とりぶみ
実験小説の書評&実践
○ Mr.XⅩ××× ×   (2007/09/27)
『まる ミスターエックス十世vsぺけかける ばつ』
もしくは
『フォー・ライティン・メンタル・クリニック』



【平家翔】
 こんにちは。
 どうぞよろしくお願いします。
 えーと。わたしのファンからの、熱いリクエストにお応えして、やってまいりまして。いえ。いえいえ、あの、ちがいました。そう、ここにはその、友人にですね、勧められて、来ました。はい。
 別に、わたし自身はわたしのことを特別な人間だとは思っていません。いたって普通だと思っています。だけど、友人がぜひにと拝み倒すものだから、ま、いちおう来てみました。
 特に何もないと思います。何も。何もない。何も変わったところなど。何も変わったところなどない。
 あああああああ。何もおかしくなんてない。おかしいのは、おかしいのはわたしの方じゃない。おかしいのは、そっちの方だ。おかし、おかしいのは、あああ、あああ。いいえ。別に興奮なんかしていませんよ。いいえ!全然!
 あんなにガバガバ出た石油~。今では水すら湧きもせぬ~。不毛の大地、枯渇の砂漠。掘っても掘っても何も出ぬ~♪アハハハハハハ。
 アハ。
 不調である。何も思い付かない。思い付いても書き留める気力が無い。先生、私はどうしたらいいでしょうか。

【ミスターX】
 のっけからイカれていていささか困惑するが、当院に来た理由は「文筆活動が思う通りにいかない」ということでよろしいかな。
 案ずるなかれ。この不調は、上げては下がり下げては上がる波濤のようなものである。この波頭がいつか盛り返すことを君は経験で知っている。株価の波は常に変動する。それを知っているから貴殿は以前のように慌てはしない。本当に切羽詰まっていたらそのような狂態を演じることも出来ないはずだ。本当に枯れた人間は、ただただ沈黙してしまう。貴殿の不調は、単なる下り坂。放っておけばそのうち必ず右肩上がりになる。
 もっとも、心電図でいうところの心拍停止すなわちご臨終にならなければ、だが。

【平家翔】
 その、ご臨終とやらになりそうで。近い将来好不調の波が震動を停止し、単一音を鳴らしながら水平線を描きそうな予感がするのです。このままでは作家生命が絶たれそうで。わたしから創作を抜き取ったら何が残りましょうか。皮しか残らない。煮ても焼いても食えぬ皮しか。抜け殻になってしまいます。それが怖くておちおち垢擦りも出来ません──もしかすると自分はもう皮だけかも知れない、じゃあせめて皮だけでも大事にしよう、と思ってここ一ヶ月ばかり風呂に入ってません。
 そんなわたしの惨状を見かねて友人に強制連行されてこの精神科にいらっしゃったわけですが貴様おれを治せるか。治せるものなら治してみろお願いします。

【ミスターX】
 まず聞くけど、スランプの原因、何か思い当たることはあるか。失恋したとか、職を失ったとか、信用を失ったとか、財産を失ったとか、髪の毛を失ったとか。

【平家翔】
 失った物と言って特に思い当たる物はありませんが。そうですね。童貞くらいでしょうか。

【ミスターX】
 それだ!

【平家翔】
 それですか。

【ミスターX】
 人生に於ける重大事。たとえば結婚や出産、入学や卒業、近親者の死。こういう物に出くわすと、人は変化を体験する。生活環境が激変すると心身の調子を崩したりすることもある。特に物書きなんてのは神経がキャシャだから、すぐ環境に影響される。だから君はあれだよ、童貞を失ったから物が書けなくなったんだよ。少年性?っていうのかな、それも一緒に喪失したのだ。大人として俗塵を浴び、純粋な精神を濁らせてしまったのだ。はい、原因わかった診察おわりー。帰った帰った次の人どうぞー。

【平家翔】
 いえ実は。童貞を失ったというのはウソです。一種の見栄です。まだ捨ててません。後生大事に守っていくつもりです。

【ミスターX】
 ウソつきやがったのか!

