とりぶみ
実験小説の書評&実践
【小説】昔のTシャツ   (2017/09/09)
(作者のつぶやき)
 人生に関する攻略本、みたいな小説を書こうとして。。。たのが1年前。
 今や死に行く文化である「ゲーム攻略本」に想いを馳せ、オマージュしようと計画していた。やったこともないRPGの攻略本を参考資料として買い集めたりもした。
 しかしいかんせん、あつかうテーマが「人生」と大きかったため、頓挫して、放置してた。
 で、さっき、「好きな作家の新作出ないかな」と検索してたら、新刊発見。なんとアイデアが人生の攻略本で丸かぶり。
 俺の作品、お蔵入り!

 以上、酒に酔いつつ思いついたままの垂れ流しでした。
 以下、それとはまったく別のショートショートを書きます。(酒が入ってないと書けないって、わしゃ李白か)
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回文   (2017/05/26)
  車回車 car turns wheel

  1 ドライヴ・スタート
 男子はしたわ。チカチッカ、車でクラブ逃避。
「里子も(厭ふ私)乗れ!」か…。私を轂織がたまに締めた。


  2 レストラン
 玄米食べた。胃がチキン、地下で残したわ。おなかいっぱい。
 で、クルミポンチ残した。(他人、瓶ビール)

  3 フリーウェイ・トゥー・ヘヴン
「手で○むの。で、宿屋で○む…!? もー○てるー ○○○○に○ったし、この○○○、○○○でいっぱいかな? お渡し
「この○○○○○○○○!」「食べたい? ○○○」
 試しに跨がり、○○○をしたわ。彼の下は、ふ○○モッ○リ・ヒート・○ラックで丸く、○ッチ○チ。私は死んだ



【小説】レターライターラプソディー   (2017/05/16)
まえがき

 ジョルジュ・ペレックという作家は『La Disparition(煙滅)』というリポグラム小説で有名です(またその話かよ)。この小説はフランス語における最頻出アルファベット「E」の文字を一度も使わずに書かれた長編小説です。

 僕はこれに触発されまして、日本語の「ア段」と「イ段」を使わずに夏目漱石『夢十夜』の第二夜を再現する試みをしました。
 それがこちら→ 熱目漱雪ねつめそうせつ夢十夜ゆめじゅうよる』の変奏

 で、ペレックは、単母音の『Les Revenentes(戻ってきた女たち)』という短編小説も書いてます。『La Disparition』とは正反対に、母音を「E」しか使わない小説です。日本語訳は……さすがに今度こそ無理でしょうね。英訳はあるみたいですが。

 僕も『Les Revenentes』みたいな小説を書きたいなあ。でも本気で取り組んだら僕の知能指数では頭が爆発してしまうかも知れないなあ。
 頭が爆発すると部屋が汚れたり爆弾魔としてマークされたり近所の人から「うるさい」と苦情をお寄せいただいたりするかも知れないので結構困る。
 で、若かりし頃の僕が書いた短編ミステリーがちょっとそれっぽい。今回はこれを発掘しまして、頭が爆発しないよう代替品として公開するものであります。2000年1月の作品。
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【小説】たぶんコッペパンだと思う   (2017/03/16)
失・敗・作。
書き直す気も起きないのでヤケクソで公開。
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【小説】101号室   (2017/03/02)
 僕はホラー映画が大嫌い! 怖いから? 怖くないから!

 三寒四温の候、皆様におかれましてはやや体調不良のことと存じます。
 寒さの揺り戻しが厳しいこの季節、鼻水が出たり痰が絡んだりしてイヤですよね。あったか~いだったり、つめた~いだったり、どっちかにしろ!
 そんなわけで今回の短編小説は、納涼! 本当にあったこわ~い話をお送りします。
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【小説】そうだ、サシミにして喰っちまうか   (2017/02/12)
 場所
居酒屋、および土屋邸


 人物
土屋 土建業
日犀 自称プロサーファー
月座 よっぱらい(検定3級)
大塚 実験小説ヒョロン家
氷室 ガス検針員
金鏖 写真家(ヌード専門)
木星 天体 
ハムレット デンマーク王子、先王の息子、現王の甥
リヤ 先王
マクベス 将軍、後に現王
オセロー ヴェニス政府に仕えるムーア人貴族
アントーニオー ヴェニスの商人、燃える闘魂
ロミオ 居酒屋店員
綾香 土屋の内縁の嫁
拓郎 綾香の息子
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【小説】パワーズ・オブ・テン   (2015/10/30)

 ……この光景を1メートルの正方形で囲み、10秒ごとに10倍ずつ離れて見ていくと視界は10倍ずつ広がっていくことになる。
 10メートル四方の広さ。10秒後に正方形はこの10倍になる。(略)
 100メートル四方。人間が10秒で走る距離。ハイウェイの車や停車中のボート、カラフルな競技場が見える。
 1キロメートル四方。レーシングカーが10秒で走る距離。湖畔の大都市が現れる。
 10の4乗、1万メートル四方。超音速ジェット機が10秒で飛べる距離。ミシガン湖の一端、そして湖の全景。
 10の5乗、人工衛星が10秒で横切る距離。長い紐状の雲が見える。
 10の6乗、100万メートル四方。1の後にゼロが6つ。
 ほんの1分ほどで我々は地球全体を見るまでになった。
──チャールズ&レイ・イームズの映像作品『パワーズ・オブ・テン』より。
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【小説】目次   (2015/07/29)
 いよいよストックも少なくなってきており、こんな粗品での更新をお詫び申し上げます。
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【小説】吾輩はガラケーである   (2015/05/24)
 さっぱり書評をせず、すみません。新作小説も書いていません。
 なんつうかこう、小説と関わっていない方が運気の流れが良くてですね……。
 率直に言えば断筆したことによって気分が明るくなり、早寝早起きをするようになり、虚弱だった体が健康になり、お肌もツヤツヤ髪もフサフサ、二重アゴは治って二重まぶたになり、ウエストは-30cm、友達もたくさん増えてレクリエーション三昧、Fカップのパツキン美女に告白されて交際スタート、英語の成績もアップ!身長も5cm伸びた!会社の会議ではなぜか新規プロジェクトのリーダーに抜擢され、飲み屋で部長から激励されたその帰り道に拾った分厚い財布、中をあらためたらなんと70万円入っていた!しかしネコババはせず交番に届けたところその財布の持ち主は得意先の社長!おかげでプロジェクトはトントン拍子で大成功、同期の中の出世頭となり、なんとなく記念に買った宝くじが500万円の大当たり、それを元手にテキトーに買った株が急騰!こりゃたまりませんわ豪遊ですわと出かけた場末のキャバクラで彼女の他にセフレもゲット、ウハウハの毎日、それもこれも小説を書かなくなったおかげ!これは全て真実です!あなたも小説を書かなくなってみませんか?お申し込みはこちらから。今なら無料パンフレット進呈中!
 そういうわけで、すみません。新作はご用意できませんでした。
(映像:留置所の隅で膝をかかえ、ぶつぶつ言ってる大塚晩霜)
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【小説】電卓による官能小説   (2015/03/26)
0105+067 …①
=172-106 …②
=66+14=80 …③
-26=54+54=108 …④
-39=69 …⑤
-41=28+28 …⑥
=56+10=66 …⑦
+11-11+14 …⑧
+14-19-19 …⑨
=56-30=26 …⑩
+55=81-81 …⑪
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【小説】生   (2015/01/30)
生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生(筆者注:これは無限に近い可能性を秘めた文学作品である)
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【小説】熱目漱雪『夢十夜』の変奏   (2014/05/27)
 ジョルジュ・ペレックという作家の作品に『煙滅』というリポグラム小説がある。リポグラムとは文字落としという言葉遊びの一種。件の『煙滅』はフランス語における最頻出アルファベット「E」の文字を一度も使わずに書かれている。当然翻訳は不可能だと長らく思われていたが、なんと日本語訳が刊行された。しかも「イ段」を一切使わずに翻訳するという驚異の離れ業であった。
 研究によれば、日本語において最も使用頻度の高い仮名は「イ」である。そして、最も使用頻度の高い段は「ア段」だそうだ。それは果たしてホントーデアルカ? 実感していただくため、夏目漱石『夢十夜』の第一夜の、ア段の音を「Z」に、イ段の音を「X」に置き換えてみます。では、ご覧あれ。


ZXXXZ
 こんZ夢をXZ。
 腕組XをXてZくZ元XすZってXると、Zお向XX寝ZおんZZ、XずZZ声でもうXXZすとXう。おんZZZZXZXをZくZXXXて、XんZくのZZZZZうXZねZおをそのZZX横ZえてXる。ZっXろZ頬の底XZZZZXXのXろZ程よくZXて、くXXるのXろZ無論ZZX。到テXXXそうXZXえZX。XZXおんZZXずZZ声で、もうXXZすとZっXXXっZ。X分もZXZXこれZXぬZと思っZ。そこで、そうZね、もうXぬのZね、と上ZZ覗X込む様XXてXXてXZ。XXZすとも、とXXZZZ、おんZZZっXXと眼をZけZ。大XZ潤XのZる眼で、ZZXZつげX包ZれZZZZ、ZZXX面XZ黒でZっZ。そのZ黒ZXとXの奥X、X分のすZZZZZZZX浮ZんでXる。
 X分Z透X徹る程ふZくXえるこの黒眼のつZをZZめて、これでもXぬのZと思っZ。それで、ねんごろXZくZのそZへくXを付けて、XぬんZZZろうね、ZX丈夫Zろうね、とZZXXZえXZ。するとおんZZ黒X眼を眠そうXXZっZZZ、ZっZXXずZZ声で、でも、Xぬんですもの、XZZZZXZとXっZ。
 Z、ZZXのZおZXえるZXとXっXんXXくと、XえるZXって、そZ、そこX、写ってるZZXZせんZと、XこXとZZってXせZ。X分ZZZって、ZおをZくZZZZZXZ。腕組XをXZZZ、どうXてもXぬのZZと思っZ。
 XZZくXて、おんZZZZこうXっZ。
「XんZZ,埋めてくZZX。大XZXん珠ZXでZZを掘って。そうXて天ZZ落Xて来るほXのZけをZZXるXX置XてくZZX。そうXてZZのそZXZってXてくZZX。ZZZXXXZすZZ」
 X分Z、XつZXX来るZねとXXZ。
「XZ出るでしょう。それZZXZXずむでしょう。それZZZZ出るでしょう、そうXてZZXずむでしょう。──ZZXXZXZXZZXXへ、XZXZZXXへと落XてXくうXX、──ZZZ、ZってXZれZすZ」
 X分ZZZってうZずXZ。おんZZXずZZ調XをXXZんZXZげて、
「Zく年ZってXてくZZX」と思XXっZ声でXっZ。
「Zく年、ZZくXのZZのそZXすZってZってXてくZZX。XっとZXXXZすZZ」
 X分ZZZZってXると答えZ。すると、黒XXとXのZZXZZZZXXえZX分のすZZZ、ぼうっと崩れてXZ。XずZZXずZ動Xて写るZげをXZXZ様X、ZZれZXZと思っZZ、おんZの眼ZZXXと閉XZ。ZZXZつげのZXZZZZXZZ頬へZれZ。──もうXんでXZ。
 X分ZそれZZXZへ下Xて、Xん珠ZXでZZを掘っZ。Xん珠ZXZ大XZZめZZZふXの鋭XZXでZっZ。つXをすくうZXX、ZXのうZXつXのXZXZZXてXZXZXZ。XめっZつXのXおXもXZ。ZZZXZZくXて掘れZ。おんZをそのZZXXれZ。そうXてZZZZXつXを、上ZZそっとZけZ。ZけるZXXXん珠ZXのうZXつXのXZXZZXZ。
 それZZほXのZけの落XZのをXろってXて、ZろくつXの上へ乗せZ。ほXのZけZZるZっZ。ZZXZXZ大ぞZを落XてXるZXZX、ZどZ取れてZめZZXZっZんZろうと思っZ。ZXZげてつXの上へ置くうXX、X分の胸と手Z少XZZZZくZっZ。
 X分Z苔の上XすZっZ。これZZZく年のZXZこうXてZってXるんZZとZんZえZZZ、腕組XをXて、ZるX墓せXをZZめてXZ。そのうXX、おんZのXっZ通XXZXZXZZ出Z。大XZZZXXでZっZ。それZZZおんZのXっZ通X、ZZてXXへ落XZ。ZZXZんZでのっと落XてXっZ。XとつとX分Zん定XZ。
 XZZくするとZZZZくれZXの天道ZのそXと上ってXZ。そうXてZZってXずんでXZっZ。ふZつとZZZん定XZ。
 X分ZこうXう風XXとつふZつとZん定XてXくうXX、ZZXXをXくつXZZZZZZX。Zん定Xても、Zん定Xても、XつくせZX程ZZXXZZZZの上を通X越XてXっZ。それでもZく年ZZZ来ZX。XZXXZ、苔のZえZZるXXXをZZめて、X分ZおんZXZZZれZのでZZZろうZと思XZXZ。
 するとXXのXZZZZすXX分の方へ向XてZおXくXZ伸XてXZ。XるZXZZくZって丁度X分の胸のZZXZでXて留ZっZ。と思うと、すZXと揺ZぐくXのXZZXX、心持XくXをZZぶけてXZ細ZZXXXXんのつぼXZ、ふっくZとZZXZをXZXZ。ZっXろZゆXZZZのZXで骨XこZえる程XおっZ。そこへZるZの上ZZ、ぽZXと露Z落XZので、ZZZX分の重XでふZふZと動XZ。X分ZくXをZえへZXて冷ZX露のXZZる、XろXZZXZX接吻XZ。X分ZゆXZZZおをZZす拍XX思Zず、遠XそZをXZZ、ZZつXのほXZZっZXとつZZZXてXZ。
「Zく年ZもうXてXZんZZ」とこのとXZXめてXZつXZ。


