とりぶみ
実験小説の書評&実践
【書評】筒井康隆『虚航船団』   (2015/02/28)
虚航船団 (新潮文庫)虚航船団 (新潮文庫)
(1992/08/28)
筒井 康隆

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 前々回は筒井康隆『残像に口紅を』を取り上げました。その第1章で、評論家・津田が、主人公の作家・佐治にこう語ります。
「さて、その一方で君は『超虚構』についての考えもどんどん実践しはじめていた。この前の長篇だ。ぼくは書評で褒めたけど、ずいぶん酷評もされたみたいだね。何しろ人間がひとりも登場しないで、けものだの日用雑貨だのが動きまわり喋りまくるという話だ。なるほどそういうことは現実には絶対に起こり得ないんだから超虚構には違いない。ただ、そういうものに絶対感情移入できない読者や批評家もいる。酷評に苛立った君は、現代人なら言語や記号にさえ感情移入できるようでなければならないと反論した。」
 作家・佐治勝夫のモデルは筒井康隆本人です。この、【この前の長篇】こそが、取りも直さず今回書評する『虚航船団』です。ここまでほぼ前回のコピペです。前回の書評は2014年11月30日。たいへん長らくお待たせしました。


イントロダクション

 『虚航船団』は賛否両論、好き嫌いがハッキリ別れる作品です。作家本人にとっては最も思い入れのある作品であり、ツツイスト(熱心な筒井ファン)の多くが「最高傑作」と評価します。その一方で、完読できない人も多く、評論家諸子から批判された作品でもあります。
 6年がかりで執筆され1984年に「純文学書下ろし特別作品」として上梓、原稿用紙換算ほぼ1000枚。どんな内容なのか。それは作家自らの解説が最も遺漏の無い梗概となっているので、エッセイ集『悪と異端者』所収の「自作再見──『虚航船団』」から、ほぼ全文を引用します。(初出は『朝日新聞』1991年5月5日)

「やはり『虚航船団』でしょうなあ」そう言って、本欄担当者と笑いあった。
 わが作品中でもっとも毀誉褒貶はなはだしかったのがこれであり、ほめてあるにしろけなしているにせよ、当時の珍妙な書評記事を並べるだけでこの欄は充分埋まってしまう。
 ここで過去のわが作品を弁護する気はまったくない。それがたとえ自分自身にとっていちばん意味深い作品であり、読み返すたびに短篇小説のアイディアが三つか四つは必ず得ることができるからといって、すべての読者にとっていい作品であるとはいえない。小説に関して、成功か失敗かの二分法による評価をおれは否定するものだが、それでもこの作品に関してだけは「失敗であるということさえ度外視すれば成功」という評言が気に入っている。
 第一章の舞台は宇宙船の内部である。乗組員はすべて文房具である。作者の一面をそれぞれ持つ各文房具の異常性ばかりがえんえん描写される。ここでまず、SF嫌いと、主人公にしか感情移入できぬレベルの者と、物語の展開だけを求めて小説を読む読者が疎外される。
 第二章の舞台はクォールという惑星であり、ここに棲んでいるのは流刑になったイタチばかりである。その一千年の歴史が地球の歴史のパロディの形で語られる。人間がひとりも登場しないことがはっきりし、ここで人間以外の者に感情移入できないレベルの読者が排除される。また、一章二章を通じ、多くのギャグの「とどめ」は省かれていて、読者の想像に委ねているため、過去のわがドタバタSFを期待した読者にとってこれは「サービス不足」であり、「面白くない」ことになる。
 第三章は文房具とイタチの戦いである。登場する者が多く、話は戦場のあちらこちらへと飛ぶ。それが誰の、どの話の続きであるかを説明するといったサービス──極端には作者が顔を出し「読者はもうお忘れであろうか」などとやる、サマセット・モーム先生の好きなあれ──などはいっさいしない(そのかわりヒモが二本もつき、巻末近くには文房具乗組員名簿もあるのだが)。したがって通常のエンターテインメントの如く漫然と読んでいても筋は追えるとたかをくくった読者は作品から拒否されてしまう。あたり前だ。そんなに気軽に消費されてたまるか。
 ではいったいどのような読み方が正しいのかと言われても、作者は困ってしまう。従来のツツイヤスタカを期待しないで読んでくれと言っても、それはおれの他の作品にも言えることなのだ。ここではただ、正しい読み方をしたと思えるひとの発言や証言だけをとりあげることにする。
「あっ。これはまるで、受験勉強の時に参考書を読んだ、あの時のようにして読まなければならないのだなっ」と思い、そのようにして読んだ作家・かんべむさしは決定的に正しい。(後略)