【平家翔】
 ごめんなさい。でも、環境の変化っていうのは心当たりがありますよ。

【ミスターX】
 ああごめん笹川のおばあちゃん、呼んだけど診察もうちょっと待って。──で、その環境の変化っていうのは具体的にどういう物かね。

【平家翔】
 本当は夜型人間なんですけど、仕事の関係上とにかく朝起きるのが早くなりまして。

【ミスターX】
 お仕事は何を。競馬の調教師とか漁師とか新聞配達とか?2時くらいに起きる感じの。

【平家翔】
 それはもう、朝じゃないでしょう。夜でしょう。わたしが起きるのは4時くらいです。

【ミスターX】
 朝の4時。4時か。某作家のクリエイティヴィティがピークを迎える時間だね。君にもあるかい、最も創作に没頭できる時刻ってやつが。

【平家翔】
 あります。ミッドナイト12時を境に前後3時間・のべ6時間ほどがわたしの習慣的な執筆タイムです。どういうわけかこの時間帯は指がキーボードの上を軽やかにダンスするんです。昨日でもない、明日でもない、今。日付変更線の上にいて、昨日と明日両方に片足ずつ突っ込んでいる、そんな状態。その時なぜか文章を大量生産できるのです。

【ミスターX】
 ふむ。古くなった昨日の自分を捨て、新しい明日の自分を迎えるための準備をする時間帯か。

【平家翔】
 というとなんだか詩的で聞こえはいいですが結局それって脱皮ですよね。ヘビみたい。

【ミスターX】
 絶好調時の君の文章って結局、言ってみりゃ脱ぎ捨てられた古い皮だね。日焼け跡のようにポロポロとむけ落ちた汚い薄皮、だ。

【平家翔】
 失礼な。

【ミスターX】
 だってそうだろうが。

【平家翔】
 そうかも知れません。すみません。

【ミスターX】
 はい、それじゃあ診察終わりです。不調の原因は環境の変化ってことで。解決策は、仕事を変えること。バイバーイ。

【平家翔】
 待って下さい!仕事を変えずに創作力を回復する方法が知りたいのです。だってね、ひどいんですよ本当に。わたし、『たりぶみ』というブログに週1で小説を掲載してるんですけど、今週はこんな作品を公開しようとさえ思ってたんですよ…?『古今東西──王者vs挑戦者』っていう…。

【ミスターX】
 どれだけヒドイ作品なのか、ちょっと朗読してみて下さい。案外、本人が思ってるほどヒドくないかも知れないよ?

【平家翔】
 じゃあ読みます。
 古今東西──王者vs挑戦者。
 作・ぺけかける。
「古今東西スマップのメンバー! 木村拓哉!」
「中居正広」
「香取慎吾!」
「稲垣吾郎?」
「草剛!」
「え…。森…、森くん?」
「ブー!」
「フルネームじゃなくてもいいだろ!」
「元メンバーだからダメ!」
「なんだよそれ! 絶対おまえが勝つように仕組んでるじゃないか! もっと人数多い題にしろよ!」
「じゃあ、古今東西米米クラブのメンバー! カールスモーキー石井!」
「う…ぐ…」
「どうした? いっぱいいるぜ」
「きたねぇよ! マニアじゃなきゃ石井しかわからねぇよ!」
「あなた頭あまみずですね」
「何? 甘味酢?」
「ノン!」
「水飴?? 何の話だ」
「雨水です。ウスイ、ってね」
「コノヤロウ! 殺されてぇのか!」
「古今東西、ボクの好きなAV女優! 春菜まい!」
「はっ!? なんだよその問題!」
「答えないのならば、この場で失格です」
「ちくしょう…。えーと、うーん、及川奈央?」
「あーごめん。あんま好きじゃない」
「てめぇ、ぶっ殺すぞ!」
 翌日、河原の土手で阿呆の惨殺体が発見された。

【ミスターX】
 これはヒドイ。

【平家翔】
 でしょ?こんな物、正気じゃ公開できないですよ。だからこそ、こうして安易な文学談義をしているわけで…。文学を題材にした文学は安直だからなるべくなら書きたくないのに…。

【ミスターX】
 メタフィクションとの決別宣言をしてからたった二ヶ月だね。あらあら。でもさ、スランプならスランプで、こんな雑談なんかせず、過去作でも載せてお茶を濁せば良かったのに。

【平家翔】
 未発表作品の蔵出しとか、過去作のリメイクならまだしも、既発表品をそのまま載せるっていうのは気に食わないんですよ。

【ミスターX】
 それならそれで、早く『環状線』とか『恋人と別れる5の方法』とか『言葉仮』とか『金婚式』とか、中絶している作品を完成させればいいじゃないか。

【平家翔】
 だからぁ。筆が動かないんですよぉ。

【ミスターX】
 インポテンツだね。ご愁傷様(笑)

【平家翔】
 笑い事じゃない!