 ──ご覧の通り、とても読めたものではない。
 しかし、日本語の語彙はまことに豊饒で、ア段イ段ごとき無くなった所でフランス語に負けるような貧弱な言語ではない。第二夜を、ウ段エ段オ段のみで変奏してみせます。ただし、使える母音をU・E・Oとし、『煙滅』日本語版では禁じられていたイ段の字は認める(拗音を含むシュ・ショなどは可、ということ)。
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鍵坊日記part1&2including晩霜日記   (2008/03/06)
×月×日(鍵坊日記part1-1)
 吾輩は鍵盤である。名前は未だ無い。
 無いと云つても夫れは戸籍上の姓名が存在せぬ丈で、通稱は在る。主人曰く、「キー坊」ださうだ。どうせキイボヲドから駄洒落たのであらう。全く以て迷惑な話である、腹の立つ名付けである、吾輩は此樣な名前認めぬ。故に名前は未だ無い、とし度い。
 愚劣なる主人の事を一寸紹介して置かう。其の昔、彼は大學の物書きサアクルに居た。『吾輩は万年筆である』と云ふ駄作を披露し、駄作なるに關わらず人氣を獲得した。氣に喰はぬ。
 其の作風を網(ネット)世界にも持ち込んで、其處でも人氣を博そうと云ふ魂胆であらう。謂はば吾輩は、萬年筆氏を流用した存在であり、夫れを考えてもムカムカする。益々主人を憎み度く成る。
 此の日記は其樣な主人に對する愚痴である。舊字舊假名だらけ・振り假名抜きで讀み難いかも知れぬが、そこは御容赦願ひ度い。「讀めぬ」若しくは「詰まらぬ」など、餘りに不評ならば普通の文章で行く心算ではある。又、主人が飽きても同樣に一般的文言に直す豫定だ。
 讀者諸子は騙される莫かれ、主人の思惑に。讃辭なぞ贈つては成らぬ。此頁を閲覽せし人は何萬人ゐるか知らぬし、若しかして執筆者丈やも知れぬが、申し渡して置く。主人は最低の動物である。吾輩は聲を大にして言ひ度い。「頻繁に主人の暴擧を告発致すから、讀者諸子も日々注目して呉れ」と。宜敷御願ひ申し上げる。
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エメラルドの都   (2008/02/28)
 ああ、麗しの、エメラルドの都!
 ついにやって来たぞ。とうとう到着した。オズの魔法使いの舞台、全てがまばゆいばかりのエメラルドグリーンで彩られているという、不思議な都に!
 高い高い城壁。都をぐるりと取り囲んだ黄土色の長大な壁。この内側に、憧れの美しい都市と、そして、大魔法使いオズの宮殿が、ある…。感動で思わず涙がこぼれそうだ。
 城門は重厚な扉によって堅く閉ざされている。門番に許可を得て開けてもらわなければならない。はやる気持ちを抑え、見学の手続きをする。
 書類に必要事項を記入し終えると、色メガネを渡された。ああ、物語そのままだ。嬉しくなってしまう。エメラルドの都はあまりにもまばゆく光り輝いているから、魔法のメガネで目を保護しなければ失明してしまうのだ。おっかなびっくり、それでもわくわくしながら、私はメガネを装着した。
 メガネ?
 これは、どちらかと言えばマスクだ。顔全体を覆う造りになっている。原作とは少し異なるようだ。
 全ての手続きを滞りなく完了し、いよいよエメラルドの都へ。鉄製の門扉が今、威風堂々重々しく道を譲る。
 驚いた。
 再び感動した。
 今度は本当に涙がこぼれた。
 エメラルドの都、想像以上の美しさだ。想像を絶する。
 辺り一面に粉末状の翠玉をまぶしたような、自然界には存在し得ない人工美。全てがエメラルドグリーンだ。宮殿も、塔も、家も、レンガ道も、ベンチも、芝生も。美しい。ただただ美しい。
 まさしくここは、おとぎの国だ。マンチキンと呼ばれる住人たち。彼ら侏儒の着ている服はメルヘンチックなデザインで、色は明るい緑色。道行く人は皆つぶらな瞳でニコニコ微笑みかけてくる。子どもたちは二階の窓から手を振ってくれる。頭の大きな、賢そうな子どもたちだ。
 全てがエメラルドグリーン。地面も、畑も、住民も、空気さえも。都市丸ごと宝石で製造されている。
 宮殿から緑青色の川が流れていて、その上に小橋が架かっている。橋の上から川面を見つめると目がくらむほどキラキラ煌めいている。羽の生えた魚が無数に泳いでいる。極彩色のウロコに覆われた鳥が水面を優雅にダンスしている。まるで夢のようだ。どうやらこの川を流れる美しい水こそが、この都に活気をもたらす魔法の根源らしい。
 川べりで人々が談笑し、洗濯をし、水遊びをし、のどを潤している。六本足の真っ青なカエルが跳ねている。五本の尾を振る犬。なわとびをする四つ目の女の子。三本の腕で器用にギターを弾く男の子。タコのような肢体で双頭を支える女の人。肩から生えた一本の足で逆立ちしてピョコピョン歩く男の人。みんな笑顔で歌っている。まるで夢のようだ。
 現実離れした光景に恍惚としていると、マスクをかぶった門番が見学時間の終了を告げに来た。わずか十分間の滞在。もう少し居たかったが、これ以上の長居は認められないらしい。
 私は残念に思いながらしぶしぶ都の外に出た。
 メガネを返却し、健康診断を受け、高い高い城壁を見上げる。薫り高い風を鼻腔に感じながら、私は惜別の感傷に浸る。
 さらば、美しきエメラルドの都、メタミドホスを呼吸する都よ。願わくばオズの魔法で子々孫々に渡って繁栄し、恒久の平和あらんことを。


参考
すばらしいオズのエメラルドの都
七色に輝く河川


3M   (2008/02/07)
 もう十年前になるのかな。
 あれは高校三年の春だった。
 男子はしたわ。チカチッカ、車でクラブ逃避。
 背後に緑の濃い山をいだいたその村は、海に突きだした砂浜を見おろす場所に位置していました。砂浜の左手は港になっていて、桟橋にいくつかの漁船が停泊しています。空気が澄んだ土地で、夜になると星がきれいに見えます。
 僕は植物が好きでも嫌いでもない。だから庭がどれほど華やかになろうとも興味は無い。だが妻が夢中になるのは余り気に入らない。
 で今掘ってるかっつうと、掘ってない。休憩中だ。何事にも息抜きは必要なのさ。わかるだろ? 働き続けてたら疲れちまうからな。
「──おまえがもっとブスならいいのにな。」
「どうしてあなたはそう言うの?」
「だっておれは心配だよ、おまえがそれだけカワイイとおまえの浮気が。」
「わたしは浮気なんて絶対しない。」
「わかったわかった。おれはおまえを愛してるよ。」
「あなたはわたしのどこが好き?」
「おまえの顔はスター並にかわいいいって評判だし、おれももちろんそれが大好きだよ。」
 あたしはブスが大キライ。年とった女がキライ。ひたいに彫られたミゾや目じりに刻まれたシワ、シミだらけの肌にたるんだほほ。気持ちが悪い。あたしは老人を軽蔑する。彼らのようになるくらいだったら、若いまま早死にしたい。
「りう人福祉は、もちろん筆b要であると考えている。だがそrwは表面上の意いきであっって、本当の所では老人らは早宇亡くなって島えと思っています。」
 三度の飯と睡眠以外にはこれといった義務を持たないかれらは、明け方から日暮れまで浜辺に座りこんで、あきもせず常識を無視した空想を話していました。
「全国家の完全提携・世界平和の理想、そんな事は所詮夢物語だと言う人が居る。確かにその通りだ、そういう人が居る限りは。
 他人から言わせれば私の行動は異常かもしれない。でも、他人は他人。私にとっては至って普通なの。今の私が信頼できる人間は鏡の中の自分だけ。私の孤独を癒してくれるのは、同様に孤独な私だけなの。他人からとやかく言われたくない。
 二人は背中に浴びせられる嘲笑など気にもかけないといったふうに、懸命に櫂で水面をかき続けました。
「俺たち頭良いなあ」
「ほんとほんと。日本の首都だって言えるし」
「富士山、なんて言わないでくれよ」
「(あれっ、違うの!?)わかってるよ、それぐらい」
「じゃあどこだよ」
「渋谷、かな?」
「うん、確かそんな名前だった。正解!(メモっとこう)」
「あなたがたの創造なさる物は、ことごとく素晴らしい。ああご主人様、人様は神でございます。人が祝ってやってんのに無言かよ、いい度胸してんなあ。おい、ちゃんと喜びやがれ。声に出してありがとうを言いやがれ! おまえが今どこに居るのか知らねえが、人目も憚らず大声を出せ! さあ、言え! ありがとうって七十五デシベル位で叫べ!」
 わたくしたちは声をひそめながら話していました。しかし、そのうちに興奮してきて、知らず知らず声が大きくなっていました。
「(ポツリと)早く死んでよ。」
「今何て言った!」
「…何度でも言ってあげるよ。早く、死んでくれよ。」
「お前、おじいちゃんに向かって何て口聞きやがるんだ!」
「(ぶちキレて)うるせえなこのクソジジイ、とっととくたばっちまえ!」
 軍曹はサーベルをすらりと抜き、宙で無茶苦茶に舞わせてから切っ先を伍長の喉元に突きつけました。
 人生は短い。寄り道してたら間に合わない。死神の鎌は、もうそこまで迫っている。
 部屋中に飛び散った鏡の破片と共に血が飛び散った。
 老人は刀を鞘に収めてから静かに言う。
「悪いな君。目の前で友達を殺してしまって。」
 人生は何が起こるか解らない。人の心ほど法則性の無い物があるだろうか。永遠の愛を誓い合った曾ての恋人達も、一人は刑務所・一人は墓の中。
 彼女の死は悲痛な出来事だった。学校側が隠蔽したので新聞沙汰にはならなかったが、同期生はみんな知っている事件だ。
 遺体のかたわらには一通の封筒が置いてありました。厳重に封印されていて、表に「小松軍曹以外の人間は中身を見るべからず」と断り書きがしてあります。
「ご覧下さい。この手紙には呪われた文章が書かれております。読んだ人間を死に至らしめる、忌まわしき文章であります。にわかには信じられないかも知れませんが、効果は実証済みであります。
 俺はからかいつつ、誰からの手紙かたずねた。その封筒には「○○(彼女の名前)さんへ」とあるだけで、差出人の名は無い。彼女は封筒を開けてみた。中から出てきた便箋はノートの切れ端だった。そこには赤インクで次のようなことが書いてあった。
 二学期の遠足は山登りに行くのですが、機に乗じて吠斗を崖から突き落としてしまおうかと思っているのです。如何に豪傑な閣下と雖もこの計画には少なからず嫌悪感を抱かれるかと存じますが、何卒御理解の程お願い致します。
 就きましては、これから起こる「小学生転落死事件」は、事故という方向で決着するようにお取り計らい戴けないでしょうか。 先ずは右御願いまで。匆々頓首。
 ヨシトは恐ろしくなった。暖かい血が流れているのかどうか疑わしくなるセリフだった。
 忌まわしい殺害予告状だが、これを知る者が書いた本人と亡くなったあの娘と俺だけではもったいないと思い、公にすることに決めた。
 僕は黙ったままよっちゃんの手を引き、ジャンボすべりだい下のトンネルへ向かった。ここなら誰も来ない。誰にも聞かれない。よっちゃんだけにはあの日の出来事を語ってしまおう、全て吐き出して気持ちを楽にしよう。
「よっちゃん、この事は誰にも話さないでくれよ。どうかお願いだ。二人だけの秘密にしてくれ。もし話した事がバレたら、僕、永井に殺されちゃうかも知れない!」
「そんなの勝手過ぎるだろ。ひどい責任転嫁だ。じいちゃん達が当事者なんだ、俺は関係無い。被害者に謝れってさっき言ってたけど、俺は謝る気がしないね。だって何も悪い事してないもん。じいちゃん達が腹を切って謝れよ。」
 男は無言で席を立ちた。呆れ果てたのか軽蔑したのか、はたまた同情の余り不憫に思うたか、兎に角帰りて行きた。
 止天毛左美之以
 朕はいつしか頬を濡らしておぢゃった。再び拭われて、鋭く画面をお睨みになる。
 鏡の中で、私が今にも泣きそうな顔をして立っている。
「今日の出来事は、思い出したくも、ないよ。」
 朕は自殺したくなられた。けれど死ぬのはおっかない。従いて引き篭りを決め込んだ。二親に寄生して、電子世界だけに生きる事とあそばした。二次元ならば過去の失態は隠し遂せるからのう。
 僕はそのまま自分の教室に入っていった。ガラガラガラ、力無く滑るドアは静寂への遠慮からではない、世にも恐ろしい光景の目撃者となってしまった絶望感からだった。
 僕の入室を、クラスのみんなが注目した。
「あっ、バンソー(僕のあだ名)が来た」
「おはよー」
「よく眠れたかい」
「うん」
「そっちこそ」
 疲れと酔いを振りほどいて起き上がると、今度は憂鬱と倦怠が降ってきて私をベッドに押しつける。目は覚めてるのに身体は束縛されたまま、箸に挟まれた気分のまま。しばらくボーッとしたあと、ひきちぎれるほどに伸びをしてようやく起き上がる。
 それからというもの、僕は教室でそわそわし始めた。先生の授業もうわのそら、「ぼーっとするな」と注意される事しょっちゅう。休み時間も、逃げるように校庭へ出ていった。
 ある日の放課後、元気のない僕をよっちゃんが心配してくれた。
「おまえたちは稼ぎが少ない、いつまで待っても業績が伸びない、後輩たちに追い抜かれる、仕事に取り掛かるのも終えるのも遅い。云々。」
 クドクドしいお説教は長い間続いた。それがようやく終わって地上に出た時、陽は大分高くなっていた。
 ソーとクウは満足げに月から地球を見あげました。
 あれを見ろよ。あいつらの作った物を。眼下に広がる建物の群を。あの屋根の中には人間がぎゅうぎゅう詰めさ。あんな狭い所に押し込められて、それでも生きているんだから不思議なもんだよ。
 ここからおまえらを見渡していると、実際その数に驚くよ。よくもまあそれだけ繁栄したもんだよ。その数だけは誇っていいと思うぞ。まあ,誇るも何も、弱っちいから集まって暮らしているんだろうがな。
「よく目をこらしてごらん。見えるよ、かれらの生活が。まるでコウのように気どった、洋服を着ている人たちがたくさん歩いているね。」
 流れが乱れている場所があった。見ると、数人のゴロツキがサラリーマン風の男をリンチしている。サラリーマン風の男は道行く人に助けを求めていたが、人の流れは止まる事がなかった。
 人間というものは何故争いばかり繰り返すのであろう。人類の歴史は戦争の歴史とも言われる位である。
「本当だ。でも、あっちの村はもっとすごいぞ。箱のような船が、煙を吐きながら地上を走っているぜ。」
「えっ。どっちどっち? わあ、本当だ。」
 電車は動き出した。ヨシトはぼんやりと、流れる景色を眺めた。春の空は赤く染められつつある。
 電車は三人を乗せて走り続けました。その間、車内では一発の銃声が響き渡りましたが、幸いにして乗客は少なく、居ても耳の遠いおばあちゃんばかりだったので迷惑は掛かりませんでした。
 あいつらは何をしているんだろ? あの箱全てに人間がうじゃうじゃ入ってるって信じられるかい? あいつらは何のために生きているんだろ? あいつら自分たちが何のために生きているのか知ってるのかな?
 頭の中が真っ赤になった。手当たり次第に鏡を掴み、投げつけた。可愛い人格の宿るピンクの鏡が、理知的な人格の鏡が、男の子っぽい人格が、次々と砕けた。――
 あれから十年。もう誰もふりむかない。それどころか避けて通る。あたしは美しくなくなった。三十代なのに老婆のような肌。眼はくぼんで歯は抜け落ちた。おまけに交通事故で鼻がつぶれた。鏡はとうの昔に投げ捨てた。
 若いころは良かったよ。いい男をとっかえひっかえで。得意の絶頂だった。それが、今じゃどう? むりな整形や健康に悪い化粧のくりかえしでからだはボロボロ。軽蔑してたブスどもの仲間入り。いえ、彼らよりもなおいっそう悪いかも。ああ、こんなことになるなんて思わなかった。見下していた人たちと同じ、もしくはそれ以下の女になるなんて。はずかしくてたまらない。
 全盛期の訪れた者は、不幸にして人生の下り坂を転げ落ちる事になる。成長の早い者は、他人よりも早く衰えるのが常である。
 ああ、本当に過去の己は恐ろしい。若かりし日の己は他人である。厄介な代物と言っても差し支えない。
 自信過剰は身を滅ぼす。しかし、自尊心を挫かれなければ身を保つ。自尊心を挫く存在を破れば我が身は安泰なり。
 今まではいじめられる事しかなかった。だけど、いじめる側に立ってみて、初めて知るこの征服感。やめられない。それは、いつしか快感となった。矛盾と知りながらも、私はあの私を嫌悪しバカにし続けた。
 其の男は何う爲やうもない愚物である。第一に頭が惡い。頭の惡さは顏を見ても判明する。人は耳のに、兩眼の奧に、顏の内に腦を有する。顏は腦の表面である。だから、莫迦そうな面を晒して居る者は大抵莫迦である。此の論理から行けば其の男も莫迦であるに決まつて居る。そして實際莫迦なのである。
 みんながぼくを軽蔑する。ブタブタと罵る。きみたちはおろかほかの動物たちも。
 実の所を言えば、吾輩が本気を出すと人間は滅びるのである。しかし本気を出さず、彼らに天下を譲っておる。何故か。決まっている。彼らの増上慢を観察して楽しんでいるのである。
 朕は孤高でおぢゃる。それ故友人なぞお作りにならぬ。
 この童話は、我々の価値観が狂っていないかどうか、鋭く警告を発する作品と言えよう。我々はこの童話を正当に評価し、後世の子ども達へ伝えていくべきだ。折れ曲がった定規を振り回すのは、歳取った衒学先生達だけで沢山なのである。
 結局妻はガーデニングを続けている。好きにさせておこう、価値観は人それぞれ違うのだから。


