから安心しろ。ポリ公どもは、俺が自宅に逃げ込むまでに、どうにかしなければならなかった。この鬼ごっこ、俺たちの勝ちだ。そのうち指名手配も解除される」
 家宅捜索をするなら令状が必要だという事だろうか。確かにマンションの中まで警察は突入してこない。
 あれだけの警官を殺害しておいて、無事で済むのだろうか。俺はまだ不安を感じていた。
 俺の不安は杞憂に終わった。しばらくすると、彼の言葉通り指名手配は解除されたらしく、警察は渋々あきらめて撤収していった。
 俺たちは乾杯をし、義兄弟の契りを結んだ。彼はコードネームを「パワーヒッター」と言った。レトロプロダクト、ウェルカミングワンドに続く、3人めの相棒となった。
 パワーヒッターがウォークインクローゼットに移動し、コーディネートを試し始めた。この時間を利用して、俺はシャワーを使わせてもらうことにした。思えばロサンゼルスに来てから一度も風呂に入っていない。俺は服を脱ぎ、鏡の前で自分の裸体を確認した。傷は全てふさがっていたが、流れ出た血液の跡が肌にこびりついていた。狭いシャワールームに入り、熱い湯を浴びた。体中べったりと付着していた血糊を洗い流した。
 さっぱりして風呂から出ると、パワーヒッターはタキシードに着替えていた。顔にはサルのマスクをかぶったままだったが。
「ホームパーティーでもするか。さっきプライベートダンスで落としたストリッパーを呼ぶからな。それから、そこらへんにうろついているクソッタレも呼んでみよう」
 パワーヒッターはストリッパーに電話をし、住所を告げた。それから、ロサンゼルスにのさばるクソッタレどもに対して無差別に、招待のメールを一斉送信した。
 すると、時を経ずしてドヤドヤと、いかつい風貌のクソッタレどもが次々に入室してきた。これ全部パワーヒッターの友達なのだろうか。聞けば「違う」と言う。知らない連中ばかりだった。こんな荒くれ者たちを不用意に自宅に招いても大丈夫なのだろうか。
 実は人の家に武器を持ち込んではならないという暗黙のルールがあるらしく、みんな丸腰だった。家主であるパワーヒッターも丸腰だった。
 路上で会えばすぐに殺し合いを始めるクソッタレどもは、この時ばかりはお行儀が良かった。ある者はパワーヒッターに敬礼をする。ある者は望遠鏡で北側の丘に建つ住宅地を眺める。ある者は水タバコを吸い、ある者は書斎の壁を飾るゴールドディスクに嘆息を漏らす。何人かはソファーに座り、100インチはあると思われる大画面の液晶テレビでアニメを観始める。
 チャイムが鳴った。パワーヒッターが応対に出ると、ドアの外にはブルネットのストリッパーが下着姿で立っていた。誰かがラジオのスイッチを入れる。室内は大音量の西海岸ヒップホップで満たされる。パーティーが始まった。
 ストリッパーはイスに座ったパワーヒッターの上でクネクネとセクシーなダンスを披露した。各々自由に過ごしていたクソッタレどもはその周りに集まってきて、歓声を上げながら思いっ切り腰ふりダンスをした。左手で作った輪っかに右の人差し指をズコズコ抜き差しするやつもいた。そうして、全員でマスを掻く仕草をした。実に猥雑。実に卑猥。
 パワーヒッターに席を譲ってもらった。イスに深く腰掛けると、ストリッパーは艶めかしい動きで俺に迫って来た。ストリップクラブと同じ光景が目の前に繰り広げられた。今度は従業員の目を気にせず触り放題だった。周りを取り囲んだクソッタレどもはハチャメチャに踊り狂っている。
 一通り満足すると、他の奴と代わってやった。そいつも嬉しそうにストリッパーを愛撫しまくった。周りのクソッタレどもも腰を振ったり、しごいて発射する手つきをして囃し立てた。乱痴気騒ぎはいつまでも終わりそうにない。
 俺は狂騒から少し距離を置き、酒を呑むことにした。どうせタダだからしこたま飲んでやれと、ウィスキーを注いでは飲み、注いでは飲み、へべれけになるまで飲み続けた。体が火照り、視界はじわじわと滲み、こうべが垂れて来た。足元はすでにおぼつかない。それでも俺は飲み続けた。俺の隣では、瓶ビールを何本も立て続けに一気飲みし、フラフラよろめきながら、それでもラッパ飲みをやめない男が飲み競べの相手を務めてくれた。