【ミスターX】
 だから、仕事変えろって。

【平家翔】
 ヤダ!

【ミスターX】
 変えろ!

【平家翔】
 ヤーダ!

【ミスターX】
 なんてワガママな野郎だ。
 ひょっとして一週間に一回っていう更新頻度がよろしくないんじゃないか。君は以前、毎日のように新作小説を書いていたじゃないか。

【平家翔】
 あの頃は我ながら変人でしたね。

【ミスターX】
 毎日更新してみろよ。週1だからダレるんだよ。執筆作業を習慣化してしまえば筆の切れ味が鈍ることはないと思うよ。

【平家翔】
 毎日更新はもう無理です。昔ほど暇じゃありません。女性関係のこじれで。

【ミスターX】
 もうちょっといい加減な気持ちで更新してみたらどうだい。君は普段ずぼらな癖に妙な部分で律儀すぎる。作品の完成度を高めようと気張るからいけないんだ。自分の仕事に対してなかなか納得しない。良くない傾向だ。

【平家翔】
 いえいえ、やっぱり何かしら読者の感興を引き起こす作品を書きたいもんですよ。自分の考えや、これぞ自分っていう思想を表白する芸術をね。

【ミスターX】
 バカだな。作家は「偉大な識者」である必要はない。現象に対して的確な答えを導き出す「偉大な解答者」である必要はない。
 ただ、「偉大な出題者」たれ。
 問題に対して取り組むよう、聴衆に喚起せしめるのだ。同意されようが、反対されようが、反応を獲得すれば成功である。「反応」が「反響」なら尚いい。

【平家翔】
 ああ、寺山修司も「私は大きな質問になりたかった」と発言していますね。

【ミスターX】
 スランプにあがく痴態を読者に見てもらって、「才能ないって大変なんだなぁ」とか、少しでも感じてもらえれば、それでいいじゃないか。君の、何とか言うブログ、君の文才が徐々に枯れていくさまをありのまま活写したドキュメントにしてしまえ。現代版の平家物語だよ。リアルタイムの没落を読者に哀れんでもらえ。よし、それでいこう。

【平家翔】
 イヤです。

【ミスターX】
 帰れ!


ポーラ   (2007/09/20)
夕暮れ
 安アパートの一室。窓から差し込む強烈な西日。室内、オレンジ色。
 チェンバロ、リコーダー、フィドル、リュート。めくるめく煌めく音楽。メリー・ゴー・ラウンドのバック・グラウンド・ミュージック。跳ねっ返る高い音。おもちゃ箱をひっくり返したようなキラキラ。サーカスのような。サーカスのような。サーカスのようなサーカスのようなサーカスのような。
 そこかしこに、おもちゃ。天井で回転するメリー。赤青黄色さまざまに明滅するイルミネーション。電飾。電飾電飾電飾。赤青赤青赤緑、紫黄白緑青。部屋の空気はオレンジ色。
 白い木馬。プラスチック特有のツヤで反射するたてがみ。装飾的な鞍。軍楽隊に追い立てられるような怯懦の瞳。
 セルロイド製の人形。表情は微笑。つぶらで黒目がちな眼、穏やかな口元。しかし無表情。微笑。しかし一切伝わってこない感情。
 フランス人形。すましたお顔で。イルミネーションの明滅で色々に変化する顔色。
 散乱する、つみき。カーペットの上の。つみき。血。
 クマのぬいぐるみ。フランス人形の腕に抱かれた。愛くるしい。それは薄汚れていて。友。恐怖を、痛みを分かち合ってくれるような。
 室内はオレンジ色。きらびやかな音楽。陽気なファンファーレ。楽しげでそれでいて寂しげな夜の遊園地の音楽。原色の光の洪水。ターン・オン、ターン・オフ、カラフルなライトの呼吸。
 フランス人形のような女の子。おにんぎょさんみたいに。整った目鼻立ち。ベッタリと床に座って。赤いチェックのワンピース。フリルのついたスカート。スカートから投げ出された足。足の先には赤い靴。ツヤツヤしていて光を反射。ベッタリと床に座って。左手にクマのぬいぐるみを抱っこして。右手を鎖に繋がれて。整った目鼻立ち。うつろな目。血のにじむ唇の端。青く腫れた右まぶた。
 室内はオレンジ色。メリー・ゴー・ラウンドのバック・グラウンド・ミュージック。アパートの窓外は夕焼け空。日が暮れる。男が玄関の鍵を開ける時、狂ったショーが始まる。