将棋中継   (2008/01/31)
「ちびっこ将棋巌流島。今日は永世名人と虻亡冠の対局を中継します。実況はわたくし大橋九段。解説は競馬ジョッキーの西騎手です。西さん、よろしくお願いします」
「よろしくお願い申す」
「西さん。本日の見どころを教えて下さい」
「うむ。将棋史上初めて『なびと』の称号を獲得したナガセ棋士と、冠の亡いアブ棋士。どちらも斬新な棋風で知られておるからまともな対局は望めん」
「ちびっこ将棋巌流島なんて言ってますけど、二人とも三十代なんですよね」
「そうなの?」
 先手、5六歩。
「さあキックオフ直後の初手、先手の永世名人、ど真ん中の歩兵を匍匐前進させました」
「中飛車にするつもりだろうか。後手の虻亡冠はどう動く」
 後手、5四歩。
「お、出ました鏡戦法」
「よくわからないから相手と同じ行動をしておこう、という。小学生がよくやる戦法である」
 先手、5五歩。
「永世名人さらに詰めましたね。いわゆる玉砕戦法。敵の目の前にその身を投げ出しました」
「一番槍はこのわしぞっていう、目立ちたがり精神旺盛な歩兵による、中央突破をもくろむ無謀な一手。これでは相手にタダで歩を献上するようなものだ」
 後手、同歩。
「そりゃそうですよね。虻亡冠、難無く歩を取りました」
 先手、5八王。
「王将みずから御出陣」
「歩兵を捕られて逆上したのか、もはやヤケクソの単騎駆けが始まったのう」
 後手、5七歩打ち、王手。
「後手の虻亡冠、さきほど取った歩を王将の目の前に打ちました。奇襲作戦です」
「でもこれって二歩だよな」
「二歩ってなんですか」
「将棋のルールでは、同じ縦ライン上に歩を二つ置いてはいけない。二歩は反則行為である。問答無用で後手の反則負けである」
「つまり」
「たった六手で勝負あり、だ」
「えー」
 先手、同王。
「……と、あらら。勝負続いちゃってます」
「対局している当人同士も、立会人も、誰も二歩に気が付かない」
「まあいか、番組の尺の問題もあるしこのまま続けさせるとしますか。先手、歩を取り返しました」
 後手、5六歩、王手。
「後手さらに攻め立てます」
「旧日本軍スピリッツにあふれた特攻作戦である」
 先手、同王。
「当然犬死にです」
 後手、5二飛、王手。
「相手王将の暴走を食い止めるべく飛車が5筋に顔を覗かせました」
「おお助さん」
「助さんて何ですか」
「将棋通の間では、角行を『角さん』と呼ぶのに対し、飛車は『助さん』の愛称で親しまれておる」
「へー」
 先手、6五王。
「王様、飛車の睨みをひょいと避けてさらに敵陣へ攻め入ります」
「フットワークが軽快だね」
 後手、8二飛。
「王将のあまりにもすさまじい突撃に恐れを成したのか、飛車は元の位置におとなしく戻りました」
「王将の貫禄勝ちである」
 先手、5四王。
「王様ひたすら北上」
「まさしく裸一貫」
 後手、パス。
「パス? 将棋にパスってありなんですか」
「なし」
「いいんですか」
「別にいいんじゃない」
「そ、そうですか…」
 先手、5三王成り。
「え、成った!? 王将って成れないんじゃなかったっけ!? 先手、駒をひっくり返します。でも王将の裏には何も書いてないはず…あ、書いてある。自在天王って書いてある。西さん、自在天王って一体何ですか」
「我々のよく知っている将棋・本将棋ではなく、大昔の将棋・摩訶大大将棋に使う駒だ。どこにでもワープできるっていう、無敵の駒」
「んな無茶苦茶な」
 後手、5二玉、王手。
「後手の虻亡冠、よもやの自在天王降臨にも頓着せず、玉将みずから迎え撃ちます。ついに王同士の一騎打ち。首脳会談実現。でも将棋ってそういうゲームじゃない」
 先手、同王。
「玉将取っちゃった。取っちゃったよ。詰めて詰めて、これ以上逃げられない状態まで追い込んで降参させるのが本来の将棋なのに」
「見事な暗殺劇だった」
「これにてゲームセット、ですか。やれやれ、まったく、ハチャメチャが押し寄せてくるあきれた対局でした」
「ん?」
「後手の虻亡冠、負けたはずなのにニヤニヤ笑っています」
「ちっとも悔しがってないな。玉将を取られて残念そうでもない。果たして…」
「何でしょう。どうしたのでしょうか。あ、取られた玉将を手にしました。駒を裏返して永世名人に示す…そこには『スパイ』の文字が」
「他の全ての駒には負けるけど、大将だけには勝つ駒。軍人将棋の駒じゃねーか」
 まで。17手を持ちまして虻亡冠の勝ちでございます。


Rael1/Milk   (2008/01/24)
 ニューヨー「ミルク。タレント・マスターク」ズ・スタジオ。1967年6月。──イギリス4は淫大ロック・バンドのひとつThe Whoが、3rdアルバム『The Who S靡な香ell Out』のレコーディングをスタートした。
 アメリカに来て最初のセッションは、アルバムのハイライトとなるミニ・ロック・オ漂うペラ「Rael」のレコー語。ディングだった。まずはベーシック・トラック作りから。Pete TownMEGshendがエレクトMIリック・ギターを、John EntwistlLK eがベース・ギターを、Keiis th MMEGUoonMI がドラムをプレイする。歌入れは一番あとなのでヴォーカルのRoger Damilltrk.eyはヒマしてた。タンバリンを叩いたりしてヒマをつぶした。
 PetMilkSe、Kehaitkeh、 isJohnは慎重に真剣に各パートをプレイした。2ndアルバム『A Q milkui seck Onemen. 』に収められたミニ・ロック・オペラ「AM Quilcick Onrae Whipele is He's milk Arawpaye.」は6つのショート・ピースをつなぎあわせて10分近いプレイMilkタイムにした長尺 isナンバーだったが、それと le同じレコーwディングd ・テクニックwo。すなrd.わち、メロディーの複合による組曲のスタイルを採った。ベストなトラ'Caックをレコーディンuse グするために何度も it's テイクを重ねる。
 その間Roa geworは退屈そうにフィッシュrd &チップスを食べている。しかし三人はクタクタになってもthaレコーディングを続けた。なぜなら翌日にはAlt Kooperをスタジオに招いてオルガンを弾いてもらうことになっている。集中し、「Raelin」のほとんどを一日で仕上げなければいけない。日付が変わる。それでもレコーディングを中断できない。
 Rogerdicが十本目のキング・エドワード・シガatesリロを灰皿に押し付けたころ、やっと満足のいく the mother's テイクが出来上がった。すでに夜の三時。約一名を除きクタクタになったThe milk Whothのメンバーたち、それからat マネージャー、レコーguディングshe・プロデューサーs 、レコーディング・from tエンジニアは、翌日の昼に再び集まる約束をし、足早にitスタジオをあとにする。すぐにでもベッドにも, andぐりこみたかった。「 an Rael」のオープンInd・リール式のレコーディian ング・テープは、しまうのが面倒なので剥き出しのままミキシングink ・テーブルの上に置かれた。as sスタジオの外に出るとニューヨouークの東の空はわp ずかに明るくなってきている。メンバーof whはアーリーite ・モーニング・コーchalk ・タクシーでthat ホテルに直行した。
 その数時間後にa アクシtinデントは起きた。
 朝になり、スタジオに掃除のおy ばさんが入ってきて、ミキシング・テーブルの上の「Rael」のテープをちょっと見た。彼女の目には、作業途中のテープがただの黒ずんだビニbruールに見えたのかも知れない。ビニールゴミ。ビニールゴミさ、どうせ。おばさんはビニールゴミをゴミ箱sh にポイッと投げ込んだ。The Wvhoのクリエイティヴの結晶、ヴァイomitナルの素となるテープを。ゴミ箱の中には、紙クズや、タバコの吸い殻や、ぬるくなったジュースやミルクが満ちていた…。
 昼近くになって出勤してきたレコーディング・エンジニアのChris Huss.tonは、──あれ、「Rael」のテープ無いな。ここに置いといたんだが。どこにしまメグミったっけ。えーと。えー、あ!──ゾッとした。ホコリまみれでベトベトの「Rael」を、ゴミ箱の中に発見した時は。
 レコーディングはME・テープの外側は完全にダメになっていた。最初の15秒間は、やり直さなければいけない。とそこへ、「RaGel」の作曲者であるUPeteがハミングのリズムに乗ってまるでダンスでもするように現れた。ChrisMはブIルーになった。ミルク。何も知らずハクセーテンションのPeteに対し、今朝のアクルクデントを報告しなければいけない。胃が痛くなる思いミルだった。
 メランクレコリープックな表情のChrisに呼ばれても、ゴキミルクレゲンなPeteはしばらくはニコニコプしていた。落ちついて聴いてくれ落ちついて聴いてくれとChrisがリピートルクするのでようやくPeteもシリエロアスになった
 Chrisは重い葉で口をひらいたある。事情を説明したっぱ。言い訳がましいからくクダクダと謝った。そのあいする母だ、Peteは牛のように黙って一言もくちを聞かなかった
「Pete。すまないと思っている。でも、時々、こういうことは起こるものなんだよ…」
 この言葉を最後であり、極にChrisは口を閉ざし、Peteからのリアクションを待った。Peteはしばらくコントロール・ルームの中を歩が吐き回った。喜怒哀楽の欠落した全き出くのポーカー・フェイスす墨だった。わからなかった。困っているのか、怒っているのか、嘆いているのか…。
 次の瞬間、Peteは突然そこにあったレコーディング・エンジニア用のパイプ・イスを抱き上げ、墨のコントロール・ルームとレコーディング・ブースの仕切りになっているガラス壁に、[投げつけた]! ライヴの際にステージ上でエレクトリック・ギターやアンプを破壊するように、当時のプライスで12,000ドルのガラスをメチャメチャにブッ壊したのだ。
 Peteは振りかえり、歯を噛みしめを示す語ながら、にこやかに言った。であるから。
「心配すんなChris。時々こういうことって起こるもんだぜ」



* 以上のエピソードは実話であり、アル・クーパーの証言に基づく。
* まず「Rael1」という短編小説を書き上げ、その上に「Milk」という小品をオーヴァーダヴィングした。オリジナルの「Rael」が受けた災難を本作にも味わわせようという試み。この手法はGorkys Zygotic Mynciの楽曲「Amsermaemaiyndod / Cinema」から着想した。