 何杯飲んだか覚えていない。突然、体の自由が利かなくなった。俺は絨毯の上にぶっ倒れ、意識を失った。

 気が付くと、知らない病院の前に立っていた。大脳が蜂にたかられたように痛む。酔いつぶれて気を失っていたようだ。GPSマップを確認すると、現在地はミッドウィルシャー。ウェストハリウッドのシエラ・タワーからずいぶん離れた場所に搬送されてしまった。シエラ・タワーの辺りを検索すると、パワーヒッターを筆頭におびただしい数のクソッタレがマンションに凝集している。きっとパーティーを続けているのだろう。俺もいつか、あんな高級マンションに住める日が来るのだろうか。
 シエラ・タワーに戻る労を厭って、病院前でタバコを吸いながらスマホをいじった。不動産のサイトを閲覧し、シエラ・タワーの購入金額を知る。意味不明な笑みがこぼれた。無理だ。
 その後、フェイスブックやツイッターに夢中になっていると、コミカルなクラクションが目の前で鳴った。驚いて顔を上げると、ワインレッドの革ジャン、ミラーサングラスにオールバックの男が、バイクにまたがってこちらを見ていた。ウェルカミングワンドだ。
 俺は再会の嬉しさに歓声をあげながら、後部座席にまたがった。バイクはすぐさま猛発進し、サンタモニカ大通りを西進する。
 辺りはまだ暗い。カクテルビームが断続的に俺たちを舐める。アルコールの抜け切らない頭には、路面のきらめきが真っ昼間の太陽のようにまぶしかった。
 やがて次第に潮風の匂いが強くなる。突き当りを左折すると、海の上にまばゆく回転するネオンが見えて来た。サンタモニカ・ピアの上にある遊園地、パシフィック・パークの観覧車だ。
 バイクは速度を落とさず桟橋を進む。観光客を何人か撥ね飛ばし、ジェットコースターの下まで来ると、そのまま乗り場への狭い階段をのぼり出した。ちょっとそれはさすがに無理だろう、いかにウェルカミングワンドがバイクの達人だと言っても。案の定、踊り場で曲がり切れず引っ掛かり、乗り捨てるはめになった。
 ビビりまくる係員を尻目に、俺たちはジェットコースターに搭乗した。乗客は俺たち2人しかいない。発車のベルが鳴り渡り、車体はゆっくりと動き出した。ガタン、ゴトンとレールを鳴らしながら、傾斜のきつい坂をゆるゆる上っていく。ウェルカミングワンドはもう諸手を上げている。いや、まだ早いだろ。
 ライトアップされた坂を車体はあえぐようにして上り続け、頂上付近に至り、力尽きたかのような速度になった。夜の頂が黒くなった。と次の瞬間、ものすごいスピードで滑降を始めた。──ものすごいスピード。さっきまで乗っていたバイクの、3分の1ほどのスピードだったが。
 ジェットコースターはアップダウンを激しく繰り返し、速度を落とさず急カーブを曲がった。俺も恐る恐る安全バーから手を放し、横Gに身を預けた。俺たちはバンザイ状態でキャアキャアはしゃいだ。ネオンをぶん回す観覧車が右方向に映じた。
 きいいいい、ブレーキ音が軋み、乗り場に到着した。安全バーがあがり、クタクタになった炭鉱夫のように車体を降りた。楽しかったねえ。俺はニコニコしながらウェルカミングワンドを見た。するとやっこさん、係員に銃を向け、追っ払った。俺に対しては優しいから忘れていたけど、彼は根っからのロサンゼルス住民だった。クレイジーなクソッタレだった。
 彼はコントロールパネルを操作し、一定間隔で自動的に発車する設定にした。そうして、車体の前部に「直立」した。馬鹿じゃなかろうか。これくらいしないと、満足できるスリルを味わえないほど、危険に鈍感になっているのだろう。仕方なく、俺もまねをした。もっとも、俺は彼ほどの馬鹿をする勇気がなく、座席に立ったが。
 自動運転により、発車ベルが鳴り響き、車体は動き始めた。急な傾斜に耐え切れず、ウェルカミングワンドはすぐにぶっ倒れた。張り付いたスルメみたく車体にでろりと横たわり、起き上がれなくなった。身体の自由が利かないのでパニックに陥りわめいていた。助けてあげたいところだが、あいにく俺だって自分のことで精一杯だ。足がガクガク震えている。手を貸すこともできず、ただ大笑いをした。