 これだけで「読みにくそうだなあ」と思われるかも知れませんが、実際読みにくいです。だからといって「読む価値がないか?」と言われれば、それは違います。『虚航船団』は筒井康隆の集大成であり、ツツイストならいつかは山頂に挑まざるを得ない雄峰、なのです。UFO!
「(10年前の大塚晩霜)すんませーん。数冊読んでみて、筒井好きになったんだけど、次に何読めばいいっスか。この、虚構?船団とかいうの読めばいいんスか」
(雄峰とUFOのダジャレを無視された恥ずかしさから顔を真っ赤にしながら)黙れ小僧! あと30冊読んでから出直してこい!
「(困惑)さ、30冊スか。何読めばいいんスか」
『ウィークエンド・シャッフル』『バブリング創世記』『薬菜飯店』『旅のラゴス』『文学部唯野教授』あたりを読んだらいかがですか。『虚航船団』は1番後回しでいいです。卒業試験として取っておいてください。
 さて。それでは本格的に解説していきます。いくつかネタバレしますが、ちっとやそっとネタバレした程度で価値が揺らぐような貧弱な作品ではありませんのでご安心ください。




第1章について

 まず、第1章。総勢42名(25種類の雲形定規は1名とカウント)の文房具が登場し、その性格が描写されます。宇宙船に乗っている文房具は他にもいる(+19)のですが、彼らはモブキャラなのできちんと描写されることはありません。
 文房具はほぼ全員気が狂っています。これは言わば作者の精神のさまざまな負の部分を、極端にデフォルメして各文房具に投影したものであります。いいですか。たとえば色情狂の側面が糊に、喧嘩っ早い側面はホチキスに、天皇妄想は消しゴムに──作者が持つ多面的な性格を、一個一個取り出して、それぞれ拡大し、文房具に寄与したのです。ここで勘違いしていただきたくないのは、「作者筒井康隆は異常者」といっているのではなく、人間なら誰しも持っているネガティヴな側面を誇大表現しているということです。あと、実際の精神病患者にも取材しています(『暗黒世界のオデッセイ』所収「乱調人間大研究」や『欠陥大百科』所収「精神病院」に詳しい)。
 全文房具について詳述しようと思いましたが、wikipediaに素晴らしいまとめがあったのでリンクを張ります。こちらです。
 この第一章は群像劇であり、序盤は各文房具の異常性が延々と描写されていくだけです。
「コンパス(新潮文庫版8ページ。以下同)」「ナンバリング(13)」「糊(20)」「日付スタンプ(28)」「ホチキス(34)」「輪ゴム(40)」「消しゴム(50)」「下敷き(56)」「雲形定規(61)」「分度器(66)」「三角定規(兄・弟)(72)」「赤インク(79)」「虫ピン(86)」「パンチ(86)」「肥後守正常(93)」「筆の毛頴(99)」「チョーク(101)」「ルーペ(107)」「硯の陶泓・ペン皿(129)」「封筒・便箋(133)」「金銭出納簿(152)」「紙の楮(171)」。
 彼らの精神分析が次々に提示されるばかりで物語の発展はありません。「主人公にしか感情移入できぬレベルの者と、物語の展開だけを求めて小説を読む読者が疎外される」ことになります。しかしここでくじけてはいけません。各文房具に感情移入をし、メモを取りながら読むのが最善策です。ここで文房具たちに感情移入しておくことによって、第三章が至福の饗宴となりますので、どうか頑張ってください。「メモを取るなんてめんどくせえ」という方は、こちらのブログが非常にまとまっているので参考にしてみてはいかがでしょうか。
「この文房具たちって文房具そのものなんですか? それとも擬人化された文房具ですか。宇宙船に乗って人間みたいな動きをしてますから、まあ、そうなんでしょうね」
 いい質問ですねぇ!(池上彰) そこがまた難しい問題で。文庫本表紙では擬人化されていて目や手足もついていますけど、一概にそうとも言えません。ある局面では文房具そのものでもあり、映像化の難しいところです。小説の登場人物には具体的なイメージが必要だという向きは、思い切って萌え絵にしたこちらの漫画をご覧ください。彼らの性格を知る絶好の副読本ともなっていますので、少し読んで挫折した方はこの漫画で第1章は済ませてください。「まんがで読破」のノリです。