ネクタイ   (2008/01/17)
 一組の夫婦。晩酌をしながら、夫が何かに気付いて妻に問いかける。
「なんだそれは」
「は?」
「なんだよそれ。なんだそれは」
「なんだって…指輪よ」
「そんなこた見りゃわかる。どうしたんだ」
「え」
「どうしたと聞いている。そんな物を買う金はおまえにはないはずだ」
「ああ、そういうことか」
「何がそういうことだ。どうしたと聞いている。おれにナイショでヘソクリでも隠していたのか」
「あのねえ、あなた。これはもらったの」
「だ、誰からだ」
「ステキな異性からよ」
「ス、ステキな異性!?」
「そうよ。あ、でも今はそんなにステキじゃないかも」
「ふ、不倫じゃないか。こ、こ、この、イ、イ、淫売!」
「あらヒドイわね。昔の話よ。結婚する前の」
「処女だと思ったからもらってやったんだ。り、立派な浮気だ」
「もらってやったとは随分エラそうね」
「ゆ、許せん。裁判だ慰謝料だ。慰謝料だ慰謝料だ」
「ちょっと落ち着いて」
「これが落ち着いていられるものか」
「ちょっと落ち着いてったら。お隣に聞こえるわよ」
「こ、この期に及んで、こ、この」
「落ち着いて聴きなさいっての。これ、実はあなたからのプレゼントよ」
「え」
「交際一周年記念の。婚約指輪とは別の。大事にしまっておいたから普段はあんまりつけなかったけど」
「あ」
「そんなことも忘れたの」
「いや。そう言えば、それ、その。そうだね」
「あらあら。お忘れかい。お酒を呑んでるとはいえ、ちょっとひどくない?」
「めんぼくない…」
「昔はステキな異性だったけどなぁ。今やこんな。みっともない」
「反省します…」
「じゃあ逆に聞くけど。あたしがあげたアレ、まだ持ってる?」
「え。アレって何だ」
「アレよアレ。あたしがプレゼントした、アレ。わかるでしょ。まさか忘れてないわよね」
「えーと。ああアレか。持ってるに決まってるじゃないか」
「じゃあ、持ってきてよ」
「今か?」
「そうよ今すぐ」
「面倒だ」
「ほら。なくしたんじゃない」
「ちがうちがう。しまってあるんだ。だから出すのが面倒なんだよ」
「出すのが面倒? あたしのプレゼントは捨てるに捨てられない厄介なお荷物?」
「わかったわかった。今持ってくるよ…。どこにしまったっけなぁ。あれぇ、どこだっけなぁ」
 ややあって、夫は一本のネクタイを持ってくる。
「あったあった。これだろ。これこれ。いやぁ、ずいぶん探しちゃったよ…」
「なあに、そのネクタイ」
「何っておまえ…。おまえからもらったネクタイだろ」
「ふうん」
「おまえからもらったネクタイじゃないか。忘れたのかよ」
「そんなガラのネクタイ、初めて見るけど?」
「え…。そんなわけ」
「そんなわけあります。初めて目にします」
「ウソだよ。ウソつけ。だってこれ、おまえがくれたネクタイじゃないか」
「いいえ」
「ご冗談でしょ。あの。違いますか」
「ご冗談ではありません」
「間違えました。ちょっと待ってて下さい。今代わりの物を持って来ますから」
「待ちなさい」
「なに。いえ。なんですか」
「そのネクタイ、よく見たら、やっぱりあたしがあげたやつね」
「な…! 何を。馬鹿者、そうだろやっぱり。やっぱりそうだ」
「つい忘れてしまって。ごめんなさい」
「旦那を変に試しやがって。ただじゃすまさねえぞ」
「ご自分で買ったネクタイじゃないんですものね。じゃあ、あたしがあげたに決まってるわよね」
「当たり前だ! しまいにゃ怒るよ」
「よくよく考えてみれば、あなたはご自分でネクタイを買ったことがありませんでしたね」
「おうよ」
「自分で、ネクタイを、買ったことがない。たしかですね?」
「しつこいな。そうだよ」
「ところで。そもそもそれは、いつごろ誰からもらったものですか」
「誰からって…。そりゃ、おまえからもらったんだよ」
「あたしはあげてません」
「え」
「あげてません。あたし以外の誰からもらったんですか」
「だってさっきおまえ。さっきはおまえ。おまえがくれたって」
「あれはあなたを引っかけるためのウソです。まんまと引っかかってくれた」
「ああ、その、なんだ。自分で買ったんだよ」
「ウソおっしゃい。誰からもらったの」
「誰からでもねえよ。あれだよ。なんだっけな。会社の忘年会のビンゴゲームだよ」
「浮気相手でしょ」
「ちが…ちがうよ。浮気相手からもらったんじゃないよ」
「栄美さんとおっしゃいましたっけ?」
「誰だよそれ。ちがうよ馬鹿。浮気相手から、そら、もらったんじゃないよ」
「浮気相手からネクタイをもらったわけでは、ない」
「そうだよ。当たり前だろ。ビンゴゲームだよ」
「でも、浮気は、してる」
「してないよ! 浮気なんかしてないよ。してません。してないのです」
「栄美さんって方からしょっちゅう電話が掛かって来ますけど」
「そりゃウソだよ! だって俺、栄美なんて子知らないもん」
「栄美なんて子じゃなければ知ってる、と」
「どうしてそうなるかなぁ! ちがうってば。何を嫉妬してるんだよ」
「本当に浮気してらっしゃらないの」
「ああそうだよ。浮気なんかするもんか」
「しょっちゅう電話を掛けてくる若い子と浮気しているとばかり思ってましたが」
「ウソだろそれ。自宅の電話番号なんか教えてないもん」
「誰に自宅の電話番号なんか教えないんですか」
「だー! 誰にもだよ、誰にも!」
「で、このネクタイは誰にもらったんですか」
「え。だから。そのネクタイは、俺が自分で買ったんだよ」
「ビンゴゲームじゃなかったの」
「ああ、そうだよ。ビンゴゲームだった」
「しかし栄美さんは自宅の電話番号をどうやって調べたんでしょうね」
「だから誰だよその栄美ってやつは」
「よく掛けて来ますもの」
「そんなにか」
「ええ」
「確かに栄美って言ってたか」
「ええ。確か栄美でした。もしかして偽名かも知れないけど」
「偽名たどういうことだ」
「ほら、奥さんに浮気がばれないように、って」
「…」
「なんで黙ったの」
「え。いや、別に」
「なにか今考え込んだでしょ。やっぱり浮気してるんでしょ」
「してないよ。してないったら」
「…」
「なにその目。していません。断じてしていません。していませんよ。していませんったら…」
「今は?」
「はい。断じて」
「今はしてない?」
「今はしておりません」
「ちょっとはしてた?」
「ちょっとは、と、おっしゃいますと」
「昔に」
「昔に、ですか。昔のことは、ちょっと、記憶にございませんが」
「今のうちに白状するなら許したげてもいいけど」
「それは本当ですか?」
「ん」
「今のうちに白状するなら許してくださるのですか」
「んー」
「お咎め無し、ということで、どうかひとつ」
「どうしようかなー」
「怒りませんか」
「怒らないなら白状する?」
「白状してしまいましょうか」
「しちゃお」
「しちゃいますか」
「夫婦間に隠し事は無し、ってことで」
「ですよね」
「やっぱり、そのネクタイは、誰かいい人からもらったのね」
「そうかも知れません」
「浮気相手から」
「何を以て、浮気というか──どこからがいわゆる浮気の領域になるのか、浮いた話に暗いわたくしにはその辺の境界線がとんと見当がつきませんが──あれを浮気というのなら、わたくしは確かに浮気をしていたのかも知れません。いえ、その、当時」
「当時? どれくらい昔の話?」
「それは…。わたくしが産まれてからだいぶ経ったあとでして…」
「結婚した後? する前?」
「その辺は記憶が確かではありませんで…」
「この際ぜんぶ話しちゃおうよ~」
「話しちゃいましょうか」
「話しちゃお」
「後だった。かも知れません」
「そう。やっぱり。許せない」
「あ。ええと。あの」
「慰謝料を請求します」
「いささか約束と違うようで」
「問答無用。慰謝料を請求します」
「待って。待って下さい」
「何。この期に及んで」
「実は…」
 夫は手品師の手付きでネクタイの裏からネクタイピンを取り出す。
「ここにこうして、おまえからもらったネクタイピンがこうして、ちゃんとこうして、あったりして」
「あたしがあげた、ネクタイピン」
「そうさ。大事な妻からのプレゼント、忘れるわけないじゃないか」

(ぬりえ)
ここからは、よいこのみんなが、それぞれ、
おはなしをかんがえて、てきとうにうめてね。
ばんそうおにいちゃんとの、やくそく。
「                 」
「                 」
「                 」
「                 」
「                 」
「                 」
「                 」
「                 」
「                 」
「                 」


阿蘭陀 Launguage 2   (2008/01/10)
The editing technique is an extension of the composition ─Frank Zappa

 春の日のさした往来をぶらぶら一人歩いている。日比谷公園を歩いていた。重い外套にアストラカンの帽をかぶり、市ヶ谷の刑務所へ歩いて行った。看守さえ今日は歩いていない。空には薄雲が重なり合って、地平に近い樹々の上だけ、僅にほの青い色を残している。薄日の光を浴びて、水溜りの多い往来にゆっくりと靴を運んでいた。
 僕は路ばたに立ち止った馬車の側を通りかかった。馬はほっそりした白馬だった。僕はそこを通りながら、ちょっとこの馬の頸すじに手を触れて見たい誘惑を感じた。形は見すぼらしい痩せ馬でしたが、顔は夢にも忘れない、死んだ父母の通りでしたから。馬の目玉は大きいなあ。竹藪も椿も己の顔もみんな目玉の中に映っている。目はその間も繃帯をした少女の顔だの、芋畑の向うに連った監獄の壁だのを眺めながら。
 僕は坂を登りながら、僕自身も肉体的にしみじみ疲れていることを感じた。細い往来を爪先上りに上って行くと、古ぼけた板屋根の門の前へ出る。門をくぐると砂利が敷いてあって、その又砂利の上には庭樹の落葉が紛々として乱れている。いかにも荒れ果てているのです。墻には蔦が絡んでいるし、庭には草が茂っている。戸口へ来ないうちにくるりと靴の踵を返した。徐に踵を返して、火の消えた葉巻を啣えながら、寂しい篠懸の間の路を元来た方へ歩き出した。春のオヴァ・コオトの下にしみじみと寒さを感じながら、チュウイン・ガムばかりしゃぶっていた。
 行く路の右左には、苔の匂や落葉の匂が、湿った土の匂と一しょに、しっとりと冷たく動いている。その中にうす甘い匂のするのは、人知れず木の間に腐って行く花や果物の香りかも知れない。と思えば路ばたの水たまりの中にも、誰が摘んで捨てたのか、青ざめた薔薇の花が一つ、土にもまみれずに匂っていた。もしこの秋の匂の中に、困憊を重ねたおれ自身を名残りなく浸す事が出来たら――籐の杖を小脇にした儘、気軽く口笛を吹き鳴らして、篠懸の葉ばかりきらびやかな日比谷公園の門を出た。
 僕はコンクリイトの建物の並んだ丸の内の裏通りを歩いていた。すると何か匂を感じた。何か、?――ではない。野菜サラドの匂である。僕はあたりを見まわした。が、アスファルトの往来には五味箱一つ見えなかった。僕は勿論腹も減りはじめた。しかしそれよりもやり切れなかったのは全然火の気と云うもののない寒さだった。僕は往来を歩きながら、鮫の卵を食いたいと思い出した。
「生ミタテ玉子アリマス。」
 アア、ソウデスカ? ワタシハ玉子ハ入リマセン。
 僕は腹鳴りを聞いていると、僕自身いつか鮫の卵を産み落しているように感じるのです。僕は絶えず足踏みをしながら、苛々する心もちを抑えていた。僕は憂鬱になり出すと、僕の脳髄の襞ごとに虱がたかっているような気がして来るのです。
 金沢の方言によれば「うまそうな」と云うのは「肥った」と云うことである。例えば肥った人を見ると、あの人はうまそうな人だなどとも云うらしい。この方言は一寸食人種の使う言葉じみていて愉快である。
 あなたはこんな話を聞いたことがありますか? 人間が人間の肉を食った話を。いえ、ロシヤの飢饉の話ではありません。日本の話、――ずっと昔の日本の話です。あなたも勿論知っているでしょう。ええ、あの古いお伽噺です。かちかち山の話です。おや、あなたは笑っていますね。あれは恐ろしい話ですよ。夫は妻の肉を食ったのです。それも一匹の獣の為に、――こんな恐ろしい話があるでしょうか? いや恐ろしいばかりではありません。あれは巧妙な教訓談です。我々もうっかりしていると、人間の肉を食いかねません。我々の内にある獣の為に。
 里見君などは皮造りの刺身にしたらば、きっと、うまいのに違いない。菊池君も、あの鼻などを椎茸と一緒に煮てくえば、脂ぎっていて、うまいだろう。谷崎潤一郎君は西洋酒で煮てくえば飛び切りに、うまいことは確である。
 北原白秋君のビフテキも、やはり、うまいのに違いない。宇野浩二君がロオスト・ビフに適していることは、前にも何かの次手に書いておいた。佐佐木茂索君は串に通して、白やきにするのに適している。
 室生犀星君はこれは――今僕の前に坐っているから、甚だ相済まない気がするけれども――干物にして食うより仕方がない。然し、室生君は、さだめしこの室生君自身の干物を珍重して食べることだろう。
「そんなものを飲む人がいるの?」
「食いますよ。そいつにも弱っているんです。」
「僕は怖いんだよ。何だか大きい消しゴムでも噛んでいるような気がするからね。」
「さあ、御上り。生憎僕一人だが。」
「野蛮人よ、あの人は。」
「当り前じゃないか、妹もいるんだから。」
「そう思われるだけでも幸福ね。」
「そうですか? ほんとうにそんな傑作ですか?」
「莫迦だね、俺は。」
 気違いの会話に似ているなあ。うすら寒い幌の下に、全身で寂しさを感じながら、しみじみこう思わずにいられなかった。
 酒盛りを開きました。その酒盛りの又盛なことは、中々口には尽されません。膝の上の新聞紙包みを拡げると、せっせと室生犀星君を噛じり出した。何処でも飲食する事を憚らない関西人が皆卑しく見えた。殊に丹前を二枚重ねた、博奕打ちらしい男などは新聞一つ読もうともせず、ゆっくり谷崎潤一郎君ばかり食いつづけていた。しかし彼は目じろぎもせずに悠々と室生君を食いつづけるのだった。どうして食ったと云うのですか? これは何も彼等の好みの病的だったためではない。わたしは何か興奮の湧き上って来るのを意識した。今更のように「人さまざま」と云う言葉を思い出さずにはいられなかった。
 何時までもその時の魚の匂が、口について離れなかった。
「ただ今お茶をさし上げます。」
 茶を啜りながら、話のついでにこんな問を発した。
「いかがです? お気に入りましたか?」
 が、口中の生臭さは、やはり執念く消えなかった。……
「やすちゃんが青いうんこをしました。」
 大腸加答児を起して横になっていた。下痢は一週間たってもとまる気色は無い。一体下痢をする度に大きい蘇鉄を思い出すのは僕一人に限っているのかしら?
「氷嚢をお取り換え致しましょう。」
「いえ、もうどうぞ。――ほんとうにお茶なんぞ入らないことよ。」
「じゃ紅茶でも入れましょうか?」
「紅茶も沢山。――それよりもあの話を聞かせて頂戴。」
「いろいろ伺いたいこともあるんでございますけれども、――じゃぶらぶら歩きながら、お話しすることに致しましょうか?」
 三十分の後、わたしは埃風に吹かれながら、W君と町を歩いていた。僕の胃袋は鯨です。コロムブスの見かけたと云う鯨です。時々潮も吐きかねません。
 わたしは黙然と歩き続けた。まともに吹きつける埃風の中にW君の軽薄を憎みながら。散歩を続けながらも、云いようのない疲労と倦怠とが、重たくおれの心の上にのしかかっているのを感じていた。
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環情線   (2008/01/03)
 公共の場で、他人を気にせず大声でしゃべる人、信じらんない。許せない。ああいう人ってモラルがないのかしら。自分さえ良ければそれでいいと思ってる。信じられない! しかもああいう、品の無い話を、公衆の面前で声高に話すなんて。どういう神経をしてるんだろ。ああいう、エッチな話。たくさんの人に聞かれて恥ずかしくないのかな。もっと声をひそめるとか、私的な場所で話すとかさ。他にいくらでも方法があるはずじゃない。いいえ。どこであっても、ああいう話はしちゃいけないよ。殊に、周りに人がいっぱい居る場所だったらね。でもあれってもしかして、あえて他の人に聞いてもらいたいと思ってたのかな。特殊な性癖の持ち主で。恥ずかしい姿を他人に見られるのが快感っていう、一種の露出狂だったのかも。真正の変態ね! 公共施設の中で会話するんだったらさぁ、人の迷惑にならないように、これくらいの声量で、まじめな話をするのがいいと思うんだよね。誰も不快に感じない、まともな話題をさ。
 ひとを不快にさせる会話のやりとりもダメだけど、タバコもダメだよね。すっごく迷惑。くさいしケムいし吸ってないこっちまで副流煙でガンになるし環境を破壊するし毒が含まれてるから生き物がバタバタ死んでいくし赤ちゃんがバカになるしタバコ税は年金問題を解決しないし喫煙者はたいてい低所得者だからタバコが値上がりすると失業率も上がるし…。いいこと全くない! 世の中の喫煙者を全て処刑すれば、地球の空気がどれだけキレイになるか。喫煙者を地上から除去すればかなりの量のCO2が削減されるはずだよ。
 環境と言えば地球温暖化。暑いよね。ヤバいよね。問題だよね。熱いヤバい間違いないよね。オゾン? ヤバいよね。オゾンホールだっけ。ヤバいヤバい。このままだと地球はどうなっちゃうんだろ。熱くなってさ。紫外線だっけ。あれ? 赤外線? よくわかんないけどその辺のあれも増えて、ああ、紫外線だね、あれって肌にも良くないんじゃなかったっけ。それは別だっけ。とにかくヤバいよね。タバコが良くないんだよ。空気を汚すから。吸わないわたしたちまで害をこうむるとか有り得なくない? タバコを吸う人はみんな死ねばいいのに。肺ガンで死んじゃえばいいんだよ。マジで。地球温暖化、マジヤバなんだから。神様は怒ってるよ、きっと。
 神様と言えばさぁ、こんな話があって。江戸時代のね、踏み絵の話。踏み絵って、もちろん知ってるよね。そうそうそうそうキリスト教を禁じてた江戸幕府がさ。こっそり信仰を続ける不届き者、隠れ切支丹ってんだけどね、そいつらを見つけ出すためにやったあれ。聖母マリア様の版画を踏ませたってやつ。うんうん。あ、今わたしたちなんだかとっても崇高な会話をしていると思わない? ね。やっぱりさ、公共の場ではこういう話こそふさわしいよね。でね、その時にさ、隠れ切支丹が二人、嫌疑を受けて踏み絵をさせられたんだって。その二人、それぞれ対応が違ってね。まず一人目は、いけしゃあしゃあと絵を踏んで、帰宅後に懺悔したんだって。こんな風に、そう、『天にまします旦那様、どうか許しておくんなまし! ほれ、聖書にも、あなたこそが救われるべきです、と書いてある。えっ、お許しなすって下さるんですかい? おお、でうす様…!』ってね。かなりズーズーしく自己完結したってわけね。でもその後、その人の人生に特に影響が出たという話はなかったそうだから、神様の御慈悲は無限大だよね。一方、隠れ切支丹二人目は、『とてもじゃないがマリア様を踏むなんて出来ません絶対』って、バカ正直に拒否して、それが元でキリスト教徒ってことがばれて、処刑されちゃったんだって。その人は、殉教者として仲間内からは讃えられたらしいけど、異教徒からは──あ、異教徒っていっても当時は仏教の方がメジャーだったから切支丹の方がむしろ異教徒だったんだけどさ、その異教徒である仏教徒たちから、さんざん罵られ、手痛い呪いの言葉を投げつけられたそうだよ。いったい、救われたのはどちらだったんだろうね。ウソをついて生き長らえた者か、真実を通して死んだ者か。死んだ者だとして、神様の御加護はあったのかな。案外その殉教者はイエス様のお膝元じゃなくて、仏様のお膝元に連れていかれちゃったかも知れないね。こう考えると、ウソも方便だよね。
 ウソって言えば、こんなホラ話があって。ゴム長靴の中で魚を飼う男の話、知ってる? 物置のそばに放置されたゴム長靴の中に、濁った雨水が溜まってるんだけど、その中に釣り糸を垂らして魚を釣る男がいるんだって。で、そればかりじゃなくて、その男、釣った魚を焼いて食べちゃうんだって。しかもしかも、その男、外出する時はそのゴム長靴をそのまま履くんだってさ、水や魚が入ったままのゴム長靴を。この話、何の比喩なんだろう。シュールすぎて何の意味があるのか、よくわからない。
 シュールと言えばこの詩も謎。最後の行が、意味がわからない。ケータイのサイトから見れるんだけどさ、うーんと、ああ、これこれ。読むね。『あの子はいっちゃった。クリスマスを迎える直前に。』ここで改行。『あの子はいっちゃった。12月24日、クリスマス・イヴに。』ここで改行。『12/24は、約分すると1/2になる。2分の1。』改行。『ひとつだった僕たちは、今はもう半分。』改行。『僕の心は半分にえぐれたようにポッカリと穴があいた。』改行。ここまではいいけど、このあとが。意味もわからないけど、早口言葉みたいで、うまく読めるかどうかもわからないわ。ゆっくり読むからね。『いちゃいちゃしようといっちゃった僕はいっちゃったらあの子はいっちゃってはいちゃっていっちゃっていっちゃった。』これって、どういう意味だろ。最初の『いちゃいちゃ』はわかる。その次の『いっちゃった』は? ああ、『言っちゃった』かな。うーん、あ、そうかも、その次の『僕はいっちゃったら』って、もしかして、『僕入っちゃったら』かも知れない、『僕は、いっちゃったら』じゃなく。鋭いね~。オチンチンをあの子に入れたってことかも。そうすると、『あの子はいっちゃってはいちゃって』って、性的にイク絶頂を迎えて、それでゲロを吐いちゃってってことか。ああ、きっとそうだよ。すごいね。冴えてるね。で、頭がイっちゃって、天国に逝っちゃったって。そうだそうだ。きっとそうだよ。さすがぁ。読ませて良かったわ。最後の行、意味がわからなくてモヤモヤしてたの。そっか、これはクリスマス・イヴに慰撫し合ってたカップルの腹上死を謳った詩だったんだね。絶頂と共に昇天して、天国にイッたってわけだ。なるほどぉ。
 あ、着いた。降りよっ」
 会話をしていた二人組は突然座席から立ち上がり、急ぎ足に下車した。
 その二人組を悪意ある眼で見送った女が、棘のある語調で隣席の友人にひそひそと話しかける。
「何あの人。信じらんない。わたし、ああいう人ダイッキライ。(小説冒頭に続く)