 車体は無慈悲に坂を上り続け、一瞬停止しかけて、次の瞬間には最高速度に達した。こええええええええ!下ったあとはすぐ上りになる。俺は前後にバランスを取って必死に耐えた。仰向けにへばりついたウェルカミングワンドも、アップダウンは乗り切ったが、最初のカーブで投げ出された。「No~」という悲鳴が地上に降下していった。俺は涙が出るほど笑った。それで油断して、次のアップダウンで俺も振り落とされた。
 おのおの乗り場に戻ってくると、ジェットコースターはきちんと停車位置に収まっていた。間髪を入れず発車ベルが鳴ったので、急いで搭乗しようとしたが、車体は無慈悲に動き始め、俺たちは振り落とされた。無人の乗り物はロサンゼルスの闇夜に吸われていった。俺たちは笑い合った。そして、車体を追うようにレールを駆け上がった。なんとか追いつこうとしたが、ジェットコースターは猛スピードで駆けて行った。レールがガタゴト言う音が遠ざかっていく。
 坂の頂上に立ち止まり、絶景を見回した。観覧車のネオンは風車のように高速回転し、けばけばしいまでのサイケデリックな光をウェルカミングワンドのミラーサングラスに投じている。東の水平線からは紫色の空が滲み出して来ている。夜明けが近いのだろう。辺りは静かで、砂浜を丁寧に洗う波の音と、風の音と、足下の遊園地で遊ぶ楽しそうな声が聞こえてくるばかりだ。
 ああ、幸せだなあ。ぼくはほんとうにロサンゼルスに来てよかったなあ。俺たちはレールの頂上でスナックをむしゃむしゃやりながら、サンタモニカの夜景を飽くことなく見つめていた。
 と、そこへ、自動運転のジェットコースターが通りかかった。俺たちは地上へはたき落とされた。
 俺たちは深手を負い、涙が出るほど爆笑した。
 ジェットコースター。意外にもなかなか飽きない。童心に帰った俺たちは、階段を駆け上がり、踊り場に引っかかった邪魔なバイクを乗り越え、乗り場に走った。
 ジェットコースターはまだ走行中で、乗り場に到着していなかった。何を思ったのか、ウェルカミングワンドはレールに下り、ジェットコースターを待ち構えた。ジェットコースターは減速しながらプラットフォームに入って来る。止めてみせる気なのだろうか。
 無謀な男気もむなしく、哀れウェルカミングワンドはあっけなく車体に轢かれた。レールと車体の間、車輪と車輪の間、どうしても引っこ抜けないスペースにはまり込んで下敷きになり、びくびく痙攣を始めた。俺はどうして良いかわからずただただ慌てふためいた。珍しい光景なのでとりあえず記念撮影をしておいた。
 異物が挟まったからだろうか、自動運転のジェットコースターはその後まったく発進しなくなった。ウェルカミングワンドはなかなか絶命せず、かと言って救い出す手立てもなかった。彼はいつ終わるとも知れぬ地獄の苦しみにもがいていた。
 しまいには、「殺して」と言われた。
 俺はためらった。人殺しはしない主義だし、しかもそれが義兄弟を標的にしてのことならなおさらだった。
 しかし、どうしようもない。このまま手をこまねいていても、彼の苦しみは増すばかりだ。
 俺はピストルを構え、彼の顔に照準を合わせた。彼はもがき苦しみながらも、コクリとうなずいたように見えた。俺は目をギュッとつぶって、引き金を引いた。
 乾いた銃声がした。真っ赤な液体によって彼のミラーサングラスは光沢を失った。
 嫌な気持ちが胸の中にぱぁっと広がって黒く凝固した。かつてこの桟橋の真下で、十把一絡げのストリートギャングどもを皆殺しにした時には、決して味わうことのなかった罪悪感。生きた人間を殺めてしまった感触。手が震えた。人ひとり殺すということがどういうことなのか、初めて実感できた。
 ウェルカミングワンドの遺体は消えた。俺は申し訳ない気分で黙祷をした。
