とりぶみ
実験小説の書評&実践
プロフィール

  • 執筆陣紹介

    大塚晩霜
    原作/草稿担当。

    大塚晩霜
    推敲/編集担当。

    大塚晩霜
    昼寝担当。



過去記事



最新記事



最新コメント



RSSフィード



検索フォーム



リンク



【書評】筒井康隆『朝のガスパール』   (2017/01/25)

文庫本/単行本

 最初に日記みたいなのを書きますが、映画『ベン・ハー』の序曲並みに長くなる予定。書評そのものを読みたい方はすっ飛ばしてください。
 ボクが「だっふんだ」と叫んだら書評がはじまる合図です。着席くださいますようお願い申しあげます。



 今回はいよいよ筒井康隆『朝のガスパール』(以下『朝ガス』)を書評します。
 ペレック作品の寸評()とか、『実験する小説たち 物語るとは別の仕方で』(以下『するたち』)のレビューはしていましたが、本来ならば『残像に口紅を』『虚人たち』『虚航船団』(以下それぞれ『残像』『たち』『団』)に続く、4週連続筒井康隆まつりの最後を飾る作品として『朝ガス』をやるはずでした。『団』の時──2015年の2月28日にそう予告してましたから。
 その後、日常の些事に時間を取られていました。就業・営業回り・会計事務・報告書作成・通勤地獄・終礼・婚約・宛名書き・風呂そうじ・ゴミ出し・皿洗い・接待・得意先に土下座・やけ酒・映画鑑賞・昆虫採集・鼻毛を頭皮に移植・株主総会・育児・意気地なし・期末試験・セックス・遠洋漁業・豆腐の万引き・歯槽膿漏・アサガオの水やり・流鏑馬・プリントごっこ・工事現場での車の誘導・ヒヨコの雌雄選別・納税・セックス・ろくろ回し・再配達依頼・離婚・パズドラ・つめ切り・性転換手術・殺陣の稽古・ナンパ・実況見分・ブルースリーみたいな髪型にしようとしたらサモハンキンポーになった・近所のネコにかつあげされる・水虫の薬だと思ったらエゴマ油だった・賽銭泥棒・洗剤の詰め替え・出馬・ホームベーカリー・線審・マウスを暴走族のバイクみたいに塗装・夜なべ・前方回転受け身・冷凍食品のキャッチコピー作り・ガスの検針・ヨガ・マジカルパワーマコのコピーバンド・駅前留学・忘年会に向けてレイザーラモンHGのものまね特訓・セックス・セックスなどに追われ、なかなか書評できずにいました。『朝ガス』を読んだのはずいぶん前のことであり、再読しなければならない義務感に重圧を受けていたのも原因でした。副読本といえる『電脳筒井線』も、古書価格高騰のため第1巻しか入手しておりません。しかしこのまま潔癖に「ちゃんと再読、しかも精読しなきゃ」「『脳』3巻とも完読しなきゃ」と思っていたら、いつまで経っても他の本を取り上げられません。ですから、エイヤッと更新してしまうことに致します。そのため、完成度の低い書評となるかも知れませんがあらかじめご了承ください。
 さて。『団』を更新してから1カ月が経過したところで、ツツイストからありがたいコメントをいただきました。何度かに渡るコメントの応酬のすえに、ボクはこう結んでいます。

  『朝のガスパール』に関しては『電脳筒井線』未読という不安要素がありますが
思い入れの強い作品なので頑張って書こうと思います。
 公開は5月になってしまうかも知れませんが
どうかしばらくお待ちください。

 しかるに、今は1月下旬です。どれだけウソつきなんだって話です。不義理にもほどがある。コメントをくださった堂野公之さま、本当にごめんなさい。ようやく『朝ガス』更新ですよ。4月から数えると5、6、7……(指折り数えて)9カ月ですか?そんなに待たせてしまって……
 ん? 今2017年1月?
 え。
 コメントもらったのって、2015年の4月? 2015年??
 ウソだろオイ2016年ってどこに行った! 記憶がないぞ……吾輩は記憶喪失であるー! 名前はまだない、どこで生まれたかとんと見当がつかぬー! 時間泥棒のしわざか!? 俺の…俺の1年を返せ! トランプ大統領ってウソだろオイー!

 だっふんだ!

