とりぶみ
実験小説の書評&実践
結婚スピーチ(とりぶみ版)   (2007/10/25)
 ただいま御紹介にあずかりました、わたくし、新婦金子さんの、えーと弟さんが、少年時代にですね、その、所属していたサッカーチームの、いわゆるひとつの監督ですね、その、現在はJリーグのあの、川崎フロンターレのですね、監督をしております、えー、関塚隆という人物と、その、なんと申しましょうか、あー、親戚関係にある、その、大塚です。非常にこう、その、遠い間柄ではございますが、なぜかお招きいただき、スピーチという大役を、えー、その、務めさせていただく運びとなりました。えー、本日はその、お日柄も良く、お足元の悪い中、ご成婚、まことにおめでとうございます。
 えー、ふたりを祝福する詩を書けと金子さんから半ば脅迫的に依頼されましたが、そんなエレジーなポエムなど書けるガラではありませんので、このスピーチをもってお祝いの言葉とさせていただきます。
 さて。間延びしたスピーチというものは、参列者から嫌われるものです。会社の上司あたりから延々とつまらない話──たとえば「○○くんはとても有能で」「将来有望で」「会社での働きぶりもまじめで」「本日はお日柄も良く」「結婚は航海のようなもので」「誠に」「荒波をふたりで」「困難に際しても力を合わせて」「誠に」「誠に」「幸せな家庭を」「おめでたく」「簡単ではございますが」「誠に」「etc...」「etc...」みたいな話をされると場のムードも白けてしまいます。ダラダラした退屈なスピーチはお祝いムードに水を差します。中国の古典にも「スピーチとスカートは短い方がいい」と書かれています。
 それではお待たせしました。前置きはこれくらいにして、本格的に祝辞の方、一発はじめさせていただきます。一発終えたあと夫婦そろってベッドの中で音読したりすれば良いと思います。ね。

 新郎の金夫さん・新婦の金子さん、とても有能で、本日は誠にお日柄も良く、誠におめでたく、結婚は航海のようなもので、誠に会社での働きぶりもまじめで、困難に際しても力を合わせて、誠に簡単ではございますが、将来有望です。ありがとうございました。
 わたくし、金夫さんとは今日が初対面でございますが、金子さんとは旧知の仲でして、そうですね、かれこれ十五年来のつきあいとなりましょうか。と申しましても十五年間十三万時間いっしょに時を過ごしたわけではなく、その間に空白の五年間があったりもしますが、とにかく思い出話などをさせていただこうと思います。それを聞いて新婦はなつかしい感興に浸ったり、新郎は相手の知られざる過去を知ってショックを受けたりですね、おのおの複雑な心境になれば良いのではないかと、こう思っております。
 私と金子さんの出会いは小学五年。LLなんたらという名の英会話塾でした。同じ小学校にかよってはおりましたが、まともにクチを聞いたのはその時が初めてだったと記憶しております。ふたりがその塾で得た成果は「ハワイユー」「アインファインセンキュウエンドュー?」「ソーソー」それから「おじさんを英語で言うとアンコー」だけでしたが、それはそれで良かったと思います。
 金子さんは、そのころはかわいくてですね、いえ、そのころからかわいくてですね、今もですね、かわいいわけですが、いや、なんというか、その、ね。あれですよ。まあ、今も昔も美人だったわけです。ですからまあ、クチを聞いたといってもですね、わたしのようなチンチクリンな男の子には手に負えないシロモノだったわけで。「こんなキレイな女の子と将来結婚する男はどれくらいカッコEんだろう?」と首をひねっておりましたが、その噂の男前がこちらの金夫さんだったわけです。予想通り、というか予想以上のハンサムだったので、お似合いのカップルだなぁと、ためいきが出る想いです。あまりにですね、こう、美男美女ですから、祝福する気が失せて嫉妬の気持ちでいっぱいです。
 (突如不機嫌になって)あのなぁ。あんたがた見てるとな、「末永くお幸せに」っていうセリフが馬鹿らしく思えて来るんだよ。俺みたいな男がな、「幸せに」なんて言ったところでな、説得力ねーんだよ。わかるかオイ。あんたらはな、こっちが黙っててもずっと幸せに決まってるんだよ。俺が幸せを祈ってもむなしいだけなんだよ。うっ、うっ、うらやましすぎるんだよぉ! このオシドリ夫婦!
 ……。
 はっ! と、取り乱しました。たいへん失礼いたしました。あの、その、なんというか、どうか末永くお幸せに…。月並みな祝福ですみません。
 何の話でしたっけ。ああ、英会話がどうたらでしたっけ? そうですよね。違ったかな? まあいいや。えーとですね、私と金子さんの出会いは小学五年でした。Lなんたらという名のですね──あれ、この話はしたかな? 例の山下事件の話も? ──ああ、しましたね。じゃあ、先に進みましょう。

