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【書評】筒井康隆『残像に口紅を』   (2014/11/21)
残像に口紅を (中公文庫)残像に口紅を (中公文庫)
(1995/04)
筒井 康隆

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 前回の『猫舌三昧』書評の際に書き忘れましたが、柳瀬尚紀は筒井康隆から著書を贈呈されています(「真夏の夜の天狗」の回を参照)。
「もう一通、文が届く。筒井康隆『天狗の落し文』。着想全開の人の最新作。(略)一篇だけ紹介すると《画家たちの喧嘩》では、《「あやまれ。さモネえと」「おう。やってミレー」》と始って、《「よくもやっターナー」「ムンクあるか」》という具合に二十二人の画家が入り乱れる。」と紹介しておいて、柳瀬氏自らはオリジナルをも凌ぐ作家バージョンを披露します。

「とにかくダレル瞬間がちらりともない」「最上質の一桝漫画(ひトマスマンが)といおうか」「それをいうなら一こま漫画とイェーツの」「こういう作家例(サッカレー)は実に稀だ」「しかし人類の高貴な知恵屠(チエホフ)ってしまう危険も」「エーコというね」「でも資質が実にドライサー」「野球でいうならフィールディングが軽快」「確かにネクラーソフな人じゃない」「わかっトルストイっくな面もあるがね」「誉メロスごい人物だよ」「老若男女醜女別嬪(べっピン)チョンガーにもお薦めだ」「枕辺蹴っ飛(ベケット)ばされたような刺激が快い」「それにしても今夜はジッドり汗ばむ」



 両氏の最初の出会いは1987年5月。そのとき行なった対談「幻語論講義」と、1年に及ぶ長文の往復書簡(3回、計6通)、そして2回目の対談「突然変異的虚構講義」を収めたのが、今回取り上げるはずだった『突然変異幻語対談』です──「はずだった」というのは、一旦取り組んでみたもののどうも書評としての厚みが出なくて頓挫したからです。
 当時、柳瀬尚紀は『フィネガンズ・ウェイク』の翻訳中、筒井康隆は『歌と饒舌の戦記』『文学部唯野教授』『残像に口紅を』などの長編小説を量産、いわば双方とも円熟期を迎えておりました。そこへ、この文学手交流によって奇才同士多大に刺激を与え合いました。
 筒井康隆は第4信「『言葉の消えていく小説』について」にて、構想中の長編小説について解説します。以下、引用。

「何が書かれているか」にしか興味を示さぬ読者の首を「いかに書かれているか」の方へ無理やりにでもねじ曲げようとして作家は苦労します。一方、最近では「いかに書かれているか」のみに興味を示す批評家が多く、感情移入すべき小説に彼らを感情移入させようとして苦労したりもします。小生のようなタイプの作家はどうしてもこの二律背反に悩むことになります。これを解決しようとしていろいろ考えた末、冒頭で書いた「非文学的労力」を必要とする長編に思い到りました。第一信を拝読してのちにいろいろと自分なりに考え、ご返事を書き終えてから着想を得たものです。(略)これは「世界からことばがなくなっていく小説」です。正確には「音がひとつずつ消えていく」話です。のっけから、すでに「あ」という音なしで話が始まります。作者は「朝」も「足」も「愛」も「赤い」も「あなた」も「…である」も「…であった」も使えません。それどころか「あ」の長音つまり「カード」も「カーテン」も「麻雀」も「ラーメン」も使えません。さらに外来語の小字としての「ファン」や「ヴァイオリン」も駄目。第二章、第三章と、章立てごとに音がひとつずつ消えていきます。最後には音がなくなるわけですが、どんな結果になることやら自分でもまだわかりません。