 と、いうわけで、筒井康隆『朝のガスパール』を書評します。
 ペレック作品の寸評とか、『するたち』のレビューはしていましたが、本来ならば『残像』『たち』『団』に続く、筒井康隆書評4連発の最後っ屁として『朝ガス』をやるはずでした。この作品を取り上げることこそが正当な流れ。楽しみにして下さっていた方、おまちどおさまでした。

 まず、この本を語る際に避けて通れないのは、その突飛な創作方法です。
 『朝ガス』は朝日新聞の朝刊で連載されました(1991年10月18日~1992年3月31日、全161回)。作家初の新聞連載であり、新聞連載という媒体ならではの実験が企てられました。
 連載に先がけて新聞紙上に掲げられた「『朝日新聞』連載開始にあたって」(10月8日)から、作者自身の言葉を抜粋してみましょう。
「(サミュエル・リチャードソンは)読者の意見を参考にし、少しずつ分冊にして発刊しながら、その意見に従って物語を展開させていったという。(略)また、自分の家にサロンを作り、親しい上流婦人たちを招いて、書いたばかりの原稿を読みあげ、感想を聞いた上で稿をあらためたりもしたそうだ。」
「今度の新聞連載でそれをやろうというわけである。(略)毎日、ほんの少しずつ虚構が展開していき、それを毎日読者が読む新聞連載という特殊性を生かして、雑誌連載などよりはずっと反響が大きいと聞くその新聞読者の意見を小説に投影させ、それに沿って展開をおしすすめたいと思う。」
「読者はこの虚構に参加していただきたい。」
「ご意見は必ず文書でいただきたい。」
「また、パソコン通信をしている読者諸君は、作者も参加しているパソコンネットに加入の上感想をお寄せ願いたい。」
 つまり、読者の意見が小説の展開に反映されますよ、ということです。──この方法論は、同時期に、『週刊少年ジャンプ』巻末の読者コーナーでもパクられていたと記憶します。物語の続きは君が決める!的な。昨今では、一部のツイッターにおいてこの手法が見受けられます(※ 読者からの投票総数によって物語の次の展開が選ばれる)。
 一見するだけでは、以下のような反応が予想されます。
「読者のさまざまなアイデアが混淆されて、ものすごいことになりそうだなあ」
「無意識の集合知みたいな、作家個人では書くことのできない巨大な作品になりそう」
「もしくは、シュルレアリスムの『優美な屍』みたいに、ぐちゃぐちゃなことになるんじゃないか」
「いずれにせよ、読者からアイデアをちょうだいするって、作家は楽だろうなあ」
「乞食だ」
「作家は取り込んだ無数のアイデアを無自覚にアウトプットする、自動書記機械に過ぎなくなるのね」
 それでは実際、どうだったのか。どういう事態が出来したのか。それはのちほど取り上げることにして、次に『朝ガス』の物語とその構造についてお話ししましょう。

 『朝ガス』は、3つの層から成り立っています。──読んだ人からは「まちがってるよ」と言われそうですが、未読の方にわかりやすく説明するためわざと間違えてますので、スペインの宗教裁判みたいに責めないでください。
 事態を簡潔にするためにというのも何事も簡潔にすべきですから簡潔に申し上げますと、作中に作中作があり、作中作の中にも作中作がある。言い換えれば、③の中に②があり、②の中に①がある、と。
 具体的にどういうことか。最深層である①から説明していくのがわかりやすいと思うのでそうします。
 ①──レベル1の世界は、SFの世界です。「まぼろしの遊撃隊」と呼ばれる軍隊が、遠い惑星で任務に当たっています。よっぽど用心して読まないと気づきませんが、この惑星は『虚航船団』の舞台であるクォールです。
 ②──レベル2の世界は、『朝ガス』の根幹を成す世界であり、一般的な小説と同じレベルの世界です。典型的な主人公と呼べる貴野原征三と貴野原聡子の住む世界であり、貴野原征三が遊んでいるコンピューターゲームが「まぼろしの遊撃隊」です。このゲームの作者は『パプリカ』の天才科学者・時田浩作。クォール同様、過去の筒井作品が効果的に溶かしこまれています。
 ③──レベル3の世界は、私たち生身の人間が暮らす現実世界です。筒井康隆をモデルとする作家・櫟沢の住む世界であり、櫟沢は読者からの投書を参考にしながら連載小説を書いています。
 このレイヤー構造に関しては、連載第39回めに挿絵でわかりやすく説明されています。──ちょっと脱線させていただきますと、この挿絵は真鍋博によるもので、文庫本には収録されておりません。単行本で見るしかない。しかし、単行本にも新聞連載時の挿絵がすべて収録されているわけではなく、若干の抜けがあります(真鍋博画伯がクオリティーに満足しなかった?)。近々刊行予定の『筒井康隆コレクションVII 朝のガスパール/イリヤ・ムウロメツ』には全点が収録されますのでお楽しみに。
 よくコレ毎日描いてたなあ。作家の原稿を読んで、ちゃんと内容に即した挿絵を、この完成度で。しかも特殊な創作方法のおかげで、原稿が届くのは普通の連載小説よりも遅いだろうし。──『朝ガス』から下ること約20年。2012年に、新聞連載小説としては2作目となる『聖痕』をまたもや朝日新聞で発表したときは、息子で画家の筒井伸輔氏が挿絵を担当しました。伸輔氏の挿絵は全編抽象画であり、どの絵をどの回に挿しても大差なかったことを考えると、真鍋画伯の仕事は非常に貴い。
「見たい見たい見たいー! せめてその第39回だけでも、ここに転載してよ!」
 申し訳ございません。『朝ガス』単行本は「重い」という理由で引越しの際に処分してしまい、あいにく手元にありません。
「ちっ。なんだよ使えねーな」
 ……。