 中学校三年間は同じクラスでした。でも、やっぱりあんまり話しませんでしたね。──そんなわたしがなぜこの席に呼ばれたのかますます疑問がわいてくるわけですが、人の幸せを祝うのは大好きなのでお招きいただき誠にありがとうございます。
 えー、中学校での金子さんとの思い出といえば、やはり、すまし汁事件にとどめを刺すでしょうか。コレ、新郎に読ませる前に新婦が事前チェックを行なった場合、検閲削除されてしまうかも知れませんが、いちおう書いておきます。
 すまし汁事件とは、たしか中学1年、家庭科の授業での出来事。わたくし大塚と、それから同じ班の伊藤くんは、授業に対して全くやる気がなかったため、料理には参加せず各班のすまし汁を食べ比べておりました。家庭科室ぶらりグルメ旅だったわけです。
 すまし汁というものは、元来それほど美味い物ではございません。大塚伊藤両料理評論家の肥えた舌を満足させるような逸品にはなかなか出会えませんでした。そんな中、「おい!これ飲んで見ろって!」ある班のすまし汁だけは、「どれどれ」二人の舌を驚かせました。
「うわっ。まじー!!」
「だろ!? やべーよな」
「まじーまじー」
 それが、金子さんの作ったすまし汁だったわけです。え、どんな味だったか、ですか? うーん。水道水を温めたような味、と言えば伝わりましょうか。とにかく、これまでの料理の常識を覆すような革新的な味だったわけです。
 この事件、わたくしと伊藤くんはすっかり忘れてしまったのですが、金子さんの心には評論家への怨恨が深く残ったらしく、成人してから叱られました(笑)。
 (再現VTR)
「家庭科の時間にさ、大塚と伊藤、他の班のすまし汁を散々けなしてたでしょ」
「記憶にございません」
「右に同じ。忘れた」
「自分たちは授業に参加せずにさ、味見、とか言って、他の班の料理を試食してた」
「あー。かすかに覚えてるわ」
「そういう事もあったかも知れません」
「で、私の班のすまし汁をマズイマズイって…」
「そういやダントツにまずい班があった気がするけど」
「あれ、おまえの班だったか」
「しかもあの時、すまし汁を担当していたのは私だったんだからぁ!」
「えっ。そうだったの」
「あれはおまえが作ったのか。わっはっは」
「すっごくショックだったんだからね!」
「金子が一人で作ったの?」
「うん」
「じゃあ、単独犯か。わっはっは」
「もーっ!」
 あー、えー、学生時代の友人に結婚式のスピーチを頼んだ際によく生じるトラブルが、新郎新婦の旧悪をさらけ出す暴露話です。「Kくんとはよく一緒に女湯を覗いたものです」だとか「あたしだけが知ってることだと思うけど、Mちゃんは学校帰りに万引きしてました」だとか。本人たちは場が盛り上がるだろうと思ってそういう話をするのですが、とんでもない、これは良くありませんね。会場中がドン引きです。
 わたくしがすまし汁事件について話したのは、ただ新婦の恥ずかしい過去を暴露しようとする目的ではございません。金子さんの美徳を讃えるための、言わばプロローグ。ここから先しばらくは、なんかちょっと恥ずかしいですが、金子さんを誉めてみようと思います。
 まず第一に、彼女は頑張り屋さんです。新郎もご存知だとは思いますが、その後の金子さんは料理教室にかよいました。あのー、えー、率直に書きます。料理教室にかよいはじめたことを聞いたとき、わたくしは軽い感動を覚えました。偉いと思います。えーと、そのー、金子さん。今まで黙っていましたが、本当に偉いと思うよ。あなたは「料理教室くらいで、おおげさな」と言うかも知れないけど、本気で感心したんです。いいや、料理だけじゃない。あなたは意外と(←失礼)頑張り屋さんでしたね。我々の知らない所でいっぱい努力していました。俺の性格上、面と向かっては恥ずかしくて絶対言えないセリフだけど、君は、すばらしい。すばらしいです。金夫さん、あなたの嫁さんはすばらしい。
 えー、それから、妙な所でやけに記憶力が良い。すまし汁以外にも、我々同級生が完全に忘れていた事を細かく憶えていたりします。まあ、これは美徳というか、注意が必要です。金夫さん、結婚記念日とか忘れちゃダメですよ?
 最後に、金子さんは天真爛漫ですね。あのー、「天真爛漫」という言葉の意味はよくわかりませんが、なんか天真爛漫な感じです。えー、さきほどの再現VTRを見てもらえればわかる通り、我々料理評論家は相当失礼なわけでして、夫たる金夫さんからしてみれば殴りたくなるほどの無礼者でしょうが、それでも金子さんは我々を許しているわけですね。事件発生から苦情申し入れまで十年近い年月を経ているわけです。相当気にしていたはずです。そのうえ、評論家どもは一貫して不遜な態度です。なのに、金子さんは本気では怒っていない。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ。そうして笑顔。天真爛漫です。だと思います。言葉の意味は各自で調べて下さい。宿題です。
 えー、あのー、以上のごとくですね、すまし汁事件からうかがえる金子さんの人間性は、(ちょっと強引な結論でヤラセみたいですが)「お嫁さんとして最高」という事です。──ただし、あの時のすまし汁からどれくらい料理の腕を上げたのかは、ちょっとわたくしにはわかりません。金夫さんが美味しい料理を毎日食べられるよう祈っております。