 これこそが今回急遽取り上げることとなった筒井康隆の長編小説『残像に口紅を』の誕生秘話です。柳瀬尚紀の過激な言語実験に触発され、内容よりも形式に特化した作品に挑戦し始めたのです。──なお、近刊の『創作の極意と掟』においてはまた別の創作秘話を明かしています(「実験」の章、ジョルジュ・ペレック『煙滅』についての記述から抜粋)。
「(『煙滅』は)全篇『e』の字をまったく使わないで書かれている。フランス語でいちばんよく使われる『e』を使わずに長篇を書いてしまうなど、とても不可能と思われるのだが、ペレックはそれをやってしまった。(略)こういうものをリポグラム、日本語では文字落しというのだが、この作品が翻訳されるだいぶ前に、フランスで『e』を使わない長篇が書かれたと聞き、小生はこれに挑戦するつもりで『残像に口紅を』という長篇を書いた。」
 ん?『残像に口紅を』は、柳瀬尚紀に触発されて着想した?それとも、筒井康隆が自力でひらめいた?どっちだよって感じですが、筒井氏は第2信ですでに以下の通り述べていますので、おそらく漠然とした構想はあったのでしょう。

さて、ぼくが次にしようとしていることは、感情移入の対象を、単に無機物である文房具などにとどめることなく、他ならぬ読者をその感情移入へと導くべき言語、その言語そのものに対して行おうという企てです。これは『虚航船団』における文房具を「記号」と解釈した人がいて、ぼくが「記号に対してすら感情移入できるようでなければならない」と口走ったことがきっかけとなっています。より記号的な「言語」に対して、さらには「音」に対して感情移入すること、さらにそれを読者に納得させることは尚さら難しいと思いますが、(以下略)」

 ここからは私の想像ですが、筒井康隆はジョルジュ・ペレックの『煙滅(当時は『失踪』もしくは『消失』)』の噂を聞き、こういう思考回路をたどったのではないでしょうか。
「日本語でやるって言ってもなー、アルファベットの母音5音に対して仮名はその10倍くらいあるから難易度低いよなー。ア段の音を全て使えないようにしてみたら助詞「が」「は」や、過去形とか使えなくて不自然な文章になるしなー。かといってイ段の禁止だけじゃあんまり面白くならなさそうだし、まんまペレックの真似になるよなー。それに、日本じゃそういう言語実験は遊戯と思われがちであんまり歓迎されないよなー。どうすっかなー。やっぱやめとくかなー」
 と思っていたところ、柳瀬尚紀の無茶苦茶ぶりに鼓舞され、「柳瀬さんがあれだけおぞましい翻訳を好き放題してるんだから、おれだってもっと大胆に攻めたって良かろう」「言語への感情移入、やっぱりやろう。大変そうだけど、実りある実験になるはずだ」「あ。すげえこと思いついた。リポグラムはリポグラムでも、ちょっとずつ使える音が減っていくってのはどうだ。徐々に消えていく音たちへの愛惜の情も生まれるだろうし、最後の方はたった数音しか使えなくなってすさまじい文章になるはず。ひょっとして自分は天才なんじゃないか。ぬは、ぬは、ぬはははははは」と、あくまで想像の域を出ませんが、筒井康隆はそう考えたのではないでしょうか。
 しかしそこは人気作家のつらいところ。『残像に口紅を』は連載小説として書かれねばなりませんでした。何が大変って、締切が何度も存在することと、どれくらい面白い作品になるか作者自身にも予測ができないこと。そして最も大変なのは、本当に完成できるかどうか判らない重圧にさらされ続けることです。書き下ろしなら事情も違ったでしょうが、デビュー以来常に売れっ子作家である彼には『残像に口紅を』だけに時間を割く余裕はありませんでした。その他の連載や原稿依頼をいくつも抱えながら、異常に手間の掛かる本作をやり遂げねばならなかったのです。おかげで連載終了後は胃に穴が開いて下血し、一カ月ほど入院を余儀なくされました。
 この辺の消息は日記『幾たびもDIARY』に記録されています。最初は大きな苦労をしていなさそうですが、章が進み使える音が減少していくにつれ、日記の中でも産みの苦しみが増していきます。以下、該当箇所だけを適宜抜粋(精読しなくて結構です)。