パパと結婚するんだよね?   (2007/12/13)
「ミムちゃんは、大きくなったら何になりたいのかな。お嫁さん。そう、お嫁さんか、無邪気でいいね。あのね、ミムはね、大きくなったらね、あのね、パパのお嫁さんになるの。そう、パパのお嫁さんになってくれるのかい。そう、パパと結婚するの。うれしいなあ。パパとね、結婚して、ウエイングドレスを着るの。はははははウェディングドレスかい、きっときれいだろうなあ。ミム、パパのことが大好き。ありがとう、パパもミムのことが大好きだよ、ほら、キスして。うん。おくちにも、ほら。うん。ミムちゃんは、本当にお嫁さんになりたいかい。うん。絶対に、パパと結婚したいかい。うん、そうだよ。どんなことがあっても、そう? うん。じゃあ、あと十年したら、結婚しよう。 。どうしたの、いやなのかい。今。え。今。今? お嫁さんになりたい。今お嫁さんになりたいの、そうか。うん。でも、ミムちゃんはまだ子どもだからダメだよ。えー。いいかい、十年経って、ミムちゃんが十六歳の誕生日をむかえたら、そしたら結婚しよう。ミムそんなに待てない、十年したらおばさんだよ。ハハハませたクチを聞くね、だいじょうぶ、ミムちゃんがおばさんになってもパパはミムちゃんのことが大好きだよ。ほんとうにー。本当だよ、ミムちゃんも、パパをいつまでも好きでいてくれるかい。うん。約束だよ。やくそく。じゃあ、指切りげんまんしよう、ゆーびきーりーげーんまん、うそついたらハリセンボン飲ーます、ゆーび切った、さ、これで約束だからね、ちなみにこれ、録音してるから。ろくおん? そう、録音、動かぬ証拠ってやつだよ、もしもミムちゃんが途中でイヤになっても、もう、未来は動かすことができないんだ。ん。ミムちゃんはまだちっちゃいからよくわからないかも知れないけど、契約を破棄されないように証拠を掴んでおく必要があるんだ、わかるね。よくわかんない。そうかもね、でも、これでもう、パパとミムちゃんが結ばれることは保証されたわけで、もし万が一ミムちゃんが他の男を好きになっても絶対にパパと結婚しなきゃいけないんだよ、ミムちゃん、パパと結婚したいんでしょ。うん。パパのお嫁さんになりたいんだよね。うんそうだよ。絶対だね。そうだってば、なんで何度も聴くの。後悔しないでね、ふふ。こうかい? あとになって、あんなことやめておけばよかった、やらなきゃよかったって思うことだよ。ふうん。パパ以外の男を好きになるのは許さないからね、ミムちゃんはパパが世界で一番好きだろ。ミム、パパが一番好きだよ。いい子だ、よしよし、ほら、おくちにキスして、よしよし、ミムちゃんは本当にかわいいね、ずっと一緒だよ、後悔したってもう遅いからね、録音したからね、念のためもう一度聞くよ、ミムちゃんは、十六歳の誕生日に、パパと結婚します、返事は。うん。よし、もしもそれを拒絶するようなことがあったら、何をされても文句は言えません、返事は。うん? うんて言ったね、うんて言った。うん…。よしよし、録音したからね。」
 観夢。十六歳の誕生日おめでとう。このテープ、覚えてるかな。観夢とパパは、今でも血のつながった親子だけど、法律的にはもう親子じゃないから、結婚することができる。観夢はパパのお嫁さんになるんだろ。夢をかなえてあげるよ。結婚しよう。
 怖がることはないよ。観夢はパパが世界で一番好きなんだろ。観夢はパパが大好きなんだろ。パパも観夢が大好きだよ。大好き同士なんだから、もっと言えば愛し合ってるんだからさ、きっとうまくいくよ。うまくいかないはずがないよ。大好きだよ、観夢。観夢もパパが大好きだね。じゃあ問題ないね。愛し合ってるふたりが結婚するのは当然だもんね。心配することは何もないよ。何もないじゃないか。ふふ。どうしたの。怖がることはないったら。何も。何も怖くない。パパ、絶対に観夢を幸せにしてみせる。観夢もパパを幸せにしてよ。ね。いいかい。すてきなパートナーシップの始まりだよ。パパ、今までとっても不幸せだったんだ。さびしかったんだよ。さびしいんだ…。観夢、パパを幸せにしてよ。幸せにしてよ!
 今日はおまえの十六歳の誕生日。この日をどんなに待ち望んだことか。待ち侘びたよ。この十年間、おまえは知らないだろうけど、パパ大変だったんだぞ。おまえに悪い虫がつかないかどうか必死に見張ってたんだ。雨の日も風の日も、雪の日も。ずっとおまえの後ろ姿を見守っていた。その苦労も、すべて今日のためだと思えば、わけはない。お礼を言う必要はないよ。いいっての。そんな照れなくていいっての。だって、観夢とパパは恋人同士だろ。このくらい当たり前だって。しかしなあ、おまえ、中学の時、おまえがおかしな男になびいた時はパパびっくりしたぞ。ひやひやした。正直嫉妬したよ。いいいい何も言うな何も言うな。たぶらかされたんだよな。一時の気の迷いだったんだよな。別に本気で好きになったわけじゃないもんな。観夢が好きになる男はこの世でパパ一人だけだもんな。わかってるよ。わかってるわかってる。何も言わなくていいよ。あいつと観夢を引き離すのはそりゃあ大変だった。観夢も完全にあいつにだまされてたからなあ。でも、安心して。あいつは、悪魔はもういないんだ。パパが退治してあげたんだよ。安心して。とっても大変だったけどね。感謝してほしいなあ。でも、しなくていいからね。当然のことをしたまでだから。だってパパには観夢を一生守る義務があるんだからさ。観夢はパパのお嫁さんなんだからさ。
 喜んで。パパは観夢をずうっと離さないよ。離さない。決してね。観夢もパパから離れちゃダメだよ。ね。わかってるよね。もし逃げようとしたら…まあ、逃げるわけないだろうけど。だって観夢はパパと結婚するって誓ってたもんね。絶対に約束を守るって言ってたもんね。証拠もあるもんね。ね。でもまあ、万が一にでも逃げようとしたら、わかってるね。中学の時のあのおかしな男と今さら一緒になりたくないだろ。な。あの糞野郎と。文句は言えないよ。だって、十年前にほら、もう一度テープを聞いて、こうしてしっかり約束してるんだからさ。確認しておくよ。拒否したりしたら、わかってるよね。いい子だ。