別の夕暮れ
 すっぱだかにひん剥かれた女児の水死体がドブ川に浮かんでいたので橋の欄干から石を投げつけているとボブが来た。
「何してるの」
「石をぶつけようと奮闘中」
 ボブちらと水死体を見て手近の石を拾う。
「こうするんだよ」
 ボブの投げた石は女児の生白い腹に当たってポコンと跳ね返った。
「さすが」
「だろ?」
 ボブ二投目は鋭利な石を一投目より勢い良く投げつけてこれも命中、ガスが溜まってパンパンに張った女児の腹にめり込んだ。ほどなくその痕から立ち昇るのだろう耐えがたい悪臭が鼻腔を刺す。
「クサイ」
「ほんとクサイ」
 投石を中断して鼻を抑えつつ青黒く膨れ上がった女児の顔を見ているとはてなんだか見覚えがある。ジャンの妹ではないか。
 しばらくしてジャンがちょうど通りかかった。
「あれおまえの妹じゃねえ?」
「ああ。そうみたいだな」
 ジャンは欄干にもたれかかって水死体を静かに見下ろす。嗅覚が麻痺し始めたので的当てを再開する。ボブも無言で石を投げる。ボブの投げた石はおでこに当たり、腐肉がぐちゅりと削げた。
「やっぱりおまえの妹か?」
「そうだな」
 さっきからボブは顔ばかり狙っていてそれでいて石が眼窩に突き立ったりした時などはいかにも悔しそうに舌打ちをしていたがむごたらしくカパリと開いた口に石が飛び込んだ時ようやく本懐を遂げたらしく小躍りをして喜んだ。妹の口腔にすぽりと石が入った名場面にジャンも意欲をそそられたのか石を手に取ってダーツを投擲する事前動作のような仕草をする。慎重に放った。歯に当たってカチリと音がした。三人が三人とも思わず大きな嘆息を漏らし口惜しげに呻いた。
 ジャンはなおも石を投げ続けながら「クサいね」と言った。「そうだね」と簡単に相槌を打ってまた投石に没頭する。ボブはジャンに意地悪するため大きめの石をぶつけて死体を俯せに回転させようと試み始めた。させてなるものかと苦笑しながら死体が仰向けのうちにたくさんぶつけようと投擲のペースを少し早めた。
 日が暮れかかる頃にはとっくに石投げをやめて川下の美しい夕焼けを見ていた。ジャンの妹の口の中には石が三個入っていた。
「そろそろ帰ろうか」
「うん」
 タバコを捨てると川に火が点いた。重油まみれの水面がほむらでゆらゆらと揺れた。
「最後の一球」
 これから焦げるであろう妹にジャンが並々ならぬ熱意で石を投げつける。それを祈るような気持ちで黙って見守った。ジャンの投げた石は残念ながら口の中の石に拒まれて川に落ちた。
「今のは入ってたな」
「口の中に石がなければ」
 さみしく笑って橋を渡った。