(1988年)
 4.23 「残像に口紅を」第4回脱稿。
 5.10 中央公論「残像に口紅を」第5回、書き始める。消えた音はすでに14。残りの音で文を書き綴る。しんどい。
 5.13 「残像に口紅を」の使えぬ音が16となり、苦しむ。今日からは数日、これにかかりきりとなるので日記どころではない。
 5.18 「残像に口紅を」第5回脱稿。ワープロで打っているので、書きあげても脱稿という気にならない。
 8.9 「残像に口紅を」の第2部執筆に突入。使える音が半分に減少し、平均して1行に7、8分かかる。締切日に間に合わぬおそれがあり、好きな本も読めぬ状態。先月はすでに『噂の真相』の連載を落としてしまっているし、この「残像に口紅を」も1回休載させてもらっているのだが。
 8.10 「残像に口紅を」書き続ける。音が減ると、いつもの自分用慣用句が使えない。愛欲場面を書いているのだが、通常の隠喩が使えない。勢い、即物的な表現に奇妙奇天烈な表現が混って不可思議の文章となる。自分の内部に隠れた部分を発掘する作業をしているのかもしれない。
 8.20 「残像に口紅を」第7回はまだ脱稿せず、今や1行書くのに十数分かかる。そこへもってきてワープロの電源をうっかり切ってしまった。バックアップを呼び出したら違うものが出てきて、いちどに胃が痛くなった。あのう、胃には5秒で穴があくというのは本当ですよ。2日分の仕事を消しちまったのだ。なんてことだ。ああ。
 8.24 夕刻、「残像に口紅を」第7回をようやく脱稿。発送。
 9.9 終日「残像に口紅を」執筆。
 9.11 終日「残像に口紅を」執筆。
 11.4 まだまだ読みたい本はいっぱいあるのだが、しかたがない。そろそろ原稿にとりかかろうか。これ以上連載に穴をあけると、胃に穴があく編集者が出るからな。/といっても、書くべきものが多過ぎて、どれから書いてよいやら。とりあえず『中央公論』誌「残像に口紅を」第9回だけは、もう10枚分ワープロを叩いている。1枚分のみ、ワープロを叩く。
 11.5 「残像に口紅を」1枚書く。/「ダンヌンツィオに夢中」1枚書く。/「傾いた世界」1枚書く。/この日記、1枚書く。/気が散って一作に集中できないのだ。
 11.6 「残像に口紅を」1枚書く。/「ダンヌンツィオに夢中」1枚書く。/「傾いた世界」1枚書く。/この日記、1枚書く。
 11.14 「残像に口紅を」1枚書いて23枚となる。
 11.21 徹夜2日め。/「ダンヌンツィオに夢中」は66枚となり、朝がた9時半、ついにダウン。/少し寝る。/「残像に口紅を」を早く仕上げないと、なにしろすでに使用できない音が34、5にも及んでいるため校正が大変だと思い、午後2時に起床、ワープロに向かう。
 12.4 「残像に口紅を」書く。/『世界終末戦争』を読む。
 12.5 「残像に口紅を」書く。/『世界終末戦争』を読む。当分これが続きそうだな。
 12.7 「残像に口紅を」書く。/『世界終末戦争』を読む。やっと半分である。
 12.16 「残像に口紅を」がやっと30枚に達し、第10回目を脱稿。
 12.19 「残像に口紅を」の続きにとりかかる。最終回は単行本初収録となるため、連載終了時からあまり間を置かずに発売することが必要とのことで、完結をいそがねばならない。
 12.23 中央公論社、新名氏来宅。来年4月に出版予定の『残像に口紅を』の「仕掛け」について打ちあわせをする。造本上の仕掛けである。どのような仕掛けかは、現物お買求めの上しかとお見届けを。