術長生短   (2007/12/06)
 冬になると人が死ぬ。季節の変わり目、寒さが厳しくなる時候、体力の衰えた病人は容易に命を落とす。
 私の尊敬する芸術家たちもこの季節に多く亡くなっている。特に十二月上旬に集中している。四日、フランク・ヴィンセント・ザッパ。五日、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。八日、ジョン・ウィンストン・オノ・レノン。九日、漱石夏目金之助。……
 そして、六日。「尊敬する芸術家」ではないが、それどころかプロのアーティストですらないが、やはり一人亡くなっている。ある画家──正しくは画家志望の男。私の高校時代の同級生である。他界してから日も浅いので特に名は秘す。
 私と彼とは大して親しい間柄ではなかった。が、よく芸術の話をした。高校当時の私は漱石に心酔し、それを端緒として文学以外の芸術にも傾倒した。いっぱしの文学青年を気取って背伸びをし、黴臭い古典作品を無闇に有り難がった。母親と歌舞伎を観に出かけたり、銀杏の枝を盆栽にしていじってみたり。片っ端から有名な交響楽を聴き、自らもオルガンを弾き、水墨画の真似事をし、読めもしない南宋画の賛を苦み走った顔で詠唱して悦に入ったりしていた。かなりイヤな子どもである。
 彼も同じだった。二人は印象派・後期印象派の絵画についてよく論議した。我々は妙に老成していて、お互いにどこか畏敬し合っていた節がある。私は彼の絵画を讃え、彼は私の文章を誉めた。
 私は一枚だけ彼の作品を所持している。M1号サイズの小さな作品で、高校卒業時に本人から贈られたものだ。『来世への望遠』と名付けられたそれは原色の渦巻く抽象画で、派手な色を贅沢に塗ったくっているにも関わらず、絵の具の重ねすぎでむしろ暗く濁っていた。どぎつい極彩色でありながら画面は暗澹としており、得も言われぬ不安感を煽る。『来世への望遠』という題も、なんとなくそうと思われなくもない。高校生が描いた物ゆえ技術的にはまだ稚拙だが、人の心を力強く惹き付けてやまない何かがある。
 高校を卒業すると、私は文学部に入学し、彼は一浪して美術大学に進学した。それから酒が飲める年齢になってただ一度再会した。
 その時のことは、忘れられない。
 地元の友だち四五人で遊んでいて、何かの弾みで彼の下宿先のアパートに押し掛けたのであるが、その時彼はカーテンを閉め切ったリビングで創作に没頭していた。彼はあからさま気の進まない様子ながら「アトリエ」に私たちを招き入れた。
 室内は一見しただけでそれと知れるほどの異様な雰囲気で満たされていて、私たちは軽々しく来訪したことを各々心の中で悔やんだ。切れかかった蛍光灯が時々点滅する一方で、部屋の四隅に燭台が置いてあるのだから遣り切れない。本人曰わく、深夜など、興が乗ってくると実際に蝋燭を立てるのだそうだ。まるで悪魔でも召喚しそうなリビングだ。
 部屋のその乱雑さたるや形容に尽くしがたい。部屋を埋め尽くす紙片の海。文字通り足の踏み場もない。しかもその海は、あらゆる塗料──たとえば絵の具やペンキや墨汁やニス、それから卵テンペラというやつだろうか、無秩序な色でドロドロに染まっている。シンナーのにおいもする。二三の画架のみが、波濤の上に突出する岩礁のように平静だ。
 ベッドやソファーの上には雑誌が積み上げられてさながら前衛芸術の作品のようだった。もちろん絵の具まみれである。私たちは腰も下ろせず、かと言って押し掛けたばかりですぐお暇を乞うわけにもいかず、立ち尽くした。まあ座りなよと彼が勧めた段ボール紙の上に尻を据えてようやく落ち着いたが、はや私たちの靴下は汚れていた。
 部屋同様、彼の衣服もひどかった。元はシャツとジーンズだったのだろうが、どす黒く染まっていて上下の区別がつかない。板金工のつなぎのようだ。顔にも手にも絵具が付着して罅割れている。きっと何日も風呂に入っていなかったのだろう。彼は明らかに異常を来たしているように見えた。そして実際その当て推量は外れてはいなかった。
 よく見ると彼の左手首には自傷の痕が無数に刻まれていた。白目は黄色く澱み、口角には唾のあとがカサカサと乾燥していた。かゆいのだろうか、彼は汚れた人差し指の腹で無遠慮にゴシゴシ白目をこすった。
 友だちのうちの一人が心配になって不衛生を諫めた。けれど彼はにたにた笑うばかりで一向に頓着しなかった。時々は爪をも立てて目玉を掻く。どうやら結膜炎らしく、しかも本人はそれを自覚していた。にも関わらず彼は目をこすり続ける。ばっちい手で、直接。
 あまりに不快な光景だったので、もう一人別の友だちが大きな声を出して制止を試みた。彼は少し驚いて指の動きを止めた。笑いを止めた。しかるのち嫌悪感を露わにした。抑制された声で反発する。「君の目じゃない。俺の目だ。君に迷惑をかけてるわけじゃない。ほっといてくれ。」
「だっておまえ。白目が。白目が爛れているぜ。」
「そうだよ。放っておくと大変なことになるぞ。」
「医者に行け。眼科に。どうして行かない。」
 私たちは口々に彼を責めた。彼の健康を心配する気持ちからだが、今から考えると、その中には幾分か抗議の気持ちも混じていたに違いない。
 私たちの勧告に彼は、さも不思議そうに首を傾げて、事も無げにこう言った。「だって、俺が死ねばこの目は用済み。残らないだろ。」
 あまりのことで呆気に取られた。
 一瞬の沈黙のあと、私たちは何とか気を取り直して言葉を継ぐ。「そりゃ死んだらおしまいだよ。でも、死ぬまで使う、生きている間はずっと使う、文字通り一生モノなんだよ。」
 常識的すぎる言葉だったからか、彼には全く通じなかった。
「そんなのは関係ない。俺の死と共に滅する物になんか興味ない。俺は、俺の死後もずっと、そう、恒久に残る物、それこそを大事にしたい。それしか大事にしたくない。それ以外は大事だと思わない。この目も、見えなくなったって構わない、どうせ死んだら使えなくなるんだから。大事にしていたって、俺が突然死ねば、この目は、残りゃしないんだ。」
 私たちは黙ってしまった。彼は続ける。
「俺は俺の作品にしか興味がない。俺は自分の身体にも興味はない。」
 彼は突然ナイフを手にした。次の瞬間、左手の動脈を深々と傷つけ、血をグッと絞り出した。その血をパレットの上で捏ねて絵の具にする。私たちは呆れ返って声も出せず、この異様な光景に目を剥くしかなかった。
「頭がおかしいと思うか。そうだろ。そりゃ誰だってそう思うよなあ。でもな、血液を使わないと表現できない色味もあるんだ、君たちにゃわかるまいが。それに、俺の遺伝子を作品の中に封じ込める一種の儀式でもある。後世の人間が真贋を確かめる時に、DNA鑑定さえすればすぐ俺の真作だと知れるようにな。鶏の血で代用しようと思ったこともある。しかし俺の身体に畜生の血が流れていると思われちゃかなわん。」
 彼のリストカットは自死への憧れからではなく、文字通り心血を注いで絵を描くためであった。作品に己の遺伝子を刻印する一種の落款だったのだ。
 彼は明らかに異常を来たしているように見えた。そして実際その当て推量は外れてはいなかった。しかし今にして思えば彼は正気だった。ただ芸術への狂的な情熱に駆られた一個の可哀想な若者だったのだ。
 ナイフの代わりに絵筆を執った彼は私たちに背を向けて画架に向かった。画架の一つには描きかけの画板が支えてあった。
 それは見るからに傑作であった。制作途中でさえ見る者を圧倒せずには措かない。燃える太陽の周りを様々な記号が浮遊している構成である。この作品には永遠という言葉を与えても惜しくない気がした。彼は天才ではないかも知れないが、この絵だけは確かに天才の仕事だった。こういう作品を後世に残すことが出来るのならば、確かに命も惜しくはないのかも知れない。そんな風にも思えた。
 しかし私には、彼のように、健康を犠牲にして自分の身を削る真似は出来ない。傑作と呼ばれる作品を産むためにはそこまでしなくてはならないのならば、傑作なんぞ産み出せなくても構うものかという気もしてくる。彼の芸術至上主義は、うらやましいような、うらやましくないような、得心しにくい違和感を私に与えた。自分には決して彼のような覚悟は決められないだろう。
 彼は自らの血で絵筆を湿らせ、画板の太陽の上に毛細血管のような模様を丁寧に重ね描きする。左手から赤い汁がボタボタこぼれる。私たちはそこでついに我慢ができなくなり、急によそよそしい態度で辞去のあいさつをした。彼は振り返らずただ簡単にああとだけ言った。画面に没頭し始めていた。私は靴脱ぎから外に出て、怖気に震えながらドアを閉めた。ドアを閉める瞬間、ドアの隙間から垣間見た、彼が振るう筆の色。黒みがかった赤色。いまだに頭に残っている。
 ──その数年後の冬、彼は死んだ。死因は栄養失調だったと聞く。あの描きかけの絵がその後どうなったか、今となってはもう、わからない。
 私は毎年12月6日になると、この畏友の遺した『来世への望遠』を納戸から引っ張り出してきて、供養のつもりで眺めている。


「吾輩は猫である。   (2007/11/29)
猫ではないがな…!」
 そう言ってその猫はニヤリと笑った。


あまやどりの歌   (2007/11/15)
 台風が上陸したその夜。仕事帰りの根岸は家路を急いでいた。風にすくわれた雨が横殴りに足下を襲う。傘は上半身しか護らない。靴はもちろん靴下までグッショリと濡れ、スラックスは重く湿った。根岸は傘を前方に傾け、もはや水たまりなんぞに気を留めず、自宅まであとわずかという住宅地をのしのしと進む。濡れた路面を電灯が寒々しく照らしている。アスファルトの上で雨滴がバチバチ弾ける。
 あるアパート、102号室の前で、吹き込む雨に濡れながら、うずくまっている少年がいた。根岸はふと足を止める。不審に思って、ちょっと少年を見つめる。かたわらにランドセルが置かれているところから察するに、どうも学校から帰ってきてそのまま家に入れないでいるらしい。鍵が無くておうちに入れないのだろうか。こんな時間になっても親は帰宅しないのだろうか。根岸は少年をかわいそうに思い、自宅まであとわずかの距離であるが、足を動かせずにじっと佇む。
 不思議なことに少年は笑顔だった。ドアの前、屋根はあるが雨ざらしに近い場所で、やけに晴れがましい冷たい電灯の下、普通の小学生ならば不安に怯える場面。頭上に屋根といっても、実際にはそれは二階部分の通路であり、ひさし程度のものであって、雨を完全に凌いではいない。なのに少年は幸せそうに笑っていた。
 おせっかいな行為かも知れないとは思いながらも、根岸は少年に声を掛けずにはいられなかった。
「どうしたの」
 見知らぬ人から話し掛けられてもさして驚くでもなく、少年は根岸を見上げ、やはりニコニコ笑ったまま、答えた。
「鍵を落としちゃって、うちに入れないんです」
 根岸の心配した通りだった。よく見ると少年は細かく震えている。寒いらしい。だいぶ雨に打たれたようだ。
「傘は?」
「風で折れちゃって。それで。それで帰ってくる途中で捨てちゃいました」
 たまらず根岸は眉をひそめた。自宅に連れ帰って風呂に入れてやりたい気持ちでいっぱいだが、それはできない。未成年者略取になってしまう。それに、利発そうなこの子が見ず知らずの大人に付いていくとも思えない。
「ちょっと待ってて。あったかい飲み物買ってあげる」アパート前の自動販売機で、缶コーヒーを買ってやるのが精いっぱいだった。「はい」
 少年は初めて笑顔を失い、激しく恐縮した。
「いいですいいです」
「いいから」
 根岸は半ば押し付けるようにコーヒーの缶を渡した。少年は申し訳なさそうに礼を言い、頭を下げた。
 少年は両方の掌で包み込むように缶を持ち、さもうまそうに、少しずつコーヒーをすすった。根岸は少年のそばにしゃがみ、無言で寄り添ってやった。
 雨は一向に止む気配がない。風はますます強く吹き荒ぶばかりだ。ほっほっと小さく息継ぎをしながらコーヒーを飲む少年に、根岸は再び問いかけた。
「うまいかい」
 少年はコーヒーをもらってから必要以上に緊張していたが、根岸の優しい言葉に、あの笑顔を取り戻した。ぱぁっと明るい表情で大きくうなずいた。
「すごい台風だね」
「そうですね」
「傘、残念だったね。大変だったでしょ」
「はい」
「俺もほら。見て。ずぶ濡れだよぉ」
「ああ。はい」
 取り留めの無い会話を取っ掛かりにして、さりげなく根岸は訊いた。
「お父さんお母さんは?」
 少年は答えにくそうにちょっと笑顔を消して、またすぐ笑顔に戻り、言った。
「死にました」
 不意を打たれて言葉に困った。どう言って取り繕えば良いのか。聴いてはいけないことを聴いてしまった気詰まりから、根岸は黙ってしまう。
 雨風の音だけが耳にうるさかった。少年も根岸も一言も語を発しない。
「それ、捨ててあげよう」
「あ。ありがとうございます。本当にありがとうございました」
 根岸は立ち上がり、少年が飲み干した缶を空き缶入れに捨てた。そのまま、立ったまま、根岸は問いかける。
「これからどうするの」
 少年は微笑したまま根岸を見つめる。特に何も答えない。
「鍵が無くて、家に入れないじゃないか。どうするの」
 少年は床面に視線を落とし、さみしく笑いながら言った。
「どうにかなります。歌っていれば」
 根岸は一層気鬱になる。気の毒だが、どうしてあげることもできない。これ以上、何も言葉を掛けて上げられない。素直に退散するしかなさそうだった。
「じゃあ。俺は行くよ」
「はい」
 少年は立ち上がり、ペコペコと頭を下げた。
「ありがとうごさいました。ごちそうさまでした」
 根岸が立ち去ろうとすると、少年はニコニコ笑ったまま、またしゃがみ込んだ。根岸はどうしても立ち去れず、屋根から一歩外れた路上で立ち止まり、少年を見つめた。雨が激しく傘を叩き付ける。
 少年は根岸がまだとどまっていることを知りながらも、まるで誰もいないかのように、歌を歌い始めた。それは雨音にも負けない歌唱だった。きっと根岸が来る前にも何度も繰り返されたのであろうと思える歌であった。その歌声は決して悲愴ではなく、むしろ喜びに満ちていた。


  風立ちぬ雨降りの夜を、待って居る…
    けど気にしない
    我は笑む
      越えろ暗闇!
      オゾン燃ゆ、日差す方へね


 少年は笑顔だった。なぜか泣けてきた。こんなに明るい顔をしている少年を見て、なぜか気持ちが沈んだ。根岸の目から涙が一粒こぼれた。
 少年がもう一度同じ歌を繰り返そうとしたとき、傘を差した女がひとり、アパート前にやって来た。スカートやハンドバッグを雨にやられたせいかひどく不機嫌そうだった。どうやらアパートの住人らしい。根岸は一歩退いて道を譲った。
 女は傘を閉じる。少年は歌を中断する。今まで笑っていた少年の顔にほんの少し緊張の色が走ったのを根岸はおやと思った。女は少年の前まで来ると、ヒステリックに叫んだ。
「おまえ。何やってんだよ」
「鍵、落としちゃった」
「バカ!」
 女は右手に持った傘を一瞬振り上げようとしてからそれをやめ、ハンドバッグを掛けた左手で少年にビンタをした。根岸はたまげた。慌てた。
「ごめんなさい…」謝る少年に対し、女は無言で102号室のドアノブに鍵を挿す。「ごめんなさいお母さん…」
 根岸には物を言う暇も無かった。あっけに取られた。少年の母親は死んでいなかったのだ。少年は詫びるような目で根岸をちらと見た。きっと、家庭の事情を説明するのが億劫で、「死にました」なんて適当なことを言ったのだろう。少年の顔は、陳謝するような、また、見られたくない場面を見られたような、バツが悪そうな表情だった。その顔はもはやちっとも笑っていなかった。
 ドアが開いた。少年は母親に急かされて室内に引っ込んだ。母親はすぐには家に入らず、じっと根岸を見る。その目は誘拐犯か何かを見るような光で睨んでいた。特に弁明する気も起こらず根岸はそそくさと家路に戻った。
 雨は依然強いままだ。根岸は家までの残りわずかの道を、少年の歌を口ずさみながらトボトボ歩いた。筆舌に尽くしがたいやるせなさに全身を濡らしつつ…。


恋人と別れる500の方法   (2007/11/08)
 つきあっているオンナと、別れたくてしょうがない。
 どうにか穏便に今の関係を終結できないものか。穏便に終わらせたい。逆恨みされたり、自殺されたり、ストーカーされたり、秘密をバラされたりしたら困る。後腐れなくオサラバしたい。永久に。
 そこで俺は、ポール・サイモン『恋人と別れる50の方法』を聴いてみた。何かヒントがあるかも知れないと思ったからだ。
 しかし、聴いてみてガッカリした。『~50の方法』と言いつつサイモンは、具体的な方法については