また別の夕暮れ
 浜辺で、漁師のような格好の浮浪者が、ごきげんに歌いながら、焚き火をしていて、彼は赤ワインをチョクチョクたしなみつつ、時折、波打ち際を見やりながら、また何か漂着しないかな、なんて、狡猾そうな目を光らせながら、日焼けした肌を、海風にさらし、ワインと、ワインのような色の海と、腐った血のように赤黒い太陽が、神経中枢を痺れさせるほどに酔わせるこの宵、優しく真砂を洗う波の音が耳に心地よく、特に敬虔でもない彼でも、さすがに、神の存在を言祝ぎ、そして、ワインをたしなみながら、何かを食べているのだが、それはどうやら、表面がこんがりと焼かれた、香ばしい何かの肉で、中は生焼けで、どろどろに溶けた、チーズのようなそれを、うまそうに、そして、得をしたような笑顔で、むさぼっていて、それから、未熟な腐肉をナイフで削ぎ落とし、やはりこれもおいしくいただくのだが、めまいのするような結構なうまみが、数日間ろくな物も食えず飢えていた彼の味覚を幸福にさせるし、至福の瞬間、これ以上ない喜びは、緑色に濁った球体をかじり、中身をチュウチュウと吸い出し、とろみのある液体を、いや、体液かな、それを口に含んで舌の上で転がしたのち、舌なめずりして唇の周りを拭うことであり、肉をつまんでいる手とは逆の、あいた手で祈りの真似事をし、神に感謝を捧げるのは、この浜辺に打ち上げられた、未開封のワインボトルと、この肉とを、彼にプレゼントしてくれたことに対してであり、ごきげんに歌いながら、焚き火をしていて、何かを食べているのだが、それはどうやら、表面がこんがりと焼かれた、香ばしい何かの肉で、香ばしい何かの肉で、香ばしい何かの肉で、どろどろに溶けた、チーズのようなそれを、うまそうに、そして、どろどろに溶けた、得をしたような笑顔で、むさぼっていて、むさぼっていて、とろみのある液体を、むさぼっていて、中は生焼けで、これ以上ない喜びは、やはりこれもおいしくいただくのだが、腐った血のように赤黒い太陽が、香ばしい何かの肉で、至福の瞬間、めまいのするような結構なうまみが、舌なめずりして唇の周りを拭うことであり、そして、それはどうやら、それから、海風にさらして、そして、むさぼっていて、どろどろに溶けた、そして、それから、ワインと、ワインと、どろどろに溶けた、そして、どろどろに溶けた、おにんぎょさんみたいに、うまそうに、うまそうに、うまそうに、うまそうに、うまそうに、うまそうに、うまそうに、うまそうに、うまそうに、そして、そして、うまそうに、うまそうに、そして、うまそうに、うまそうに、うまそうに。


特別講義「Nについて」   (2007/09/13)
 2004年、秋。のちに散文ブログ『ちりぶみ』で同人となるこさめさんと、毎日のように電子メールで文通をしてました。そんな折り、何かのきっかけでこさめさんのためだけに作品を書くことに相成りました。何かのお礼だったのか、もしくは弱味を握られたのか、はたまたスケベ心が発動したのか、今となっては定かではないのですが、とにかく、一般公開ナシの作品をわざわざ書いたわけです。それがこれ、『特別講義「Nについて」』です。
 一般公開ナシ=こさめさんだけに捧げたプレゼント。なのになぜ、今このタイミングで一般公開をするのか。それは、シトラス系の香り漂う清い名前の女の子から「実は『とりぶみ』読んでます」と衝撃の告白をされた際に、うっかり「こさめしか読んだことのない作品があるよ」と故意に口を滑らせてみた所、軽く嫉妬されたからです。まあ、世間ずれしていないこのボクちゃんは「読んでます」というのが社交辞令だとは気が付いていませんし、もちろん「嫉妬された」というのはモロに勘違いしてるのですが、それにしたって、たった一人に読ませただけで葬るにはあまりに惜しい、そろそろ世に出すか、というわけで、こさめさんに無許可で蔵出しする次第であります。
 本当は新作が書けなかっただけなんだけど。(秘密にしとけ!)