 それでは最後に。
 金子さん。毎朝毎朝会社に遅刻しそうになって自転車で猛ダッシュしていたあなたが、まさかこんな美しい花嫁になるとは。本当にキレイだよ。うん。いいねいいねーその笑顔!
 金夫さん。このかわいい奥さんを大切にしてね。よろしくお願いします。いつまでもいつまでもふたり仲良く人生を歩んでいって下さい。
 それでは、楽しい結婚初夜を! バイバイ。


言葉狩り   (2007/10/18)
くだらない小説を書きてよろこべる
男憐れなり
初秋の風
      ──石川啄木『一握の砂』より



われはこの牧場まきば
自給自足にて
晴耕雨讀を営めり

さまざまな家畜を飼ひたる
わが牧場
牛豚羊鶏魚

さまざまな野菜を植ゑたる
わが牧場
むぎ人參にんじん大根白菜

薩摩芋牛蒡ごばう馬鈴薯ばれいしよ
玉蜀黍たうもろこし茄子なすねぎ胡瓜きうり
キヤベジレタス

手懐てなづけし禽獣きんじうかこ
柵の中
われに群がる給餌きふじのひととき

喰ふための
食材としてはぐくめる
家畜なれども情も移れり

雌豚の頭を撫でし
その時に
柵の外よりヤツら來たれり

十四五人
老若いずれも男にて
各々武噐を手に吶喊とつかん

柵を、のりを越えて
闖入ちんにふせしヤツら
ち殺さるるわが家畜たち

わが制止のこゑむな
聞かれまじ
むごき殺戮は止まらざりき

見る見るうち
無抵抗の動物の
死骸累々死骸累々

われ叫ぶ
「うぬらの働く狼藉は何のいひぞ」と
聲を限りに

叫べども一向に腕を止めむとせず
わが畜を打つ
屠殺とさつの腕を

緑なりき
赤く染まりたる牧草の
なびきしは今や血深泥ちみどろの沼

血の匂ふわが安らぎの地
「な殺しそ」
聲を限りにわれは叫びぬ

ヤツらのうち
をさと思へるハゲオヤジ
われに向かひてくすくす笑ふ

「この牛や豚や羊や鶏は
 危險がゆえに
 殺してしまふ」

「何が危險
 無害にあらずやわがけもの
 だつてこんなに大人しいぢやんか」

「人を噛む噛まないの議論にやあらず
 あきらめよ
 これはおかみのお達し」

ののしりしわれには構はず
動物をほふつてわら
男たちの目

腦天を重き斧にてかち割らる
優しき牛の
斷末魔の聲

豚に似し男が
豚を殺し言ふ
「なれの家畜は不愉快なるかな」

めえめえと
命乞ひするわが羊に
振り下ろさるるなたの一撃

うらめしや
馬がいななき犬が吠ゆ
わが下僕たちに何の罪やある

ぢつとにらむわれの視線を
にしてか
「俺はこいつにアレルギイあり」

つまり何か
なれの都合が原因で命取らるか
わが鶏は

傳染病でんせんびやうでも持ちたれば
仕方無し
間引かるるのも承服すれども

とがも無く斷罪さるる
わが家畜
命を奪はる理由は「不快」

毒を飲む
養殖池の魚たち
水面みなもに浮かぶ白き腹かな

丹誠たんせいを込めし彼らを處分しよぶんされ
ほほつたひぬ
ぬるき涙が

「今日からは
 なれは野菜を食べるべし
 生臭なまぐさの調理一切を禁ず」

捨て台詞ぜりふ
吐きて去りぬる男たちの
背をわれ睨み血に膝を着く

人を毀損きそんするあたふ強き獣なれど
あまりに慘し
慘きかな嗚呼ああ

味氣あぢけなき精進しやうじん料理ぞ出來上がる
辛みもぞなし
野暮つたき味

ふとめる牧場ぼくぢやうの夢
あれは夢
しかれど頬には涙のあとかも

書きかけの原稿用紙を枕にし
〆切しめきり前に
眠りたるらし

ハゲオヤジが
寝惚ねぼまなこのわれを
苦き顔してふみしゆ

咎も無く斷罪さるる
わが言葉
命を奪はる理由は「不快」

めくらなる語句を用ゐることなかれ
 目不自由なる
 人に失禮しつれい

 つんぼなる語句を用ゐることなかれ
 耳不自由なる
 人に失禮

 びつこなる語句を用ゐることなかれ
 足不自由なる