第2章について

 第2章、これは小説というより世界史そのものであり、文房具たちが攻撃を仕掛ける「クォール星」の歴史が綿々と書かれています。この第二章について、作者はこう書いています。(『言語姦覚』所収「プライベート世界史」より引用)

 今、世界史を書いている。歴史小説ではなく、歴史を書いているのである。世界史のパロディではなく、世界史なのである。少くとも書く方では、そのつもりで書いている。
 独特の歴史認識とか史観とかいった大層なものがなくとも、人はすべて自分なりの世界史を書くことができるのではないかと、そう思う。「誰でも」が乱暴なら、少くとも作家なら誰でも、と、そう思う。作家であれば、彼が学校で学んだ程度の世界史を漫然と思い出しつつ書いていくだけで相当に面白いものができるのである、と、そう断言してもいいくらいだ。というのは、そこにはその作家が、教科書に限らず人から聞いた話、読書で得た知識などのうち、彼が衝撃を受けたり強く印象に残っていたりする世界史的事実の断片が否応なしに加えられていくであろうからだ。そこには彼の自我によって取捨選択された歴史的事実が年代順に列記されることになる。(略)したがって彼が世界史を書けば、どうしようもない虚構構築力によって彼の主幹の側面から世界史を虚構化することになり、おそらくは本人さえ予想できなかったような面白い作品が生まれるのではないだろうか。
 もちろんこれは自分が今書きつつある作品に対して希望する楽観的な予測に過ぎない。さらにまたそれは本当のところ小説の一部、単に一章の中に納められてしまうわずか三百枚の分量のものに過ぎない。(略)
 さて、その三百枚のうちの二百枚を書きあげた今、読み返してみると、それはたまたま世界史を残虐性の側面から眺めたというていのものになっている。(後略)

 どんな風な文章なのかちょっと冒頭を引用してみましょう。(178ページ)

 グリソンの群れがモノカシラ山脈(主峰戒幻山二三〇八米)を超えてメスカール地方へ侵入してきた時からクォールの歴史は始まったといってよい。十種類に及ぶ鼬族が各地に分散して棲んでいるメスカール地方の統一こそクォール全域支配のための必要条件であるといえた。メスカールはクォール南半球の大部分を占める南方洋へ北半球の北方大陸より突出したクォール大半島の、中央部から西部にかけて拡がる平野であり、唯一の山は大半島中心部のターター湖北岸に立つジョウント山(一二〇六米)である。

