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【書評】夏目漱石『吾輩は猫である』   (2014/09/04)
吾輩は猫である (新潮文庫)吾輩は猫である (新潮文庫)
(2003/06)
夏目 漱石

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 吾輩は猫である。名前はまだ無い。オンラインゲエムにどつぷり嵌つた主人に代わり、夏目漱石『吾輩は猫である』(以下『猫傳』)を書評させて頂く。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」と云ふ冒頭の一文は多くの日本人が知つて居る。小説なんぞ藥にし度くとも出來ぬ醉漢でさへ、飲み屋で「吾輩は下戸である。名前はまだ無い」と管を巻く位人口に膾炙して居る。然し小説其の物を完讀した者はさう多く居らんだらう。劈頭の「吾輩は猫である」を知る者のうち、掉尾の「南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛。難有い難有い」迄辿り着くは全體の一割に屆かぬかも知れぬ。『猫傳』に關する世間の認識と言へば「嗚呼、猫が出て來る兒童向けの本でしよ」と云ふ、『ガリワ゛ア旅行記』に對すると同じ誤解に滿ちて居るやうに思ふ。
 吾輩の主人も普段は本など讀まぬ吾輩は下戸である式の門外漢であるが、此の本丈は都合五囘は讀み切つて居る。五囘以上かも知れぬ。最初に觸れたのは友人から拝借した何處ぞのジユニア版だが、現在所持して居るのは新潮文庫版、旺文社文庫版、岩波書店の漱石全集版、そして上中下復刻版である。ジャズ愛好家がマイルス・デイヰ゛スの『Kind Of Blue』を何十枚も所有するのと一般である。
 大した讀書家でもない主人が生涯の三册の内の筆頭に擧げる本書は果たして如何なる小説であるか。初心者に慮る所の無い舊字舊假名滿載にて御紹介申し上げる。


 『猫傳』は漱石37歳の時の處女小説である。四十路手前の男子で處女とは面妖であるが、當時の漱石は東京帝國大學(現在の東京大学)で英語の敎授をして居た。言はゞ『猫傳』は高給取りの偉い英文學者が手遊びとして書き散らかした戯文である。今で言へばブログの更新相應の態度で執筆されて居る。朝日新聞に入社して所謂職業作家と成つてからは心を碎き時間を掛けて原稿を仕上げたが、『猫傳』『坊つちやん』『草枕』邊りの初期作品は本業の合間にチヨヽイと綴られた道樂の産物であつた。
 『猫傳』は大部の長編小説であるが、初めから長編として目論まれて居た譯ではない。讀み切りの心算で書いた一篇を『ホトヽギス』と云ふ同人雜誌に寄稿してみたら随分評判が良かつたので第二第三と稿を繼ぎ、興が乘る日に徒然なる儘書いて居たら何時の間にか全十一章と成つた。飽きたので猫を殺した。──斯くなる經緯で以て成立したのが實際であり、餘り眞面目に書かれて居らん。
 書肆の請ひに應じて單行本を三囘に分けて上梓した際も粗雜である。『猫傳』上編の序にかうある。
「固より纏つた話の筋を讀ませる普通の小説ではないから、どこで切つて一册としても興味の上に於て左したる影響のあらう筈がない。然し自分の考ではもう少し書いた上でと思つて居たが、書肆が頻りに催促をするのと、多忙で意の如く稿を續ぐ餘暇がなので、差し當り是丈を出版する事にした。」(註・「餘暇がなので」は原文儘)
 續いて『猫傳』中編の序。
「大抵初篇と同じ程な枚數に筆を擱いて、上下二册の單行本にしやうと思つて居た。所が何かの都合で頁が少し伸びたので書肆は上中下にしたいと申出た。(畧)先づ是丈を中篇として發行する事にした。」
 そして下編の序。
「『猫』の下巻を活字に植ゑて見たら頁が足りないから、もう少し書き足してくれと云ふ。書肆は『猫』を以て伸縮自在と心得て居るらしい。いくら猫でも一旦甕へ落ちて徃生した以上は、さう安つぽく復活が出來る譯のものではない。頁が足らんからと云ふて、おいそれと甕から這ひ上がる樣では猫の沽券にも關はる事だから是丈は御免蒙ることに致した。」
 書肆の惡口許りで自らの責任は放擲している。成程日曜作家であり些とも職業作家らしくない。お蔭樣で下巻丈薄い。書肆は餘程困つたのだらう、不足分は文藝誌や新聞に載つた『猫傳』に對する他人の書評一班を埋め草にして誤魔化して居る。
 出版の經緯も去る事乍ら小説の筋も大概である。『猫傳』は吾輩の主人が前囘の書評で取り上げた『トリストラム・シャンディ』の創作姿勢を參考にして居て、大小の事件は起きるが物語としての發展は少ない。
 表記自體も可成好い加減で、愛好家からは「漱石當て字」と呼ばれ親しまれて居る。有名處では「馬尻」と書いて「ばけつ」とルビを振る表記。「尻」と云ふ漢字に「けつ」と云ふ讀みは、無い。今なら校正係に眞つ先に朱を入れられる。
 上の如く疎放な作品でありつゝも『猫傳』は永らく名作として持て囃されて居る。其の邊の事情は偏に文章が異常な迄に巧みだからである。毫も頓着する事なく飄然と筆を運ばせ乍らも、綴られた其の文章は他の追随を許さぬ旨味と格調を有して居る。酒に醉ひて名詩を吟ずる李白の如き仕事である。内容如何より、文章夫れ自身の有つ芳醇な美味を味はへるかどうかで作品に對する好惡は決すると言つて良い。吾輩の主人は『猫傳』を初めて手にした時、先ず文字通り腦が沸騰する樣な衝撃を覺え、次に己が日本人である事に感謝した。「I am a cat. As yet I have no name.」では到底表はし切れぬ滑稽や諷刺が其處には在る。
 但し、文章の表面丈嘗めて「旨い旨い」と喜ぶ事に終始して居れば讀み切れると云ふ代物でもない。書かれて居る内容に如何に向き合ふか。基本的には猫の目を通して知識人達の言動が描寫され、時に痛烈に揶揄される觀察文である。スヰフトやスターンの衣鉢を繼ぐ衒學趣味に彩られて居り、興味の範圍は洋の東西を問はない。英文學への造詣の深さは勿論、中國や日本の古典、東西の繪畫や文人墨客に就いての挿話を百科全書的に開陳する。是こそが滑稽文學たる『猫傳』の生命である。
 又、登場人物たちも大層魅力的である。彼らは機智に富む會話を繰り廣げる知識人であり乍ら、時に無樣な失敗をして猫から嘲笑される。──猫の主人であり、中學校で英語を敎へて居る珍野苦沙彌(漱石がモデル)。苦沙彌先生の嘗ての敎へ子で、美男子だが何處か抜けて居る理学士の水島寒月。寒月君の友人で、自己滿足の藝術論に御執心の越知東風。變梃な哲學を振り囘す八木独仙。そして『猫傳』中のスーパースター、斜に構へた高等遊民の美学者迷亭。頭が良くて話術も達者な人達の傍で、其の會話を拝聽して居るやうな面白さが『猫傳』には有る。彼等が一堂に會した第十一章なぞ、主人は「オールスター競演だ!」と叫んで貪るやうに字面に目を晒して居た物である。
『猫傳』は現代人に取つては讀みにくい小説であらう。然し文章の呼吸に一たび魅了されゝば是程面白い小説は他に無い。兎も角も(エンヂンの掛かり切つて居ない第一章ではなく)第二章丈でも讀んで見る事だ。アーメン。



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