 人に失禮

 白痴はくちなる語句を用ゐることなかれ
 馬鹿に馬鹿てふ
 馬鹿に失禮

 とくと知れ 
 乞食こじきを乞食と書くなかれ
 家なき者はホオムレスなり」

われは問ふ
禿はげにハゲとは言ふまじや」
ハゲオヤジ殿「然り」と答へり

われは
「さればなんぢ
 毛髪の不自由な方とお呼びすべきか」

わが料理の味をピリリと引き立てる
一匙ひとさじの毒
一言の語

わが言葉がたれかの舌をいためても
われは譲らじ
言葉に咎無し

わが言葉は命を持てり
生きて御座居
いずれも可愛き下僕たちなり


いっぱいいるお母さん   (2007/10/11)
「おはよう。朝だよ。もう起きなさい」
 これが僕のお母さん。
「おはよう。朝だよ。もう起きなさい」
 僕は眠い目をこすってのそのそと布団から抜け出す。僕は朝に弱いからお母さんに起こしてもらわないと寝坊してしまう。僕は寝起き特有のかすれ声で「おはよう」と返事をし、お母さんを押して、子ども部屋を出る。洗面所で顔を洗い、うがいをし、口をすすぎ、食堂へ。
 台所にはお母さんがすでに朝食を準備して待っていた。作るのが早すぎたのか、僕の起きるのが遅かったのか、目玉焼きとベーコンは冷めてしまっている。けれど問題ない。お母さんがアツアツに再加熱してくれる。トーストは僕が自分で焼く。
「松江地方、今日の天気は晴れです」
 お母さんの言葉に寝ボケまなこでうなずき、半睡状態で食事の準備を続ける。湯気の立つ目玉焼きとベーコンの皿をお母さんから受け取る。焼き上がったトーストにたっぷりのバターとイチゴジャムを塗る。お母さんから牛乳を取り出し、コップに注ぐ。デザートにバナナ。それらの食事をおぼんで食卓に運び、いざ「いただきます」。
 まず、きつね色に焦げたトーストをいただく。角っこをガブリとかじり取り、ニチャニチャと噛む。イチゴの酸い甘味。牛乳を一口含む。渾然一体となる食パン・ジャム・ミルク。牛乳で溶かしながらパンの破片を飲み込む。またガブリ。クチャクチャ。ゴクリ。その作業を繰り返し、トーストをたいらげる。
 そろそろ胃が起きる。少し重めの肉と卵に取りかかる。目玉焼きの上にウスターソースをかける。右端からハシで白身を切り分けて、カリカリに焼いたベーコンと一緒にいただく。胃が驚かないよう、少しずつ、食べていく。左端の白身は黄身と一緒に。噛み締めると卵のうまみがお口いっぱいに広がる。
 台所に立ち、沸騰したお湯で熱い紅茶を淹れ、ソースの風味が残る口中を洗い流す。身体が芯から温まり、目覚めた細胞が活動を始める。バナナを食べ、紅茶の残りをすすり、飲み下す。「ごちそうさま」をして食器を流しへ片づける。
 トイレに入る。歯を磨く。パジャマを着替える。朝の準備が着々と進む。時間割を確認してランドセルに教科書を詰めたところでちょうど、お母さんが七時を告げる。
 僕のお母さんはいっぱいいる。
「いってきまぁす」
 返事はない。
「いってきまぁす」
 僕はお母さんたちにあいさつする。
「いってきまぁす」
 返事はない。
「いってきまぁす」
 僕はめざまし時計・冷蔵庫・電子レンジ・ラジオに向かって声を掛けながら、ふと涙ぐむ。母親代わりの家庭電化製品に囲まれて、急にさみしくなる。
 僕のお母さん。どこにいるの? そしてたくさんのお父さん。あなたがたのうち誰が本当のお父さんなの? 僕はさみしい。とても孤独で不安で。
 お父さんお母さん。僕は本当にあなたがたの子どもなの? そうだとしたら、どうしてずっといっしょにいてくれないの? ひょっとして僕は、僕は家庭電化製品の子ども? 僕は家庭電化製品? 僕はあなたがたにとって家電と同様なの? 教えてよ。教えてよぅ…。
 靴を履く。102号室のドア。鍵を掛ける。
 学校に出かける。