 作者自身の思い入れが強い章ですが、読まされる方はたまったものではなく、まさしくかんべむさしが行なった「受験勉強の時に参考書を読んだ、あの時のようにして読まなければならないのだな」を実践せねばなりません。多くの読者がここで挫折します。この章を読むことによってクォール星に関する知識が深まり、クォール星を舞台とした第三章をより面白く読むことが可能となりますが、第三章まで辿り着かずに本書を閉じるのはあまりにも勿体ないので、「無理すんな」とだけ申し上げておきます。耐え切れなくなったら潔く全部すっ飛ばして下さい。第一章は必読ですが、第二章は読まなくとも何とかなりますので。
 ただ、この世界史を書いているのが誰なのか知っておけば少しは読む気も起こるかも知れませんので、ネタバレしておきます。この世界史は文房具のひとりが著しています。
「いやいや、あたしはしっかり読み切ったわよ。なんかないの、他に情報は」
 そうですね、マニアックなところをちょっとメモ程度に並べておきます。
 ・185、206、318ページに登場する残虐な処刑方法「トリオセ・メンデフラ」の元ネタは「セルジオ・メンデス・トリオ」だそうです。(うろ覚え)
 ・194ページ「流刑囚であった先祖がこの星へ持ちこんできたあらゆる書物」は374ページで言及されます。
 ・217ページ「赤裸にされた母と子が城門の……」は「祖母と孫」の誤りです。同様に232ページ「このころドストニアでは、西岸ではイイヅナと戦いながらも……」は「メスカール」の誤りです。これらの誤りは作者の単なるミスなのか、作中人物のミスなのか、ちょっと不明です。
 ・258ページ「評議府議長の大司教コンタチバ」は368ページでも言及。
 ・272ページ「憤怒の形相凄まじいペンの頭部はその後長く保存され現在は王室博物館の片隅(五号館一九六ケース)に飾られている。」は、373ページで下敷きと兄三角定規が目にする剥製です。
 ・280ページ「895年6月4日」の処刑広場は、406ページで金銭出納簿が飲んだくれる場所。
 ・293ページ「クォール史上初の宇宙船開発研究の記念」は458ページに再登場。
 ・295ページ「ユビータ」という幽霊は404ページで金銭出納簿が悩まされます。
 ・298ページ「タイラのゴオモリ」像は411ページで再登場。
 ・327ページ「他民族は女とみれば犯し子供も含めすべての者の掌に穴をあけ数珠つなぎにして戦車で引きずりまわし」のプロパガンダは432ページで糊に関する噂として再登場。
 ・340ページ「オビ山」は410ページで第7方面軍が戦闘をする場所。
 ・345ページの人工衛星群は506ページでオオカマキリたちの死因となる。
 ・執筆当時はちょうどロッキード事件が盛り上がっているときであり、田中角栄の演説のパロディが比較的長く展開されます。




第3章について

 第1・2章を我慢して読んできた読者には、ここですばらしいカタルシスが待ち構えています。惑星クォールの全住民を殲滅せんとする文房具たちと、「天空よりの殺戮者」に抗戦するイタチ族との戦争が描かれますが、これがめっぽう面白い。特に第1章で文房具たちに親近感を抱き、第2章でクォール星の歴史を深く学んだ読者ほど、より豊かな恩恵に浴することができます。
 ただ、作者が「登場する者が多く、話は戦場のあちらこちらへと飛ぶ。それが誰の、どの話の続きであるかを説明するといったサービスなどはいっさいしない」と言っているとおり、時系列や舞台がバラバラであり、慣れないと読みにくく感じるかも知れません。これはペルーの作家マリオ・バルガス=リョサ『緑の家』の手法を援用したものです。(筒井氏が直接影響を受けたのは『緑の家』で間違いないだろうけど、元祖はフアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』でしょうか。もしくは(未読なので推測になりますが)『失われた時を求めて』もそうなのかしら。あとは映画でもよく使われていますね。夢や二重人格をテーマにした、時系列の複雑な映画に多い気がします。)
 どこがどうつながるか、メモをしながら読むのが良いと思います。バラバラになっている時系列を一本の線としてつなぎ合わせていく愉しさがあります。一番良いのは、その段落が次にどの段落(行替えがされず、地続きのまま場面転換されていることも度々ある)につながるのか、ページ数を本に直接書き込むこと、でしょう。
「本を汚したくないよー。ブックオフに売るつもりなのに、買取り価格下がっちゃうよー」
 そういった方に対しては私のメモを開陳するのでご参照ください。(数字はそれぞれ「ページ」「行」)
365,6 → 388,1
367,3 → 389,17
370,12 → 506,3
373,14 → 521,6
376,2 → 392,7
377,17 → 480,3
380,6 → 477,1
383,10 → 474,16
386,6 → 498,10
387,18 → 398,18
388,14 → 412,3
389,16 → 428,5(506,3)
391,2 → 429,2
394,15 → 456,16
396,14 → 471,6
400,1 → 451,11
401,18 → 421,10
412,2 → 520,1
412,16 → 446,2
418,13 → 420,12
418,14 → 384,9
420,11 → 515,10
423,14 → 450,11
428,4 → 437,11
431,17 → 520,1
437,10 → 556,5
444,3 → 464,7
446,1 → 480,17
446,15 → 566,12
450,10 → 463,5
451,10 → 466,1
456,15 → 496,1(467,10)
459,2 → 558,10
462,5 → 468,13
463,5 → 469,10
464,7 → 475,9
464,15 → 467,10(533,5)
466,1 → 501,4
467,9 → 509,4
468,11 → 473,12
469,10 → 530,2
471,6 → 472,8
472,16 → 493,2
473,12 → 370,13
474,16 → 504,16
477,1 → 511,1
477,11 → 482,1
480,3 → 483,5
482,1 → 500,8
482,15 → 466,1
485,16 → 487,7
489,5 → 492,4
493,2 → 494,9
495,4 → 460,15
497,1 → 518,14
500,8 → 385,8
504,1=433,10
506,3 → 527,15
509,4 → 534,12
510,6 → 516,10
515,10 → 449,10
516,10 → 384,9
516,16 → 537,5
520,1 → 523,6
521,6 → 529,10
521,15 → 522,10
523,6「悪夢は実現した(59,17)(396,3)」 → 531,5
524,3 → 525,12
525,12 → 532,11
531,5 → 535,17
533,5 → 560,10
533,17 → 534,5
538,17 → 388,1