(1989年)
 1.6 静かな正月だった。おれはずっと国語辞典をばらばらにして切ったり貼ったりの、「残像に口紅を」のための辞書作り。
 1.11 「残像に口紅を」第11回をワープロで書き続ける。20枚書いて、あと少し。
 1.13 「残像に口紅を」第11回は24枚で脱稿した。これにて第2部が終了。第3部は単行本化の際の書き下ろしとなるため、これで連載分は終ったわけだ。ただし第3部十数枚は、22日に堀間君が来宅するため、それまでにやってしまわねばならず、続けて書くこととなる。もはや残る音が21個(「い」「う」「お」「か」「く」「こ」「が」「さ」「し」「た」「つ」「て」「だ」「な」「に」「の」「は」「れ」「わ」「を」「ん」)なので、正確には19音または20音)となり、苦しむ。
 1.19 「残像に口紅を」は、ついに残る音が6音(「い」「か」「が」「た」「だ」「ん」)となり、四苦八苦する。たった3行書き、頭ががんがんし、眼がまわってきたので、あわてて書店へ出かける。
 1.20 「残像に口紅を」は、ついに残る音が5音(「い」「か」「が」「た」「ん」)となって苦しむ。たった3行書き、気分を変えるため『噂の真相』誌の「笑犬樓よりの眺望」6枚を書く。
 1.21 帰宅後、「残像に口紅を」を書きあげる。1年かかって長篇がついに完成。祝杯をあげる。
 1.22 中央公論社の平林、新名、堀間三氏が来宅。「残像に口紅を」最終稿を渡し、出版の打ちあわせ。単行本には読者がアッと驚く仕掛けを施すので、主にその話である。
 3.11 今日から『残像に口紅を』のゲラなおしを始める。月曜日に到着するように新名君から頼まれていたのだが、案外時間がかかる。
 3.12 『残像に口紅を』は、迂闊に校正できない作品であることを思い知らされる。ますます時間がかかり、明日の中央公論社到着はおぼつかなくなってきた。

 なんだか書評というより関連文献の引用の集積みたいになってきましたが、さらに引用します。しかもかなり長いやつを。『読売家庭版』1989年10月に掲載されたコラム「返品保証作──『残像に口紅を』」を丸々引き写します。(単行本『悪と異端者』所収)

 ことばが少しずつ消えていく小説を書こうと思い、長篇を書いた。
『残像に口紅を』というこの小説の第1章ではまず「あ」の音が消えている。小説の中では「愛」も「あなた」も「足」も使えなくなる。「愛」ということばだけではなく、その意味もなくなってしまうのである。
 さらに「あ」の音引き、つまり「マージャン」や「ラーメン」もなくなってしまう。同じようにして第2章では「ぱ」が消え、主人公は朝食に「パン」が食べられなくなる。次いで「せ」「ぬ」「ふ」という具合に、次つぎと音が消え、世界からことばが失われていく。
 最後にはことばが全部なくなって終わるのだが、後半ではなくなったことばの言い換えがきかなくなり、苦労した。言い換えようとすることばも失われていたからである。
 「完結するのか」自分でそう思い、冷や汗をかいた。雑誌に連載していたからだ。連載途中で「作者が以後を続けること不可能となりましたため、これにて連載を中断いたします」では、プロとしてあまりにもみっともない。
 ワープロを使い、消えた音のキイを叩いてしまわぬよう、そのキイの上へ画鋲をさかさまにして植えつけた。指さきが血まみれになった。
 なんとか完結した。さいわい、好評を得た。「実験小説だというので、こむずかしい小説かと思ったが、案外すらすら読めてわかりやすい」という評があった。当然だ。ことばに不自由してもここまでわかりやすく書けるのだという、自らの力量を証明することが必要な小説だったからである。
 わかりやすさに加え、面白くしなければならなかった。ことばが失われていくことがすでにひとつの事件である以上、さらにほかの事件を起こせば話がややこしくなる。ことばが失われていく面白さのみで書き続けなければならなかった。しかし、その面白さには自信がある。そのため後半のページを全部袋綴じにして読めなくした。「この封を切らなかったかたは返本してください。代金はお返しします」ということにした。
 後半を読む気にならず、返本に来たひとは、まだひとりもいない。