 何事もなかったかのようにウェルカミングワンドは乗り場に戻って来た。そういう結果になるとわかっていながら、俺の嫌な気持ちは消えなかった。怒ってないかな。俺の気持ちを察したのか、ウェルカミングワンドは敬礼をした。それでも居たたまれなかった俺は、自分のこめかみに銃口を押し当て、引き金を引いた。薄れ行く意識の片隅で、ウェルカミングワンドが右手で顔を覆って嘆く姿が見えた。
 意識を取り戻すと、ウェルカミングワンドは駆け寄ってきて、俺がしたように、拳銃自殺した。気にしてないという意思表示なのだろう。いい人だ。お互い英語が不器用で、言葉によるコミュニケーションは苦手だが、心の底で通じ合えた気がした。
 その後、男二人で乗るのもどうかと思ったが、観覧車に乗ることにした。この観覧車は車輪の外郭でものすごいネオンを振り回しており、電光がまばゆく周囲のアミューズメント施設──ゲームセンター・お土産屋さん・水族館を照らしている。ちなみに世界唯一の太陽光発電観覧車だそうな。
 ゴンドラは徐々に高度を上げていく。無人のジェットコースターが時折そばを通る。長大なサンタモニカ・ビーチが視界に伸びていく。東の空がオレンジ色に変じ、太陽がのっと姿を現す。こんな最高のシチュエーションでご来光を拝めるとは。本当に幸せだ。俺はウェルカミングワンドに「富士山から眺めた日の出に匹敵する」と話した。ウェルカミングワンドは小首を傾げて笑っていた。どうやら富士山を知らないらしい。
 世界は見る見るうちに明るくなっていく。夜明け。ゴンドラが地上部分に戻って来る頃には、ロサンゼルスはすっかり朝を迎えていた。
 観覧車を下りると、ウェルカミングワンドは陸を背にして桟橋を走り始めた。桟橋は海上を100メートル以上伸びていて、突き当りのデッキには2階建てのレストランとハーバーオフィスが建っている。
 俺たちはデッキの突端まで来た。釣り竿が何本も固定されている。太平洋の雄大な眺め。朝まだきの時間だからか、地元のサーファーでさえ波と戯れていない。ビーチに花開くパラソルの数もまばらだ。ヨットやボートが波間に揺れているのは見える。
 ウェルカミングワンドは突然、桟橋を乗り越えて眼下の海に飛び込んだ。この男、それほど暴力的ではないが、本当にクレイジーだな。少し躊躇してから俺も後に続いた。
 水柱。弾力。世界が青くなる。都会に近いわりには、非常にきれいな海だ。水中で、ウェルカミングワンドのワインレッドの背中がチラリと見えた。彼は海上に上がっていき、一隻のモーターボートに接近した。何をするのだろう、だいたい予測はつくが。
 案の定、彼はボートによじ登り、持ち主を海へ叩き落とした。慣れた手つきで操縦し、俺の元にやってきて乗せてくれた。

 どんどん輝きを増す太陽の方角へ、ボートは走る、波の上を跳ねる。左にはサンタモニカ・ビーチ。風が気持ちよい。パンツまでぐっしょり濡れた体が、たちどころに乾いていく心地だ。
 途中、ウェルカミングワンドは操縦を交代してくれた。ボート童貞だった俺は、彼から懇切丁寧な説明を受けた。車と違ってとにかく小回りが利かない。発進も停止も時間が掛かる。最初は悪戦苦闘したが、半時もしたらコツを掴んだ。接岸が一番難しいらしいが、それはベテランに任せれば良かろう。もしくは船を乗り捨てれば良いのだ。
 なおもボートは東へ。サンタモニカ・ビーチとの境界線はよくわからないが、この辺りはヴェニス・ビーチというそうだ。陸上には怪しげなお土産屋さんが立ち並んでいる。
 そんなヴェニス・ビーチにも終わりが見えて来た。砂州は左に折れていて、その先は堤防で区切られた水路。水路の奥は、人口の港としては世界最大級のヨットハーバー「マリナ・デル・レイ」があり、1万隻にも及ぶヨットやクルーザーが停泊しているらしい。今回はそこには行かず、ウェルカミングワンドの指示に従い、砂浜にボートを突っ込ませる。砂地に深々と突き刺さる船の舳先。どうすんだこれ。知らないぞ。
 砂浜に降り立つと、ライフガードの番所がぽつんと建っている。海難救助をする監視員が休憩をするのだろう、小高くなった作りの小屋だ。
 この小屋のそばに、ライフガード用のバギーが駐車されていた。当然、ウェルカミングワンドはこれを拝借した。2人乗りをしようと試みたが、後部座席が、ない。しばらく試行錯誤したが、2人乗りはあきらめた。