 ──ふぅ。我ながら労作でしたが、これを実際に参照する新規読者はまず居ないでしょうし、すでに読了している古参読者からは「野暮」の一言で済まされそうなので、今とても死にたいです。
 さて。第1章を精読してきた読者は、文房具たちの大活躍に拍手喝采をしたくなるでしょう。文房具たちは戦闘力が非常に高く、そしてまたやたらと人間くさく、自然と応援をしたくなります。
 さらに、第2章を受験勉強のような心持ちで読破した読者は、一千年の歴史を有するイタチ族が殺戮されていく様子に同情するに違いありません。
 文房具とイタチ、どちらかと言えば私は文房具に肩入れしてしまいます。イタチ族の方が我々地球人とほぼ同じ歴史を生きているから共感もしやすそうですが、個々のキャラクターが強烈な文房具の方により強い好感を抱きますね。
 息をもつかせぬ展開。圧倒的な戦闘力を持ちながら、大群のイタチを前にし、一人また一人と斃れていく文房具たち。イタチたちの抵抗。雌イタチとコンパスのラブロマンス。──完全なる虚構であるにも関わらず、感情移入せずにはいられぬドラマがそこにはあります。
 とにかくまあこの第3章はベラボーに面白いわけですが、小生どうしても納得のいかない部分がございまして、それで「筒井康隆の最高傑作は『虚航船団』である」と声高に言えないのであります。ツツイストの方々に怒られてしまうかも知れませんが、勇気を振り絞って書きます。
 それは、筒井康隆本人が作中に乱入するという場面です。
 手垢で汚れたメタフィクションの手法だから気に食わないのではありません。文房具とシンクロして挿入される辛かった日々の回想は胸に響きますし、ハムスターが冬眠から目覚める場面は春が来て目の前がひらけたかのような開放感があります。日常描写が徐々に頻度を増し、現実が虚構を少しずつ浸食していく効果は認めます。しかし、542ページから556ページに掛けての一気呵成の長丁場、あれは失敗です。クォール星で繰り広げられる超虚構にどっぷりと浸かっていたのに、現実世界の差末事をこまごまと書かれてしまいますと、せっかく物語世界に没頭していた気分が一瞬のうちで台無しにされます。あの饒舌体のナンセンスな長文は、『虚航船団』の直後に書かれた短編『春』だけで充分です(『春』の成立に関しては『玄笑地帯』の「突発性大量創作症候群」に詳しい)。
 もっと言えば539ページから542ページに掛けての、コンピューターに作らせた新しい言語も効果的ではありません。もっと短くていいし、なんなら『玄笑地帯』の「コンピューターは馬鹿か」の1回限りのネタでよかった。
 現実と虚構の融合という点に関しては、次回の書評対象『朝のガスパール』が完璧であるがゆえ、比べてしまうと『虚航船団』は試作段階であると言わざるを得ません。
 ──と、ツツイストの神経を逆なでにする批評をかましたのは、『虚航船団の逆襲』にスムーズに話頭を転ずるためです。だから怒らないでください。