 と、さんざ引用してきたのでどのような形式を備えた小説なのかはご理解いただけたかと思います。難しい言葉で「漸増リポグラム」というそうです。世界的に最も有名なリポグラム小説はペレックの『煙滅』ですが、『残像に口紅を』のように使える音が徐々に減っていく小説は、世界中探し回っても他に類を見ません。翻訳、不可能。日本語を母語とする喜びをこれほどまでに味わわせてくれる小説も他にありません。──まあ、「他に無い」っていうのはある種お決まりのレトリックでしてね。実際はそいつに世界中を探し回るほどの読書量は無いですし、知らないだけです。世界のどこかに『残像に口紅を』と似たような翻訳不可能な小説があるかも知れない。その中のひとつにウォルター・アビッシュ『アルファベティカル・アフリカ』という作品がありますが、書評として据わりが良いので「『残像に口紅を』は誠に個性的で、地球上の全文学において他に類例がない」ともう一度申し上げておきます。『アルファベティカル・アフリカ』なんて、知らない。そんな作品、無い。
 『残像に口紅を』は形式に特化した作品ですのでリポグラムに目が行くのは当然ですしそれが正しい読み方ですが、では内容──物語部分はどういったものなのでしょう。筒井氏が述べている通り、大きな事件は起こりません。言葉が消えていくのがすでに事件なので、そこに力点が置かれています。
 さて、じゃあ、ちょっくら中身にも触れますか。
 主人公の作家・佐治勝夫は、友人で評論家の津田得治から新しい小説の構想を持ち掛けられます。それは、津田自身の言葉を借りるなら、「言語そのものがこの世界から少しずつ消えていくというテーマの虚構」。まさしく『残像に口紅を』それ自体を執筆するよう勧められます。そして、二人の間でルール作りが始まります。曰く、「日本語表記の『音』を、ひとつずつ消していく」「長音の音引きはやめようじゃないか。つまり『い』がなくなると同時に『チーズ』とか『コーヒー』とか『ダミー』とかいう外来語も使えなくなる」「長音が駄目なら、当然、拗音も促音も駄目なんだろ。外来語に使う母音の小字も」「もちろん『や』が失われたら『きゃ』『しゃ』『ちゃ』『にゃ』全部駄目だ。促音も『つ』が失われたら『行った』『帰った』などが駄目」。そして津田は、無作為抽出で音を消すと宣言します。──これ、実際には作者筒井康隆が恣意的な操作をしています。完全なるアットランダムだと、日本語における頻出音「い」「う」「ん」「か」「の」「た」「と」「し」「な」が早々に消えて、「ぱ」「ぴ」「ぷ」「ぺ」「ぽ」とかが残っちゃう可能性がありますから。そうなったらまずまともな文章は書けませんからね。
 1章ごとに1音が消滅します。第1章では初めから「あ」が消えており、第2章ではさらに「ぱ」が失われます。執筆の難易度が上がるばかりでなく、小説世界にも変化がもたらされます。たとえば第5章(世界から「あ」と「ぱ」と「せ」と「ぬ」と「ふ」を引けば)ではこのような描写がなされます。

給仕がライスと箸を持ってきた。またしても驚きに見舞われねばならない。以前この料理店でライスを注文し、うちにはライスはないと手きびしくことわられた苦い記憶がまだ残っているのだ。それに箸だと。どこの国の料理かは記憶にないが欧州料理店には違いない筈のこのレストランで、なんと、箸。