1/6629722083   (2007/10/04)
 仏壇に手を合わせていたらおじいちゃんが声を掛けてきた。
「おい実佐子。おれは今日めちゃくちゃ感動したぞ。」
 やれやれ。ため息が出る。
 私は手を膝に置き、困り顔でおじいちゃんの相手をする。
「なぁに。またデートのぞいたの。」
 今日は坂之上さんと新宿でデートをして来た。その場面を目撃されたと思い、私は叱るような口調でそう言った。
 おじいちゃんは私をよく尾行する。いつの間にか後ろについてきてるから気が抜けない。たとえば友だちとのショッピング。映画。会社の飲み会。果てはデート、温泉旅行まで。いつ見られてるのかわからないけど、うちに帰ってきてから「あの男はやめた方がいいな」なんて言うから、びっくりしちゃう。大事な孫を見守ってくれてるんだろうけど、監視されてるみたいだし、おじいちゃんは大好きだけど、さすがにちょっとやめてほしい。もう慣れたけど。
 私の詰問に対し、バツが悪いのか、おじいちゃんはちょっと言葉に詰まった。うーむ。やはりデートについてきていたらしい。
「いやさ、確かに、行ったけどさ…」
 すぐ白状した。
「そりゃ、実佐子が心配だからであって…」
 私は苦笑いする。いつもその言い訳だ。でも、これ以上、怒るに怒れない。その、心底申し訳なさそうな声は、情けなくて、ぶきっちょで、とても暖かみがあって、しかも少しいじらしい。おじいちゃんは私のことを本当に大切に思ってくれている。
「で、何に感動したの。」
「おまえホラ、駅で待ち合わせしたあと、横断歩道を渡ったろ。」
「渡った渡った。」ここでちょっと違和感、私は目を剥く。「えぇ~っあん時からいたのぉ!?」
「うん。」子どもみたいに無邪気な返事だ。
「それで?」
「すっごく人がいっぱい居たじゃないか。」確かに。
「そうだね。よく私たちのこと見失わなかったね。」
「それでな、そん時な……。あー。ちょっとアルバムを持って来なさい。おまえの七五三の時の。」意味不明な展開だ。
「何それ。何か今日のデートと関係あるの。」
「あるある。大いに。いいから持って来てよ。」
「めんどくさいよ。」
「頼むよ。」
「どうしても今持って来なきゃだめ?」
「だめ。」
「しょうがないな。」
 私は二階に上がり、父の書斎で写真アルバムを探す。
「えーと。これかな。」
 分厚いアルバム数冊あるうちの一冊幼少時代を収めたのを抱いて茶の間に戻る。
「おじいちゃん、これ?」
「ああそれそれ。多分。」多分か。「七五三の時の写真、ある? 七歳の時の。八幡宮の。」
「七歳…。ああ、これね。」着物でおすましをし、千歳飴を手にした、可愛らしい七歳の私。「この写真がどうしたって。」
「その写真、後ろの方に縁日の露店が写ってるだろ。」
「写ってるね。たこ焼き屋さんが。」
「竹串を持ったテキ屋のあんちゃん、いるだろ。」
「いるね。」
「こいつと今日すれ違ったぞ。」
「えぇ~っ!?」私はただ驚くばかりだ。何だって?
「おまえは東口をアルタの方に向かったろ。」
「向かった向かった。」
「そのあんちゃんは、アルタの方から駅に向かって歩いてたんだ。で、お互い、横断歩道を渡る時に、すれ違ったってわけ。最接近時のその距離、なんと、たった15センチメートル。」