 ウェルカミングワンドは俺を置き去りにし、砂塵を巻き上げながらお土産屋へと驀進していった。俺は少しムッとしながら、バギーの残した轍を辿った。砂に足を取られてうまく走れない。息が切れる。くされふぁっく。
 建物の陰、ウェルカミングワンドが停車している場所までようやく来ると、そこはレンタサイクルで、彼は自転車にまたがっていた。
「俺はこれに乗るから。おまえはバギーに乗るといい」
 くされふぁっくって言ってごめんなさい。
 ヴェニス・ビーチはストリートパフォーマー発祥の地。ストリートミュージシャンが多く集まる。しかしパフォーマンスが許されているのは朝9時から。今現在、音楽家の数はゼロだ。
 サイクリングロードが整備されていて、早朝から自転車愛好家がサイクリングを楽しんでいる。バギーも走って良いのかわかりかねるが、すれ違う人々の表情から察するに、たぶんダメなのだろう。俺は義兄弟を追随しているだけで、悪気はないので許してほしい。
 ジョギングをしているおじさんたち。たいていはベースボールキャップにスポーツサングラス、そして上半身裸だ。
 何人か轢いた。悪気はなかったが、いかんせん早朝なのに人が多い。これ以上騒ぎを起こすと警察に通報されそうなので、俺はバギーを降りた。ちょうどレーサータイプの自転車が通りがかったので、三沢光晴ばりのエルボーを食らわしてこれを奪った。
 俺とウェルカミングワンドは気ままに自転車を漕いだ。このサイクリングロードをずーっと辿っていけば、最終的にはサンタモニカ・ピアに到達する。
 俺たちは陸側に建ち並ぶ土産屋を、一軒一軒チェックし、気になる店には立ち寄った。帽子やサングラスを選んだり、タトゥーを入れたり、マリファナを買ったりした──こう書けばちょっと引かれるかも知れないので、少し解説しておく。タトゥーは本格的な彫り物ではなく、「ヘナ・タトゥー」という植物由来の染料でプリントするもの。1週間ほどで消える。また、マリファナはいわゆる医療用大麻で、カリフォルニア州では合法。本当は処方箋が必要だけど、ウェルカミングワンドがどうにかしてくれた。察してほしい。
 そして、マスク屋があった。レトロプロダクトの友達がかぶっていた、情けない表情の豚マスクが陳列してある。ヤツはあのマスクをこの店で買ったのだ。
 興味のなさそうなウェルカミングワンドを少し待たせて、俺は自分に合ったマスクを物色した。キツネ・サル・アライグマ・フクロウ。ガイコツ・悪魔・ホッケーマスク……。俺は灰色の猫を選んだ。お面のようなチャチな造りではなく、顔全体をすっぽりと覆う、しっかりとしたマスクだった。俺はすっかり猫人間と化した。ウェルカミングワンドは爆笑して、俺の全身を写真に収めた。
 陽が高くなってきた。空気が太陽の子どもたちで満たされる。この辺りは1年のうち340日が晴れだともいう。俺たちは再び自転車にまたがり、水中を歩くようにペダルを踏んだ。
 サーフボードショップ、カフェ、レストラン。海の家相応の小ぶりな店を横目に見ながら進む。と、前方に石造りの囲いが見えて来た。囲いの中には筋骨たくましいマッチョたちがウヨウヨ。砂浜にしつらえられたその施設は、通称「マッスル・ビーチ」と呼ばれる屋外ジム。鉄棒・吊り輪・ベンチプレスマシン・バーベル・エアロバイクなどが青空の下に設置されており、筋肉自慢がこれ見よがしに筋トレをしている。周りから丸見え。己の肉体にかなり自信がないと恥ずかしくてやってられない。逆に言えば、ナルシスト的な自信があるからこそ、他人に見せびらかしたいのだろう。確かにどいつもこいつも漫画みたいなシックスパックだ。
 何となく腹が立った俺たちは、囲いを乗り越え、マッチョたちに素手で殴りかかった。どうせ見せかけだけの筋肉だろう。俺たちの方が強いに決まっている。
 と思ったら、きゃつら、思いのほかケンカも強かった。無礼極まりない乱入をしてきた道場破りに対し、マッチョたちは一致団結して立ち向かった。俺は四方八方からパンチを浴び、意識が飛びそうになった。やばい。このままでは殺される。