『虚航船団の逆襲』について

 『虚航船団』はすさまじい作品であるし、第3章は無類の面白さを蔵しています。にも関わらず、方々から非難もされました。
 そこで筒井康隆が評論家に反撃したのが『虚航船団の逆襲』です。当時、作家が評論家に反撃するというのは珍しいことだったので話題になりました。本も売れたようです。筒井氏の日記『日々不穏』から1984年の記述をいくつか抜きましょう。
 「11月28日(水)中央公論社の新名新氏より電話。『虚航船団の逆襲』がまた増刷とのことである。発売後1週間足らずで5万部とはありがたい。当然ベスト・セラーのリストに入るであろうが、『逆襲』された連中にしてみれば苛立ちの種であろう。書店では『虚航船団』と『逆襲』を並べて売っているそうだ。」
 「12月4日(火)中央公論社の新名君、『虚航船団の逆襲』が売れていることを教えてくれる。営業では本篇の『虚航船団』を抜くといって、はりきっているらしい。」
 「12月10日(月)新名君から電話で、またしても『虚航船団の逆襲』が増刷とのこと。」
 というわけで非常に売れ行き好調なわけですが、この本は筒井康隆作品としては実に完成度の低いエッセイ集でして、肝心の『逆襲』部分は全体の6分の1しかありません。あとは随筆とか書評とか演劇についてです。これが何でまたベスト・セラーになってしまったのか、リアルタイム読者ではない自分は想像するしかないのですが、「① 話題作『虚航船団』の、本編よりもコンパクトな続編と勘違いされた」もしくは「② 評論家に喧嘩を売っているという話題性が先行した」のではないかと思います。普通に考えて、そんなに売れる本じゃない。私は今回の書評のために古書店から取り寄せましたが、さっぱり役に立たなかったので恨み節としてここに記しておきます。