1.裏からこっそり出て行く
2.新たな計画を立てる
3.内気になる必要はない
4.バスに飛び乗る
5.鍵を降ろす(捨てる?)
6.議論を重ねる必要はない

これしか歌っていない。50の方法を聴き手に想像させる、非常にすぐれた歌詞ではあるが、解決の道すじはほとんど示していない。
 救済策を与えられず想像力だけを刺激された俺は、よせばいいのに、恋人と別れる50の方法を自分で考えることにした。
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アズマギク   (2007/11/01)
 11月1日。1が3つ並ぶ日。
 10月が終わり11月が始まるその瞬間。午前0時0分0秒。1人室内でそっとつぶやく。「お誕生日おめでとう」と。
 目を閉じてきみの顔を思い浮かべる。きみの顔はぼんやりとしていて輪郭がはっきりとしない。記憶の中のきみは半透明。まるで水で薄められたかのように色彩が柔らかくなっている。たしか、大きな目だったよね。いつも表面が濡れていて、瞳の黒が光っていた。こんな目だっけ? それとも、もう少し細長いレンズ型だったっけ。よくわからない。あんなに長いあいだ覗き込んだのに──鏡の中の自分と目を合わせるよりも長いあいだ見つめ合ったのに。
 閉じた目を開けるとそこは自分の部屋。きみの姿は消える。もう1度つぶやく。「お誕生日おめでとう」と。11月1日。今日はきみの誕生日。数字だけははっきり覚えている。ため息が腹から漏れる。
 部屋の照明を消す。壁も天井も電灯もベッドも本棚も机もテレビも何も見えなくなる。雑念を取り払う。きみの姿を思い出すことだけに専念する。視野にあるのはきみの姿だけ。心の中できみの名前を繰り返す。何度も呪文のように繰り返す。記憶。きみと過ごした掛け替えの無い日々。忘れられない。決して忘れられない。その、確固とした記憶。確固とした記憶を頼りに、きみの姿を想起する。暗闇の中にぽうっと浮かび上がるきみの青白い半身像。きみは笑っている。ゆらゆらと揺れてピントが定まらない。笑っているのはわかる。きみの笑顔を想像しているのだから、想像上のきみは笑っているに決まっている。だけど表情が読めない。どうして。底知れぬ心の海底から、なにか、じりじりと胸を焼くような焦りが、おそろしい勢いで浮上してくる、そんな予感がする。不吉な予感。それは恐怖に近い、不穏な感情。ハッと気付く。きみの半身像がゴボゴボと音を立てて闇に引きずり込まれていく。
「待ってくれ。行かないでくれ。何かの間違いなんだ。もう少し待ってくれ。」
 暗闇の中できみの名を呼ぶ。何度も。何度も。より一層ぼやけるきみの姿。もはや誰だかわからないくらいあやふやだ。まぎれもなくきみなのに。目の前に漂う女の顔は絶対きみの顔であるはずなのに。色と形が溶けていく。
 慌てふためいておべんちゃらを使う。きみの容姿にはっきりとした形を取り戻すため、ほめながら思い出しながら描写していく。
 目鼻立ちがとても整っていたよね。スッと伸びた鼻筋。あれくらい均整の取れた鼻は、きみと最後に会って以来、一度もお目に掛かっていない。どんな鼻だったっけ? そう、そういう鼻だった。あれ。そうだっけ? そういう鼻だったっけ。そうか。そうだよね。それにその唇。最高の唇だった。最高だった。その唇。その唇。その唇? どの? どの唇だ? 思い出せない。あれ。おかしいな。思い出せないぞ。数え切れないくらいキスした唇を。色も形も艶も感触も、何も思い出せやしない。あんな、すばらしい唇を! きれいすぎたから、記憶に残っていないのか。もっと面白い目鼻口をしていれば。換言すればブサイクなパーツをしていれば。それならば憶えていたというのか。いいや、それでもやっぱり憶えていなかったはずだ。美人だったから記憶に残りにくかった? そんなのは言いわけだ!
 もう、認めるしかない。あれほど愛したきみの姿を、この脳は、忘れ始めている。何という恐ろしいことだろう。別れてから、たった数年間しか経っていないと言うのに!
 鮮烈な記憶はいつまでも美しさを損なわずその姿を保つと信じて疑わなかった。しかし、残るのは数字だけだった。数値化できない甘い記憶は時の流れと共に次第に劣化し、色褪せていく。あれほど鮮明だった掛け替えのない記憶が古ぼけていく。ひさしぶりにひらいたアルバムの、写真を貼り付けているセロテープが茶色く変色していたように、古びていく。ただ厳然として残っているのは数字のみ。
「過去の愛が忘れられなければ、新しい恋は出来ない。恋愛をしなければ子孫を残せない。子孫が繁栄しなければ種は滅びてしまう。だから…」
 だから、防衛本能が働いて、古い恋愛の記憶は徐々に削除されていく、とでもいうのか。甘い昔に束縛されないよう、全て無かったことにされるとでもいうのか。ふざけんな。
 初めてキスをした時のことしか憶えていない。デートした思い出・ケンカした記憶がゴッソリ抜け落ちている。別れたつらい記憶もどこかへ消し飛んでいる。その他かろうじて憶えているのは数々の夜伽だが、しかしその記憶の中の裸のきみは、やはり顔が消えているし、乳首の形状も曖昧だ。もはや日記に残っている記述でしか、脳内であの子とのデートを再現できないというのか。毎日いっしょにいたのに、たまにしか会っていなかったことになってしまうというのか。お互いの誕生日とクリスマスイヴと年末年始とバレンタインと七夕にだけ?
 それって、悲しすぎる。切なすぎる…。
 お誕生日おめでとう。11月1日。今日はきみの誕生日。数字だけははっきり覚えているのに。


言葉狩り   (2007/10/18)
くだらない小説を書きてよろこべる
男憐れなり
初秋の風
      ──石川啄木『一握の砂』より



われはこの牧場まきば
自給自足にて
晴耕雨讀を営めり

さまざまな家畜を飼ひたる
わが牧場
牛豚羊鶏魚

さまざまな野菜を植ゑたる
わが牧場
むぎ人參にんじん大根白菜

薩摩芋牛蒡ごばう馬鈴薯ばれいしよ
玉蜀黍たうもろこし茄子なすねぎ胡瓜きうり
キヤベジレタス

手懐てなづけし禽獣きんじうかこ
柵の中
われに群がる給餌きふじのひととき

喰ふための
食材としてはぐくめる
家畜なれども情も移れり

雌豚の頭を撫でし
その時に
柵の外よりヤツら來たれり

十四五人
老若いずれも男にて
各々武噐を手に吶喊とつかん

柵を、のりを越えて
闖入ちんにふせしヤツら
ち殺さるるわが家畜たち

わが制止のこゑむな
聞かれまじ
むごき殺戮は止まらざりき

見る見るうち
無抵抗の動物の
死骸累々死骸累々

われ叫ぶ
「うぬらの働く狼藉は何のいひぞ」と
聲を限りに

叫べども一向に腕を止めむとせず
わが畜を打つ
屠殺とさつの腕を

緑なりき
赤く染まりたる牧草の
なびきしは今や血深泥ちみどろの沼

血の匂ふわが安らぎの地
「な殺しそ」
聲を限りにわれは叫びぬ

ヤツらのうち
をさと思へるハゲオヤジ
われに向かひてくすくす笑ふ

「この牛や豚や羊や鶏は
 危險がゆえに
 殺してしまふ」

「何が危險
 無害にあらずやわがけもの
 だつてこんなに大人しいぢやんか」

「人を噛む噛まないの議論にやあらず
 あきらめよ
 これはおかみのお達し」

ののしりしわれには構はず
動物をほふつてわら
男たちの目

腦天を重き斧にてかち割らる
優しき牛の
斷末魔の聲

豚に似し男が
豚を殺し言ふ
「なれの家畜は不愉快なるかな」

めえめえと
命乞ひするわが羊に
振り下ろさるるなたの一撃

うらめしや
馬がいななき犬が吠ゆ
わが下僕たちに何の罪やある

ぢつとにらむわれの視線を
にしてか
「俺はこいつにアレルギイあり」

つまり何か
なれの都合が原因で命取らるか
わが鶏は

傳染病でんせんびやうでも持ちたれば
仕方無し
間引かるるのも承服すれども

とがも無く斷罪さるる
わが家畜
命を奪はる理由は「不快」

毒を飲む
養殖池の魚たち
水面みなもに浮かぶ白き腹かな

丹誠たんせいを込めし彼らを處分しよぶんされ
ほほつたひぬ
ぬるき涙が

「今日からは
 なれは野菜を食べるべし
 生臭なまぐさの調理一切を禁ず」

捨て台詞ぜりふ
吐きて去りぬる男たちの
背をわれ睨み血に膝を着く

人を毀損きそんするあたふ強き獣なれど
あまりに慘し
慘きかな嗚呼ああ

味氣あぢけなき精進しやうじん料理ぞ出來上がる
辛みもぞなし
野暮つたき味

ふとめる牧場ぼくぢやうの夢
あれは夢
しかれど頬には涙のあとかも

書きかけの原稿用紙を枕にし
〆切しめきり前に
眠りたるらし

ハゲオヤジが
寝惚ねぼまなこのわれを
苦き顔してふみしゆ

咎も無く斷罪さるる
わが言葉
命を奪はる理由は「不快」

めくらなる語句を用ゐることなかれ
 目不自由なる
 人に失禮しつれい

 つんぼなる語句を用ゐることなかれ
 耳不自由なる
 人に失禮

 びつこなる語句を用ゐることなかれ
 足不自由なる
 人に失禮

 白痴はくちなる語句を用ゐることなかれ
 馬鹿に馬鹿てふ
 馬鹿に失禮

 とくと知れ 
 乞食こじきを乞食と書くなかれ
 家なき者はホオムレスなり」

われは問ふ
禿はげにハゲとは言ふまじや」
ハゲオヤジ殿「然り」と答へり

われは
「さればなんぢ
 毛髪の不自由な方とお呼びすべきか」

わが料理の味をピリリと引き立てる
一匙ひとさじの毒
一言の語

わが言葉がたれかの舌をいためても
われは譲らじ
言葉に咎無し

わが言葉は命を持てり
生きて御座居
いずれも可愛き下僕たちなり


いっぱいいるお母さん   (2007/10/11)
「おはよう。朝だよ。もう起きなさい」
 これが僕のお母さん。
「おはよう。朝だよ。もう起きなさい」
 僕は眠い目をこすってのそのそと布団から抜け出す。僕は朝に弱いからお母さんに起こしてもらわないと寝坊してしまう。僕は寝起き特有のかすれ声で「おはよう」と返事をし、お母さんを押して、子ども部屋を出る。洗面所で顔を洗い、うがいをし、口をすすぎ、食堂へ。
 台所にはお母さんがすでに朝食を準備して待っていた。作るのが早すぎたのか、僕の起きるのが遅かったのか、目玉焼きとベーコンは冷めてしまっている。けれど問題ない。お母さんがアツアツに再加熱してくれる。トーストは僕が自分で焼く。
「松江地方、今日の天気は晴れです」
 お母さんの言葉に寝ボケまなこでうなずき、半睡状態で食事の準備を続ける。湯気の立つ目玉焼きとベーコンの皿をお母さんから受け取る。焼き上がったトーストにたっぷりのバターとイチゴジャムを塗る。お母さんから牛乳を取り出し、コップに注ぐ。デザートにバナナ。それらの食事をおぼんで食卓に運び、いざ「いただきます」。
 まず、きつね色に焦げたトーストをいただく。角っこをガブリとかじり取り、ニチャニチャと噛む。イチゴの酸い甘味。牛乳を一口含む。渾然一体となる食パン・ジャム・ミルク。牛乳で溶かしながらパンの破片を飲み込む。またガブリ。クチャクチャ。ゴクリ。その作業を繰り返し、トーストをたいらげる。
 そろそろ胃が起きる。少し重めの肉と卵に取りかかる。目玉焼きの上にウスターソースをかける。右端からハシで白身を切り分けて、カリカリに焼いたベーコンと一緒にいただく。胃が驚かないよう、少しずつ、食べていく。左端の白身は黄身と一緒に。噛み締めると卵のうまみがお口いっぱいに広がる。
 台所に立ち、沸騰したお湯で熱い紅茶を淹れ、ソースの風味が残る口中を洗い流す。身体が芯から温まり、目覚めた細胞が活動を始める。バナナを食べ、紅茶の残りをすすり、飲み下す。「ごちそうさま」をして食器を流しへ片づける。
 トイレに入る。歯を磨く。パジャマを着替える。朝の準備が着々と進む。時間割を確認してランドセルに教科書を詰めたところでちょうど、お母さんが七時を告げる。
 僕のお母さんはいっぱいいる。
「いってきまぁす」
 返事はない。
「いってきまぁす」
 僕はお母さんたちにあいさつする。
「いってきまぁす」
 返事はない。
「いってきまぁす」
 僕はめざまし時計・冷蔵庫・電子レンジ・ラジオに向かって声を掛けながら、ふと涙ぐむ。母親代わりの家庭電化製品に囲まれて、急にさみしくなる。
 僕のお母さん。どこにいるの? そしてたくさんのお父さん。あなたがたのうち誰が本当のお父さんなの? 僕はさみしい。とても孤独で不安で。
 お父さんお母さん。僕は本当にあなたがたの子どもなの? そうだとしたら、どうしてずっといっしょにいてくれないの? ひょっとして僕は、僕は家庭電化製品の子ども? 僕は家庭電化製品? 僕はあなたがたにとって家電と同様なの? 教えてよ。教えてよぅ…。
 靴を履く。102号室のドア。鍵を掛ける。
 学校に出かける。