 業を煮やしたウェルカミングワンドが、ショットガンを取り出してぶっ放した。俺の至近距離でパンチを繰り出していた黒人が後方に吹っ飛んだ。阿鼻叫喚。マッチョでも逃げ惑うんだなあ。どれだけ筋肉で武装しても、生身の人間は銃には勝てないということだな。パニックになったヴェニス・ビーチ。さして気にすることもなく、自転車にまたがり、散策を再開する。
 ビーチには不似合いな、金属製の巨大なオブジェが目についた。彫刻作品の一種なのだろうか。周囲に立てられたコンクリートの壁には極彩色のグラフィティーアートが描かれている。単なる落書きとしてではなく、スプレーを用いた芸術として認められている様子だった。ヤシの木の幹にもグラフィティーはある。砂に埋もれた小舟にもサイケデリックな色彩が施されている。ここだけサンフランシスコみたいだ。
 そのそばにはスケートパークがあった。本来はスケートボードのためのバンクであるが、BMXをレンタルしてきたウェルカミングワンドは、一目散に飛び込んでいった。子どもがプールを見つけてはしゃぐ姿と変わりなかった。俺のレーサータイプの自転車ではちょっと無理そうだ。平坦な道には強いが、ここまで傾斜のついた曲面では楽しめそうにない。BMXが跳ね回ったりレールスライドする様子をただ見守っていた。
 しばらく眺めていたが、退屈そうだと思われたのだろうか。ウェルカミングワンドは戻ってきて、BMXを貸してくれた。そして、どこかに走り去って行った。
 いつも悪いなあ。そう思いながら、俺は無邪気にスケートパークの中を走り回った。
 数分後、ウェルカミングワンドが戻って来た。どこで調達したのか、最初のとは別のライフガード用バギーで、バンクの中に飛び込んで来た。
 俺たちは正午近くまでスケートパークで危険なじゃれ合いを繰り広げた。

 スケートパークの中に自転車やバギーを放置し、俺とウェルカミング・ワンドは馬鹿笑いしながら陸側を散策することにした。
 しばらく歩くと、人工的な小川で仕切られた、ヨーロッパ風高級住宅地となった。ここは「グランド運河」といい、20世紀初頭にタバコの販売で財を成したアボット・キニーという人が、イタリアのヴェニスにあるグランド運河を再現しようと試みた場所だそうだ。ヴェニス・ビーチの名前もこの計画に由来するらしい。一人の男がこんな壮大な都市計画を立てることができたなんて、相当ボロ儲けだったのだろう、タバコ。
 正直、水の都ヴェニスにはほど遠い仕上がりである。「ヴェニスがモデルだよ」と言われてみれば「ははあ。言われてみればそうかもなあ」とほんのり思える程度。それもそのはず、アボット・キニーの計画は途中で頓挫し、水路の多くは埋められたそうだ。
 しかしそれでも、ここは美しい。映画『バレンタインデー』にも使われた場所であり、まさかこんなフィリピン人の男と歩くはめになるとは思わなかったが、女の子とデートしたら最高だろう。運河は碁盤の目状になっていて、川べりには植栽が映える。遊歩道は自動車が乗り入れられない細さで、通行人も多くはない。小さな桟橋に腰かけて地元の人が談笑している。とても閑静だ。俺たちの歩調はゆるやかになる。ここがロサンゼルスであるということを一瞬忘れかけた。それほどまでにヨーロッパの情緒がある素敵な場所だった。
 だがすぐに、けたたましい銃声がここがロサンゼルスであることを思い出させてくれた。
 クソッタレはどこにでも沸く。俺とウェルカミング・ワンドの優雅な散歩を邪魔する、一人の無法者がサブマシンガンを乱射してきた。完全に油断していた俺は、銃を取り出すことも忘れて逃げ惑った。ひとまず安全な場所に隠れようと、建物の陰に身を潜めた。
 応戦するか。否、俺たちは今、そんな気分ではない。
 建物の陰からそっと窺うと、ウェルカミング・ワンドはのんきなもので、プロモーションビデオ撮影さながら水辺をゆっくりと歩いている。俺が「おい、撃たれるぞ!」と叫んで注意を促しても涼しい顔をしている。俺の英語がヘタだから伝わってないのか? 飛び交う弾丸をハエか何かとカン違いしてるのか?