 これ、何が起きているかというと、世界から「ぱ」が消えているために「パン」が消え、「ふ」が無くなっているため「フォーク」も無くなっているのです。そして、「フランス」という語が使えないので「どこの国の料理かは記憶にない」、「ヨーロッパ」と書けないので「欧州料理店」と書くしかないのです。
 特別な事件は起きない。そのはずなのに、主人公・佐治の日常はどんどん異化していきます。三人いた娘、絹子・文子・弓子は、それぞれ第4・5・6章で消え失せます。妻と三人の娘を伴って佐治がフランス料理店を訪れる第4章の抜粋。

 見まわすと椅子は五脚、食器類もちゃんと五人分並べられている。(略)ややおっとりした長女の弓子だけは腰をおろしてからやっと何かを感じたらしく、ん、という顔つきで次女の文子と顔を見かわしている。
 ひとり消えたな。たしかにひとりいなくなった。その名とともにこの世から消失した。佐治勝夫はいそぎ、記憶から逸脱しないうちにと三女の残像を追った。もはや明確には思い出すことができなくなっている。無理に思い出そうとしない方がこの虚構の中ではまともな対応なのだろう。しかし、勝夫は眼を閉じた。夢をたどるが如く、一部から全体を思い出そうとした。(略)彼女の化粧した顔を一度見たかった。では意識野からまだ消えないうち、その残像に薄化粧を施し、唇に紅をさしてやろう。

 章が進むにつれ使えない音は増え、それにより徐々に窮屈となっていく世界。事物はひとつまたひとつと消滅し、世界は少しずつ崩壊していきます。そのとき私たちは作中の人物同様、‘たった1音’に対して惜別の情を抱きます。これこそがまさに、筒井康隆が目論んだ「記号への感情移入」です。
 最終の第3部では、世界と言語が崩壊していく孤独のさ中、主人公は高台に建築中の「いつか日暮れ時分を見はからって来て、登ってやろう」と思っていた鉄筋2階建てに向かいます。言葉の不自由さから来る滑稽感と同時に、世界の終末が近いことをまざまざと感じさせる悲壮感に満ちており、唯一無二のすばらしい読後感を吾人に与えてくれます。ここには小説にしか出来ない、決して映画化できない凄味があります。
 単行本では(私の記憶が確かなら)第2部から袋綴じになっており、みごとに立ち読みを防いでいます。文庫版ではさすがに袋綴じは再現されていませんが、山内ジョージのイラストはバッチリ掲載されています。こういうやつ。これは『残像に口紅を』のために特別に誂えられたものではなく、山内ジョージの著書『絵カナ? 字カナ?』から採られています(この見事な絵本に関しては、『残像に口紅を』執筆以前に書評集『みだれ撃ち涜書ノート』で評論されています)。

 さて。今回の書評はいかがでしたでしょうか。読みたくなりましたか?
(客の声:読みたくならねえよ!文学はゲームやクイズじゃないんだ。人生について記述する真剣な芸術なんだよ)
 えー、と。最後に。「文学はゲームやクイズではない」と言って、実験小説や前衛文学を嫌悪する人がいます。本物の文学は人生を活写する真面目な芸術である、と。なるほど。しかし、そういうことは漫画や映画でも描けるのではないでしょうか。しかも文学よりもより上手に(筒井康隆の『パプリカ』も、客観的な視点でジャッジするなら原作小説よりアニメ化された映画の方が優れているでしょう)。同じ内容なら、映画の方が表現力豊かですし、漫画の方が気楽に楽しめます。容易に映画化できるような作品なら、書籍で読む必要は、ない。
 他の芸術分野ではできない、文学にしかできないこと。それを文学はすべきであると、私は思うのです。