1/6629722083   (2007/10/04)
 仏壇に手を合わせていたらおじいちゃんが声を掛けてきた。
「おい実佐子。おれは今日めちゃくちゃ感動したぞ。」
 やれやれ。ため息が出る。
 私は手を膝に置き、困り顔でおじいちゃんの相手をする。
「なぁに。またデートのぞいたの。」
 今日は坂之上さんと新宿でデートをして来た。その場面を目撃されたと思い、私は叱るような口調でそう言った。
 おじいちゃんは私をよく尾行する。いつの間にか後ろについてきてるから気が抜けない。たとえば友だちとのショッピング。映画。会社の飲み会。果てはデート、温泉旅行まで。いつ見られてるのかわからないけど、うちに帰ってきてから「あの男はやめた方がいいな」なんて言うから、びっくりしちゃう。大事な孫を見守ってくれてるんだろうけど、監視されてるみたいだし、おじいちゃんは大好きだけど、さすがにちょっとやめてほしい。もう慣れたけど。
 私の詰問に対し、バツが悪いのか、おじいちゃんはちょっと言葉に詰まった。うーむ。やはりデートについてきていたらしい。
「いやさ、確かに、行ったけどさ…」
 すぐ白状した。
「そりゃ、実佐子が心配だからであって…」
 私は苦笑いする。いつもその言い訳だ。でも、これ以上、怒るに怒れない。その、心底申し訳なさそうな声は、情けなくて、ぶきっちょで、とても暖かみがあって、しかも少しいじらしい。おじいちゃんは私のことを本当に大切に思ってくれている。
「で、何に感動したの。」
「おまえホラ、駅で待ち合わせしたあと、横断歩道を渡ったろ。」
「渡った渡った。」ここでちょっと違和感、私は目を剥く。「えぇ~っあん時からいたのぉ!?」
「うん。」子どもみたいに無邪気な返事だ。
「それで?」
「すっごく人がいっぱい居たじゃないか。」確かに。
「そうだね。よく私たちのこと見失わなかったね。」
「それでな、そん時な……。あー。ちょっとアルバムを持って来なさい。おまえの七五三の時の。」意味不明な展開だ。
「何それ。何か今日のデートと関係あるの。」
「あるある。大いに。いいから持って来てよ。」
「めんどくさいよ。」
「頼むよ。」
「どうしても今持って来なきゃだめ?」
「だめ。」
「しょうがないな。」
 私は二階に上がり、父の書斎で写真アルバムを探す。
「えーと。これかな。」
 分厚いアルバム数冊あるうちの一冊幼少時代を収めたのを抱いて茶の間に戻る。
「おじいちゃん、これ?」
「ああそれそれ。多分。」多分か。「七五三の時の写真、ある? 七歳の時の。八幡宮の。」
「七歳…。ああ、これね。」着物でおすましをし、千歳飴を手にした、可愛らしい七歳の私。「この写真がどうしたって。」
「その写真、後ろの方に縁日の露店が写ってるだろ。」
「写ってるね。たこ焼き屋さんが。」
「竹串を持ったテキ屋のあんちゃん、いるだろ。」
「いるね。」
「こいつと今日すれ違ったぞ。」
「えぇ~っ!?」私はただ驚くばかりだ。何だって?
「おまえは東口をアルタの方に向かったろ。」
「向かった向かった。」
「そのあんちゃんは、アルタの方から駅に向かって歩いてたんだ。で、お互い、横断歩道を渡る時に、すれ違ったってわけ。最接近時のその距離、なんと、たった15センチメートル。」
「本当に~!?」この写真の男の人と、私が今日、あの横断歩道上で行き交ったってわけ?「何それ。なんかすごいけど。本当なの」
「本当。確かめた。信じるだろ。」私はおじいちゃんを信じる。「ちなみにこの写真のあんちゃん、今では日雇い労働者をやってる。」いらない情報だ。
「でもそれが何で感動するわけ?」
 おじいちゃんは、いつになくまじめに、滔々と述べ立てた。私は終いまでおとなしく聴いた。
「奇跡的な再会じゃないか。作られた再会じゃない。小説みたいに、偶然を装った遭遇じゃない。仕向けられた筋書き通りの邂逅じゃない。こういうさ、お互い見ず知らずの人間がさ、長い年月を挟んで、たまたますれ違う。これってすごいことじゃないか。なぁ。」おじいちゃんは少し言葉を切ってから、また続ける。「知り合い同士、意外な場所で不意に出会うと心地よい驚きを感じる。不思議な巡り合わせに興奮する。でもな、当人同士は全くそれと知らないまま、こういう奇跡的なすれ違いをするっていうのも、すごいことだとおれは思う。しかもな、今日実佐子は元テキ屋のあんちゃんとすれ違ったわけだけど、こういう類のすれ違いって、実は今まで何度も体験してるんだぜ。特に人の多い場所に行くとな。知らなかっただろ。」言われてみれば有り得そうな話だ。「実佐子とあんちゃんの再会、おれはめちゃくちゃ感動した。なんだか不思議な気持ちになった。神のいたずらというか、いいやそんな物じゃない、もっと大きな、何と言えばいいのかな、とにかく、世界の広さと狭さ、その両方を感得した。人はさりげなく接触をしていたりすることがわかる、そこに却って感動がある。実佐子が今日、全然気付かぬまま体験したこの現象、他の人たちも全然気付かぬまま、何度も体験してるんだろうね。毎日、何十年ぶりの奇跡的再会を果たす赤の他人同士が、何人いることやら。しかも当人同士はそういう奇跡的再会に全く気付かないんだ。そういう真理を発見して、おれは戦慄するほど感動した。想像すればするほど、すごいなって思う。世界の人口は今や六十億を超えている。しかしそのうち実地に顔を合わせられる人間の数なんてたかが知れてる。生きている間に、言い換えれば同じ時代・同じ空間の中に活動しているって、これってすごいことじゃないか。ものすごい確率の巡り合わせなんだから。」
 なるほど私は名状しがたい感動に襲われた。それって、すごいことだ、と、思う。おじいちゃんが教えてくれなければ、私は今日のこの運命的なすれ違いをちっとも知る由がなかっただろう。
 でも、それとは全然関係ないんだけど、気になることがひとつある。
「それでさ。」抑制された、しかし強い口調で私は問う。「おじいちゃんさ、私たちを、どこまで尾行したの?」
「そりゃおまえ、そこでさ、うちに帰ってきたよ。」あきらかに落ち着きを失った。
「ウソでしょ。」
「え。ウソじゃないよ。」
「ウソ。見たでしょ。」
「え。見てないよ。」この動揺ぶり。さてはキスシーンを見たな。
「何それ。何を見たか聞いてもないのに、どうしてそんな慌てて見てないよなんて言うの。やっぱり見たんでしょ。」
「う…。」おじいちゃんは少時沈黙する。やがて言う。「ちょっとね。一瞬ね。」やっぱり。
「このエロジジイ!」私は勢い良く立ち上がり、仏壇に向かって、空気が揺れるほど怒鳴りつけた。
 位牌が照れ臭そうに揺れた。


○ Mr.XⅩ××× ×   (2007/09/27)
『まる ミスターエックス十世vsぺけかける ばつ』
もしくは
『フォー・ライティン・メンタル・クリニック』



【平家翔】
 こんにちは。
 どうぞよろしくお願いします。
 えーと。わたしのファンからの、熱いリクエストにお応えして、やってまいりまして。いえ。いえいえ、あの、ちがいました。そう、ここにはその、友人にですね、勧められて、来ました。はい。
 別に、わたし自身はわたしのことを特別な人間だとは思っていません。いたって普通だと思っています。だけど、友人がぜひにと拝み倒すものだから、ま、いちおう来てみました。
 特に何もないと思います。何も。何もない。何も変わったところなど。何も変わったところなどない。
 あああああああ。何もおかしくなんてない。おかしいのは、おかしいのはわたしの方じゃない。おかしいのは、そっちの方だ。おかし、おかしいのは、あああ、あああ。いいえ。別に興奮なんかしていませんよ。いいえ!全然!
 あんなにガバガバ出た石油~。今では水すら湧きもせぬ~。不毛の大地、枯渇の砂漠。掘っても掘っても何も出ぬ~♪アハハハハハハ。
 アハ。
 不調である。何も思い付かない。思い付いても書き留める気力が無い。先生、私はどうしたらいいでしょうか。

【ミスターX】
 のっけからイカれていていささか困惑するが、当院に来た理由は「文筆活動が思う通りにいかない」ということでよろしいかな。
 案ずるなかれ。この不調は、上げては下がり下げては上がる波濤のようなものである。この波頭がいつか盛り返すことを君は経験で知っている。株価の波は常に変動する。それを知っているから貴殿は以前のように慌てはしない。本当に切羽詰まっていたらそのような狂態を演じることも出来ないはずだ。本当に枯れた人間は、ただただ沈黙してしまう。貴殿の不調は、単なる下り坂。放っておけばそのうち必ず右肩上がりになる。
 もっとも、心電図でいうところの心拍停止すなわちご臨終にならなければ、だが。

【平家翔】
 その、ご臨終とやらになりそうで。近い将来好不調の波が震動を停止し、単一音を鳴らしながら水平線を描きそうな予感がするのです。このままでは作家生命が絶たれそうで。わたしから創作を抜き取ったら何が残りましょうか。皮しか残らない。煮ても焼いても食えぬ皮しか。抜け殻になってしまいます。それが怖くておちおち垢擦りも出来ません──もしかすると自分はもう皮だけかも知れない、じゃあせめて皮だけでも大事にしよう、と思ってここ一ヶ月ばかり風呂に入ってません。
 そんなわたしの惨状を見かねて友人に強制連行されてこの精神科にいらっしゃったわけですが貴様おれを治せるか。治せるものなら治してみろお願いします。

【ミスターX】
 まず聞くけど、スランプの原因、何か思い当たることはあるか。失恋したとか、職を失ったとか、信用を失ったとか、財産を失ったとか、髪の毛を失ったとか。

【平家翔】
 失った物と言って特に思い当たる物はありませんが。そうですね。童貞くらいでしょうか。

【ミスターX】
 それだ!

【平家翔】
 それですか。

【ミスターX】
 人生に於ける重大事。たとえば結婚や出産、入学や卒業、近親者の死。こういう物に出くわすと、人は変化を体験する。生活環境が激変すると心身の調子を崩したりすることもある。特に物書きなんてのは神経がキャシャだから、すぐ環境に影響される。だから君はあれだよ、童貞を失ったから物が書けなくなったんだよ。少年性?っていうのかな、それも一緒に喪失したのだ。大人として俗塵を浴び、純粋な精神を濁らせてしまったのだ。はい、原因わかった診察おわりー。帰った帰った次の人どうぞー。

【平家翔】
 いえ実は。童貞を失ったというのはウソです。一種の見栄です。まだ捨ててません。後生大事に守っていくつもりです。

【ミスターX】
 ウソつきやがったのか!

【平家翔】
 ごめんなさい。でも、環境の変化っていうのは心当たりがありますよ。

【ミスターX】
 ああごめん笹川のおばあちゃん、呼んだけど診察もうちょっと待って。──で、その環境の変化っていうのは具体的にどういう物かね。

【平家翔】
 本当は夜型人間なんですけど、仕事の関係上とにかく朝起きるのが早くなりまして。

【ミスターX】
 お仕事は何を。競馬の調教師とか漁師とか新聞配達とか?2時くらいに起きる感じの。

【平家翔】
 それはもう、朝じゃないでしょう。夜でしょう。わたしが起きるのは4時くらいです。

【ミスターX】
 朝の4時。4時か。某作家のクリエイティヴィティがピークを迎える時間だね。君にもあるかい、最も創作に没頭できる時刻ってやつが。

【平家翔】
 あります。ミッドナイト12時を境に前後3時間・のべ6時間ほどがわたしの習慣的な執筆タイムです。どういうわけかこの時間帯は指がキーボードの上を軽やかにダンスするんです。昨日でもない、明日でもない、今。日付変更線の上にいて、昨日と明日両方に片足ずつ突っ込んでいる、そんな状態。その時なぜか文章を大量生産できるのです。

【ミスターX】
 ふむ。古くなった昨日の自分を捨て、新しい明日の自分を迎えるための準備をする時間帯か。

【平家翔】
 というとなんだか詩的で聞こえはいいですが結局それって脱皮ですよね。ヘビみたい。

【ミスターX】
 絶好調時の君の文章って結局、言ってみりゃ脱ぎ捨てられた古い皮だね。日焼け跡のようにポロポロとむけ落ちた汚い薄皮、だ。

【平家翔】
 失礼な。

【ミスターX】
 だってそうだろうが。

【平家翔】
 そうかも知れません。すみません。

【ミスターX】
 はい、それじゃあ診察終わりです。不調の原因は環境の変化ってことで。解決策は、仕事を変えること。バイバーイ。

【平家翔】
 待って下さい!仕事を変えずに創作力を回復する方法が知りたいのです。だってね、ひどいんですよ本当に。わたし、『たりぶみ』というブログに週1で小説を掲載してるんですけど、今週はこんな作品を公開しようとさえ思ってたんですよ…?『古今東西──王者vs挑戦者』っていう…。

【ミスターX】
 どれだけヒドイ作品なのか、ちょっと朗読してみて下さい。案外、本人が思ってるほどヒドくないかも知れないよ?

【平家翔】
 じゃあ読みます。
 古今東西──王者vs挑戦者。
 作・ぺけかける。
「古今東西スマップのメンバー! 木村拓哉!」
「中居正広」
「香取慎吾!」
「稲垣吾郎?」
「草剛!」
「え…。森…、森くん?」
「ブー!」
「フルネームじゃなくてもいいだろ!」
「元メンバーだからダメ!」
「なんだよそれ! 絶対おまえが勝つように仕組んでるじゃないか! もっと人数多い題にしろよ!」
「じゃあ、古今東西米米クラブのメンバー! カールスモーキー石井!」
「う…ぐ…」
「どうした? いっぱいいるぜ」
「きたねぇよ! マニアじゃなきゃ石井しかわからねぇよ!」
「あなた頭あまみずですね」
「何? 甘味酢?」
「ノン!」
「水飴?? 何の話だ」
「雨水です。ウスイ、ってね」
「コノヤロウ! 殺されてぇのか!」
「古今東西、ボクの好きなAV女優! 春菜まい!」
「はっ!? なんだよその問題!」
「答えないのならば、この場で失格です」
「ちくしょう…。えーと、うーん、及川奈央?」
「あーごめん。あんま好きじゃない」
「てめぇ、ぶっ殺すぞ!」
 翌日、河原の土手で阿呆の惨殺体が発見された。

【ミスターX】
 これはヒドイ。

【平家翔】
 でしょ?こんな物、正気じゃ公開できないですよ。だからこそ、こうして安易な文学談義をしているわけで…。文学を題材にした文学は安直だからなるべくなら書きたくないのに…。

【ミスターX】
 メタフィクションとの決別宣言をしてからたった二ヶ月だね。あらあら。でもさ、スランプならスランプで、こんな雑談なんかせず、過去作でも載せてお茶を濁せば良かったのに。

【平家翔】
 未発表作品の蔵出しとか、過去作のリメイクならまだしも、既発表品をそのまま載せるっていうのは気に食わないんですよ。

【ミスターX】
 それならそれで、早く『環状線』とか『恋人と別れる5の方法』とか『言葉仮』とか『金婚式』とか、中絶している作品を完成させればいいじゃないか。

【平家翔】
 だからぁ。筆が動かないんですよぉ。

【ミスターX】
 インポテンツだね。ご愁傷様(笑)

【平家翔】
 笑い事じゃない!

【ミスターX】
 だから、仕事変えろって。

【平家翔】
 ヤダ!

【ミスターX】
 変えろ!

【平家翔】
 ヤーダ!

【ミスターX】
 なんてワガママな野郎だ。
 ひょっとして一週間に一回っていう更新頻度がよろしくないんじゃないか。君は以前、毎日のように新作小説を書いていたじゃないか。

【平家翔】
 あの頃は我ながら変人でしたね。

【ミスターX】
 毎日更新してみろよ。週1だからダレるんだよ。執筆作業を習慣化してしまえば筆の切れ味が鈍ることはないと思うよ。

【平家翔】
 毎日更新はもう無理です。昔ほど暇じゃありません。女性関係のこじれで。

【ミスターX】
 もうちょっといい加減な気持ちで更新してみたらどうだい。君は普段ずぼらな癖に妙な部分で律儀すぎる。作品の完成度を高めようと気張るからいけないんだ。自分の仕事に対してなかなか納得しない。良くない傾向だ。

【平家翔】
 いえいえ、やっぱり何かしら読者の感興を引き起こす作品を書きたいもんですよ。自分の考えや、これぞ自分っていう思想を表白する芸術をね。

【ミスターX】
 バカだな。作家は「偉大な識者」である必要はない。現象に対して的確な答えを導き出す「偉大な解答者」である必要はない。
 ただ、「偉大な出題者」たれ。
 問題に対して取り組むよう、聴衆に喚起せしめるのだ。同意されようが、反対されようが、反応を獲得すれば成功である。「反応」が「反響」なら尚いい。

【平家翔】
 ああ、寺山修司も「私は大きな質問になりたかった」と発言していますね。

【ミスターX】
 スランプにあがく痴態を読者に見てもらって、「才能ないって大変なんだなぁ」とか、少しでも感じてもらえれば、それでいいじゃないか。君の、何とか言うブログ、君の文才が徐々に枯れていくさまをありのまま活写したドキュメントにしてしまえ。現代版の平家物語だよ。リアルタイムの没落を読者に哀れんでもらえ。よし、それでいこう。

【平家翔】
 イヤです。

【ミスターX】
 帰れ!



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