 見ればウェルカミング・ワンドは両手に白旗を握っている。
 あの白旗はなんだろう。「降参」という意思表示だろうか。あれを掲げていれば撃たれないとでも。いやいやいや、ロサンゼルスはそんなに甘っちょろい都市ではない。命乞いをしたところでクソッタレは少しもためらわず引き金を引く。
 案の定、無法者はウェルカミング・ワンドにサブマシンガンの銃口を突き付けた。槍をぶっ刺すような勢いで、顔の前に。しかし、弾丸が出ない。弾丸は発射されなかったのだ。白旗を持つ者に対し、発砲を留保しているわけではない。無法者は顔を真っ赤にしており、撃ち殺す気概は害虫駆除業者くらいにみなぎっている。しかし弾丸が出ないのだ。
 ウェルカミング・ワンドから照準をずらすと、サブマシンガンは再び火を噴いた。銃が故障しているわけでもない。連射状態を持続したままウェルカミング・ワンドに的を絞っても、弾丸はそれた。まるでバリアに守られているようだった。
 ウェルカミング・ワンドはニコニコしながら俺に近づいてきた。その背後には無法者が、サブマシンガンを構えたまま、口汚い言葉を吐き散らしながらついてきた。
「君も白旗を持て。敵の攻撃が当たらなくなる」
 言われたとおりにしてみる。無法者は俺の姿を見るなり面舵いっぱい、銃口をこちらに向けてきたが、やはり弾丸が肉を裂くことはなかった。なんだこれは、何のおまじないだ。
 ウェルカミング・ワンドが説明してくれる。
「白旗を持っているあいだは不死身だ。だが、両手がふさがっているので、こちらからも相手を攻撃することはできない」
 こんなすごい防御法があるなら、最初に教えてほしかった。無駄死にする機会もだいぶ減ったろうに。
「行こう」
「ああ」
 無法者を完全に無視し、俺たちは散歩を続けた。無法者は怒り狂いながら、どこかに全速力で走り去って行った。
 俺たちは太陽の沈む方向へとチンタラ歩き、「アボット・キニー大通り」に出た。ヴェニス・ビーチに、グランド運河。この辺はアボット・キニーまみれだ。この大通りは、オシャレなカフェやレストラン、アパレルショップや雑貨屋が並び、ハリウッドセレブも多数訪れる人気スポット。わくわくしながらぶらついた。
 すると。
 背後から1台のタクシーが猛スピードで突っ込んできた。ウェルカミング・ワンドは間一髪よけたが、俺はダルマ落としのように撥ねられて即死した。
 薄れ行く意識の中で、ウェルカミング・ワンドが笑いながら説明してくれた。
「言い忘れてたけど、車にひかれたらダメージを受けるし、最悪死ぬ。車に乗ってる最中に撃たれても死ぬ。それから、警察の弾は当たる」
 早く言ってほしかった。ていうかなんで笑ってる。

 膵臓がんになって余命1か月を宣告されたのでこの先はトロットで書かねばならない。
 その後ウェルカミング・ワンドと俺は、歩行者天国であるサード・ストリート・プロムナードを散策した。
 それから、燕尾服から強奪したリムジンでロデオドライブをゆっくり回遊し、高級ブティックの軒先に火炎瓶を投げて回った。車両進入禁止である石畳の小道「トゥーロデオ」に無理矢理リムジンをねじこんだら、建物の角と角の間に挟まってしまい、二進も三進も行かなくなったので、未練なく乗り捨てた。ウェルカミング・ワンドとはそこで握手をして別れた。彼のてのひらはカリフォルニアのサンシャインよりも熱かった。それ以来、彼とは二度と会っていない。
 ロサンゼルスの地で再び一人ぼっちになった俺は、ストリートレースの現場にバックアゲインすることにした。
 ただし、田舎をバイクで走るのにはもう飽きた。ロサンゼルスで行なわれているレースはストリートレースだけではない。自転車レースやアスレチック競技、モーターボートや水上バイクのレースもあったし、そればかりか飛行機レースもあった。
 せっかくなので、陸海空すべてで1勝ずつはしたい。