 さて。『朝ガス』は①「まぼろしの遊撃隊」から始まります。深江分隊長を主人公に、異星人との戦闘に向けて砂漠を行軍中です。
 連載第3回めには早くも②「貴野原の住む世界」に移行し、①が実は②の虚構内虚構であることが示されます。②は連載第3回から第14回まで続き、貴野原が大企業の常務であること、「まぼろしの遊撃隊」に熱中していること(仕事はこなしているものの、今で言えばネトゲ廃人に近い)、グンバツの美人である妻・聡子について描かれます。
 連載第15~17回は③「現実世界」で、作家の櫟沢が担当編集者の澱口と会話をします。この二人は『残像に口紅を』に登場した作家・佐治と評論家・津田に近い関係性であり、読者からの意見に対してメタメタしい反応をやりとりします。やり玉にあがる投書はすべて実際の読者からの投書であり、「岡崎市の片岡さと江さん」「大阪和泉市の松崎章生さん」など、実名を公表されています。
 物語は②を中心に、①へ行ったり③へ行ったりしながら進んでいきます。特に②は登場人物が非常に多く、取り分け、櫟沢がエミール・ゾラ『ナナ』のパーティ場面を意識したというホーム・パーティーなどは、15人ほどの登場人物が生き生きと活動します(この場面は模範的な新聞小説として一般読者に好評だったそうです)。
 では、読者の意見はどんなふうに反映していったのか? 実はこれが、そんなに影響がなかったりして……。大元となる②と、その虚構内虚構である①は、ほぼ筒井康隆が考えたプロット通りに進んでいるように思えます。大きな影響を受けているのは現実世界の③で、作者に対する批判やむちゃくちゃな提案に対して櫟沢がキレまくります。
 かと言って、読者の投書が①や②に微塵も影響を与えなかったかというと、それも少し違います。たとえば「遊撃隊員に女性も加えろ」という提案は採用されますし、「作家の心理の動きがわかる気がするから、何日に書いた原稿か日づけを入れろ」という提案は「いいアイデアだな。でも、これ以上スペースを削られるのはつらい(略)そのかわり単行本では章立ての代わりに日づけを入れることを約束しましょう」と応じられます。