この記事に対するコメント

■ 筒井さんの書評の感想
こんにちわ。初めて訪問しました。筒井さんの「虚人たち」で検索してここを知りました。「虚航船団」「残像に口紅を」の書評も合せ、ざっとですが読ませて頂きました。読み応えがあり、楽しませて頂きました。有り難うございました。ところで「残像」には「人生を活写する真面目な芸術」の面は私はあるように思うのですが。また、数年前ですが「船団」第三章の全ページをコンビニでコピーし、ハサミでばらして内容ごとにつながるよう糊で貼っていくという作業をし始めましたが見事に挫折、未了のままになったその紙片の束は今も手元にあり、これの恥ずかしさに比しますれば貴方の場合など全くどうということもないと思われます上は、どうぞご案じなさいませんよう。私は死にたいです。笑
【2015/04/05 15:45】 URL | 堂野公之 #-


■ コメントありがとうございます!
 気合入れて書いた割にはまったく反響がなかったので泣きかけていました。いやむしろ大粒の涙をこぼしておりました。ですから、堂野さまのコメントをたいへん嬉しく拝読しました。今ちょっとした興奮状態です。重ね重ねお礼申し上げます。

 さて。『残像…』に人生を描いた深刻な側面があるか否かですが、私もあると思います。特に主人公の語る生い立ちすなわち筒井御大ご本人の自伝部分などは特にそうですよね。私小説をあまり好まない御大が、使える音の減少に窮して──すなわち書くべき題材に困って絞り出した、生の声だと私は思っております。
 であるにも関わらずああいう風に書いたのは、実験小説に対する世間一般の認識が「そんなの所詮ゲームだろ。正当な文学じゃないだろ」だからです。
(ペレック『煙滅』も、翻訳されるまではe抜きのリポグラムばかりが強調され、その内容の奥深さはあまり顧みられることがありませんでした。)
 ですので、「『残像…』には人生を書いた従来の文学的要素は皆無」と申しているわけではなく、純文学至上主義者の固定観念をちょっと皮肉ったものだと受け取っていただければ幸いです。

 閑話休題。『虚航船団』の再構築作業、すさまじいですね(笑)
 私もバルガス=リョサ『緑の家』で同じことをしたくなりましたが、「したくなった」だけで、実際の行動に移そうとは夢にも思いませんでした。
 すばらしい……恥ずかしいどころか、誇らしい宝物だと思います。

「誰も読んでねえかもなあ。『朝のガスパール』の書評する気おきねえなあ」と、完全に気持ちが途切れていましたが、奮い起こされました。公開はいつになるかわかりませんが、期待せずお待ちください。

 最後にもう一度。本当にありがとうございました。
【2015/04/05 18:52】 URL | 大塚晩霜 #-


■ ご丁寧なお返事有難うございます
 上にコメント書込ませて頂いた者です。ご丁寧なお返事有難うございます。僭越ながら上にも書きましたように読み応え充分で、気合を入れられただけのことはあると思います。いずれまた再読に訪問させて頂くこと間違いなしの感触がありありのエントリイです。『朝のガスパール』の書評も是非お書きになられるのがよろしいのではと思います。少なくとも私は楽しみです。
 「残像」の件、失礼致しました。大変申し訳ありませんでした。私も変だなと感じていました。これだけの論評をお書きになられる方がどうしてかな…と。なのでちょっとホッとしました、ああ、やっぱりって感じで。御大はあの箇所で本当に絞り出してる感じで苦しげですよね。こっちまで胃がギュッと締め付けられてるみたいな苦しい感じがちょっとします。
 子供っぽいとされる単なる言葉遊び・文字遊びだけのもので何故いけないかとのご意見には私も大賛成です。そのてのものを文学・文芸でないとする理由の方を知りたい位です。「所詮ゲーム」って考えがまたゲーム差別ですよね。なら地上からゲームを全部なくしたらどうなるのか…とか考えないんですかね。文学を持ち上げてるくせにそんな想像力さえ頭にないらしく思われます。パチンコ一つでさえ巨大産業ですよ。
 私は貴方さまの「船団」第三章の連関箇所データ化の作業がどれほどの労作であるかを先日の訪問時に正しく理解するそのためにこそ数年前あの再構築作業を試みたのだったかと了解することが出来ました。笑
 こちらこそ有難う御座いました。上記しましたがまた拝読させて頂きに参ります。
【2015/04/07 22:31】 URL | 堂野公之 #-