 ボートはヨットハーバーに停泊中のを盗み、少し練習して操作感を掴めばどうにかなりそう。しかし飛行機はそうはいかない。ちゃんとした講習を受けねば、大空での操縦どころか、地上を走ることすらままならない。
 金銭的な余裕が出来ていたこともあり、飛行訓練所に通うことにした。
 俺を担当してくれた教官は超実践主義で、習うより慣れろ方式の指導をしてくれた。俺が英語をあまり読めないせいで座学を省略したのかも知れない。
「はい。じゃあエンジン掛けて。パーキングブレーキ解除して。スラストレバーちょっと前に倒して。はい、左のラダーペダル踏んで。今度は右。はい、スラストレバーいっぱい倒して。よし。そのまま。はい、そこで操縦桿を手前に引く」
 自動車教習所だってもう少し丁寧に教える。常識的に考えると土台無理のあるカリキュラムであるため、初めのうちは何度も墜落死した。しかし、そのおかげで普通一般では有り得ない短期間で飛行技術を習得することができた。
 訓練に使用した飛行機は小型のセスナ機。俺は与えられたカリキュラムを精力的にこなし、さまざまなアクロバット飛行も習得した。バレルロール。ナイフエッジ。背面飛行。ループ。何十時間にも及ぶ飛行訓練により、自由に大空を舞うことが可能となり、飛行機レースに参戦する資格を得た。
 それから、ヘリコプターの操縦と、スカイダイビングも訓練をした。取り分けスカイダイビングには熱中した。その結果、パラシュートの技術がプロ並に上達した。命知らずのスタントマンとして競技会に出場し、報酬を稼ぐまでになった。
 その一方、趣味でベースジャンプにも挑戦しまくった。ウェルカミングワンドとハリウッドの看板から飛び降りたアレだ。暇さえあれば飛んだ。地上との距離が近くても飛んだ。パラシュートを開く時間が無くても飛んだ。パラシュートを背負ってなくても飛んだ。とにかく飛び降りまくった。ビルの屋上から身を投げる日本人や、エトナ山の火口めがけて飛び込むギリシャの哲学者エンペドクレスのように、靴を揃えて脱いだりはしなかった。自分が必ず生還すると信じていたから。
 だが度々失敗した。恐ろしい速度の自由落下運動で地面に叩きつけられた俺の体は、破裂した水袋のように血しぶきを周囲に撒き散らした。粉となった骨の破片が空気中にキラキラと舞った。「ほら、実はこんな色なんだよ」と、目撃者に脳漿を見せびらかした。
 誰かに膵臓を食べてもらいたいくらい膵臓が痛いので突然ですがここで終了です。ここまでで、当初書く予定だった分量の半分くらい。書いてる最中は(ウィスキーをあおりながらの執筆だったせいもあり)面白い読み物になるなあと思っていたが、出来上がったものを通して読んでみるとたいして面白くないですね。最後まで読んでくれた人いるのかしら。いないだろうな。
 100年後、もしも大塚晩霜がゴッホみたいなカルト的人気を博した場合は、この連載も「作者の死により残念ながら未完」「死の前日まで書き継がれた、珠玉の絶筆」とか評されるかなあ。んなわけないな。べつに死なないし。膵臓がんとか、小説の一部だし。
 ご愛読、ありがとうございました。夏休みも終わるから小説も終わりにする。この連載に夢中になって、きみが学校に行かなくなってしまうの、お姉さん、イヤだからさ。そうだよ。学校がんばってよ。友達とか作らなくていいからさ、勉強いっぱいして、いい学校に進学してよ。東大を首席で卒業したらお姉さんが童貞をもらってあげるのでがんばってください。




芥川龍之介『「邪宗門」の後に』
 「邪宗門」は少時の未定稿である。今更本の形にすべきものではない。それを今上梓するのは一には書肆の嘱により、二には作者の貧によるのである。
 なほ又未定稿のまま上梓するのは作者の疎懶の為ばかりではない。作者の心も谷水のやうに逆流することを得ないからである。



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