「本当に~!?」この写真の男の人と、私が今日、あの横断歩道上で行き交ったってわけ?「何それ。なんかすごいけど。本当なの」
「本当。確かめた。信じるだろ。」私はおじいちゃんを信じる。「ちなみにこの写真のあんちゃん、今では日雇い労働者をやってる。」いらない情報だ。
「でもそれが何で感動するわけ?」
 おじいちゃんは、いつになくまじめに、滔々と述べ立てた。私は終いまでおとなしく聴いた。
「奇跡的な再会じゃないか。作られた再会じゃない。小説みたいに、偶然を装った遭遇じゃない。仕向けられた筋書き通りの邂逅じゃない。こういうさ、お互い見ず知らずの人間がさ、長い年月を挟んで、たまたますれ違う。これってすごいことじゃないか。なぁ。」おじいちゃんは少し言葉を切ってから、また続ける。「知り合い同士、意外な場所で不意に出会うと心地よい驚きを感じる。不思議な巡り合わせに興奮する。でもな、当人同士は全くそれと知らないまま、こういう奇跡的なすれ違いをするっていうのも、すごいことだとおれは思う。しかもな、今日実佐子は元テキ屋のあんちゃんとすれ違ったわけだけど、こういう類のすれ違いって、実は今まで何度も体験してるんだぜ。特に人の多い場所に行くとな。知らなかっただろ。」言われてみれば有り得そうな話だ。「実佐子とあんちゃんの再会、おれはめちゃくちゃ感動した。なんだか不思議な気持ちになった。神のいたずらというか、いいやそんな物じゃない、もっと大きな、何と言えばいいのかな、とにかく、世界の広さと狭さ、その両方を感得した。人はさりげなく接触をしていたりすることがわかる、そこに却って感動がある。実佐子が今日、全然気付かぬまま体験したこの現象、他の人たちも全然気付かぬまま、何度も体験してるんだろうね。毎日、何十年ぶりの奇跡的再会を果たす赤の他人同士が、何人いることやら。しかも当人同士はそういう奇跡的再会に全く気付かないんだ。そういう真理を発見して、おれは戦慄するほど感動した。想像すればするほど、すごいなって思う。世界の人口は今や六十億を超えている。しかしそのうち実地に顔を合わせられる人間の数なんてたかが知れてる。生きている間に、言い換えれば同じ時代・同じ空間の中に活動しているって、これってすごいことじゃないか。ものすごい確率の巡り合わせなんだから。」
 なるほど私は名状しがたい感動に襲われた。それって、すごいことだ、と、思う。おじいちゃんが教えてくれなければ、私は今日のこの運命的なすれ違いをちっとも知る由がなかっただろう。
 でも、それとは全然関係ないんだけど、気になることがひとつある。
「それでさ。」抑制された、しかし強い口調で私は問う。「おじいちゃんさ、私たちを、どこまで尾行したの?」
「そりゃおまえ、そこでさ、うちに帰ってきたよ。」あきらかに落ち着きを失った。
「ウソでしょ。」
「え。ウソじゃないよ。」
「ウソ。見たでしょ。」
「え。見てないよ。」この動揺ぶり。さてはキスシーンを見たな。
「何それ。何を見たか聞いてもないのに、どうしてそんな慌てて見てないよなんて言うの。やっぱり見たんでしょ。」
「う…。」おじいちゃんは少時沈黙する。やがて言う。「ちょっとね。一瞬ね。」やっぱり。
「このエロジジイ!」私は勢い良く立ち上がり、仏壇に向かって、空気が揺れるほど怒鳴りつけた。
 位牌が照れ臭そうに揺れた。



«  | ホーム |  »