エピローグ

 いくつか不満点も挙げましたが、非常に堅牢かつ独特な世界観を造り上げた傑作と言えます。ポストモダニズム文学らしくタイポグラフィや図表の挿入も多く、奇書好きにはたまりません。クォールの地図(単行本では鉛筆書きでした)は言わずもがな、ナンバリングの数列羅列、消しゴムや雲形定規の表象、ホチキスがココココと吐き出す針など、ビジュアル面でも楽しい。読まずとも手元にあれば嬉しい1冊ですね。
 それでは以下、落ち穂拾いとして豆知識を数点。
 61ページ。附属冷艦カマキリ号は、100枚ほどのスペースオペラにするつもりだったがストーリーは完全に忘却してタイトルだけが残った「冷艦カマキリ号」を転用しています。(『着想の技術』所収「着想──わが『できそこない博物館』」参照)
 108ページ。ルーペが幻視する光景は406ページに現前します。
 そして160ページ、第1章最大の謎。まったく脈絡のないところにゴールキーパーが登場します。以下該当箇所の引用。
「会議用テーブルの表面から数十センチの宙に船内重力にさからおうとするかの如き動作を見せて縞のシャツを着た男があらわれる。鋭い眼をさらに見ひらいたままのその男は楕円形のボールを手に持ち野太い声で『ゴールキーパーだ』と叫ぶなり消失する。あれは誰だと船長が叫ぶ。ゴールキーパーでしょう。自分でそう言いましたからね。(略)ゴールキーパーなどという者がだな、どうして、この文具船の、しかも作戦会議の最中にテーブルの上へ出てこなければならないのだ。目茶苦茶ではないか。ああそうですな。目茶苦茶ですな。(略)戦争ともなれば目茶苦茶はいくらでも起こり得るんだ。あいつはいつでもどこへでも出現しますぜ。戦争の最中にまたきっとボールを抱いてあらわれるでしょうな。」
 これに関して筒井康隆は『玄笑地帯』の「裏声で歌へますか君が代」にこう書いています。
「目茶苦茶な小説を書くというのはたいへん難しいものである。行きあたりばったりに書いているつもりが知らぬ間に起承転結首尾結構整ってしまったりする。ある程度目茶苦茶をたくらまなければ目茶苦茶はできないというが、計算し過ぎた目茶苦茶は破壊力がない。『このことはのちに詳述する』と書いておきながら最後までそのことに触れない、というのも目茶苦茶の一種であろうが、書きながら、ともすれば『しかしこの手法はこの小説の中では数種類しか使えないだろうな』などと、もはや計算しておるのだ。馬鹿が。くそ。さらにまた小説の主人公たちが真面目な会議をしているその席上、突如テーブルの上へ野球の審判があらわれて『ストライク』と叫ぶなり消える。目茶苦茶である。主人公たちでさえあまりの目茶苦茶にあきれ果てて『目茶苦茶だ』などとつぶやくほどである。しかしこの審判の出現はひとつの小説の中でせいぜい2回だな、それ以上出現させてはギャグとして下品になどと、あっ、もうすでにそのようなことを考えておるわ。それがいかんのだ。馬鹿が。くそ。」
 で、実際に2回登場します。2回目は物語の展開に影響を与えてしまいます(503ページ)。
「隊員がほっとする間もなく隊長は怒鳴る。『ほっとしていてはいかんのだ。旋回だ。旋回だ』旋回して間もなく、コントロール・パネルの上に縞のシャツを着て楕円形のボールを持った男が出現する。『ゴールキーパーだ』と叫ぶなり消失したその男に対し隊長赤鉛筆はその突拍子のなさ非現実性並びに無責任ぶりをえんえんと糾弾しはじめる。しかし今艇は海岸めざして降下中だ。乗組員全員がそのことに注意を払わずゴールキーパーの出現について意見を述べはじめた。」
 それから、「『このことはのちに詳述する』と書いておきながら最後までそのことに触れない、というのも目茶苦茶の一種であろう」というのも第1章に該当する箇所があります。コンパスと、消しゴムについてです。
「なぜ彼が勤務中に便所へ立つ回数が多いのかという疑問及び彼が船内の便所で用を足そうとする時の一種の儀式めいた珍妙な仕草は船内の話題になっているほどだがこれはのちに詳しく述べる機会があるだろう。」(10)
「コンパスはいつの間にか自分が用便時の儀式を行わなくなっていることにまだ気づいていない。したがってあの奇怪で珍妙な仕草に関する記述の機会はどうやら永遠に失われるようである。」(382)
 消しゴムに関しては、消しゴムが件の記述を自ら抹消したことになっています。(なお、以下の文章は「消しゴムには天皇妄想があり、直接話しかけても聞く耳を持たない」ということを念頭に置いてお読みください。)
「第三者が消しゴムに話しかける際の複雑でやや卑猥な動作や消しゴムがそれに答える時の独特の淫靡な身振りと表情についてはまたのちに述べることとしよう。」(53)
「日付スタンプは緊張のあまりいつもの笑いを笑いながらのち詳述する奇異な儀式ののちに奏上する。『あー。わたしは今しがた尊き陛下が何ゆえこの者たちをここへお連れ遊ばしたか伺いたいと斯様申しておる誰かのことばを聞いた』消しゴムはのち詳述する奇異な儀式ののちに答える。」(415)
「してみるとここで死ぬことになるのであろうか。それが筋書きなのであろうか。おお。案の定だ。手っとり早く次頁に眼をやればそこには彼自身の死を念入りに活写した十数行がちらと見える。死を活写するとはこれいかに。あれを否定しなければならんぞ。それだけは。その部分を消さねば。本来の用途に従って消しゴムはその描写を消す。それによって彼自身も消えてしまう。彼自身に附随するいくつかの事柄、例えば奏聞に答える前のあの奇妙な身体による儀式についての事柄やそれから」以下約1ページ白紙。(490)

 唐突ですが終わりです。ご清聴ありがとうございました。
 次回の書評は予告通り『朝のガスパール』です。



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