 ここから、パソコン通信の話題です。平成男子にはピンと来ないと思うのでいちおう書いておきますと、インターネット以前に存在した情報通信技術のことで、電話線でつながっていました。接続速度は今と比べ物にならないほど遅く、さらには莫大な電話代が掛かりました。よって、今のように万人があつかえたわけではなく、ごく一部の生活に余裕ある人しか使えない贅沢品でした。
 パソコン通信には多数の会議室や掲示板があり、不特定多数の人間が自分の趣味に応じた部屋でメッセージのやりとりを行ないました(今でいえば2ちゃんねるですね)。そのうちのひとつ「電脳筒井線」という会議室で『朝のガスパール』への意見が募集され、筒井康隆本人も「笑犬楼」というハンドルネームで参加しました(ときどき、『文学部唯野教授』の主人公・唯野として)。ここで積極的に意見を出した読者のうち何人かは、①や②に虚構内存在として登場を果たします(現在で言えば、架空現実におのれのアバターが出現する感じでしょうか)。その辺の事情は『朝ガス』文庫本に、新聞連載の担当編集者が書いた詳細な解説が載っておりますのでご参照ください。
 作者と読者たちによる膨大なメッセージのやりとりは、のちに『電脳筒井線[朝のガスパール・セッション]』として、3分冊で刊行されました。パソコン通信は情報通信技術の先がけであり、『電脳筒井線』はその黎明期をとらえた歴史的な文献としても貴重です。読んでみますと、当時からすでに現在でいう所の「荒らし」「炎上」のような現象が起きており、「筒井御大も精神的にきつかっただろうな。パソコン文化はまだまだ未成熟で、荒らしは史上初の現象だったわけだから」と心配せずにはいられない有りさまです。中にはアスキーアートで核爆弾を落とす輩さえいる始末。
 この核爆弾は「まぼろしの遊撃隊」が実在する①世界に投下されることになります。そしてまた、作者への罵詈雑言(「てめーのブスの女房とマヌケの餓鬼は」「つまらねーぞ。いい加減やめろ」「ファンをやめた。あーあ。いいファンをなくしたねえ」など)は遊撃隊の通信に混戦し、レベルを隔てる壁がだんだんと崩れていきます。
 (──余談となりますし、これを書くと筒井御大やツツイストから叱られるかも知れませんが、あえて書きます。パソコン通信で作品批判をしていた人々、今日的な目で見ますと、そこまでひどくありません。特に、『朝ガス』においてはすごい悪者として書かれるハンドルネーム「やまもも」さんは、建設的な批評を述べているように思えます。)

 この辺から徐々にネタバレしていくのでお気をつけください。ネタバレを親の仇のように憎む方々は、ボクが「脱糞だ」と絶叫するまですっ飛ばしてください。

 核爆弾投下より少し時間をさかのぼります。
 中盤からは、株で破滅的な大損をする聡子が物語の中心を占めるようになります。どうにか補填しようと画策しては、逆に借金を膨らませてしまい、しまいには苦悩の末に貞操を捨てようとさえします。
 連載101回めでは、【すごいネタバレにつき、白文字にします。読む際は反転してください】ホーム・パーティーで生き生きとしていた15人ほどの登場人物が、弾道旅客ロケットの事故により一気にぶっ殺されます。これは「パーティー場面が長くてつまらない」「もっとSFが読みたい」とこぼしていた「電脳筒井線」の読者に大きな衝撃を与えたようで、「俺たちのせいじゃないか」とざわついたようです。
 その後、作中作を隔てるレベルが決定的に崩壊します。これはメタフィクションにありがちな手法(例を挙げれば、作者が執筆中の小説の中に入り込んで作中人物と会ったり、作中人物が虚構世界を抜け出して作者に会ったりする)ではありますが、『朝ガス』はもう、すばらしいのひとこと。実際に読んでいただかないと充分には味わえない、見事な手際であります。レベル崩壊の仕組みを具体的に書こうとしても、短文での説明ではウソ臭くなるので、実際にお確かめください。(解説サボった!)
 そして小説は、レベル1~5(当書評では説明の簡便さからレベル3までの説明で済ませましたが)の登場人物が一堂に会する大団円を迎えます。櫟沢・貴野原夫妻・深江、実在の人物・虚構の人物・すでに死んでいるはずの人物・ゲームのキャラクター、それらの登場人物すべてがパーティーを楽しむ様子は、この小説でしか味わえない感動があります。この場面は、モンティ・パイソンの映画『人生狂騒曲』(1983)のフィナーレ「クリスマス・イン・ヘヴン」と設定が似ているので、筒井御大はもしかしたら影響を受けているかも知れません(この小説でしか味わえないと書いた直後にすみません)。