 ──しかしまあ、なんでこさめさんに対してあんなサービス満点なことをしたんだろ。好きだったのかな? 残存しているメールから推理しますと、どうやら私が「なんか書いていいですか。今なら筆が走ってて書けそうな気がするのです」という妙な心境になった模様。それで、当時教師を目指していたこさめさんに「俺が先生になったらどんな授業するか聞きますか?」とたずねた所、三段活用「聞きます!聞きたいです。聞かせて下さい」とのことだったので、大塚先輩の授業がどれだけつまらないかというのを力説するために執筆したようですね。はい。大元の理由は結局わかりません。。。
 ご託はもういい。どうぞお楽しみ下さい。2004年9月26日の作品です。
[続きを読む]

金色の宵   (2007/09/06)
 暑い夏だった。
 空は青く、高かった。カンカン照りの太陽に照らされた町は、まぶしく光っていた。家々の屋根が、ひとつひとつ、ギラギラと輝いていた。夏の日差しは町全体に行き渡り、隅々まで届いていた。
 町の背後、ゆるやかに隆起する小山は、鬱蒼と茂った森に覆われていた。強い陽光に曝された世界で、こんもりと盛り上がったそこだけが黒い。太陽の干渉を見事に撥ねつけていた。
 森の中には小さな神社がある。木々に天を覆われた、冷涼たる空間。少年たちはそこに居た。
「もーいーかぃ」
「まーだだよ」
 セミの声がすさまじい。まるで森全体を天ぷらにしている真っ最中なのではないかと思えるほどの大音声だ。森の中は日陰だから涼しいが、外は大変な暑さなのだろうな。
 夏休みにこのメンバーで集まるのは初めて。普段は学校の休み時間を一緒に過ごすメンバーだけど。
 夏休みがもう終わる。
「もーいーかぃ」
「まーだだよ」
 ジャンケンで負けて鬼になったよっちゃんを狭い境内に残し、ぼくたちは森に散る。ぼくは崖の近く、町を見渡せる場所にひそむ。
「もーいーかぃ」
 よっちゃんの張り上げた声は、消え入るほど小さくなっている。
「まーだだよ」
 よっちゃんの声よりもさらに遠い声で誰かが返事をする。──ぼくは黙っている。声を出せば居場所がわかってしまうから。
「もーいーかぃ」
「……」
 ついに誰も返事をしなくなる。ぼくは大きくひとつ息を吐き、おとなしく木の幹に寄り掛かって座る。木の葉がなく、眺望のひらけたこの場所で、町を見下ろす。
 決して大きくはないこの町。大好きだ。色とりどりの屋根。町役場。通学路。本町通り。ぼくたちは放課後、あの辺りを一緒に歩く。
 太陽は町や道その他天下にあることごとくに光を塗りたくる。余った光は反射して、また別の場所をまぶしく塗る。その別の場所を塗ってなおも余力があれば光は反射する。──日の光は自らの身を各所にこそぎ落としつつ、縦横無尽の跳ねっ返りを続ける。そうして徐々に薄められた日の光が、ぼくの眼下からこの森の中に滑り込んでくる。下から上に向けて光を放つ太陽。
 はるか向こうの低山の上、山より高く入道雲がそびえている。まるで絵本に描かれた雪山のようだ。凍てつくような白さで、陰になっている部分の灰色は寒々しい。そうして少しも動かない。手の届かない彼方にどっしりと存在している。とてつもない標高。見ているだけですがすがしい気分になる。
 あの雲に登れたらな、なんて妄想してみる。きっと爽快だろう。ズブズブと足がのめり込むほど柔らかくて、中はシャリシャリで、ひんやりと冷たい。妄想は深まる。ああ、あの遠い雪山の頂上で、登山隊の幻がテントを設営している。巨大な峰。無性にかき氷が食べたくなる。かくれんぼが終わったらもう一度みんなで駄菓子屋に行こう。
 あいかわらずセミの声がすさまじい。夏の終わりの到来を恐れ、刹那を懸命に生き抜こうとする声。陽気に思えるその歌声は、裏返せば悲愴だ。
 ぼくはかくれんぼに参加していることも忘れ、不快ではないさみしさに心ゆだねてしんみりとする。
 セミの一生について考えをめぐらせる。セミの命は短い。って、本当だろうか。ぼくは問う。セミの命は短いって本当だろうか。ぼくの心の中の、友だちの像が、それぞれ意見を述べる。