■ 小生長文のコメントが大好物です
 堂野さまからいただいたコメントのおかげで、
減退の一途を辿っていた創作意欲をおおいに刺激されました。
誠に、誠にありがとうございます。

 日本文学は言葉遊びを軽んじる傾向があるらしく、
それらは真面目でお堅い文学よりも一段落ちる──
いうなれば「高級ではない」として冷遇されてきました。
 そういった言語実験軽視の風潮に立ち向かった筒井御大は
稀有な存在であり、もっと評価されていいと思います。
 まあ今でも充分に評価はされていますが、私の望みはもっと上で、
漱石・芥川・谷崎クラスと同程度に並べられてしかるべきだと
個人的には思っています(100年後の国語教科書はそうなっていてほしい)。

 ところで、書評の中で、
随分と筒井御大に対して失礼なことを書き連ねてしまいましたが、
お気に触りませんでしたでしょうか。
 非の打ち所がない『残像に口紅を』に関しては何も悪口を言っていませんが、
『虚人たち』に対しては
「それぞれ短編いくつかに分けて試みるべき実験の一つ一つを、
すべて一本の長編にぶち込んでしまったのが滅茶苦茶」、
『虚航船団』に対しては
「筒井康隆本人が作中に乱入するという場面」が
「どうしても納得のいかない部分」と、
忌憚のない意見を書いてしまっています。
 いや何か、ほめる一辺倒じゃただの感想文になっちゃうのかな、
対抗意見も混ぜ合わせてバランスを取るのが書評なのかな…と思いまして。
もしムカついたなら陳謝します。ごめんなさい。
 ただ、次回の書評対象『朝のガスパール』に関しても、
懲りずに批判を織り込む予定です(一番好きな筒井作品なのに)。
あらかじめ謝っておきます。ごめんなさい。

 それでは、また。
 何度も書くと言葉が軽くなってしまうかも知れませんが、
もう一度、感謝の意を表します。本当にありがたいです。
【2015/04/08 21:25】 URL | 大塚晩霜 #-


■ 創作の意欲減退しないで下さい
 こんにちわ。実は昨夜も筒井さん関連のエントリイ3つ再読させて頂きました。創作の意欲減退しないで下さい。
 筒井さんへの批判が御文に入ってるのは全然気になりませんでしたよ。褒めるにしろ貶すにしろ100%それだけだとむしろウソ臭くなるんのでは…とも思いますし。
 筒井さんも人を罵倒する時、相手の褒めるべき所があれば必ずそれも書込んでいると私は思ってます。「正直だが」とか「何を書いてるかは理解できるので愚鈍ではない」(即ち魯鈍だ)とか。あの方の罵倒の凄味の一つはこれだとも思ってます。筒井さんの書評もそれと同じでいいような気がしますが…まあ唯の僭越なる私見にすぎないですが…
 また読ませて頂きに参ります。
【2015/04/11 17:49】 URL | 堂野公之 #-


■ お返事遅れて申し訳ございません
 再読していただき誠にありがとうございます。
 気合を入れて書いた甲斐があったというものです。
 御大への批評、気分を害さなかったようでほっとしました。

 『朝のガスパール』に関しては
『電脳筒井線』未読という不安要素がありますが
思い入れの強い作品なので頑張って書こうと思います。
 公開は5月になってしまうかも知れませんが
どうかしばらくお待ちください。

 取り急ぎお返事まで。
【2015/04/15 18:48】 URL | 大塚晩霜 #-



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