 当書評も終盤に差し掛かってまいりました。ギャグ成分すくなめ・甘さひかえめでごめんなさい。もう少しで終わります。

 『朝のガスパール』という謎の題名ですが、これはフランスの詩人アロイジウス・ベルトランの散文詩集『夜のガスパール』からモジられています(作曲家モーリス・ラヴェルに「夜のガスパール」というピアノ曲集がありますが、これもベルトランの詩集をモチーフにしています)。また、その詩の一部は『朝ガス』の冒頭に引用されています。
 そりゃいいとしてガスパールってなんだよ。その問いに対する答えですが、これは人名です。ペレックの愛読者なら即座に「ガスパール・ヴィンクレール(旧ヴァンクレール)」を思い浮かべることでしょう。
 「どこのガスパールさんだよ。リサの相方か?」悪魔だとかネズミだとか諸説あるなか、ベルトランが想定して書いていたのはどうやら東方の三博士(例のキリスト生誕に立ち会った皆さま)のうちの一人だったらしいです。「らしいです」と書くのは、ボクもベルトランを読んでないので。
 一方で、筒井康隆が想定していたのは悪魔です。「多くの読者にとって、あれは毎朝やってくる悪魔だったかもしれない」
 そうです。そうなんです。パソコン通信の読者にとっては、‟良い意味での”「悪魔」だったでしょう。しかし、大多数の購読者にとっては、‟悪い意味での”「悪魔」だったと思われます。
 一般読者からの投書に、こういうものがあります。『朝ガス』内から4つほど引用してみましょう。
「名前の入った登場人物が多過ぎる」
「単行本なら前に戻って読み直すこともできるのですが、新聞となるとそうはいきません。古紙回収に出してしまいます」
「(小説が突然)読者投書の感想会になってしまったのはなぜでしょう。何の前置きもなく小説が中断されて、とても不愉快です」
「話を中断するな。解説や苦労話はもうたくさんだ。早く続きをやれ」
 確かにおっしゃる通り。悲しいかな新聞は読み捨てられる運命にあり、よっぽど熱心な読者でなければ連載小説を切り抜いてスクラップなどしません。基本的に、新聞はその場限りのメディアです。朝の食卓やお通じのおとも、通勤電車のなかでの暇つぶしであり、保存に適していません。メタフィクションに親しんでいない読者にとって櫟沢の登場する③は蛇足以外の何物でもなく、②のストーリーを忘れさせる効果しかありません。
 現在のボクたちは1冊の本として完成された『朝ガス』を読むことができます。しかし、当時の新聞読者は、3つの世界を行き来するという複雑な小説を、こま切れの状態で毎日少しずつ与えられました。これはきつい。
 より多くの恩恵を受ける読者から順に並べると、以下のようになるかと思います。

 1.パソコン通信に参加していた読者。
 2.新聞をスクラップし、投書もしていた読者。
 3.単行本・文庫本を読む、現在の読者。
 4.連載当時スクラップも投書もしなかった、大多数の一般的読者。
 5.批判的な投書を紙上でさらされた読者。

 『朝のガスパール』は、新聞連載というメディアだったからこそ生まれた傑作ですが、大多数の購読者には充分に楽しめなかった点で、新聞小説としては失敗だったことになります。それこそが、『朝のガスパール』以後、誰もこの創作方法をマネしなかった理由かと思われます。

 最後になりますが、『朝のガスパール』はボクにとって筒井康隆の最高傑作であり、世界的に見てもポストモダン小説の白眉です。虚構と現実が浸食し合い、演劇用語でいうところの「第4の壁」が崩壊する快感を、あなたもぜひ味わってみてください。いつになくマジメな終わり方ですみません。

 あ、忘れてた。脱糞だ!



 清のことを書くのを忘れていた。(清=清水義範)
 パスティーシュの名手・清水義範は、短編集『バールのようなもの』(文春文庫)所収「新聞小説」のラストで、『朝ガス』の模倣をやっています。ちょっと紹介しておきます。


朝もバトルロイヤル
作 徳田康家

 どうしたことだ。読者からの反応がほとんどないではないか。担当Sの話によれば、今までのところ面白いです、という内容のものが一通と、頑張って下さいというのが二通あっただけで、作者に文句をつけるようなものは皆無だそうだ。
 そんなことではいかんではないか。おれは別に、作者にはげましのお便りを出そう、というようなつもりでこのパソコン通信を使った双方向実験新聞小説を始めたわけではないのだ。
 新聞小説に限らずすべての小説がそうだが、作者が一方的にメッセージを送るだけというのが従来のものだ。それを、読者の側からワイワイ文句をつけ、注文をつけ、喧嘩を売るという形の、双方向性を持った小説というのをやろうとしておるのだ。今はパソコン通信というものがあるのだし、新聞小説というのはそれをやるのにうってつけの舞台だと思ったからだ。
 読者というのは新聞購読料を払っている以上、金を払っているお客であり、お客ならばつまらんぞ金返せ、と言う権利を持っているのであって、おれはその権利を使ってくれと言っているのだ。(以下略)


 どうです、おもしろそうでせう。
 それではまた次回、お目にかかります。
 『虚航船団』つながりでバルガス・リョサ『緑の家』をやる予定だったけど、めんどうくさいから他の本をやると思います。
 おそくとも東京オリンピックまでには。



この記事に対するコメント


お気軽にコメントをお書き下さい











«  | ホーム |  »