 よっちゃんが言う。本当だ、と。ササが言う。たった一週間で死ぬから、と。そのササに虫博士が反論する。幼虫は土の中で数年間を過ごすんだよと。ミッケがササを援護する。暗い土の中で何年も耐え忍ぶなんてかわいそう、と。ユカピーがミッケに同意する。ようやく明るい地上に出られたと思ったのに一週間で死んじゃうなんて…やっぱりかわいそう、と。立場の無い虫博士はドギマギしながら黙りこくる。
 セミの一生は忍従の一生か。ぼくは違うと思う。地中で暮らす生活は、人間の価値観からすれば悲惨かも知れないが、セミにとっては存外快適かも知れない。
 それに、彼らの最期の一週間は、どれくらい光に満ち溢れているだろう。この、夏という季節。すばらしい季節! 清少納言が讃えた時刻にセミたちはハレの舞台に登場、瞬時に大人へと変身する。古い自分を脱ぎ捨てると舞台には巨大な照明が点灯する。地上に向けて放物線を描く小便がキラキラと輝く。初めて日の目を見るセミたちの処女飛行。
 どこがかわいそうなものか。ヤツら、キラキラとまばゆい幸せに包まれて、傍若無人に贅沢の限りを尽くす。飛び、歌い、恋をする。あれだけ充実した日々を一週間も満喫して、何がかわいそうなものか。──短命? 仮に短命だとしても、夭折上等、一生のうちで最も輝かしい時代に死ねる。零落を知らず絶頂期で世を辞す、その生き方は多くの芸術家の理想とするところではないか。うらやましい。ああセミがうらやましい。彼らの最期は、贅を尽くした絢爛たる一週間だ。
 夏休みはいつまでも続かない。しかし人生は続く。ぼくたちはセミのようには成れない。夏が終わっても日々を過ごしていかなければならない。人生の夏休みが終わり、人生の晩秋が始まっても、容易に死ねない。消費していかなければならない……セミの、まばゆく輝く最期の一週間とは比べ物にならない、暗く濁った千週間を!
 俺は、光に満ちた時代に、光に満ちた景色を見ながら、子どもらしくもない、そんなことを考えていた。
 そのままの状態でどれくらい経ったろう。不意にガサッと草の鳴る音がする。
 ぼくは驚いて後ろを振り返る。目と口をぶざまに開けて。
 相手も驚いたらしく、ぼくの姿を認めて身体をビクッとさせる。
「ザニーくん」
「ユカピーかぁ」
 よっちゃんではなかった。ユカピーだった。ユカピー、俺の…。
「どうしたの?」
「よっちゃんが近づいてくるのが見えたから、逃げてきた」
「え、どこ。どこに隠れてたの」
「道祖神の近く」
「あ、あそこか」
「もうすぐこっちにも来るかもよ」
「え、マジで」
「逃げよ」
 ユカピーは飴のような目でぼくの顔を見てから忍び足で歩き出す。ぼくもユカピーのあとに続く。
 ユカピーのすぐ後ろを、ユカピーの背中を見ながら歩く。その背中にふとした違和感があり、直後、ハッと気が付く。Tシャツの下に透けて見える、ヒモ。ぼくは目をそらせる。顔が熱い。
 ユカピーのかかとを見ながら、何も言わず、歩く。ぼくはユカピーの小さな、しかし大きな変化に、きっと、とまどっていたに違いない。一方のユカピーも何も言わない。どうも緊張しているようにも思える。見られるのが恥ずかしいような、不愉快なような、そんな風な背中。
 ユカピーはどんどん歩いていく。ぼくも同じ歩調で続く。ふたりは一言も発しない。声を出せばよっちゃんに見つかってしまうかも知れない、という理由もあっただろうが、あきらかにふたりはお互いを意識し合っている。ぼくは、ユカピーの背中が見れなくて、どこに連れて行かれるかも知らず、ずっと下を向いたまま後についていく。
 ユカピーはやがて立ち止まり振り返る。ぼくも顔を上げる。そこはかくれんぼのスタート地点、神社のお社だ。
「座ろ」
 ユカピーは大胆にもお社の階段に腰掛ける。どうやら隠れる気が全く無いらしい。ぼくは人ひとり分スペースをあけてユカピーの隣に座る。ひさしぶりに話しかける。そう、ひさしぶり。歩いていたのは数十秒だが、ぼくにはその沈黙の期間がとてつもなく長く感じられたのだ。
「かくれんぼ、飽きた?」
 ぼくの方を見ずにユカピーは答える。
「ううん。でも、よっちゃんみんな見つけられないよ。かくれんぼだけで一日終わっちゃうのなんだかもったいない」
「そうだよね」
 これ以上、特に話は弾まない。
「みんな早く戻ってこないかな」
「うん」
 それ以上、特に話は弾まない。
「……」
「……」
 ユカピーはぼくのことが好きかも知れない。わからないけど。
 ぼくもユカピーのことが好きかも知れない。わからないけど。
 たぶん、ぼくとユカピーは、お互いに、好きだったと思う。でも、ぼくはそれを隠したがる。その感情を否定する。ユカピーもそうだろう。認めようとしない。自分の気持ちにすなおにならない。バカだ。ぼくたちはバカだ。ていうか子どもはバカだ。バカ? それともまじめなのか。クソまじめなのかも知れない。とにかく損してる。ぼくたち子どもはセミのように鳴かない。鳴こうが鳴くまいが、夏は終わってしまうのに。鳴かないうちに季節が変わってしまい、季節が変わってから初めて鳴く。冬になってから夏の終わりを嘆く。俺たちはあの時、何も話さなかった。
 そこへタイミング良くよっちゃんが現れ、意外そうな顔でぼくたちを見つける。ぼくたちはクスクス笑い、よっちゃんがどういう反応をするのか見守る。
「ザニーとユカピー見っけ。って、あれ? なんだよ隠れる気ないじゃんよー」
 よっちゃんは結局誰も捕まえられなかったらしい。
 ぼくたち三人は大声でみんなを呼ぶ。ササ・虫博士・ミッケ・アイちゃんがそれぞれ茂みからのそのそ出てくる。再会を果たしたぼくたちは笑う。嬉しそうに、実に楽しげに。そうしてみんなお社の階段に座る。一段目に男子三人。最上段にぼくとユカピー、そこに女子二人が加わる。ユカピーはおしりをずらしてぼくの方に詰める。肩が触れる。
 ぼくたち七人は他愛もない話をする。
 宿題の自由研究の話。学期初めの席替えの話。虫博士が私立中学を受験するという話。夏休みにどこに行ったか。などなど。その他、このメンバーでいつか海に行きたいね、なんて。
 直射日光を遮断する木の葉のドーム、緑色が目に濃厚だ。ぼくたちは穏やかな時を過ごす。アキばあちゃんの店にかき氷を食べに行くのも何だかもったいない気がしてくる。ここでこうしているのが、今一番幸せ。
 夏が大好きだ。あと何回、この季節を愛でられるだろうか。この太陽を拝めるのだろうか。大人になっても、この素晴らしい気持ちになれるだろうか?
「このままこの時間が永久に続けばいいのに…」
「本当に、そうだね」
 このメンバーで、この場所で、この季節に会うのは、おそらくこの夏が最期だろう。最期であると、なんとなくわかっていながら、誰もそれを言葉には出さない。また逆に、「いつまでも友だちだ」とか「いつでも会えるじゃん」なんていう気休めも言わない。みんな、子どもながらに感じ取っている。この夏が終われば掛け替えのない人生の一季節も終わることを。
 セミの声が、やむ。
 トンボが目の前を横切る。
 この夏は、今日、終わる。
 学校が始まれば毎日顔を合わせるようになるが、今日という日は、今日しかない。替えが利かない。来年の今日にも同じような幸福が味わえる保証は、全くない。
 みんな、黙る。刻一刻と今日が終わっていく切なさを、それぞれの胸の内に抱いて。
 世界は金色に輝き始める。盛夏に比べるとだいぶ日も短くなっている。だがそれでも、黄昏には早すぎる。まだまだ、今日は終わらない。今日は終わらない…。
 すると突然、電子音が鳴った。
 ササの腕時計のアラームだった。
 ササは気まずそうな顔をしながら腕時計を見やり、申し訳なさそうに、つぶやくように言った。
「そろそろ帰らなきゃ…」
 ぼくたちは現実世界に戻された。それはあまりにも唐突だった。あっけなく、夏は終わってしまった。
 俺は今でもササと交友があるが、今でもあの時のササを少しだけ恨んでいる。



«  | ホーム |  »